10話 謁見と連結

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 カズハの身体を張った訴えが功を成し、一行は巨大な石造りの橋の通行を許可された。橋そのものに慣れていない隊員たちは、足下に広がる巨大な河を物珍しそうに眺めながらエイ国へと入っていった。

 カザーニィは和平的な国として認知されているとはいえ、他国に入るというのはこの時代そう簡単な話ではない。エイ国兵士たちのカザーニィへの敬意の表れとして、武器も含めた全ての荷物が返却されていたが、一行には警備としての兵士が付き纏うことになった。さらにカズハはエイ国王への謁見を許可(もとい強制)された。事態はそうそうないくらいにイレギュラーだったので、国としても特別な対応に出ざるを得なかったと言う。

 しかし一行は歓迎されている状態にもあった。とりあえずカズハは国王に会いに行かねばならないが、その時間を使って隊員たちには街を歩き回る権限が与えられていた。橋の上での無礼を詫びる為にも、食料調達や休憩などを好きにしてくれて構わないと言う。もちろん隊員一人につき一兵士が監視に回るのだが。

「いやあ、一時はどうなることかと思いましたが、雨降って地固まるとはこのことですな。ここに来ての物資補給は何よりもありがたい。しかしですな隊長、雨が降るって言っても、こちらとしては雹が降ったような気分なのですぞ。あんたまだ十九なのですから、まあ何歳だろうと女性があのようなことをしてはなりません。ワシらのような野郎どもが裸になるのとは訳が違う。いくら目的の為とはいえ、乙女があのようなこと。本当にワシは肝が冷えました。だいだいですな、他にもやろうと思えば手段はいくらでも……」

「もう、おじさまはいつまでもうるさいわ。もう過ぎたことなんだし、ああいうのを女の武器って言うのよ」

「まさか、女の武器なんて。いけませんぞ、そんなことを言い出すようになっちゃ。もっと自分の事を大事にしないと。カズハは昔っから無茶しすぎる。それにそういう考えは男尊女卑とか女性蔑視に繋がると言われてですな、いつぞやの時代ではすぐに規制だの何だの……」

「まあ、いつ見ても立派な街ね!」

 カズハはわざとらしい大声を上げた。ダンゴはお小言を遮られる形になってしまったが、カズハの言う通り、本当に立派な街がそこにはあったので思わず口をつぐんだ。

 石橋を渡って鉄門を抜けて、その先にはエイ国の誇る近代文明の街が広がっていた。二階や三階建ての建物などはそこら辺のどこにでも建ち、人々は知的な服装に身を包み、カザーニィではまだ誰も見たことがない自転車という乗り物が走り始めている。まさに国と呼ぶに相応しい光景だ。機械好きのショウは誰よりも目を輝かし、垂涎すいぜんの想いで自転車に近寄ろうとしたのを真っ先に止められた。

 武器を持った兵士たちの姿がそこらに見られるが、国の外とは違って人々は余裕に満ちた表情で歩いていた。厳格さや貞淑な雰囲気は漂うが、そこに重苦しさはない。紳士と淑女の国の名に間違いはないようだ。気品と自信、四大国の中でもトップを誇ると言われる兵力による安定した国の形がそこにはあった。

 これもまた、一つの平和の形かもしれないとカズハは思った。しかしどれだけ文明が発達していようとも、他国を武力で圧倒できるという余裕から生まれる安定した平和の形、それに喜んで飛びつくことは出来ない。自らの手で人の命を奪ったことで確信したのだ、人が人を殺すべきではないと。美しき人々の営みの姿を前に、羨望せんぼう戒心かいしんをカズハは同時に心へ宿した。

「ここで止まれ。あなた達、隊の人々はこの建物に武器を預けてもらい、監視付きで申し訳ないが街を好きに移動してくれて構わない。我らが街でなら物資は充分に補給できるだろう。そしてカズハさん、あなたは国王に謁見だ。先の話は直接その口から伝えてもらいたい。王にその顔を見せた経験が御有りなら話は早いだろう。まだ疑っているのだとは思わないでくれ。こうすることによって国内での立場が確保されると考えてもらいたい。私の非礼はそのまま伝える。おそらく謝礼としての何かが与えられるだろう」

 エドワードはリーダーとしての風格をすっかり取り戻していて、よく通る声で指示を出すと一同に解散を伝えた。ダンゴたちに見送られながらカズハは彼の後ろに続き、その後ろには兵士が二人付いてきた。カズハにとっては慣れないことではない。カザーニィのおじさま達の大きな声が聴こえた。カズハは明るい笑顔で手を振った。

「えっと、エドワード。さっきはごめんなさいね。急にあんなことされたら驚いたでしょう。どうか、気分を悪くしないでもらいたいのだけど」

「問題ない。話なら後にしてくれ」

「え?ああ……」

 エドワードがリーダーとしての風格を取り戻せば、このように愛想のない兵士になるらしい。治安悪化の情勢で、国を護るために据えられた新しい兵士長としての、屈強で隙のない態度。それにしても少しくらい、とカズハは思ったが、この旅の目的地はエイ国ではないので気にし過ぎないことにした。せっかく国内に入れたのだから、ここで問題でも起こせばネトエル山への道は絶望的になるだけだ。エドワードの態度も下手に感情的にならない分、上に立つ者同士としては話しやすくて助かるのかもしれない。

 エドワードは本当に無駄を省くような動きで王邸へと向かった。カズハは街を眺める暇もなく彼の後を追った。口や態度では無関心を装っているが、橋でのカズハの行いを怒っているのかもしれない。やはり紳士を自負する彼には強引すぎる手段を選んでしまったか。カズハは少し反省し始めていた。もしも時間が与えられるのなら、一緒にみんなで食事でもして腹を割って話をしたい。が、エイ国としては用事が済めばすぐにでも国を通過してほしいところかもしれない。

 そうこう思案している内に、国内のどの建物よりも大きな門の前まで辿り着いた。エイ国王邸である。白一色の横長な建物で、人が住むことよりも政治的な機能に重きを置いた雰囲気だった。カザーニィの国王の家も大きいとはいえ村長レベルの建物だから、庭などなければ二階建てですらなく、広さも普通の家の二倍程度に収まる。カザーニィで一番背の高い建物はやぐらだと言うのに、この国では王邸の方が見張り台よりも高いのだ。橋を渡る途中に国の最重要地点が確認できるというのは、防衛面から見れば呆れるべき事かもしれない。

 カズハは贅沢な王の建物に幾らか辟易へきえきしかけたが、今から自分がこの中に入るのだと思うと少し委縮するようだった。国王の護衛としてここに来た時は、あくまでもおまけのような扱いだったのである。そんなカズハの様子に気付く暇もなく、エドワードは真っ白な石畳の上を歩いて行くので、彼女も遅れながら後を追う。左右には待機していた兵士たちが直立の姿勢で少し上を向き、カズハらの後ろについていた二人の兵士もその中に加わった。エドワードはようやく紳士らしい気遣いを見せ、自ら扉を開けてカズハを中へと案内してくれた。

 そこからは侍女たちが先頭を歩き、エドワードはカズハの後ろに付いてきた。まるでお姫様扱いのようで珍しくカズハの緊張も高まり、二階中央にある王の間の扉の前まで歩くのに、自らの服装——戦闘用の毛皮の布に旅用の軽いマントを羽織ったもの——の場違いさを深々と実感した。

「謁見!」

 前触れもなくエドワードは大きな声を上げ、侍女たちが二人掛かりで王の間の扉を開いた。カズハでなければ驚き慌てる様を見せたに違いない。エドワードに少し促されるように室内へと入ると、少し進んだ先には国王と王妃がおり、カズハが近付くのに合わせて優雅に腰を上げ軽く頭を下げた。贅を尽くしたような服装が上品に揺れる。カズハは二人の前まで行くと、立ち止まってより深く頭を下げた。

「ようこそ、我が国へ。聞くところによると我らが兵士長が入国前に無礼を働いたそうで。何であろうとまずはそれを詫びなければいけない。彼はまだ就任したばかりで気負いが過ぎてね、まさかカザーニィの人々を必要以上に疑うとは。どうかこの通りだ」

 国王は国王らしからぬ腰の低さで、謝罪としての意味合いで頭を下げ、王妃もそれに倣った。

「いいえ、貴国の情勢を考えると決して過ぎた疑いとも思えません。どうかこちらこそ、突然の来訪をお許しください」

 カズハはなるべく国王よりも深い礼になるように意識して頭を下げた。国王は深い理解と友愛を持って頷き、カズハに頭を上げるように告げた。両者は顔を見合わせると少し笑顔を見せ合った。国王は次にエドワードの方へ顔を向けると、彼が橋の上で何をしたのか話すように告げた。

 エドワードはありのままの顛末を話してしまうと、自分には解任や収監の覚悟もあると堂々と述べた。さすがにそれはやりすぎだとカズハは思うと、国王にもそこまでのお咎めをするつもりはないようだった。

「エドワード。君には大きすぎる責務を背負わせてしまったかもしれない。そこまで一人で抱え込まなくても良いのだ。彼女に誠意を尽くして謝罪と贖罪を成したのならそれで充分だ。若いというのは良いことだが、いささか度が過ぎることもあるな。さてカズハどの、あなた達がここに来た目的も聞いておかなければならない」

「はい。私どもがエイ国を通過せざるを得ない理由、それはエデンという一つの町にあります」

 カズハは橋の番兵やエドワードに話したのと同じようなことを、なるべく畏まった口調で話した。普段の三倍は上品な口調だ。この国の、それも国王を目の前にすると、自然と紳士・淑女としての自覚が芽生えるような気がしてならない。

「なるほど。それは確かに証拠もなければ夢のようなお話にも聞こえますな。ははは、我らが兵士長にも同情の余地はある。しかしですな、他でもないカザーニィの〝戦乙女〟の言うことだ。疑う必要などどこにもない。こういう時代だからこそ人と人の信頼関係は何よりも大事だ。違いますかな」

「いえ、そう仰っていただけると誠に心強いです。我々だって事の真偽は定かではないのですが、あのエデンの男性を信じたことから始まっています。ご理解、深く感謝いたします」

 エイ国王は満足そうに頷いて白く豊かな髭を撫でると、王妃を見て共に微笑んだ。畏まって優雅な態度や、上質で人々の目に触れる服装など、紳士や淑女の基盤はこの二人から形成されているのかもしれない。カズハは立場や現状などを無視して、一人の女の子としての儚い憧れを感じた。

「ではカズハどの。あなた達カザーニィの人々には、この国で自由に行動する許可を授けましょう。旅支度が充分に整うまでは好きに過ごしてもらって構いません。監視なんて今すぐにでも外すべきだ。もっとも、ここに住むなんて言い出したら話は別ですがな。やあ、それとはまた別に、エドワード兵士長には懲罰を与えないといけない。出来ることならあなた方への贖罪も同時に満たせるものがいい。いや、これはこちらの勝手な都合になるかな」

「それでしたら国王、私に一つ考えがございます」

 口を挿んだのはエドワードだった。懲罰を受ける者が刑の内容を進言するというのも変な話かもしれないが、国王は穏やかに笑って意見を促した。

「私は己の未熟さ故に彼らを危機に陥れました。よって、彼らの身は私がこの身を持って警護したいと存じます。警護と言うのでは傲慢かもしれません、この命に代えてでも、カザーニィの戦闘部隊をお守りしたく存じます。それは同時に我が国の護りが希薄になることに繋がりかねませんが、私はこのカズハ戦闘部隊長からリーダーとしての資質を学ぶ機会を得るということで、どうかお赦しいただけませんでしょうか。臨時の兵士長にはジャックを推薦いたします。彼なら私も安心です」

「ほう、君が兵士長になってまだ二ヶ月と経ってないぞ。それに、それは君にとって懲罰となるのかね」

 国王はそう言いながらも、年相応の少し意地の悪い笑みを浮かべた。何かエドワードが言葉にしていない腹の中の想いを汲み取った、そんな風な表情である。

「それはもちろん、この命を懸けるという点において。いえ、それでは足りないと仰るのであれば、他にどんな罰が下されようとも受け入れます。しかし、彼女の指揮官としての器は」

「ああ、いい、大丈夫だ。私としては何も問題ないよ。それよりもカズハどのの許可をいただいたらどうかね」

「あ、はい!私としても光栄なことだと存じます」

 カズハの明朗な声を聴くと、国王は若さに体が毒されてしまったとでも言うように疲れたリアクションを見せた。これは意外な展開になったとカズハがエドワードに目をやると、彼は顔を伏せたまま朗らかな表情を浮かべていた。これはとんでもない真面目青年なのかしら、それとも何か、とカズハは少し覚束ない気分を抱えた。

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