9話 エイ国には行ったけど

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 エデン探しの旅は七日目に突入していた。

 出発前に立てられた計画ではとっくに四大国には辿り着いているはずで、今頃はエデンに向けてネトエル山を登っていてもおかしくはなかった。橋の崩落や廃墟群での騒動に加え、一行は小さな嵐にも遭遇した。物資の補給や怪我や自然災害など、旅に困難と遅延は付きものだった。

 七日目の出発の朝、カズハはカザーニィへと伝書鳩を飛ばして、戦闘部隊と新しき仲間は無事であることを伝えた。まだ四大国には辿り着いていないが、今日にでも辿り着いてエデン探しを前に進めることを、カズハなりの気遣いと明るいメッセージで手紙には記していた。人間が探り歩いて進む道も、鳩は一直線に空から移動できるので、手紙が届くのには一日と掛からないはずだ。

 遥かな青く白い空を、遠くカザーニィまで飛び去って行く伝書鳩は、それを見送る人間たちに明るい希望の姿を見せた。カザーニィを祖国とする者たちは、故郷の暮らしと家族たちの元気で過ごす姿を懐古し、新しい住民たちはより良い暮らしを想像した。カズハはいつも以上に明るく檄を飛ばし、戦士たちはその日も旅を始めるのだった。



 太陽は一番高い地点を通過し、出発から七日目にしてようやく、ひとまずの目的地・エイ国を発見した。

 小高い丘の上からエイ国へと続く橋を眺めると、重そうな鎧に身を包んだ人々が厳重に橋の番をしていた。橋の付近にも小規模な建物が点在しており、エイ国の支配がどこまで届いているのかが一目でわかる。無意味に近付くと穏やかでは済まされないだろう。

「ほらあ、見てくださいよ隊長、奴らの堅苦しい顔。鎧が重くて、表情まで重くなっちまってる。話し合いなんて通じませんよ、今からでも別の国を目指しましょう」

 誰もが予想していたことではあったが、やはりゲンタがいの一番に弱音を吐いた。ゲンタの叔父にあたる年配の兵・フミオが臆病者の頭を小突くが、彼だって不安がない訳でもなかった。

「どうですかな、隊長。何を話せば彼らは我々を通してくれるでしょう」

「何って、正直にありのままを話すしかないわ。あの国の人々はね、誰もが紳士と淑女として自分たちを律しているの。少しは堅苦しいこともあるかもしれないけど、私も同じくらい真剣に言葉を交わすわ。そうすればきっとわかってくれる。何よりも避けなければいけないのは武力行使よ」

 カズハは軽やかな身動きで丘を降り始めたので、仲間たちは急いで後に続いた。この旅が始まる前よりも隊長の風格は増しているように見える。

 四大国の近くともなると、いくらかは道が出来上がっていた。丘を降りると石畳の一本道が続いており、一行は素直にその道の上を歩いた。旅の疲労を抱えた足にはご褒美のようにありがたい道であり、隊員たちの不安も少しは和らいだようだ。

「おい、そこで止まれ。何者だ」

 僅かな安堵も束の間、道の先からは戦闘装備の兵士が二名、カズハたちの前に立ち塞がった。遠くで見るよりも数倍は重苦しい表情である。カズハはまず両腕を上げて、戦う意思のないことを示しながら話し始めた。

「私たちは東の国・カザーニィの戦闘部隊です。とある事情により私たちはネトエル山を目指しています。そこでエイ国からの入山を希望し、ここまでやってきました。私は隊長のカズハ。国王の護衛も務めています。まずはあなた達のリーダーと会わせてください。詳しい話をしたいと思います」

 そこでカズハに続いて隊員たちは皆、装備を下ろした。甲冑の国の二人も慌てて真似をする。エイ国の兵士たちは重苦しい顔の眉間に、深い谷のような皺を寄せていぶかしんだ。

「ネトエル山?あそこに何があるというのだ。果実も鉱石もない上に、魔物が住むという噂すら流れているような怪しい土地だぞ。そちらに敵意がないことはわかったから、まずは目的を言え。話はそれからだ」

「ネトエル山の頂上にあるというエデンの町。そこを目指しています」

「エデン?」

 エイ国の兵士たちは顔を見合わせ、何を言っているのかわからないという表情を二人ともが浮かべた。もしかしたら名前くらいは知っているのではないかとカズハは考えていたが、風の噂にもなっていない程度らしい。

「一週間ほど前、私たちの国に怪我人が流れ着いてきたのです。彼は腹を毒矢で射られ、瀕死の状態でした。そして自分がエデンという町からやって来たことを話してくれ、死ぬ間際に妹さんへの伝言を遺しました。彼が言うには、エデンには争いがないと。彼の伝言と、エデンの平和の秘訣を知る為に旅をしています。どちらにせよリーダーの許しがないと通れないのでしょう?会って話をさせてちょうだい」

 カズハは少しばかり隊長らしさを表に出すと、兵士たちは怪訝な顔で彼女を見た。しかし実際はカズハが言う通りであり、国が関係するような高度な決め事の決定権など持ち合わせてはいない。規則ということでさらに二人の兵士を呼び、重装備の兵士四名に囲まれる形で一行は橋まで案内された。

 橋の手前の関所まで行くと、あらゆる武器をここで預けるようにと命令された。カズハたちを正式な客人として認定するまでは、一切の武器の所有を禁ずると言う。一行はその言いつけに従い全ての荷物を置いた。やがてカズハのみが橋の一歩手前に立たされ、残りの隊員たちは武器を構えた兵士たちに監視される事となった。

 その状態で数分が経過した時だった。全力で石を投げても届かないような橋の対岸から、装備を整えた兵士たちが五人、列を組む形でカズハの方へと歩いてくるのが見えた。一人だけが列の前に立っていて、彼のその透き通るような金髪と、海のように青い瞳は遠くからでも目立つ宝石のようだ。

 カズハと歳の違わぬほどに若い美青年は、兵士たちの長を務める新リーダーであるらしかった。彼の噂はカズハのような国の指揮者たちには広く知れており、突然の来訪にも関わらず、ものの数分で装備を整えてきた様子にカズハは好感を抱いた。

 隊列は橋の中程を過ぎた辺りで止まり、リーダーだけがそこから五歩ほど歩いて止まった。カズハとの距離はそう遠くないが、剣を振るっても届かない程度には離れている。その姿勢に同じ指揮官としてカズハは敬意を抱いたが、彼の鬼気迫った表情からは不審なものを感じ取った。まるで何かを必要以上に怯えているようだわ、とカズハは思う。

「私の名前はエドワード。エイ国の新しい兵士長を務めている。最近この役を任されたばかりだが、あなたの事はよく聞いている。カザーニィの戦乙女。会えて光栄です」

「私の方こそ。こんな突然の訪問になったことをお許しください。よろしく、エドワード」

 表情とは裏腹の柔和な物腰にカズハは安堵した。やはりこの国を選んで正解だったようだと、口調も自然と親密になる。

「ところで、事情はお聞きになりました?私たちはネトエル山を登りたいの。国を通る許可をいただきたいのだけど」

 そしてカズハは番兵にしたのと同じ説明を繰り返した。エドワードは直立不動の姿勢と深刻な表情を微動だにせず話を聞いていたが、カズハが話を終えるとゆっくりと首を振った。

「その話、信ずるに足りる証拠はありますかな。また、我々に国の通過を許すメリットがない。長旅のところ申し訳ないが、ここでお引き取り願いたい」

「そんな、私たちは本当に通してくるだけで構わないの。もちろんお礼の品は用意しています。カザーニィがどんな国かはあなたも知っているでしょう?」

「我が国は近頃、近国からの襲撃が多い。無駄なリスクは背負いたくないのだ。私が兵士長を任されたのも、国の護りをより強化させる為にある。お引き取り願おう」

「そんな……」

 カズハたちの焦りを助長するように、エイ国の兵士たちは鞘から剣を抜いた。後ろの方で囲まれているカザーニィの隊員たちは口々に文句を言ったが、兵士たちの動きで強制的に黙らされてしまった。エイ国に一番の可能性を感じているカズハは容易に引き下がりたくない。何とか許しが出ないかと必死の訴えを続ける。

「では、私たちの武器をそちらが預かったままで、さらに兵士たちに囲まれたままで構いませんから、山まではどうか通してください。私たちもこの国の真面目さに懸けているのです」

「なりません。最近は火薬が多く武器として使用されている。あなた方が国民の集まる広場で、その服の下に隠した火薬を爆破させないとも限りませんからね」

 エドワードはあくまでも厳格だった。国を護るという大義を背負っているが故の、何ものも信用しないという信念が表情に表れている。カザーニィの隊員たちはもう一度抗議の声を上げた。「俺たちがテロリストに見えるって言うのか!」「あんたはカザーニィの人間がどれだけ平和的かを知っているだろ!」「こっちにだって尊厳ってものがあるんだ!」今度は脅されても容易には怯まない。これまでに築いてきたはずの国の信用が無碍むげにされたのだ。カズハも背水の想いで必死に考えを巡らせる。

 相手は真面目で、それを通り越して潔癖だ。こちらを弱き者として侮らないというのであれば、その真摯さ——もとい、紳士さ——を信じるしかない。今この場で、カズハだけに与えられた武器は何だ。そう、私はこの場で唯一の女だ。この国の人々が紳士としての自負を持っているのならば、女性への敬意を忘れることはないはずだ……。

 そしてこれしかないと思いついた方法を、唇を噛みしめながらも実行する決意を固めた。後ろでは仲間たちの文句が聴こえ、エドワードは眉一つ動かさずにカズハを睨んでいる。決意とは関係なく一瞬だけ身体が動きを止めようとしたが、より大きな責任感を糧とし、彼女は毛皮の布を脱いで一糸まとわぬ上半身を曝した。その場にいた男たちの誰もが狼狽を見せた。

「何をしている!嫁入り前の女性が、そんなことをしてはいけない!早く服を」

 そう言ったエドワードを含め、兵士たちはカズハから目線を逸らした。彼らが紳士であるというのは本当らしい。カザーニィの隊員たちも大慌てだった。誰もが兵士の止めるのも聞かずに、カズハの元へ行って自分の服を被せようとしている。

「目を逸らさないでください。私が橋を渡ろうとしたらどうするの。あなた達の話を聞く限りなら、こちら側の全員の装備を没収して、全裸で監視付きの状態でなら国を通っても問題ないはずよね。カザーニィは友好の国としてこれまでやってきたはずだけど、どうしても信用してもらえないならこうするしかないわ。どうかしら、問題がありますか」

「いや、しかし」

「下も脱いでほしいのね!」

 カズハはそう叫んで手に持っていた服を地面に投げ捨てると、下半身を覆う毛皮にも手を掛けた。闘いのときに見せた鬼とは別の鬼の表情——通ずるとしたら、鬼嫁——だとダンゴは思った。エドワードは急いでカズハの服を取り、彼女の身体が隠れるように服を被せた。彼は手に持っていた剣を取り落としてしまう程の慌てようだった。

「わかりましたから、早く服を着てください。ああもう何て強引な人だ。そうですね、わかりました、我々が疑心暗鬼になりすぎていたことは認めます。女性にこんな辱めを与えてしまうなんて、本当に申し訳ない。ああ、我々にも守るべき名誉がある。先程までの非礼はお詫びしますから、どうかすぐに服を着てください」

 エドワードは視線を逸らす為にも深々と頭を下げ、カズハは満足げな顔で服を着た。エイ国の兵士たちは誰もが恥ずかしそうに俯いており、カザーニィの隊員たちはようやくホッとしたり、心配で疲れたような表情をしながらも、取り上げられていた荷物を返却してもらった。誰もが〝戦乙女〟の名は伊達じゃないなと感じたようだった。

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