3章 恋と終わりと勉強会 ⑧

 俺は部屋で情報収集をしてから、幸与さん達が作ってくれた夕食を一緒に食べた。

 美味しい。幸与さんの料理は今週ずっと食べてるけど今日はより気合が入っている感じがする。美樹さんがいるということも関係しているんだろうな。

「どうどう、美味しいでしょ」

「ああ、美味しいよ」

 夕飯を作ってもらっているし、この時ばかりはさすがに変に怒ったり無視したりはしない。話の流れに合わせて返答ぐらいはしておいた。

 夕食を食べ終わり、浴室で服を脱ぎ、体を洗い、湯に浸かり腰をおちつけた。

「また変に感情的になってしまったな」

 誰もが明日を目指せるようなことをしてみたい。

 幸与さんの言葉を聞いて必死に否定するなんてらしくないな。適当に聞き流させば良かったのに、なぜできなかったんだ。

 ここ最近、俺はずっとおかしいきがする。特に幸与さんに対して。なにかが違ってきているとでもいうのだろうか。

 側にいたくなって、でも突き放して。自分で自分が解らなくなっていることばかりしている。

 本当はたぶん……

 

「し、しつれいします」

「え、なに!」

 突然風呂のドアが開け放たれた先に立っていたのは美樹さんだった。

 薄白いはだに、あわいピンクまで。そりゃ風呂に入るんだからそうなるしかないんだけど目に毒だなさすがに。

 小さい娘や幸与さんの裸は観ているからといって、それで裸を見慣れるなんてことはない。

 俺は幸与さんであっても心は男のままだ。緊張してきて目をそらすしかなかった。

「なんで入ってきたの」

「ここなら生心君に話を聞かれないと思って」

「それにしては大胆じゃない」

「わたしもそう思います……だけどこれが一番の方法かなって。お邪魔でしょうか?」

 ふざけている様子もない、美樹さんの目は真剣だ。

 なにか大切な理由があるのかもしれない。ここは素直に受けいれておくか。

「いいよ入っても」

「ありがとうございます」

 美樹さんが安堵し、俺が入っている湯につかる。

 女生と風呂にはいるなんて……今はそういうのはいい。なにも考えるな。

 

「で、生心君に聞かれてまずいことってなに」

「最近、生心君が元気がない時があって、なにか知りませんか」

「あいつそんなに元気がないのか」

「はい、空元気ばかりなようにわたしは感じてます。それにぼぉーっとしてる時、後悔してるような顔ばっかりしてて見てられないんです」

 美樹さんの前でそうなってしまうほど、俺は幸与さんから笑顔を奪っていたんだ。

 あの明るさが取り柄なような幸与さんから。

「後悔か……」

「なにか知ってるんですか?」

「それわたしのせいです。きまずくなってるみてましたよね。少し生心君と喧嘩してしまって。ちょっと変ですよね高校生となんて。でも年齢とかそんなの関係なくて、お互いにゆずりあえなくて、それで」

 無我夢中で話していた。こんなこと話しても意味がないはずなのに。

「大丈夫です、大丈夫ですから、落ち着いてください。幸与さん必死な気持ちしっかり伝わっていますから」

 美樹さんは俺なんかのために必死になってくれている。なにやらせてんだよ本当。

「ごめんなさい、取り乱してしまって」

「別にいいと思います。そうやって素直になることのほうが大切だと思いますから」

「ねぇ、記憶が曖昧になった後さ、あなたは生心君のことどう思ってる」

「生心君学校にきてからすごく明るくなったんです。まるで前とは別人みたいに。最初の頃なんて本当すごかった。更衣室、間違えた時まで元気なのは困りましたけどね」

「生心君、そんなことしてたのかよ、聞いてねぇぞ」

 全然そんなこと話していない。裏でなにやってるか解らんやつだな。

 

「怒ってあげないでください。生心君記憶が曖昧になって、それで教室間違ちゃっただけなんです。それからはいつもお弁当食べあったり、お話したり、時には一緒に走り回ったりと、いろいろなことをしました」

 それは聞いてる。いつも幸与さんが楽しそうに話していた。

 学校で生活できること、元気でいられること、身体でいられること、それは幸与さんにとっては特別なことだから。

「それなのに生心君最近は落ち込むこと多くて、わたしどうにかしてあげたいんです」

「どうして、そんなにも生心君のためになってあげたいんだ」

 俺よりも深く関わっていなくて、赤の他人ともいえるはずなのに、どうしてそんなに親身になれるのだろう。不登校だったやつだなんて関わりたくもないのが普通なはずだ。

「好きなんです、生心君のことが」

 好きだから。それほどまでにこの娘にとっては明るい生心君、つまりは幸与さんのことが大切なんだ。どきどきしてるし、もやもやするし変な気分だ。

 いつも恋愛脳なんてうざいって思うのにそう思えなくなっている。純粋なまま恥ずかしがる彼女に憧れてしまいそうだ。

「最近明るくなって素直だもんね生心君。だから好きになったんだ」

 けど彼女が憧れているのは、俺の中にいる幸与さんだ。勘違いしちゃだめなとこだよな。

 

「明るい生心君も好きだけど、昔の落ち着いて生心君もわたしは好きですよ」


 勘違いするな、そんな理性が美樹さんの言葉で吹き飛ばされる。眼の前の女の子はとてもかわいくみえる。

「え、そうなの」

 俺のことが好き。こんな娘がいたんだ……

 俺はこの娘のことを全然知らないのに変な気分だ。

 好きだから嬉しいんじゃない、俺のこと認めてくれた人がいるから嬉しいんだ。


「でもどうして好きなんだ。なんにも関わりなかっただろ、話してもいないし」

「確かに勇気がだせなくて話はあんまりできなかったけど、関わりがなかったなんてことはないです。一年生の時別々のクラスだったんですけど、図書委員を一緒にやってました。その時すごくてきぱき仕事するし、なんでもいろいろ知っていてすごくかっこよかった。本読んでる姿がとても絵になって、すごくかっこよかったんです」

 俺、図書委員なんてやってたんだ。幸与さんの体だから思い出せないのかもしれないが、別のクラスの生徒なんて覚えているとは到底思えない。それなのに美樹さんは……

「あれ? 自分のことのように関わりがなかったなんてこと、どうして幸与さんが知ってるんですか?」

 とっさのことであまり考えずに質問したせいかぼろをだしてしまった。さっきも口をすべらせて、思った以上に動揺してるんだな。

「それは、生心君から美樹さんの話をよく聞くから」

「そっかぁ、嬉しいな」

 こんなに嬉しそうな女性の笑顔はじめてだ。でもなんでだろう、ドキドキはしない。

 幸与さんがこんな風に笑顔になってくれればいいって考えてる。どうしてだ。

 

「あの……幸与さんは好きな人っていますか?」

「わたし?」

「自分だけいろいろ言ってるの恥ずかしくなってきちゃって、だから聞いてみたいです」

 今までそんなこと考えたこともなかったな。好き以前に人に興味がなかったから。

「解らないんです。その人のことを好きになっていいと思えなくて。資格とかきっとなくて、だからそれってだめで……」

「そんな風に考えなくていいと思いますよ。資格だとかそんなの必要ありません。わたしだって誰もが羨むものとかもってないですし――はじめて好きになった時は理由とかそういうの考えていませんでした。ただ心が暖かくなるなって思って意識してたら、好きになってたのかな」

「そういうものなんだ」

「自分の心を大切にしていけばいいと思いますよ」

 理屈ばかりを俺はいつも考えていた。これはこうだから、こうしない。だからやらないって。

 でもそれだけじゃだめなんだと思う。なにかを変えていくためには。

「すいません、上から目線でいろいろ言ってしまって」

「いいよ、別に。迷っていたから言ってくれたんでしょ?」

「はい」

 そうだ迷うな。理由なんで今はどうでもいい。素直になればいいだけだ。

 

「わたしにも好きな人いるよ。その人ことを思うだけで心が熱くなる、そんな人が」

 幸与さん、幸与さん、幸与さん、好きって気持ちが溢れてくる。言ってる自分が恥ずかしくなってくる。

 お風呂のせいもあるんだろけど、顔が熱い。なんなんだよこの気持ちは。


「すごいこれ、恥ずかしいね」

「その気持ち解ります」

「でもそう言いたい。そう思い続けたい」

 俺は幸与さんのことが好き。だから今ままでずっと側にいても遠ざけなかった。

 それなのに冷たく当たって。本当馬鹿してたな。

 

「すごくすっきりした」

「わたしもです。生心君が元気になってくれたならぁ、もっとすっきりできるのに」

「なんとかしてみせるよ」

 理由なんて今はいい。俺のせいで、幸与さんが元気でないのは嫌だ。

 そうか、俺はこうしたかったんだ。だからモヤモヤしてたのか。

「なにか秘策でもあるんですか」

「なにもない。ただあいつの側で、あいつが悩んでいることが霞んじゃうくらい楽しいことをする。それだけだ」

「よ~し、わたしもお手伝いします」

「ありがとうね、美紀ちゃん。いろいろきずかせてくれて」

「こちらこそ、お話聞いてくれてありがとうございました」

 誰かとまたつながりあえたから、俺は変われたんだろうな。

 

 今日はなんなんだ、幸与さんのためになにかしようだなんて思って、こんな熱い気持ち抱くなんて。でもいいな。こういうのいいな……

 言葉にならない満足感を抱きながら、浴室から出てパジャマに着替えた。

 幸与さんと早く会いたい。そんな当たり前のことを思いながら廊下を歩く。

 誰もが明日を目指せるようなことをしてみたい。

 そんな幸与さんの言葉を叶えてあげるためにも、前向きにならないと。

 むきになったりなんてしない、今度こそ。

 そうだ今度こそ。

 

        *         *         *

 

「生心君どうしたの」

「こうしてみたくて」

 ぽかぽかとした気持ちのまま、部屋にいた幸与さんを抱きしめていた。

 自分でもどうしてこんなことをしてるのか解らないでいる。

 どうしてもそうしてみたくなっていた。

 幸与さんはもちろん驚いていた。どう思っているのかさえ解らない。 

「どうですか、俺の身体になってみて」

「今までにないことを体験できてるよ。元気な身体ってすごいんだね」

「俺、そんな運動とかできるわけじゃなかったはずですけど」

「わたしの身体とは違っていたよ」

 脈略もなにもない一方的な会話なはずなのに幸与さんは俺の想いを受け止め続けてくれている。

「幸与さんにはたくさんのことを教わりました。明るい部分とかは特に」

「それってわたしがなにも考えてないってこと」

「そうじゃありまえん。そうじゃ……俺にはそういうのなくて、知らなかったんですなにも」

 ぬくもりも、やさしさも、すべて幸与さんがいてくれたからで。

 あ~もう、俺なにしてんだ。こんな勢いばっかで。けど解ってもらいたい、この気持ちを。

「俺、もっと素直になればいいのかなって思いはじめていて」

「どうして」

「やっと解ったんです。側にいること大切さだとか」

 もう俺なに言ってるんだ。こんな恥ずかしいこと言って。

 ああ、もうなにもかもがおかしくなっている。

 こうして抱きしめている自分が今までの自分と違いすぎるからだ。

 

「わたしも生心君の側にいれて嬉しいと思ってるよ」

 

 頭に残っているのは幸与さんのそんな言葉。

 側にいれて嬉しいって幸与さんも思ってくれているじゃないか。

「どうしてそんな風に思ってくれているんですか」

「どうしてって……」

「俺、いつも幸与さんのこと考えてるんです。恥ずかしいくらいに」

「わたしも考えてるよ、生心君のこと」

 お互いに距離感が近づき、唇を近づけみつめあう。

(俺たちはとっくにもう……)

 その気持ちの正体。それを心地よいと感じはめていた時。

 

 

 あれ、な、なんだこれ、痛い。痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い。

 “ドン”

 突然、胸を焦がすような激痛がはしり、その場に倒れこむ。

「ぅううううううううううう」

「どうしたの、生心君!」

 幸与さんが、体をゆさぶり心配してくれているのがかろうじで解る。

 そうか、これ幸与さんの体だから、なにか再発でもしたのかな。

 過信しちゃだめだとか言ってたけ。

 なんだよ。こんなタイミングでひどすぎるだろう。

 ああ……だめだ、意識が消える……まだ言えてないことがあるのに。

(幸与さん……幸与さん……幸与さん……幸与さん……)

 かすれゆく意識の中で彼女の名前を繰り返し心の中で叫んだ。でもそれが届くことはない。

 死を覚悟するほどの激痛に耐えきれず俺は意識を失った。

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