30話 Truth & Will

 十九人が乗った高速エレベーターは、信じられないくらいに長い時間を掛けて地上へと昇っていった。人工冬眠装置、およびマスター・ブレインを守っていた地下シェルターとやらが、尋常じゃない程の地下深くに位置していたということは見当が付きそうだ。

 和葉とエドワードは様々な物を見た。AIと人工冬眠カプセルを取り巻く膨大な機械類、コンクリート製の無機質で冷たい壁や床、電気、暖房設備。カザーニィやエイ国に生きていた頃には、昔話でしか聞いたことのない高度文明の世界だ。

 しかし、彼女たちには記憶のどこかにそれらを見た憶えがあった(記憶にないだけで、それらの文明に囲まれて暮らしていたというのだから)。電気が点いたって驚かないし、エレベーターが高速で上昇し始めても取り乱さない。駆動音だけが響くエレベーター内では、誰もが厳かに俯いて一言も喋らず、いよいよ迫る新世界創造の為の心構えをしているようだ。和葉は何が夢で何が現実なのか、まだ理解できていない。ただ何よりも、真実を受け入れる覚悟を決めなければならないと感じている。

 静寂の時間は長く続いたが、決して永遠ではなかった。エレベーターが上昇していく駆動音は徐々にゆっくりと小さくなっていき、ついに停止して到着の合図を光らせた。赤いランプは和葉たちに、覚悟はあるのかと問い掛けているようだった。エレベーターのドアが開き、生き残りの人々が先に外に出て、天使たちが後に続き、最後は和葉とエドワードの番になった。和葉は少し迷ったが、エドワードの左手を取ると二人で一緒に外に出た。

 二百年ぶりの本物の風を受け、その爽快さに開いた瞳の前に広がっていたのは、見渡す限り一面に広がる雄大な草原だった。地表の多くが草木に覆われているが、そこらの地面はどこも歪な形の高低差を有している。確かに、核兵器にえぐられた地面だと思えば納得ができる形だ。青くどこまでも広がる空、自然だけがのさばる大地。エドワードは『教団』の話に真実味が現れてきたことに悔しさを覚え、和葉は眼前に広がる景色を驚いたような顔で見つめていた。カザーニィの周辺にあった草原、甲冑の国の人々と戦った土地と非常によく似ているのだ。

「ここが、現実の世界……?」

 はっきりと記憶が残っている十九年分の人生を、それは全部夢でしたと突然言われたところで、信じられることなど何もない。ましてや自分の記憶だけではなく、十九年を生きてきたはずの世界そのものが偽物だったと言われても、言葉では何も理解できないだろう。しかし今、目の前に広がる世界の色、匂い、温度、風、それら全てからは命を感じられる。和葉は、自分が今まで生きてきた人生を夢だとは思えなかったが、目の前に広がる世界が夢だとも思えなかった。

 『教団』を名乗る人々が途方もなく大きな嘘をついていて、本当はエデンの喫茶店の地下階段を降りた後の人生を生きている。そう考えた方がまだ救いはある。しかし、様々なことが『教団』の言葉は真実であると告げていた。人工冬眠装置や地下シェルター、麻痺したように動かなかった身体、和葉の髪が異常に伸びていること、エドワードの一人称が変わってしまっていること、地下階段を降りた二人が抱えている記憶の空白、そして、目の前に広がる世界。今まで眠っていて、長い人工の夢を見ていたと考えても、どこにも矛盾は見当たらないように思える。

「あれは何だ。随分と大きな、クレーター?核爆発の跡には見えないが」

 エドワードは少し遠方の大きな地面の穴を指差した。多くの地面はでこぼこな高低差があるのに対して、そのクレーターの部分だけは大きな穴のようにえぐれている。エドワードが口にした疑問に『教団』の生き残りの男性が答えた。

「あれは隕石が落ちた跡です。しかし、良い着眼点ですね。さすがはミカエルだ。あの場所に落ちた隕石こそが、あなたとウリエルの記憶障害を引き起こしたとされているものなのですよ」

「なに?」

「マスター・ブレインは様々な未来予測を行い、その全てを的中させてきましたが、核大戦の予言の後、その力は地球上の物事だけに注がれていたのです。我々の先祖である『教団』の人々がそのように求めからですね。その結果、マスター・ブレインは核大戦中に地下シェルターの近くに落ちてくる隕石のことは予測できていなかった。あの場所に落ちた隕石はそれなりに大きなサイズのもので、地下深くで計画を実行中のマスター・ブレインにも僅かな電波障害をもたらしました。あなた方に記憶障害が残ったのはそれが原因とされています」

 和葉は、遠方とはいえ肉眼で確認できる程の距離にあるクレーターを見つめた。カザーニィの近くの草原に、あのような大地の窪みはない。ここがもし、彼女が今まで生きていた世界と地続きのところにあるとするのならば、この草原にはカザーニィの国があるべきで、隕石の作ったクレーターなどが存在すべきではない。

「皆さん、あちらをご覧ください。我々がこの二十年近く暮らしている場所です。エデンが完成するまでは、今日から皆さんもあちらで生活していただくことになります」

 生き残りの男性は、一同が眺めていたのとは反対側を指差した。その声に従って誰もが振り返った時、和葉は目の前の風景に動揺せざるを得なかった。そこには、エデン探しの旅の道中にあった、が初めて人の命を奪った、あの廃墟群の姿が存在したのである。


 和葉の記憶に残っている廃墟群の場所は、カザーニィの近くの草原から歩いて三日分くらいは離れた所にある。しかし、目の前に見える朽ちた街々の姿は、どう見てもあの廃墟群に間違いない。

 『教団』の生き残りの十二人は、七人の天使の先導として移動を始めた。エドワードはこの景色に見憶えなどないので、素直に彼らの後を追って付いていく。対して和葉は、身体中がすくむようで動き出せなかった。まるで恐怖に怯える子どものようなか弱さだった。〝戦乙女〟などという異名が似合う姿ではない。和葉の中に、少し前まで抱えていた心の鬼が顔を出すのを感じた。右手には、戦闘時に手放さなかった短剣の感触が蘇えるようだ。

 一行はどんどん草原から離れていき、エドワードは足を止めたままの和葉の姿に気が付いた。彼には和葉の心の内など知る由もないので、何か特別な理由があるとも思わずに「行こう」と言って和葉の手を引いた。彼女は何とか動き始めた。しかし、心の内は穏やかでない。

 廃墟群には、歩いて五分と掛からずに到着した。そこで見える風景は、カザーニィの戦闘部隊が甲冑集団に襲われたあの時と何ら変わりがない。『教団』の人々は自分たちが住処としている旧ホテルまで道案内をするが、その足取りは廃墟群の広場へと向かっていた。甲冑集団のかしらの墓があるはずの場所だ。

 『教団』の男性は、何かと景色の説明をしているが、和葉にはその一言も耳に入ってこなかった。このまま歩けば、その広場には一つの細やかなお墓が存在しているだろう。彼女がこの手で人を殺めたことが事実であることを告げる証。その存在があるからこそ、彼女はいつまでもカザーニィの〝戦乙女〟なのであり、敵を殺し仲間と自分の命を守った人間として生きていく。その事はきっと、が世界で生きていく為には否定されてはならない事実だ。一人の男性が存在して、戦いの末に命を落としたという、が生きていく世界の証明が、広場には存在するはずなのだ。

 やがて一行は足を止め、旧ホテルがある廃墟群の広場へと辿り着いた。和葉も足を止めた。そして、周囲が朗らかな空気感で談笑する中、ただ一人だけ冷たい汗を流し、おそるおそる顔を上げて広場に墓の存在を探した。しかし、果たしてそこには、小さなお墓なんてどこにも見当たりはしなかった。


 墓がないという事は、彼女は甲冑のかしらを殺してはいなかった事になる。そんな男性など本当はいなかった事になり、彼女は戦闘部隊の隊長などではなかった事になる。戦闘部隊など存在せず、カザーニィという国もなく、そして、あの世界は実在していなかった……。そういう事になる。

「あれは、夢の中の世界……」

 様々な手掛かりと、ダメ押しの決定的証拠。これで決まった。

 『教団』の言うことは全て真実であり、和葉はずっと夢の中の世界を生きていたのだ。彼女にはその事実に逆らう術がなくなり、一つの現実として夢の世界を受け入れるしかない。受け入れると言うより、悟ることしか出来ない。世界は冷徹だった。

 すると和葉には、人工冬眠カプセルの中に入っていく自分の姿が脳裏に蘇った。これは、『希望の箱計画』実行前の彼女の記憶だ。記憶障害で忘れていた、十七歳までの記憶。吉田和葉として生きた十七年間の記憶が、彼女に蘇った。

 全身を電流が包むような感覚に襲われ、和葉は鮮明に過去を取り戻していた。今なら何の証拠がなくとも、『教団』の人々が言っていたことが真実だとわかる。和葉は思わずしゃがみ込んだ。脳の隅々までを駆け巡った衝撃に、身体が上手く対応しきれていなかった。

「大丈夫か、カズハ。どこか具合でも悪いのか」

 エドワードはすぐに彼女の身体を支えてくれた。彼は今も夢の世界の続きを生きている。ここは祖国エイ国と同じ世界にあり、二人はエデンの喫茶店の地下階段を降りた後、何かしらの事情があって謎の施設に運ばれたのだと思っている。

 しかし、彼は自覚していないが、身体はどこかで真実を憶えているようだ。一人称は自然と変化していたし、エイ国では見たこともないはずの文明に触れても驚きもしない。和葉はまず、彼を安心させなければいけなかった。二人はこの世界で唯一の仲間同士なのだ。和葉が信じられるのはエドワードだけで、エドワードが信じられるのもまた、和葉ひとりしか残っていない。青年の腕に支えられながら、和葉は口を開いた。

「ねえ、エドワード。一つだけ聞いてほしいことがあるの。身体の調子は問題ないけど、決して平気とは言えない。私たちには、辛いけど受け入れなければならない、圧倒的な事実がある」

 エドワードの表情に警戒の色が表れ始める。彼はまだ兵士長なのだ。エイ国という騎士道の国で、若くして国を守るエドワードなのだ。和葉は短く間を空けた。少しだけ深い呼吸をした。

「あのね、この広場は、私がエイ国に到着する前に、旅の途中で通った場所なの。前に甲冑の国の人々に襲われたって話したと思うけど、それがここなの。私たちは人質を取られ、何とか相手を組み伏せることには成功したのだけど、私が抑えていた男の人は火薬を使って自決しようとした。私は咄嗟の判断で彼を殺した。そうすることによって私たちの命は助かり、彼の墓をこの広場に作って、私たちは旅を続けることが出来たの。でも、ここにはお墓なんてどこにもない。そして、この広場にお墓が存在しないのを目にして、私は忘れてた記憶を取り戻した。私の名前は吉田和葉。『教団』の人が言っていたことは、残念ながら全て事実よ。私たちは今まで夢の世界にいた。この十九年間の記憶は、全部頭の中にしかない偽物の記憶なの……」

「……偽物の記憶……」

 エドワードは小さく呟いて、和葉の目を見つめて、それから何かを考えるように目を閉じた。

 今、不安を覚えているのは和葉の方だった。もしも彼が何も信じてくれなくて、彼女がこの世界でひとりぼっちになってしまうのなら、それ以上の暗闇はない。和葉はエドワードを信じつつも、どうか話を受け入れてほしいとどこかで祈っていた。そして青年は目を開いた。溜息が出そうなほどに美しい表情だった。

「では、一つだけ聞かせてほしい、和葉。君の言うことも『教団』の言うことも全てが事実だと仮定すると、僕らはこれからエデンの町を創り上げなければいけない。君はどうしようと思っているのだ。一度は滅んでしまった世界と人類の為に、平和なるエデンの町を創り上げるのかい」

「いえ、違う。それは違うわ、エドワード。私たちは今のところ、エデンの町の平和のあり方に納得できていない。あの町に違和感を覚えたのは、夢だったとしても本当よ。この気持ちを抱えたままでエデン創りをやっていくつもりはないわ」

 和葉の真っ直ぐな声を聴くと、少しの時間エドワードは瞬きもせずに和葉を見つめていたが、何か納得がいったかのように真剣な表情を崩して微笑んだ。和葉は涙が出そうな程に嬉しくなった。温かいものが心臓を覆う感覚があった。

「よし、わかったよ和葉。君を信じて、この世界のことも信じよう。この十九年間のことは残念ながら夢での出来事で、これから僕らは現実を生きていく。その覚悟をしようじゃないか。ただ一つ言わせてもらうけど、今までの出来事が夢だったからって、その記憶が偽物だなんて思わなくてもいいじゃない。夢として経験した、記憶自体は本物だよ」

「あ……。そうね、うん、あなたの言うことの方が正しいわ。ごめんね、ありがとう、エド」

 そして二人は笑い合って、エドワードは抱きかかえるようにして和葉を立ち上がらせてくれた。和葉もこの上なく辛い立場にあるが、記憶の戻っていないエドワードは拠り所とする真実もなく、もっと苦しいことだろう。しかし彼らは事実を受け入れた。今その足で地を踏む世界で生きていく為に。エデン創りを看過することで、夢の中の仲間たちを裏切ってしまうことがないように。〝戦乙女〟と兵士長の姿がそこにはあった。


 二人が決意を固めて一行に合流すると、『教団』の男性は七天使を旧ホテルの中へと案内し始めた。彼はただ、平和な世界を創り出してくれるであろう七天使の存在を信じているのみである。これから実現していく平和の世界を、ただ純粋に夢見ているだけなのである。

「皆さん七天使は、夢の中では二年の時を過ごしたことになっています。これは核大戦が続いた期間と丁度重なるようになっていますね。夢の中の祖国で生まれ育った記憶というのもありますから、人工冬眠に入る前の年齢分の記憶と合わせて、〈2X+2〉年分の記憶を皆さんは有していることになります。私たちはこれから、皆さんが人工冬眠していた時間、核大戦の二年という期間も含め、二百二年分の世界の出来事をお話ししていこうと思います。全部の年月を合わせると、相当な時間の記憶を皆さんはその身に受け入れなくてはなりません。それは、この上なく大きな負担になるだろうことは想像が付きますが、どうか世界を理想郷に導く為、選ばれた天使たちとしてご協力願います」

 和葉とエドワードを除いた五人の天使たち——夢の中のエデンの住民と照らし合わせると、エレナとネズ、ヒロキに声を掛けた女性とブドウ畑で仕事をしていた若い男性、そして二人にも見憶えのないかなり太った男性——は、何かを悩む素振りもなしに微笑み顔で頷いた。まさに夢の中で見たエデンの人々が現実に現れたようである。

 和葉は隕石が落ちた跡というクレーターの姿を思い出した。あの場所に隕石が落ちる事さえなければ、自分は今頃どうしていたのだろう。五人の天使たちと同じような言動をしていたのだろうか。『希望の箱計画』とやらの目的を果たす為に、夢の中の仲間たちの事はすぐに忘れて、『教団』の生き残りの人々たちを平和の世界へと導いていたのかもしれない。夢の中でエデンに辿り着いた時に、ここは素晴らしい平和の町だと手放しで喜んだであろう。いや、電波障害なんて起きなければ、そもそもカズハたちもエデンの町で生まれ育っていたはずで、本来はカザーニィなんて国は存在しなかったかもしれない。あの場所の人々はみんな喜怒哀楽に満ちていて、そのせいで喧嘩や言い争いをすることもあったが、何よりも大切な温もりを持っていた。戦争どころか口喧嘩もしないエデンの人々を、それが人類の目指す理想の姿だとは和葉には思えないのだ。

「十七歳の身体。十九歳の心。三十六歳分の記憶。二百十九歳の、生き物としての年齢……」

 進まなくてはいけない。突然の出来事で、ダンゴたちやカザーニィに残してきた人々たちが、まだ私の事を待っている気がする。急いで戻りたくもなるが、諦めなければいけないこともあるのだろう。大丈夫。素敵な夢から覚めれば二度寝したくもなるだろうけど、起きたら起きたで良いことがあったりもするものだ。人類は生き残っていたのだから、これから何だって出来る。どこに進めばいいのか、真の平和が何かはわからないが、確かにわかっていることは一つある。怒りや悲しみを失ったエデンの町のよりも、喜怒哀楽に満ちたカザーニィが、私は好きだ。


 現実世界の十七年分の記憶と、夢の世界の十九年分の記憶が重なる。彼女は両方の世界を生きた記憶を持って、〝戦乙女〟がどこへ向かって行けば良いのかを決断することにした。好みの問題でエデン創りを否定はできないが、納得できていないのにエデン創りを進めていく訳にもいかない。まだ悩むべきだ。悩みながらも進み続け、信じられる道を模索していく。和葉の意志は決まった。群衆を導く自由の女神は、どんなに傷付いていても旗を掲げることをやめない。

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