4章 選択 ⑥
「また一人か……」
部屋からは熱気が消え、また暗い世界に変わる。
静寂が怖い。誰かとつながれないのが怖い。まだここにいるはずなのに死んだ世界のように思えてしまう。
俺は一人で孤独でいることが好きだった。誰かとのつながりなんてめんどうなものだと思ってきた。親とかうざい。学校とかうざい。この世界がうざい。
そんな風に思いながら勝手に迷って、勝手に悩んで、勝手に諦めかけていた
でも幸与さんと入れ替わってから、死を感じてから、父さんに選択を選ばされる状況になってからはすべてが変わってしまった。
(幸与さん……)
幸与さんの唇を触って、その感触を確かめる。
すごいふんわりとして、女性らしいくちびる。いつのまにか見慣れた当たり前になったものだけど、それは他人のものだ。
意識していなかったこの幸与さんの体をどうしても意識してしまう。
あの人のそのままの姿を俺はなんどもみてきている。手に届く距離にもある。
この少し大きい胸も、ふんわりとした唇も、すべては俺がどうにでもできる。
でも本当に欲望のままに触ったとしたら、きっときっと虚しくなる。それにそんなものは卑怯だ。正しくない。そんな風にして体だけ得たいわけじゃないんだ。
この人のことを意識するほど思っているのなら死を望めばいいのに、触れれば触れるほど死を望めなくなる。
(自分のことなんてどうでもいい。幸与さんに生き残って欲しいなら死を望むべきなんだ)
どうするか思考できている。昨日よりもずっと。
後悔をなくそう。すべてじゃなくてもいい。できうるかぎりの後悔を。
「生心君、どう体調は」
翌日になるとまた幸与さんが病室に来てくれた。
「元気だよ。今日は美樹ちゃん来てないんだ」
「さすがに何回も誘うのは悪いかなって思って。変に深刻だと思われても困るし」
「ありがとう、俺のことをきずかってくれて」
幸与さんに笑いかけ、やさしくすることを心がける。それが俺のすべきこと。
「あれ? いつもだったら「幸与さんにしては適切な判断じゃない」とか言ってきそうなのに」
「これからはやさしくなることにした、いつ死ぬか解らないから後悔はしたくないから」
「後悔はしたくない……」
「だってそのほうがいい。だから後悔しない方法も考えた。怒るのも、泣くのもは労力の無駄でネガティブになるだけ。前向きにって、幸与さん言ってたから俺は前向きなるよ」
後悔しないために、幸与さんが望んでいる理想像を演じる。それが今の俺にできることだ。
この人の前ではネガティブなことは言わない。そうしていればきっと笑顔でいてくれる。
俺は笑顔みたい、もっと幸与さんの笑顔を。
そうすれば俺はきっと乗り越えていける、生きたいとも死にたいとも思いながら、最後の時を迎えられるはずなんだ。
「そんなの、そんなの悲しすぎるよ」
幸与さんからは笑顔は消え、涙がポロポロと流れている。
「なんで泣くんだよ、幸与さんが」
間違ったことなんてしていないはず、絶対に苦しめたくないって思ったのに。
「わたし、そうゆう意味で言ったんじゃない。明日よりその先の未来をみてほしかったの。それは前向きだけど、明日じゃない、行き止まりにいつかいきついてしまう」
「だったらどうすればいいんだよ。幸与さんのいうことだったらなんでもする。もう時間がなんいだ。迷ってたらそのうちに終わるかもしれない。幸与さんのためだけでいいんだ俺は」
俺はきずいた時には内に秘めておこうとしたことをぶつけてしまっていた。
後悔はしたくないのに。後悔だけが冷たい雪のように降り積もっていく。このままでは後悔にうもれてしまう。そこから抜け出せなくなってしまう。そんなのは嫌だ。
「大丈夫、大丈夫だから」
不安な顔をしていたからだろうか、幸与さんが手を握ってくれる。
暖かい……俺、震えてたんだ。
顔をあげて幸与さんをみつめる。笑顔じゃないけど、安心させるために俺の方を向いてくれる。それはまるで、子供たちを安心させようとするみたいにだ。
笑顔じゃないけど、これでいい。幸与さんがこうしてくれるなら、安心できる。
どれくらい時間がたったのだろうか。手が汗ばむぐらいには時間がたっているのは解った。
「今日はもういくね」
「またきてください」
「大丈夫ぜったい来るから」
幸与さんを笑顔でそう言ってくれると、病室を後にした。
なにしてんだろう。俺。ちゃんと幸与さんのためにならなきゃだめじゃないか。今日は失敗した。すべて正しい選択肢を選べなかった。
明日はしかりと理想の姿にならないと。また笑顔になってくれるといいな。
* * *
わたしはなにも生心君のためにしてあげれてないな。
安心させようって手を握ったけど、それは口実にすぎない。本当はなにをしていいか解らないからそうしていただけだ。
前向きにならないとだめ、なんでそんな無責任なことを言えてたんだろう。明日を向くことがどれだけ辛いことなのか解ってるくせに。
笑顔でいて欲しいって言われたのに、全然笑顔になれなかった。
でもそれでいいとも思えてしまう。生心君は後悔がなくなり、この世界にいれたことに満足してしまうのが怖い。
だめだ……そんな風にネガティブに考えてちゃ。
前向きにならないといけないって自分から言ってたのにな。
どうしたら前向きになれるんだろう。
一番は未知の病がなくなることだけど、そんな上手い話はないと思う。だけど決めつけるのは良くない。頭の片隅くらいには意識しておいたほうがいいのかも。
生心君との入れ替わりがなくなるなんてことはあるんだろうか。でも結局それは前に結論づけたように、母さんの頑張りを期待するしかないというのが実情だ。
「そうだ、母さん、なにか事情知らないかな」
今までは厳重郎さんに聞こうとしていた。
でも、それだといつになっても状況が変わらないと思う。どんなにすがろうとも言葉では説得できない。厳重郎さんとはそういう人だ。
だから家族である母さんに頼る。本当は厳重郎さんから聞いて、あの人を変えれるのが一番だけど、それでは時間がなくなっていく。生心君もいつまでも塞ぎこんだままだ。
やり方なんていうのは気にしない。自分のできることをまずやっていかないと。
「どうしたの、幸与」
受付の人にお願いをして、母さんと会えるよにしてもらった。
「母さん、厳重郎さんは知ってる」
「知ってるわよ。この前、お会いになったから」
「お願い、厳重郎さんのことについてなんでもいいから教えて」
「それは教えられないわ、いくらなんでも。守秘義務ってやつがあるからね」
母さんは理屈をかざしてくる。医者としての態度であろうとする。
「それは解っている。だけど、お願い生心君のために教えて欲しい。だって厳重郎さんの名前だしただけで殺気を感じるほどの叫びをあげてた。あれはただ軽蔑されたとかじゃない。憎しみを抱かせるようなことを言われたはずなんだ」
「幸与は、生心君でいることは不満だったりするの?」
「自由に飛べて、自由に走れて、自由に学べて、不満ってことはないよ。最初の頃は多少恥ずかしいかなぁて思った時はあったけど、それも慣れてきた」
「そう、それでいんだよ、幸与は……わたしはあなたが一番大事。だからこれ以上追求するようなことは止めなさい」
わたしを遠ざけるような言葉を言われ、胸が痛くなる。
「母さん、なにか隠してるんだね」
「守秘義務っていったでしょ」
「違う、そういうのじゃない。なんでそんな怯えているの」
医者としての仮面はハズレ、恐怖し引きつるみたこともない表情をしていた母さんがいた。
この件に母さんが関わっている。そう思いたくないのに、そう思うしかない光景だった。
「怯えてなんかいなわ」
「うそ」
「うそじゃないって」
「……………絶対に嘘」
なんで勉強やらないのとか、どうして勝手に食べたのとか、軽い親子としての喧嘩をしたことはあるけど、それとは違う。
真相を知っているはずなのに母さんが言ってくれないのが憎い。
生心君が抱いたのに比べれば小さなものだが、はじめて親のことを憎いって思った。
いつも見守って助けてもらった、恩は抱えきれないほどある。
だからと言って生心君を、他人のことがどうでもいいなんてのは許せない。
ここまで拒絶するということは、これはわたし絡みのことなんだろうな。
「母さんの意志は解った。もう頼らない」
「幸与、もう関わらないで。お願いだから」
「そんなことできないよ。後悔したくないんだ、前を向くためにも、生心君のためにも」
涙を流し懇願する母さんを置いて部屋を出て、蛍光灯の光だけが照らされている薄暗い病院の廊下を歩く。
辛いな、母さんが味方になってくれないのは。
でも悲しんでいる暇はない。わたしにできることをしないと。
あの二人が怪しい、それはもう決定的だ。
なにか糸口はないか……
そう言えば生心君は原因について疑問に思っていたな。
ぶつかったわけじゃないって考えているかのようだった。
あの時はなんとも思わなかったけど、もしかしたら隠したいことってそのことか。
だとしたらどうすれば調べられる……あ、ハッキングをしかければいけるのかも。
わたしでは導けられなかったことを、生心君の記憶が導いてくれた。
「わたしは生心君でもある。だったらこの裏に隠れた真相をみつけられる、いやみつけなくちゃいけないんだ」
やるべきことは決まった。
待ってて生心君。絶対に未来を進ませてあげるから。
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