7話 鬼

 *



 カザーニィを出発して三日目。旅の道のりはようやく半分に到達していた。

 橋の壊れた河は一日で渡ることが出来た。しかし一行が上陸したすぐ先は、野生の魔物と化した猫や犬が多く生息する地域となっていた。橋が壊れたことで人の往来が減った為かもしれない。人の肉を食べようと襲ってくる獣たちと戦闘した一行は、計画よりも大幅に遅延することを余儀なくされていた。

 カズハの判断により少し迂回することにもなって、エイ国とは幾らか離れた場所を歩いている時だった。核大戦前の街の残骸が見つかって、そこには最近まで人がいたような痕跡が残されていた。それはかつて一国の首都として栄華を築いた廃墟群の真ん中で、まだ見た目の新しい(しかし使い込まれた)歯ブラシや缶詰の空き缶がそこらに散らばっていた。

 旅の途中で誰かに出会ったなら危険は顧みずに交流を求めるというのが、圧倒的に種としての数を減らしてしまった人間たちの常識だった。どこの国でも同じ事だが、資源は手に入っても人手はなかなか手に入らない。外交でそれなりのものは交換可能だが、国民ばかりは交換する訳にもいかない。人ひとりの命の重さは、核大戦の起こる前の平和と比べると、何も変わっていないと言えばただの誤魔化しになるだろう。

 また、どの国もが争いを望んでいるという訳でもない。カザーニィのように、攻め込まれない限りは武器を取ることもしないという国はいくつもあった。この廃墟群を領地としている人々が友好的であるのならば、それはカズハ達・カザーニィの国の人々にとって喜ばしい限りである。

「前に四大国との話し合いに出席した時にもこの道を通ったけど、ここに人が住んでいる気配なんてなかったわ。もしかしたら国を持たない放浪者かもしれない。ゲンタ、キヘイ、斥侯を頼むわ」

「がってん」

 眼鏡のキヘイは指名を受けると、短い返事を残し無駄な荷物をその場に置いてすぐに移動を開始した。ゲンタはその様子を呆れ顔で見ながら、渋々とキヘイの後に続いた。

 カズハら残った者たちも荷物をその場に置き、その内の二人が荷物番として残ることを決め、他の九人はいつでも動き出せるように体勢を整えていた。

 廃墟たちはボロボロに風化してしまっているとはいえ、そこらの森の木々よりは遥かに上背がある。過去にこの土地がどれ程の繁栄を成したのかが窺えるが、同時にどれだけ人類が失墜を果たしたかという証拠にもなる。人工物たちが作る陰は、どこに何が潜んでいるかを悟らせない。それはまた、野獣と化した犬猫どもであるかもしれないし、人であっても友好的とは限らないのだ。カザーニィの戦闘部隊といえども無敵な訳ではない。油断は許されないような空気が漂い、不意にビル風の音が止んだ。十一人の間に緊張が走る。

「助けてくれえ!」

 まるで何かの合図のように叫び声が上がった。声から判断するにキヘイのものだ。カズハたちは目だけで合図を取り合い、荷物番を除いた九人が一斉に駆け出した。

 廃墟群の広間では、キヘイが三人の男たちに捕まって刀を突き付けられていた。カズハ達は迅速にその場へ辿り着き、それぞれが建物の陰に隠れて息を忍ばせた。カズハの近くに隠れたダンゴと長身のユスケは、広場の中央に生け捕られた仲間の姿を確認した。

「あっ。奴ら、この前の甲冑集団ですぜ。奴らの国はここにあったのか。さては負けた報復に出ようと言うのだな。くそっ、汚い野郎どもだ」

「ゲンタの奴、キヘイが捕まったのを確認してすぐにどこかに隠れたな。あいつ、動きだけは素早いもんだからどこでもさっと身を隠す。どうしますか、みんなで一気に襲い掛かりますか」

「待って。ここが国内だと言うなら甲冑を付けてるのはおかしいし、報復を目的とするには数が少なすぎる。それに、兜を付けていないわ。あの国では刀を持った者が兜を脱いで戦場に出ることなんてない。キヘイを捕まえるのに兜を付けなかったのじゃ、国に赤恥を晒す上に防御力も落ちるから危険なだけだわ。他に仲間のいる気配もない。何か別の理由でここにいて、たまたま私たちを見つけたのかもしれない。……しかし、こんな広場の真ん中で人質を取るなんて呆れたわ。ダンゴ、いい?」

「承知しました、隊長。気を付けて」

 そう言うが早いが、カズハは音もなく動き出してどこかに行ってしまった。残されたダンゴとユスケはお互いに頷き合って、武器を置いて両手を上げたまま広場に姿を現した。

「おーい、お前たち。ワシらは抵抗するつもりはない。どうか大人しく、その人質を離してやってくれ」

 ダンゴがそう叫ぶと、廃墟の物陰からさらに三人、カザーニィの隊員が出てきた。みんな、何も言わずとも武器を置いて両手を上げている。その様子を見た甲冑の男は、キヘイの首を絞めつけるようにして口を開いた。

「やいっ、誰一人としてそれ以上動くな!動けばこいつの命は保証しないぞ。俺たちはお前らの隊長に用があるんだ。あの女を出せ!」

「隊長はここにはいない。今日はワシらだけでここらを開拓しに来たんだ。隊長に会いたいのなら国まで案内する。ワシらは何も手出しはしない。約束するから、その男を離してやってくれ」

「なんだとっ!」

 キヘイを捕まえている男は威勢良く叫んだものの、少し弱った様子で仲間と相談を始めた。その間にユスケはダンゴに囁くように耳打ちした。

「奴らみたいなのをとでも呼ぶのですかね。ところで隊長はどこに行かれたのです」

「隊長はどこかに身を隠して奴らの隙を窺っている。いざという時にはあっちの奴らをやっつけてくれるはずだ」

「おい、そこっ。喋るんじゃない!」

 荒々しい怒号が飛ぶと、キヘイを捕まえていた男はいよいよ刀をぎらつかせて不敵な笑みを浮かべた。よくよく見れば、カズハに討ち取られたあのかしらの男である。

「俺たちはこの前の争いで仲間を一人失い、国はますます貧しくなる一方だ。王は和解などという甘ったれた手段にご立腹、女の首を獲るまで帰国は許されなかった。そこでだ、お前たちはあの女をここまで連れて来い。俺は奴と決闘をする!それまでこの男は人質に取ったままだ。そしてだな、お前らには逆らえない立場だということをわからせてやる必要がある。見せしめとしてお前たちの内から二人をこの場で殺す!最初に出てきた二人、近くに来て跪け。さもなくばこの男は殺す。さあどうする!」

 広場にいた誰もに緊張が走った。想像以上に甲冑集団の怒りは激しく、このままではどうあがいても仲間の誰かが殺されてしまう。ダンゴとユスケをみすみす殺されてしまう訳にはいかないが、うかうかしていたらキヘイは助けられない。キヘイを殺してしまっては人質としての価値がなくなるはずだが、そんなことにも考えが及ばないくらい相手のかしらは冷静じゃない。

 ダンゴはこれで何度目の死線だろうかと考えた。とにかく一刻でも時間を稼いで敵の隙を作りたい。全身から血の滲む想いでユスケの肩に手を置き、ユスケは汗を流しながらも無言のままに頷く。二人は静かに相手へと近付いてその場に跪いた。

「何やってるんだ、ダンゴ、ユスケ。俺がへまして捕まったんだから、この場で殺されるのは俺でいいんだ」

「黙れくそ野郎!よし、素直でいいぞ。おい、お前たち。二人の首を一息に落としてやれ」

 甲冑のかしらがそう指示を出すと、仲間の二人は太刀を抜いて嬉しそうにダンゴたちを睨んだ。のらりぬらりと怪しい足取りで近付き、刀を構えて介錯かいしゃくのような恰好を取った。カザーニィの隊員たちはみんなが息をのみ、トシはどうしても一人しか助けられないこと悔やみながらも、一人は必ず助けるという決意を固めながら物陰で弓を構えた。そして、介錯人たちは腕に力を籠め、「やあっ!」と掛け声を上げた、その瞬間。

 キヘイを捕えているかしらの背後より裸足のカズハが駆け出してきて、キヘイもろとも男に飛び蹴りをくらわせた。そのまま男が倒れるのと一間違いでカズハはその上に飛び乗り、男の喉元に短剣を突き付けると「動くなっ」と叫びを上げた。流れるようなその動きに呆気取られた介錯人たちは、振り上げた太刀を下ろす暇もなくカザーニィの隊員たちに囲まれてしまい、両腕を上げたまま刀を取り上げられてしまった。形は違えどあの時と同じ、これぞカザーニィ、風のような早業だった。

「すぐに降伏しなさい。さすれば命までは奪わない」

 カズハは男の目の奥深くを見つめるようにしてそう言い渡すと、短剣を構える両手に力を加えた。

 敵のかしらは罠にかかった獣のように声を上げて抵抗していたが、ちょっとすると諦めたかのように瞳を閉じかけた。が、すぐに「ちくしょう!」と叫ぶと、カズハの目の前で大きく双眸そうぼうを見開き、鎧の中に隠しておいた導線の短い自決用火薬を取り出し、これまた隠し持っていたライターを火薬に近付けて火を点けようとした。

「っっ‼」

 目の前の男が何をしようとしているのか、カズハが脊椎反射で認識したその瞬間、彼女の腕は風のように流滑りゅうかつな動きをもって、男の喉に短剣を深く突き刺し横に割いた。

 いくつか瞬きをするような時間の後、男の喉からは弾けたように鮮やかな血が飛び出し、カズハの顔面を濡らしながら地面に溢れ返った。正確な一撃に絶命した男はそれ以上どうすることも出来ずに、力の入らなくなった腕はライターと火薬をぽとりと落とすと、後はずっと静かになった。血まみれ顔のカズハが鬼のような形相で敵の二人を睨みつけると、二人は抑え付けられながらも必死になって「俺は火薬を持っていない」と大声で主張した。カズハは一瞬間だけ心で安堵し、感情はすぐに焦りへと変わった。戦場でも敵味方の流血を最小限にとどめ、可能な限りは和平の道を選ぶと心に決めたはずの自分の顔が、悪鬼そのものの形で戻せなくなり、敵を殺すと叫び続けていたのである。

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