22話 エデン④
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明朝、エデンの町には管楽器の音楽が日の出に合わせて響き渡った。
峻険な山登りの旅の疲れが出たのか、昨夜は気絶するかのように眠りに落ちたカズハは、建物の外からやってくる光と音に目を醒ました。この音楽は何事かと不思議がりながらも、外に出て生まれたてのように両腕を伸ばす。その表情は早朝の空気ほど清々しくはない。一晩寝てしまえば昨日の気分も忘れてしまえるような、単純なつくりの乙女ではなかった。
カズハが寝泊まりしたのは、小屋のような大きさの誰も住んでいない民家だった。男たちは大きな倉庫のような場所でひと固まりに寝ているが、カザーニィのおじさま達の意向で彼女だけは別の場所を用意してもらえたのだ。十九の少女に戦闘部隊を率いらせている以上、普段の生活では隊長扱いする訳にはいかないと思ってくれているのだ。
そんな倉庫からはエドワードが駆け出してきて、周囲を慌てた様子で見回していた。街に響き渡る音楽を、敵襲の合図か何かと勘違いしたような顔をしている。剣は捨てても兵士長を忘れていない良い証拠だ。カズハは少し笑って彼に声をかけた。ここには争いなどないのよ、と。
エドワードが少し照れたような顔をしながら、その恥ずかしさを誤魔化すように体操を始めていると、同じ建物からダンゴとサンダユウがのそのそと歩いてきた。サンダユウは五感に長けているためか、エデンの澄みきった心地よい朝の空気に満足げな様子である。ダンゴもおじさんには早起きが気持ちいいと言いたげだ。彼らのような心の持ち主が平和の町には相応しいのかもしれない。
「これは朝からおアツいことで。こんな空気が毎日吸えるなら元気にもなりましょうなあ、カズハちゃん」
「おはよう、ダンゴおじいちゃん。本当、朝からお節介を言うくらいに元気があり余っているのね。走ってみんなに挨拶でもしてきたらどうかしら」
「がはは、それも悪くない」
ダンゴはその熊のような身体を揺らした。エデンの人々のような上品な言葉遣いよりも、カズハにはこのくらいの軽口が楽になれて良い。煩悩のない人生はどんな気分なのかしらと、出来もしない想像を頭に浮かべようとした。
「ところで隊長さん、今日はいかがしますかな。タクマとやらの葬式はもう済みましたし、妹さんへの遺言もちゃんと伝えた。昨日は町長と何やらお話しだったでしょう。まさか、もう平和の秘訣が見つかったんじゃあないでしょうね」
「そりゃあね。そんな簡単に見つかるような平和の秘訣なら、今ごろ世界はお花畑よ。マスター曰く、悪の基準を統一することが重要。必要なものと害悪なものに世界を分けて、必要なものだけを選ぶべきだって。欲張りは身を滅ぼす。煩悩はやがて害悪を運んでくる存在。だからこの町の人は慎ましやかならしいわ。確かにここの人はそれで平和を実現させているけれども、私にはそれで世界を平和に導けるとは思えない。おじさまは感じない?ここの人たちの平静すぎるところとか、表情が少なすぎるところの不気味な感じ」
「まあ、エイ国の機械にも似た気分がしましたな。それで、酒でも飲ませてこれが煩悩だと教え込んでやりますか」
「朝から冗談が下品よ、ダンゴ副隊長」
ダンゴは少年のいじわるみたいに笑った。カズハもさらりと表情を緩ませる。
「まあ、人々の様子が何にせよ、この町の現状が平和なことには違いがない。昨日のマスターとの会話であなた達と話し合わなければならないことがたくさん生まれたわ。とりあえずの伝達だけをしておくと、今日から数日間はこの町に滞在して、私たちは町の人々と一緒に働かせてもらうわ。そうね、ここの人たちは朝が早いらしいから、寝ているみんなを音楽が鳴り止むまでに起こしてちょうだい。早朝ミーティングを始めましょう。エイ国で枕の味を堪能しなかったお馬鹿さんたちを叩き起こしてくるのよ」
「ああ、こわいこわい。これだから〝戦乙女〟なんて呼ばれちまうんだ」
「ほら、さっさとしない」
カズハは愛を持ってダンゴのお尻を思い切り叩くと、大男は幼児のように文句を言いながらも倉庫の中に戻っていった。どうせおじさま達はぐずぐずして出てくるのには小一時間はかかるだろうと推測した彼女は、二日ぶりのような気分で町の泉まで汗を流しにいくことにした。
男たちが寝泊りした倉庫でのミーティングを終え、一同は町長のいる喫茶店へと朝食を食べにいった。貨幣制度がないので、店では好きな物を好きなだけ注文できる。しかし、町長とネズの二人だけで十六人分もの料理を用意するのは不可能に近い。だからと言って朝からコーヒーしか飲まないのも無理な話だと、自然な形でカズハたちも料理を手伝うことになり、町長たちもその提案を快く受け入れてくれた。計十八人が店内を忙しげにうろつき回ることになる。これから当分は同じような朝が続きそうだ。
「こんなに多くの人が走り回るのを見たのは、僕、初めてだよ」
一時間近く準備をした後に、昨日とみんなが同じ場所に座ったところで、カウンター越しにネズはそう言った。店内には逞しい男たちによるいただきますの声が響き、エデンには存在しない賑やかさが弾けるように広まった。ネズは驚きの拍子に開いた目をパチクリさせる。花火を知らない子どもの頭上で合図もなしに花火が打ちあがった、そんな様子のネズを見てカズハは嬉しそうに笑った。最初は驚いて怖がるかもしれないが、すぐに花火の綺麗さを知ることが出来るだろう。
「ネズくんはいつもここでお手伝いをしてるの?」
「そうだよ。僕はマスターと一緒にここで生活してるから、気が付いたら店を手伝ってたんだ」
「へえ、それはすごいね!じゃあ、このお店の次のマスターは君かな?」
「うん、きっとそうなるね。他にやりたいことがある訳でもないし、他の子が立候補することもないだろうから、僕がこのお店を継ぐよ。なんなら立候補してもいい」
「立候補?」
ネズの妙な言葉選びの違和感にカズハは首を傾げた。彼のような十歳くらいの子どもなら、マスターの後を継ぎたいと言うような積極性に満ちていてもおかしくない。立候補という制度的な言い回しは、ネズのような少年の口にはどことなく似合わない気もする。まあ、そんな性格の子なのかもしれないな、とカズハが思おうとすると、ネズの横に座っていた町長が代わりに説明してくれた。
「この町では、子どもは十五になった時にそれぞれ仕事を与えられます。ほとんどの子どもが親の仕事などを手伝っていますから、十五になった時に特別に申し出る子がいなければこちらで仕事を割り振り、基本的には親の仕事を継いでいくことになります。幼い頃から慣れた仕事なら難しく思うこともありません」
町の人々は欲を知らず、子どもも同じ環境で育てば、夢などを抱く子は自然といなくなるという訳であった。カズハは何かがおかしいように思い、でも何がおかしいのかわからない気分に食事の手を止めた。カザーニィの少年少女たちは夢に忙しい。お医者さんになるとか、カズハのような隊長に憧れているとか、大工になりたいとか、いつも輝く笑顔で大人たちに語っていた。自分はそのような環境で育ったせいで夢を持たない子どもを不自然に感じるのだろうか?横で話を聞いていたエドワードは咄嗟に口をはさんでいた。
「それでは、夢を見る子どもはいないのですか?みんな幼い頃から自分の進む道を知っていると?」
「夢と言うと、将来の憧れる職業、という意味ですかな。まあ、そんな希望を抱く者も皆無という訳ではないですが、必要以上の欲がない限りはほとんど見られません。みんなが夢を見たら争いの種になって困るでしょうが、ここでは立候補さえすれば通るので争いも起きません。そこにはみんな関心を抱きませんよ。親の仕事が何であるかを知った時に自分の仕事も知る訳です」
「はあ……」
エドワードはカズハと同じような気持ちになっているらしく、金色の立派な眉だけが本人には内緒で、訝しんでいる感情を正直に伝えていた。ダンゴは黙ってトーストを一枚まるまる頬張っていたが、その目は一瞬だけ鋭くネズを見つめた。それだけでも何かを多く物語るようだった。
背後のテーブル席とは対称的に静かになったカウンター席で、カズハは明るい声を出すように努めた。エデンの二人からしたら静かなのが当たり前だということを忘れ、今日から仕事の手伝いをさせてもらえないかと、場の雰囲気を取り繕うように提案した。町長は二つ返事でその提案を受け入れた。彼らとしては手伝いなどなくても構わないが、あっても同様に構わないという口振りだった。
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