2章 踏み出す一歩を ⑤

「はーい、皆さんお昼ねの時間にするからおかたづけしてね~」

 近藤さんが自由遊びをして騒ぎたてる子どもたちに呼びかけた。

 近藤さんは目つきがするどく真面目、勤続十年でやり手の保育士だ。このさくら組の担任でもあり、叱るときは叱り、褒める時は褒めている、幸与さんの記憶が教えてくれた通りの人物だと俺自身も感じている

 テキパキと騒ぐ子供をいいきかせ、お昼寝の準備をさせていた。

 とりあえず俺も協力していこう。

 子供が寝てくれる時間は、俺の休憩時間でもあるしな

「立花ちゃん、お昼寝の時間だから」

「うん」

 他の子とは違い、立花ちゃんは聞き分けがいい。通園バックの中に本をしまった。

「みんな~ふとんの中にはいってね~」

 立花ちゃんをお布団に入れてからも、俺はきびきびと働く。

 笑顔になんてなりたくない顔を無理やりにつりあげて笑顔をつくり、子供達を布団の中に寝かせていく。子供達がようやく全員寝てくれ、休憩時間になった。

 

 お昼寝中子供達を見守る先生意外を残して、別室でコンビニ弁当を食べる。

 食べ終えた後の空き時間に本を読んでいると、近藤さんが話しかけてきた。

「あれ、今日も幸与ちゃん出作り弁当じゃないの?」

 幸与さんは普段から毎日弁当を作っていたそうだが、保育の仕事をしながら弁当をつくるなんて無理。衛さんも余裕がない、夕食も作ってもらっている立場でもあるしな。

「まだまだ慣れないことが多くて疲れてるだけですから」

 いちいちうるさい人だ。保育士というのは毎日が心配だらけで、それが他の所まで影響しているのかもしれない。

 幸せの『し』よりも、心配の『し』のほうがお似合いだ。幸与さんが言っていた保育士の幸せなんてあると思えん。まぁどうでもいいことか。

「幸与ちゃん、立花ちゃんが自由時間友達と遊べるようにさせたいんだけど、なにかいい案ないかなぁ」

 立花、あの俺と似ている子供離れした子か。

 

――わたしそういうのいらないから


 あの子が言った言葉が妙に頭の中に残っている。

 それは俺がいつも感じでいる言葉だからなのかもしれない。


「ありませんね」

 特になにか考えることもなく、返答しておく。

 考えるのがめんどくさいというののもあるが、自由時間なんだから立花ちゃんの自由にやらせてやればいいという考えでいた。

 

「そんな簡単にいい方法みつからないよね」

「そもそも見つける必要があるんでしょうか。いらないって言ってましたよ」

「園児達のしたくないって言葉を真に受けすぎちゃ駄目駄目、すぐにそうゆうこと言うから。ちゃんと誰かと関わりにある人にさせないと」

 この人はなにも悪人というわけではない。世間的には真っ当なことを言っているようなきがする。

 それはでもひどく俺の心を傷つけるものでもあった。

「幸与ちゃんもそう思うでしょ」

 世間ってやつはいつも同意を求めようとする。

 誰かと同じであることを強要しようとしてくる。嫌い嫌い嫌い。

「そう言わせたいんですか」

 俺は自分というものが抑えられずに、幸与さんの言葉ではない自分の言葉で話してしまった。

 

 きょとんとしている近藤さん。それをみて利口であらねばと思い直す。

「すいません、それ嘘ですから。わたしもそう思います」

 世間を大事にした世間のための言葉。そうして俺は世間の皮をかぶることにした。

 幸与さんとして今は生きている。そうでなければこんなことしなかった。

「も~う、びっくりさせないでしょ。なんだか最近は人が変わったみたいって思えてきてるんだから」

「どうにも慣れないものでして。いつもはどんな感じだったんですか」

「明るく元気でやさしくて人気者、も~う羨ましいわねぇ」

 やさしくて人気者なんてことは知っている。俺の知らない姿を知っておきたかったんだがな。

 

「近藤さんは子供はお好きですか」

「もちろん好きよ。どうしたの急に」

「聞いてみたかっただけです」

「も~う、本当に変なことばかり言い出すんだから」

「そうですよね」

 幸与さんというものを保つために、仮面をかぶり話を続ける。

 中身のない会話は続き、ほとんど話したことを忘れてしまうほど退屈なものだった。

「近藤さん、今からミーティングじゃありませんでした」

「しょうがない、いってきますか~」

 しばらくして近藤さんは、担任と主任だけが集まって行うミーティングをするために部屋を出てくれる。

 

(やっと1人になれた)

 それからはスマホを取り出し、巡回しているサイトやオクッターをみていた。

 幸与さんと入れ替り俺の中の変化は大きいものの、世界や日本はなに一つ変わることはない。

 負担だけが増えて若い奴らばかりに押しつけられる、大人達のわがままが報道されている。

「どうして子供を育てたがるんだ。くだらない未来しかないのが解っているのに」

 同調して変化しない人々。

 その中で孤立する俺にとって、この世界で生きることはつまらないままだった。

 

 2時45分。子供達の昼寝から起き初めてきてからは忙しくなる。

「はーい、着替えてくださいね」

 着替えぐらい一人でしてくれてなんていうのは通じない、わがままがまかり通る世界に投げ出され翻弄される。幸与さんのおかげで慣れあるとはいえ楽な仕事ではない。

 子供達と格闘して着替えさせてから、おやつを食べ、また自由遊びの時間がある。

 そこでもまた立花ちゃんは本を読んでいる。

 近藤さんは困り顔なまま話かけてなんとか遊ばせようとしていたが、無視され続けていた。 

「立花ちゃん、さようなら」

「先生さようなら」

 夕方、立花さんのお母さん綾崎かおりさんが迎えに来ると、立花ちゃんは帰っていく。

 そのころになるとパートの時間も終わりだ。

「幸与ちゃんも帰っていいよ」

「お先に失礼します」

 少ない人数ではあるけれど子供達が残る園から出てようやく帰宅することができた。

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