31話 Sect

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 旧ホテルの中では現在、十二人の『教団』の生き残りが生活していた。建物のある廃墟群は隕石や核爆弾の衝撃が届く範囲内にはあったが、人が消えてから二百年近く経ってもその形はそれなりに残っていた。四階よりも上の階が崩落していたが、十二人の人間が住む程度なら充分な大きさがある。

 生き残りの人々は完全な自給自足の生活を続けており、食料以外の物資はそこら中から使えそうなものを探しては使用している。これだけ人が減ってしまえば物資の奪い合いも起きない。そうやって彼らは『教団』の意志を引き継いで今日こんにちまで耐え、ようやく『希望の箱計画』は次の段階へと進む日を迎えたのだ。七人の天使を人工冬眠から起こし、彼らが見ていた理想郷の世界を実現させることが出来る。エデンの町が完成するまでは、この旧ホテルを当分の拠点として活動していくようだ。


 旧ホテルのロビーで、生き残りのリーダー格である男性は少しだけ自分たちの事を話した。七天使たちと同じ『教団』に属する者だとはいえ、両者は生まれたも違う赤の他人同士だ。生き残っているのは男性が八人と女性が四人、子どもはおらず、誰しも若いとは言えなかった。

「私たちはこれまで、何とか『教団』を絶やすことなく二百年もやってきましたが、それは全て『希望の箱計画』による理想郷の実現の為です。七天使の方々、どうか我々をお導き下さい。とはいえ、今日はさすがにお疲れでしょう。これから少しだけ建物の中を案内しますが、計画をどう進めていくだとか、こちらの二百二年分の出来事、そちらの理想郷の様子などは、明日から話し合っていきましょう。四階には広い会議室もあります。建物が崩れて屋根がないので、雨が降っていない時であればそちらも使用できますよ。物資もそれなりには確保しています。さあ、まずはこの一階を見て回りましょう」

 生き残りのリーダーは平静を努めて喋るが、その様子は少年のように嬉しげだった。彼の曽祖父母の親である高祖父母、そのまた親の代から続く壮大な計画のクライマックスにあるのだ。この二百年間、七天使の目覚めだけを希望に生きてきた彼らに、浮足立つなという方が無理な話だ。しかしきっと、彼も生まれた時からエデンの町民に育てられたら、どんなに喜ばしい時でも上品で質素に嬉しがるのだろう。

 和葉は、エデンの平和を肯定できない自分たちが、彼らには悪者に見えるだろうかと考えた。和葉も二百年越しの希望の一員なのだから、その希望に裏切られたとして絶望するかもしれない。しかし何をどう考えようと、同情などでは和葉の意志は変わらない。これからの拠点見学に歩き出した一同に、「待ってください」とよく通る声で彼女は言った。

「どうしましたウリエルさん。何かまだ、ご質問でも」

「いいえ、そうではありません。ここから先の計画を進めていく前に、私とここにいるエドワード、ミカエルには、お話ししなくてはいけないことがあります。突然こんなことを言うのも申し訳ないのですが、私たちは夢の中の理想郷を体験してきた感想として、エデンの平和のあり方には賛同できません」

 唐突な響きを持つ和葉の言葉に、人々は言動を失った。エドワードは移動する為に出した足を戻し、集団からは少し離れた所にいた和葉の横まで移動した。二人と十七人は対面する形になった。誰からも言葉が出ないのを確認し、和葉は自分たちの発言を続けた。

「皆さんご存じかもしれませんが、私とミカエルはエデンの町には生まれませんでした。もしかしたらそれは、電波障害による影響なのかもしれませんが、私たちは夢の中の祖国からエデンまで旅をする事になりました。お互い別の国で生まれ育ち、旅の道中で仲間となって、エデンの町に辿り着きました。理想郷の外の世界で過ごした私たちにとっては、エデンの町の平和には頷けない部分があった。武器を持たないことは素晴らしいと思いますが、平和の為に感情を抑えたり、極端に欲望を捨てていこうとするのはおかしいと思うのです。ただ、私たちには考える時間がなかった。エデンの町の何がおかしくて何が良いのか、平和の秘訣とは何であるのか、本当にエデンの平和が最良なのか。様々なことを悩んでいる途中でしたが、その最中に人工冬眠から目覚めてしまった。今のこの違和感を無視したままにエデン創りには参加できません。私たちに考える時間をください。マスター・ブレインとも話をしたい。どんな選択をするか、決断の時間をいただけませんか」

 和葉はそう言い終わると、目の前の人々に向かって深く頭を下げた。エドワードもそれに倣った。ロビーにいた『教団』の誰もが動揺を隠せなくなり、和葉たちを除く五人の天使たちも微笑みを崩してしまっていた。二人が頭を下げている間にも騒めきが増していき、生き残りの中でも最も若そうな男性が、苦しそうな態度を露にしながら二人の前に出てきた。

「その、ちょっと待ってくださいウリエルさん。一体、どうなされたと言うのですか。七天使の内の二人もエデンに疑問を持っているなんて、もしかして計画は失敗したのですか?いや違う。そんなことはありえない。そう、やはりあの、お二人には記憶障害が残っている訳です。この世界や計画のことが思い出せずに混乱しているのですよね?」

「それは違います。ミカエルはまだですけど、私はもう記憶が戻りました。ちゃんと人工冬眠前のことも憶えています。計画が失敗したかどうかは何とも言えませんが、エデンの町にはマスター・ブレインの考えた理想郷が反映されていたと思います。私たちはその理想郷を体験して、その上で、その理想郷に違和感を覚えたのです」

 話を聞いた男性はますます取り乱した。彼はある種の神のように、七天使を絶対的な希望として信じ切っていた。それが二百年も待ってようやく目覚めた途端、三時間と経たない内に二人も違うことを言い出したのだ。相当なショックを受けたはずだが、まだ理解が追い付いていないようなので、失望とか落胆に至る前段階でひどく混乱している。

「そ、それはおかしいではありませんじゃないですか。ゆ、夢の中の理想郷が平和で平和な世界ならば、そこで少しでも暮らしたあなた達が違和感を持つのは、平和じゃなくておかしなことじゃないの、ではないですか」

「あの、急に驚かせてしまってごめんなさい。混乱させてしまいましたね、どうか落ち着いてください。夢の中の理想郷、エデンの町は確かに平和な場所でした。しかし、その為に町の人々は、感情や煩悩をほとんど失っていたのです。それこそ今のあなたのように感情的な態度を取ることはなく、私たちはその平和のあり方に疑問を抱いています。それならば我々はどう生きていくべきなのか。その点についてはまだ、何が良いのかを考えている途中なのです。だから、時間をいただけませんか」

 和葉を見る五人の天使たちは厳かな表情で沈黙し、『教団』の人々はさらに動揺して不安感を吐露していた。もう少し伝え方を工夫すれば良かったかと和葉は反省したが、もう口にしてしまった以上は後戻りが出来ない。後ろに戻れないなら、前を向いて進むしかない。

 若い男性は「おかしいではないんじゃないか……」と奇妙に間違えている言葉を呟きながら、和葉の足元に跪いた。何度も和葉の言葉を検討しては、やはり「おかしいではないんじゃないか……」と呟く。和葉はさすがに気の毒な想いを抑えきれなくなって、彼の肩に手を触れようとした。

 すると、彼女が腰をかがめたところで、男性は和葉の顔を両手で鷲掴みにした。その動作の暴力的な気配に、咄嗟に和葉が蹴りを構えようとし、エドワードが男性にタックルをしようとしたところで、二人よりも先に動き出していた七天使の内の太った男性が、跪いている若い男性の手をそっと引き離した。彼は荒ぶる若い男性に寄り添うようにして跪き、天使の名が似合うような穏やかな表情で若い男性を諫めた。

「いけませんよ。怒りや欲望よりも、何よりも許してはならないのは、暴力ただ一つのみです。私たちは争うという意識をなくす為に、感情や欲望を必要最小限に抑えるのです。暴力はどんな場合でも争いと等しいですから、それだけはやってはなりません」

 蘇った和葉の記憶が正しければ、彼にはイェグディエルという名前が与えられていた。イェグディエルは豊かに太いその指で若い男性の手を握り、相手が冷静さを取り戻したのを確認すると和葉たちの方を向いた。

「ウリエルさん、ミカエルさん。あなた達はこれから、自分たちの考えをまとめる為にマスター・ブレインと話をしてくるのですね」

「はい。計画の進行を妨げることにはなるかもしれませんが、可能な限り早くに結論を出します」

「わかりました。私たちは七人揃って話し合わなければならないこともありますが、それはマスター・ブレインとの話し合いが終わった後の、あなた達の考え方次第で変化します。もし、このまま計画に参加できないと仰るのであれば、私たちは共に暮らしていくのは難しいでしょう。夢の中でも耳にしたことでしょうが、エデンの平和には全ての人の悪の基準の統一が必要なのです。我々の思想が食い違ってしまうのであれば、あなた方には別の場所で生きていってもらうしかありませんよ。そのことは理解していただけますか」

「承知しました」

 和葉とエドワードはお互いの顔を見合わせると、相違はないという風に頷き合った。イェグディエルも背後の人々を振り向き、天使たちと『教団』の生き残りの人々に異論はないかと尋ねた。天使たちは微笑みを取り戻して頷き、『教団』の人々も不安そうに承知した。

 和葉たちはみんなの様子を確認すると、地下シェルターに戻る為に旧ホテルを出ていった。太陽はまだ高い位置にあり、草原が映える程に空は青く白かった。二人が広場を抜けようとすると、背後から追い掛けてくるような足音が聴こえ、「カズハさん」と呼び止める声がした。

「エレナさん!」

「ああ、憶えていてくれたのですね。今は私、ガブリエルという名をいただきました。私は夢の中で、あなたが兄の遺言を届けてくれた恩を忘れてはいません。出来ることなら共にエデンを創って、あなたをウリエルさんと呼びたいです」

「私もあなたとは一緒に暮らせたらいいと思う。けれど、正しいと思う道を選ぶつもりだわ。それがエデンの道になるのかどうかはわからないけど、どう進もうとも私たちは友達よ」

 そして和葉は、どこか名残惜しそうに微笑んで再び歩き出した。ガブリエルはその二人の後ろ姿を少しだけ寂しそうに見つめ、「いってらっしゃい!」と声を掛けた。和葉はその言葉に振り返り、足を止めないままで「いってきます!」と答えた。そしてまた振り返り、前を向いて進んでいった。

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