29話 Small Shock
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青年は目を覚ました。深い深い地下室の中、七つ並んだ最後の箱が役目を終える。彼も『希望の箱計画』に選ばれた一人で、二百年越しにその——海のように青い——目を開いた。
青年の反応は少女のそれと大きく変わらなかった。光を受けた瞳は痛みに襲われ、ようやく目が慣れてくると謎のガラスが目の前にある。反射して映る自分の姿を確認し、ガラスが開いて少し驚き、起き上がる為の力が入らないことに困惑している。
少女と違うのは、目の前に人が待機していたことだ。青年の入っている箱のガラスが開くのを確認すると、傍で待機していた男性はすぐに青年を抱えて起こしてくれた。まだ身体の動かない青年の為に服を着せてやり、ストローの付いたペットボトルを用意する。
「エドワード!」
青年の右隣りの箱に座っていた少女・和葉は思わず声を掛けた。今まで泣いていたらしく、目の下あたりが少し赤い。カズハ、大丈夫か。彼はそう言おうとしたが声が出なかった。掠れた喉が痛みを訴えている。エドワードはしがみつくようにペットボトルの水を飲んだ。二百年ぶりに喉を通る水でむせるように何度も咳き込み、声が出せるようになるまで深呼吸を繰り返した。待機してくれていた男性も背中をさすってくれる。全身の筋肉に力が入ってくるようになり、声の回復にもそれ程の時間は掛からなかった。
「はあっ、カ、カズハ。ここ、こおっ、ここは、地下室、なのか。何が起きて、っはあ」
エドワードの息もからがらな声を、和葉は寂しそうに聞いていた。彼も現状が把握できずに混乱したくもなるだろうに、まずは彼女を守ろうと必死に全身を動かそうとしている。脳からつま先まで、その命の全てを使うように。しかし今の和葉にも、現状を説明できるような言葉などない。彼女はただ黙って首を横に振った。
何が起きているのかを説明する力を待たない和葉の代わりに、エドワードの傍にいた男性が説明を請け負うことになった。和葉が『教団』の女性から聞いたものと、全く同じ内容が青年にも伝えられ始める。男性は出来るだけ単調にわかりやすい言葉を選びながらも、どこか希望に浮足立つ心を抑えきれないようだった。
「話はとりあえずこんなところです。それで、こちらの女性の本名は吉田和葉さんというのですが、これからはウリエルと呼んでいただきたい。そしてあなたはミカエルとなります」
「は?えっと、ミカエルとなります?」
「ええ」
エドワードは疑心を抑えもしない表情だったが、男性は特にこれといった反応はせずに、ただニコニコと微笑んでいた。
「……あの、僕にはあなたが何を言っているのか、これっぽっちも理解ができない。なにか、冗談の類ではないのか?『希望の箱計画』?『教団』?」
彼の反応はもっともだった。説明をした男性は、あなたには記憶障害がありますから、すぐに何もかも受け入れられなくても構いませんよ、と柔和に告げた。エドワードの表情はますます曇るばかりだった。
「記憶障害?何を言っているんだ。エイ国で生まれ育った記憶だって、カズハたちと出会って旅をして、エデンの町で町長と取っ組み合いをしたことだって憶えている。そりゃ、地下へと続く階段を降りて、それからどうなったのかは少し憶えていないが、二百年も夢を見続けていたのというのは何かの間違いだろう」
「いいえ、ミカエルさん。あなたはずっと人工冬眠なさっていたのです。これは紛れもない事実なのです。記憶障害というのは、人工冬眠前の記憶を一時的に失っているという意味です」
「いや、よくわからない……。あなたは何を言っているんだ。その話のどこに信じる根拠がある。本当は、ここはエデンの地下室なんでしょう?僕は暗い階段に身体を打ちつけながらもここまで降りてきた。その時の痛みだってまだ憶えている。これまでの全部が夢でしただと?国王は、ジャックは?エイ国そのものも夢?ダンゴさんたちも、町長も、エデンという町も夢なのか?」
「先程から申し上げているように、全部が夢です。町長というのが理想郷の長のことを指しているのなら、それはマスター・ブレインの分身になります。夢の世界を導く者として人の姿を取っていたようですが、他はみんな実在しません。ここにおられる七人の天使たちは、皆さん形ある人間に違いありませんが、現実とは違う立場で夢の世界に溶け込んでいました。あなただってそうなのです」
男性の言葉はマニュアルを読むように説明的で、世界の事実をありのままに伝えていることを主張していた。エドワードは頭の整理が追い付かなくなったのか、反論をやめてしまって茫然と一点を見つめていた。大きく両目を見開いて、迫り来る幾つもの感情に成す術なく立ち尽くしているようだ。和葉もまだ何も理解が出来ていない。ただ、理由もわからないのに涙だけは流れてくる。
「私どもの説明が真実であることを証明するには、とりあえず地上へ出るのが手っ取り早いと思われます。どちらにせよ、皆さんに世界の現状を把握してもらわなければいけません。私たちは早いところ理想郷創りに勤しみたいのですからね。ああ、ご心配はいりません。核大戦でどこの土地も一度は死にましたが、今では昔のような自然を取り戻してきていますよ」
男性の言葉を合図として、その場にいた人々はみんな立ち上がり始めた。話によると、ここは人工冬眠の為の地下シェルターということになる。目覚めた七人の天使たちは、ようやく地上の世界に降り立つ時を迎えたのだ。和葉はエドワードに近付き、その腕を取って立ち上がらせた。『教団』に関する話の真偽は、この部屋の外に出ていってみれば自ずとわかってくることだ。今は辛くとも立ち上がらねばならない。そして自分の目を持って真実を確認しなければならない。『希望の箱計画』だとか、理想郷の話を始めるのはその後だ。
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