8話 鬼殺し

 広場には、カズハに屠られた敵のかしらの墓と、その前で涙を流す二人の男、休憩がてら目ぼしいものがないかを探すカザーニィの隊員たち、そしてカズハとダンゴがいた。

「カズハ。何も落ち込むようなことはない。お前さんは戦闘部隊の隊長として立派に隊員の命を守った。敵はお前さんもろとも自爆しようとしたのじゃから、この選択は生き物として正しいものだとワシは思う。我々はみんな死にたくないと思い生きようとする。カズハもそうした。ただそれだけのことなんだよ」

 少し広間から離れた場所では、トシが弓を用いて火薬の処理をしていた。矢の先に火を点けて遠くの火薬に放つのだ。そして静かな廃墟群の中で大きな爆発が起きると、カズハは膝を抱えて丸くなるように顔を埋めた。

 カズハが戦に参加するようになって二年が経過していたが、彼女が人を殺めたのは今回が初めてだった。それ程に圧倒的な才能と意志で勝利を収めてきたのだ。もちろん戦なので犠牲者が皆無だった訳ではないが、カズハが参戦することによって最小限には抑えているという、周りからの認識と彼女自身の自負もあった。今回も最小限の犠牲と言っても間違いはないが、自らの手で命を奪うということは、殺すなら殺される方がマシと思っているような十九の少女には荷が重すぎる。

 ダンゴは黙ってカズハの背中をさすり続けた。時にたくましく勇気づけてくれる背中だが、今はこんなにも小さくて細い。ごく普通の女の子であるはずなのに、いつの間にか背負わせてしまった心の中の鬼。今日の事で闇は深く増すだろう。何も言えずにただ時間が過ぎていく。

 広場には、それぞれ散らばっていた隊員たちが戻ってきていた。ある程度の物資が補給され、旅の休憩としては充分な時間が過ぎたと言える。しかしカズハは動かず、このままでは旅は再開されない。何も出来ないままに夜を迎えるのは得策でないと、隊員たちに焦りが見え始める。そこで、代わりにダンゴが一時的な指揮を任され、甲冑集団の二人は釈放されることになった。

「隊長」

 広間に戻ってきていたキヘイはカズハの元へ行き、うずくまっている彼女に声を掛けた。その場にいた人々の視線は自然と二人に集まることになる。カズハは何も言わない。

「隊長のおかげで俺は命を救われました。本当に感謝します。ダンゴもユスケも殺されることもなく、戦闘部隊は全員無事です。そして何より、隊長自身も命を落とさずに済みました。俺は、隊長が戦場において初めて人を殺すのが、仲間と、そして自分の命を守る為の行為で良かったと、そう痛切に思っています」

 そう言ってキヘイは、カザーニィにおける敬礼——気を付けをして、開いた右手を左胸の心臓の上に当てる——をした。

 戦場において人を殺すのは、始めの内は自衛手段としての行いかもしれないが、数を重ねるごとに勝利の為となっていく。それは結果として国を守ることになり、家族や友人を守ることになり、自らを守ることにも繋がる。殺される前に斬りにいくか、斬りかかられたので反撃するのか。能動か受動か、どちらにせよ、戦場に正当防衛はない。なのだ。殺される者にとって死は死でしかなく、殺した側にも残るのは殺人という事実のみである。殺し方に良し悪しなどあるはずもないが、キヘイはこれで良かったと明瞭に断言した。

「……そんなの綺麗事だわ。今は、戦争をしに来ている訳じゃない。私たちは旅をしているの。ここは戦場とは違う」

「……人々が武器を持って、国の外に出る。一度斬り合いが始まってしまえば、そこはもう戦場です。武器を手にした以上、戦で敵を斬らずに済まそうというのは、やや思い上がりが過ぎませんか。仲間の命を救うために奪った相手の命を、憐れむなんてそれは不遜だ!」

「おい、キヘイ」

 少し荒ぶる様子を見せたキヘイをダンゴは諫めようとした。キヘイの言うことは正しいかもしれないが、カズハがこれまで一人も殺さずに隊長を務めあげてきたことに対して、その言葉は少々乱暴すぎた。そんなことはキヘイもわかっていて、しかしより大きな声を出す。

「いいですか、戦闘部隊に所属している以上は、俺たちみんなが戦場にいる人間の命を負います。あなたが奪ってしまったあの命は、あなたに救われたこの命で共に背負います。だからどうか、エデンへの旅を続けましょう。争いのない平和な町に倣って、奪う命を一つでも多く減らせるように、カザーニィに平和を持ち帰りませんか」

 キヘイはそのまま、心臓にかざしていた右手をカズハへと差し出した。素晴らしく堂々とした態度で、仲間たちは皆その様子を見守っている。カズハはもう何年もこらえていたような涙を、それでもまだ堪えようとするかのように少しずつ流した。

 その表情に鬼はもうない。たとえ戦力として弱くなってしまっても、このまま彼女の鬼が消えてしまえばいい、とダンゴは思う。カズハはキヘイの手に掴まって立ち上がり、遂に激しく涙を流した。少女らしく、一滴も堪えることもなく。

 そしてまた、旅を中断させる長い時間が過ぎた。しかしもう誰も焦りはしない。カズハが気の済むまで泣き続けるのを、同志として温かく見守るだけだ。一時間でも二時間でも、一日だって二日だっていい。大人になっていく少女には見守られる時間が必要だ。

 やがて、カズハの心模様に呼応するかのように、廃墟群に木漏れ日が射した。朽ちてもなお陽を遮るビルの隙間を抜け、カズハたちカザーニィの人々の上に降り注ぐ。その柔らかな日差しは一つの質素な墓の上にも及び、傍らでうずくまる二人の仲間をも温めた。

 カズハはもう泣いてはいなかった。仲間たち——特にダンゴ——は己の罪枷が一つ外されたような気分を抱いた。カズハは墓の傍でうずくまる甲冑の者たちへと歩み寄り、しゃがみ込んで目を合わせながら言った。

「あなた達の仲間の命を奪った私が何を言うかと思うかもしれないけれど、もし良かったら、私たちの旅に付いてきてくれないかしら。さっきの話では、もう国に帰る場所はないのでしょう?一緒に旅をして、一緒にカザーニィへと帰りませんか。国のみんなはもちろん歓迎してくれるでしょうし、このままでは野垂れ死ぬだけだと思うの。でも、私の顔も見るのが嫌だと言うのなら、はっきりと断ってくれてもいいわ。どうする?」

 甲冑の国の二人は、弱々しくも顔を見合わせ、お互いの気持ちを確認し合っていた。ひとたび武器を持って戦場に赴いたのであれば、それ相応の覚悟はしているはずだが、それでも頭領の死は二人にとって酷く受け入れ難いことであるらしい。なおさらカズハたちと共に旅をするなど考えられないかもしれない。しかし時代は弱肉強食。生きる意志のない者はとうてい生き永らえない。

 二人は力なさげに厳かに立ち上がって「よろしくお願いします」と、小さな声で返事をした。

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