23話 エデン⑤

 朝食を終えると、外には既に働き始めた人々の姿があった。時刻は午前七時。彼らは基本動作がのんびりしているので、干支の牛のように早くから働き始めるようだ。どちらにせよ一日の仕事量にノルマなどはないから、みんなやりたいだけ仕事をしていると町長は笑った。

 街ゆく中でも特に暇そうにしている人々を見つけては、町長は手当たり次第に声を掛けた。誰もが何の問題も思いつかなそうな顔で、旅人たちが仕事に加わることを許可してくれた。

 エデンには意外なことに様々な仕事があった。必要な物を必要な時にだけ手に入れるというのが彼らの基本だからだ。

 まずは畑や田んぼの世話。これはもちろんネトエル山の下の地域ともやることは同じだ。そして泉への水汲み。飲み水や洗い水、トイレの流し用などを担当者が運ぶ。それぞれの家で大体これくらい必要だというのを考えておき、その量が入る容器を家の前に出しておけば届けてくれる。余った分はみんな花にでも与えているようだ。ただ一つの例外として、田んぼの水だけは泉から水路で繋いでいた。必要な量が多いからというのが理由だった。町の方については、水路なんてものは必要なことではないし、泉に負荷が掛かるだろうということで人が運ぶ。もしも水が足りなくなってもすぐに誰かが分けてくれるし、そもそもすぐに泉まで汲みにいける。自分の仕事ではないのにと文句を言う者など一人もいない為、この町では仕事に対する責任感は薄い。そしてサボる者もいない。

 毎日行われる仕事としては、果物狩りや薪拾いがあった。常に新鮮な果物を食すので、担当者は朝になると果物屋の在庫を見て仕事に向かう。余らない程度の量を収穫して、昼までには市場へと戻る。薪も料理の火起こし用として使われるので重要だ。一日分に必要な目安の落ちた枝を探す。どうしても見つからない日は諦めて火を使わない料理を増やしてもらう。

 家具職人というのも存在した。ガラスや粘土や石で作られた家具、そして家は破損することも珍しくなく、何かが壊れた時には職人の出番だった。とはいえ、この仕事は出番が毎日あるという訳ではない。普段は素材になりそうな石や砂などを集めているが、もちろん必要になりそうな分だけだ。担当者は服職人も兼任しているので暇にはなりすぎない。

 カズハたちのような旅人が来ると、ろうそく作りも需要が増すようだ。しかしこの仕事は完全に運任せだった。原材料に蜂蜜を用いる為、蜂が住まなくなったがまだ蜜が残っているというような巣が見つかる偶然を期待しなくてはならない。平和の人々は蜂を巣から追い出すようなことはしなかった。彼らの生活状況ではろうそくがなくても困ることはないし、ろうそくだけは備蓄がたくさんあったのだ。

 他には野草探しや養蚕者、他の仕事にヘルプが必要になった時のお手伝いさんなんていうものも存在する(ほとんどが喫茶店の手伝いだ)。そして市場には果物屋や八百屋、町長の喫茶店などがあるのだった。

 旅人たちはそれぞれが興味を持つ仕事へと散っていった。丁度良いバランスで散らばり、今朝のミーティングでカズハから与えられた使命——エデンの町から平和の秘訣を見出すこと——を忘れずに働く。きっと、日常の中にこそヒントは存在するのだとカズハは言った。



 カズハが向かったのは畑仕事の現場だった。戦闘部隊も普段は田植えや畑を手伝っている。普段の自分たちの仕事振りとエデンの人々を比べることによって、そこから見えてくるものがあるのではないかという魂胆だ。

 同じ仕事に付いてきたのは甲冑の二人だった。彼らは祖国で、戦争以外ならこの仕事しかやったことがないのだと言った。カズハにとって、この二人と行動を共にすることは幾らか試練的だった。仲間の命を奪われた者と奪った者の関係は、少し一緒に旅を続けたところで良好になったりはしない。カズハには二人をカザーニィへと連れて帰る覚悟はあったし、彼らもそれに異論はないようだったが、あの廃墟群から出発して以来、両者間には会話と呼べるようなものは生まれていなかった。

 これは確かに平和の試練だ。畑仕事でエデンの人々から平和の秘訣を探しつつ、簡単には手を取り合えない仲間との平和を築き上げなくてはならない。ここで甲冑の二人のことを無視してしまっては、カズハは平和の事など何も語れないだろう。幸いなことに、二人の方にも関係を良くしようという気概はあるようだ。互いに歩み寄る覚悟があるということは、実はこの上なく幸運なことなのだ。

 エデンの町の外れには、小規模な畑が何種類分も並んでいる。町民約四百人分の食料のほとんどをここで生み出しているらしい。お茶に白菜に、パプリカ、スイカ。その他の様々な食材がこの狭い土地で同様に育つというのはまるでファンタジーだ。その奇跡を生み出しているのはネトエル山というカオスに他ならないだろう。カズハは正直に羨ましさを覚えた。

 三人は季節的に栽培の時期にあった大根畑に案内された。そこに向かうまでに他の畑の横を通ったが、どこにでも一人は町民がいて何かしらの作業をしていた。大根畑は特に収穫の時期なので、カズハたちを含めて七人の人々が集まっていた。その中にはエレナの姿があった。

「あら、カズハさん。ここに何日か滞在するって聞いたわ。お仕事も手伝ってくれるなんて、私たちとっても嬉しいのよ」

「こっちこそ、平和の町で過ごせるなんて幸せなことだわ。あの、もう気分は落ち着いた?昨日お葬式があったばかりだけど、無理してない?」

「ええ、もうすっかりいつも通りよ。兄がいなくなってから二週間も経ったし、少しは覚悟もしていたから。それに、人はいずれ誰しも死にゆくものよ。兄の場合、それが人の手によるものだったことは、未だに考えられないことだけれど、あなた達がそんな野蛮な世界をどうにかしてくれるんでしょう?私はこのままエデンで暮らし続けるだろうけど、カズハさんは本当に頑張ってね」

 エレナの笑顔は成人した女性のものとは思えない程に無邪気だった。カズハたちが世界を平和にしたいと述べれば、きっとそれは実現することなのだと疑いもしないようだ。兄を殺した人々に対して、もしくは争いに満ちた世界に対して、彼女が怒りを抱いても不思議なことではないのだが、とカズハは内心で思っていた。確かに、復讐の怒りによって別の死者を出してしまえば、それは永遠に終わらない哀しみの連鎖を作ることになる。平和の町の人間として、兄が他人に殺されようとも受け入れることが出来るのは、とても自然で美しいことなのかもしれない。ただ、エレナの純朴さに対しての兄の死という現象は、怒りではなくとも強い哀しみを運んでくるべき出来事のようにも思えた。彼女のような女性が、すんなりと兄の死を受け入れていることに、カズハの方が寂しさを覚えているのだ。それは自分の勝手なエゴだということをカズハは自覚していたが、身内の死を哀しんでいるような人々には平和の町など築けないと言われたようで、仕事をする手を止めてしまった。

「……どうかしましたか」

 そう声を掛けてくれたのは、甲冑を着た男だった。彼は廃墟群から毎日欠かすことなくその甲冑を身に付けていて、もう一人の男はエデンのおばあさんに白いレースの着物を着せられてから、ずっとその格好のままだった。自分から歩み寄って打ち解けようと思っていたカズハにとって、男の方から近付いてきてくれたのは意外で嬉しかった。エレナのことも考えていたところで、思わず感情が昂ってしまい涙が流れる。甲冑の男は自分が何かまずいことをしたのかと焦る表情を見せた。その顔を見ると今度はおかしくなって、カズハが涙を拭って微笑むと、男は訳がわからないように口をぽかんと開けていた。

「ごめんなさい。なんでもないの。ただ、あなたが話しかけてくれたことが、思ってたよりびっくりして、嬉しくなっちゃって。心配してくれてありがとう。ねえ、仕事はどう?上手くやれそう?」

「おかげさまで。喧嘩か畑仕事しか取り柄がないもんで」

 甲冑の男は恥ずかしさを隠すように声が小さくなった。彼は不器用だがそれなりに繊細な男のようだ。カズハは本当に誰とでも明るく会話ができる女の子だから、一度こうなってしまえば遠慮なく話し続けられる。大根の収穫作業の手は止めることなく、口もずっと止まらない。その様子は甲冑のもう一人をスムーズに会話の中に引き込み、出会ってから数日間分の沈黙を巻き返すかのように盛り上がった。もちろん、ほとんどはカズハの独壇場なようなもので、二人は相槌を打ったり頷くことしか出来ないのだ。

「ねえ、カズハさん、こっち来て!ほら、これ見てよ!」

 三人にも負けないくらい楽しげな声でエレナが手を振っていた。カズハはすぐに走っていくと、エレナが指差しているのは親指の二倍ほどもあるかのような巨大な青虫だった。滅多に見ない程の大きさにも驚くが、大人の女性が青虫ではしゃいでいるというのも可愛らしい。カズハは甲冑の二人も呼んで、四人で青虫を囲んで笑い合った。

「こんなので驚いてちゃいけないわ。カザーニィでは、こんな、握り拳みたいなダンゴムシだっているんだから」

「そりゃあダイオウグソクムシって言うんでさあ。あっしらの国にはそこら中におりますぜ。なんでも水族館ってのが昔はあったそうで、そこに住んでたのが人がいなくなって自由に這い回ってるんですよ」

「えっ、そうなの⁉世界一大きなダンゴムシを見つけたって、ちっちゃい頃にみんなが褒めてくれたのに」

 何てことのない状況、何てことのない会話。そんなもので笑い合える姿はまさに平和の町だった。ここでは全ての人が全ての人と手を取り合っている。旅人として訪れたばかりのカズハたちだって結び付けてくれたのだ。どんな人とも手を繋ごうとする勇気が平和の秘訣になるのかもしれない。カズハはそんな風に思うのだった。



「そうか。あの二人とはそんな因縁がね……。でも、君たちは無事に乗り越えることが出来たんだな」

「きっと、この町のおかげね。彼らもここで勇気をもらって、私のことを許そうと思ってくれたのだわ」

 午前中の仕事を終えると、十時頃から喫茶店へ昼食に集まるというのがエデンの人々の習慣だった。カズハたちもエレナに付いてきて、同じタイミングで来ていたエドワードたちと出会って食事を共にしていた。ちなみに彼はショウと二人で家具職人の元へ出向いていたようだ。

「そっちはどう?テーブルとか椅子とかを作ったりしたのかしら。平和の秘訣になりそうなことは見つかった?」

「今日は仕事の依頼がないからって砂集めばかりだったよ。ショウは作業場の観察に夢中で店まで連れてくるのが大変だった。彼はカザーニィにここの技術を持ち帰ってくれるんじゃないか?平和は結構だが、私に学ぶことがあったかと聞かれたら何もない」

「そうねえ、そんなにあっさり見つかってもね。ああ、そろそろ伝書鳩はカザーニィに着いた頃かしら。次の手紙の内容には平和の秘訣を見つけたって書けるようにしたいけど」

「焦ってもどうにかなるものではないさ。それに、君があの二人と仲良くなれたみたいに収穫がゼロという訳でもない。私も君には救われているんだ。それぞれ得たものは今の時点でも少なくない」

 エドワードはそのまま澄ました顔でコーヒーをすすったが、カズハは彼の言葉を聞き逃してはいなかった。とてもリラックスした様子のカズハは、何かをいう訳でもなくその目でエドワードに次の言葉を促した。青年は目を見つめられて頬を赤らめていた。こっそり感謝を伝えようとしたのだろうが、結局は根負けして話し出す。

「この町に入る前に、君は言ってくれただろう、あなたはずっと怯え続けているって。私は史上最年少で兵士長を任されたことで、何もかもに危険が潜んでいるという覚悟で日々を過ごしていた。君も同じような境遇にあったのに、君と同じように人々と気を許し合えなかったのは、私に心の余裕がなかったからだ。カズハみたいな人が心の内側を触りにきてくれたら、どんなに張り詰めた心も柔らかく解きほぐされていく。あまりにも潔癖すぎては大事なものまで拒絶してしまうということを、君は教えてくれたんだ。だからその、ありがとう、カズハ」

 エドワードは面と向かってお礼をするのに、愛の告白みたいな恥ずかしさを感じていたが、すっかり気を緩めていたカズハにだって愛の告白をされたかのような気恥ずかしさがあった。

「そんな、私なんてたまたま優しい人たちに恵まれただけだって……」

 町民ばかりで落ち着いた静けさの店内には、旅人たちだけにわかる甘さの空気が気配を匂わせていた。いよいよカザーニィの〝戦乙女〟もただの乙女になっちまうのか、とショウは甲冑の二人に愚痴をこぼし、カウンターの中で座る町長は眼鏡の中の瞳が見えない具合に微笑んでいた。

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