3章 恋と終わりと勉強会 ①

「教えて生心君のことを、教えてこの左腕の傷のことを」

 傷つけるのが嫌で、傷つくのが嫌で。この関係が崩れてしまうのが嫌で、ずっと聞きたくても言えなかった今まで避け続けてきたこをようやく聞いた。

「そのことですか」

「やっぱりこたえたくないことだよね」

「別に……答えても問題ないことです。あれはちょうど一年前のことだった。生きる意味が解らなくなった。だから俺はリストカットしました」

 淡々とした口調で他人事のように生心君は言い放つ。もっと辛そうに言ってくれたならその悲しみを包む言葉を言えるのかもしれない。だけどきっと今の生心君はそんなのを必要としいない。もしそんなことをしたら嫌がられるだけだ。

 

「自殺未遂なんてもう二度とするなよ。お前の人生なんてしったことではないが、わたしを巻き込まれては困る。今回のことが人様にばれたらどう思われていたか――自殺未遂をした俺は親父にそう言われました」

 世間体をきにした正論。間違ったことは言っていない。

 しかし自分さえ良ければいいという主張にも聞こえる。

「辛かったよね、そんな風に言われて」

「辛くなかったですよ。だってあの人が言いそうなことですから。まぁ、反発はしたくなりましたけどね。不登校にもなってやりましたよ。子供じみてるでしょ。けどね、そうしていないと俺が俺でなくなるようで嫌だったんですよ」

 あくまで淡々に事実のみを語る生心君の心は、いつにもなく尖りきっていた。

 暗く冷たい正しい言葉が、こんなにも人を変えてしまうものなんだ。

 

「いじめられたとかはないんだよね、厳重郎さんが事前に睨みをきかせてきたから」

「そうですね、陰口程度は聞こえましたが、いじめとかにはあいませんでした」

「じゃあなんで? ご両親にひどいことをされている感じではなかったけど」

「虐待みたいなことはしない人達ですよ、世間体が大事なので。世間が最も好む形でいる。だからああしているだけ。本当は冷めきってますよ、俺がこんなんですから」

 生心君は家族の事が嫌いだ、そんな風に思って欲しくない。思って欲しくないよ。

 

「わたしはそうは思わないけど。お母さんとは仲良くしているし、お父さんだってわたしを受けいれてくれた」

「父さんの場合は証拠があったから受け入れただけですよ。たぶんですけど、初めて話して以来ほとんど口きいてないでしょう」

「それはそうかもだけど」

「父さんはどんな結果を残したかしか興味がない。そういう人です」

「そんなこと……」

「ありますよ、幸与さんは解っているはずだ。多少は記憶が消えたりしているようですが、俺なんですから」

 生心君の言うとおり厳重郎さんは結果しかみてきていない。だから互いになにも思わない、いや思えないんだ。


「つなぎとめておくものが俺にはないんですよ。ただそれだけなんです。未練も後悔もない人生、それって生きてる意味がありますか。辛い日々を送ってきた幸与さんからみたら、なに言ってるのって感じですよね」

 自分にはなにもない。そうやって自分を追い詰めている。それがひどく心を痛ませる。

「幸与さんは未来をどう思い描いてますか」

「未来」

「そうです、この先の未来です」

「わたしは……」

 未来なんてことなにも考えていないことにきずかされ言葉が詰まる。

 余命がないわたしは未来の姿なんて想像したことはなかった。

 あるのはいつも目の前の現実。今日を生きるかということだけだ。

 

「幸与さんの場合は答えられなくてもいいと思いますよ。余命のことがあるから、でもね普通はそうじゃない。大人になったらどうするとか、未来を想像するものです」

 生心君がわたしのことをきずかいながら話してくれる。淡々と事実だけを述べて、激しく怒ったりもしない。それがなんだか息苦しくてたまらなかった。

「でもね想像した先の未来は暗いものでしかない。貧困、差別、利権、高齢化……とまぁ、社会不安なんて毎日のようにニュースで流れるほどありふれてます。学校生活だって影ではひどいことを言い合い、つねに共同体になろうとする。気持ち悪くて吐き気がする」

「だから、死にたいって思ったの」

「死にたいっていうよりかは、それれは単なるきっかけですね。はっきりいってどうでもいい。勝手にやってろって感じです。でもね、生きる意味を問いかけるぐらいには世の中は腐っていると思います」

 なにかとらわれることがない、生心くんは生き方を自由に選べてしまう。だから……


「だから俺は生きる意味を考えそして行動した。自分の人生を投げ出すようなリストカットという方法をとることができました」

 どう言葉をかけていいか解らない。辛いだとか、苦しいだとかいう問題じゃなかった。


「だけど俺は死にきれなかった。ただ家族での立場を悪くする結果にしかならなかった。父さんは特にひどかったですよ。まぁ自業自得ですからしょうがないですけどね」

「そんな他人事みたいに言わないでよ。辛かったとか苦しいだとか吐き出してよ」

「それがそういうのがないんですよ。そのくせ死ぬ勇気はないときた。だから俺は正しく死ねる死に方をとれるまで待つことにしたんですよ。特に生きる目的がありませんでしたから」

「生きる目的がないって、なんでそうなこといえるの。あるはずだよ……」

 このままじゃだめだ、だめだ、だめだ。生心君をこのままにしてはだめになる。

 どんな言葉を投げかけるのか最善なのは解らないから、せめてでも必死に抗おうとする。


「俺が欲しいのは、苦しみのない自由だけですよ」

 苦しみのない自由。そんなもの得ようとして欲しくなかった。

 『死』という言葉を連想させるそんなものを望んでいたらいつかは壊れてしまう。

「俺は正しい自然な死に方で自由になりたい。誰にも迷惑をかけずに、自分が惨めだと思わないそんな方法でね。だからかな俺は幸与さんの身体にいることは悪くないと思っています」

「そんなこと言わないでよ。わたしはずっと生き続けたい、死にたくないって思ってきた」

「それは幸与さんが未来を想像してないからでしょ。違いますか」

 生心君が言ったことは事実でなにも言い返すことができない。

 わたしってなんで他の人とこんなに違うんだろう。もしわたしの身体じゃなかったとしたら、生心君はそんな風に思いもしなかったはずだ。

 

「やめにしませんか、この話。これ以上続けても意味はない。お互いに苦しくなるだけだ」

「でも」

「話は以上です。切りますね」

 わたしの意志なんて無視して、生心君は一方的に通話を切ってきた。

 完全に失敗だ。なにを聞いてどうしたかったんだ。

 この生活が続いてから、明日が楽しくなる日が多くなっている。

 以前は今日を楽しもうってばっかり思っていた。今日を懸命に生きようって。

 生心君はどうなんだろう。立花ちゃんとの関わりで保育士としての生活も悪くないと思ってくれているはず。だから今回の話を切り出した

 

 前向きになり、生きる目的をみつけられたと思ったから。でもそれは完全に裏目だったのかもしれない。苦しみのない自由が欲しい。わたしであることに苦痛を感じなくなったら、わたしであることを選び続けたら。きっと生心君は……

「このままじゃいけない。このままじゃ」

 言葉ではそう言いつつもなにも思いつかない。ぐるぐると頭の中で考えを巡らせることしかできなかった。

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