34話 The Wonder of You **

「さすが、お二人らしい結論だというところですね。あなた方を七天使の中から選んだことを良かったと思わせてくれる。私がお二人に言えることは、何一つ変わりありません。正しいことなどいつの時代も誰にもわかりはしない、それでもあなた方が自分を信じ続けることが出来るのなら、その信じた道を進み続けろ。それだけです」



「ああ、何だかとっても温かい気分。ここまで話をしに来たのは正解だったわ」

「こちらこそ。お二人がどのような選択をするのか気掛かりだったのです。ここにいるだけでは地上の情報を得られませんからね。誰かに出向いてもらわなければ、今の私は話も出来ない」

「その分だけ出来ることが他に多い訳でしょう。何も悲観するようなことではないわ。さて、これから何をどうしていきましょうかしら。まずはそうね、地上に上がったら『教団』の人々に謝らなくてはいけない。私の過去の不誠実が原因で、特にあの男性には気の毒な想いをさせたわ」

「おや、カズハさんは記憶障害が残っていないのですか?私の診察ではお二人ともに異常が見られたはずですが」

「ああ、いえ、記憶障害はありましたが、思い出したのです」

 和葉は廃墟群で墓を見つけられなかったというエピソードを話した。マスター・ブレインはもう、地上の出来事を知る力を本当に失ってしまっているのだ。

「なるほど。カザーニィの〝戦乙女〟は、昔の怠惰な自分を思い出しても歩みを止めることはなかった訳ですね。あなたはとても強い人だ。カザーニィの人々は、私にとっても最高の希望となる存在ですよ。それで、エドワードさんはまだ記憶が戻っていないということですね?」

「ええ、僕はまだですが、和葉の話は全て事実であると信じていますから、この世界が夢か現実かなんて、もう疑っていません。自分でも気付かない内に一人称を私から僕に変えてしまっていたし、過去に今とは違う自分が存在したというのは、確かなことだと思っています」

「そうですか。しかしエドワードさん。あなたのその僕という一人称は、夢の中の初期に用いていたもの、つまり隕石が落ちてくる前に、皆さんがエデンで暮らしていた時に使っていたものの名残りですよ。エイ国でのあなたは私と自らを呼んでおり、人工冬眠前のあなたは俺という一人称を使っていました」

「なに?」

 エドワードは驚いて、逞しい眉をくっつきそうな程に寄せた。しかし冷静に考えてみれば、マスター・ブレインは人工冬眠前の人々を知っている。和葉やエドワードのことを本人たちよりも記憶しているはずだ。

「それは、えっと、あなたは、昔の僕のことを知っていると言うのですか?」

「ええ、もちろん。計画に参加する七人を選んだのは私ですし、人工冬眠の為に皆さんからは多くのデータを提供してもらいました。まだ記憶が取り戻せていないというのなら、私が教えて差し上げることも出来ます。人工冬眠の前、十七年間を生きたエドワードはどのような人物だったのか」

 エドワードと和葉は息を飲み、思案するように互いの表情を見た。エドワードは幾分か不安そうな気配もあるが、和葉は話を聞くことに積極的な様子だ。

「いいじゃない、ぜひ教えてもらうべきよ。わからないことを知る機会があれば、それを辞退すべきではないわ。大丈夫。もし、昔のあなたが猟奇的な殺人鬼だったとしても、道徳心の欠片も持ち合わせていないサイコパスだったとしても、この場から逃げ出さずに話し合う覚悟が私には出来ている」

「いや、まあ、そんなことはないと思うが……。自分の知らない過去の自分というのは、やはり少々恐ろしいものだな。でも、そうだ、知らないままで済ますつもりはない。教えてください、マスター・ブレイン。二百年前のエドワードという人間のことを」

「わかりました」

 マスター・ブレインの返事は、とても冷静で事務的だった。彼が機械であるという事を久しぶりに実感させてくれる。少し表情が硬くなっていたエドワードを見て、和葉は当たり前のように手を差し出した。二人にとって手を繋ぐことは心を安らげる為のおまじないだ。エドワードは救われたように気を緩めてその手を握り返した。

「私の客観とあなたから受け取ったデータを元に話します。まずは、少しだけご両親のお話をしましょう。ご両親はあなたが生まれるよりも前に『教団』に入っていまして、二人はそこで知り合いました。素直に申しますと、少しろくでもないというか、あまり善良な人たちだとは言えないような人間でした。しかし、特に犯罪に手を染める訳でもなく、少し弱くて少しずるい、そんなご両親です。善良でなくとも、あなたの面倒はよく見ていた印象があります。明るくやんちゃな、若い親たちといったところです。そしてあなたは、ご両親とは似つかないような人に育っていった。お二人を反面教師として捉えて、だからといって反抗的な態度を取っていた訳ではありませんでしたが、二人の分までも善良であろうとするような子どもでした。ボランティアなどの慈善事業に深い興味がおありだったようですよ。しかし、あなたが十四の頃でした。私による核大戦の予言があった年です。その時から『教団』はエデンの思想を主体に活動を始めましたが、ご両親はその考え方に納得できなかった。彼らは言ってしまえば煩悩の塊りみたいな人間でしたから、無欲でつまらない人生を望みはしなかったのでしょう。以前から『教団』内でも問題のある人々だと考えられていまして、『教団』を抜けると言った時には一部の人間と激しく揉めたようです。それがどういう内容だったのかは詳しく把握しておりませんが、ちょっとした問題にまで発展して、がぜん二人は『教団』をどうしても抜け出そうとしていました。そして二人はある日、なぜか家族の中でも二人だけで、住んでいた家からどこかへ消え去ってしまいました。エドワードさんが寝ている間の出来事で、あなたが朝に起きてまず目にしたのは、エドワードを『教団』に捧げるから、二人の事は探さないようにしてくれという書き置きでした」


 マスター・ブレインは少しだけ話を止めた。エドワードは記憶を取り戻し始めているのか、無表情でどこか一点をじっと見つめていた。和葉は雲行きの怪しい話の流れに少し心配しながらも、彼に寄り添う為に握る手に力を込めた。

「彼らと揉めていた『教団』の人々は、ご両親に苛立ちを隠せないようでした。しかし、だからと言ってエドワードさんに何かしようという訳ではなかった。あなたは自他共に認める被害者でしたからね。あなたは激しい怒りと憎しみを抱え込むことになりました。それまで善良であろうとしていたことの反動のような怒りに、当時のあなたはそのストレスをどこにぶつければいいのかわからず、ほとんど八つ当たり的に『教団』も嫌っていました。ご両親と揉めていた人が汚い手を使って二人を追い出したという、根も葉もない陰口を気にして、様々なものが信じられなくなりました。それから三年が経てば少しは落ち着いていた様子でしたが、計画に選ばれたことであなたはどこか失望しました。どれだけご両親や世界が憎かろうとも、核大戦で死ねば全部が終わるからそれでいいと思っていたのに、あなたは生き残って『教団』の思想通りに生きなければいけなくなった。ご両親に感じていたのと同じくらいの怒りが、『教団』と、そして私に向けられました。それでもあなたが計画に参加したのは、エデン創りを妨害して『教団』を絶望させる為です。人工冬眠から目覚めるまでは従順に計画を進めて、エデン創りが始まった暁には全力で妨害行為に至ろうとあなたは考えていました。そして人類が滅びてしまえば、それであなたの復讐は完了です」

 マスター・ブレインは、赤い球体の中の光を揺らすこともなく、ただただ冷静に青年の過去を語った。語り部としての公正な態度であり、エドワードのことを一番に思えばこそ、感情を抑えた口調を選んだのだ。エドワードはひたすら一点を見つめていた。彼は何もかもを思い出してしまったのかもしれない。このまま物事が悪い方向に向かうというのなら、彼は取り戻してしまった記憶によって、過去の激しい怒りに身を焼かれることになるだろう。

「あの、ねえ、エド。もしかして記憶が蘇ってきた?」

「……ああ。今、頭に浮かんでくる情景が過去のものだというのなら、僕は記憶を取り戻している。そして、これだ。心臓の奥底から湧き上がってくるような感覚。両親と『教団』、そしてマスター・ブレイン、あなただ。僕を取り巻いていたものの全てが憎いことを僕は思い出してきたよ。理性じゃどうにもならない。人間としての、この気持ちが、どうしようもなく、抑えきれない」

 エドワードは左手で胸の辺りを掴み、自分から出てくる何かを抑えるように身体を折り曲げ、和葉と繋がる右手には強い力が入った。彼の心に住む復讐の鬼だ。夢の中の頃よりも痛みになれていない和葉の身体は、咄嗟に声を上げそうになったが彼女は我慢した。この世界に残った唯一の仲間として、彼が何者であろうともこの手を放す訳にはいかない。和葉は握る左手に力を込めた。エドワードとは別の感情で、それでも同じくらいに強い感情を糧として。

「なあ、マスター・ブレイン。なぜそれを正直に話したのです。それに、僕の思惑を知っていながら計画に参加させたのはどうしてだ。あなたにとって都合のいいことなど何一つとしてないだろう」

 エドワードは和葉が手に力を込めてくれるのを感じていたが、今はその優しさに構えるほどの余裕を持ち合わせていなかった。彼は姿勢をかがめながらも、睨み付けるようにしてマスター・ブレインを見た。青年にはまだ、兵士長としての精神が根を張っている。

「あなたなら復讐を愚かなことだと悟ってやめるだろうと思っていた、と言えば格好付けすぎでしょうね。今はそう信じているのも事実ですが、当時の私が何故あなたを計画に参加させたかと言いますと、エデンの理想郷としての力を信じ切っていたからです。人工冬眠前に抱いた復讐心など、エデンの平和の中では些細な気の迷いにしかならない。そのことを信じていたからこそ、特に気にも留めるつもりはありませんでした」

「なるほどな……」

 何をどう言われたところで、この怒りはどうしようもなく込み上げてくる。そしてその怒りは、ほとんど無関係であるはずの今の『教団』の人々に向けるか、計画に選んだという因縁があるマスター・ブレインに向けるか。しかし、彼の知性は感情を抑え込もうと必死だった。あくまで紳士的であろうと、兵士長のエドワードは己を律しようとしていた。だが、一度発生してしまったその感情はエネルギーとなり、そのエネルギーは発散して別の形に変わらなければ怒りのままだ。和葉の手を強く握る程度では彼の怒りは物足りない。もっと強い行動に出なければいけない。

「エドワード。今はどうか落ち着いて。あなたは大丈夫よ。過去には愛しい人々から裏切られ、あなたに仲間はいなかったのかもしれない。でも、ただの夢でしかないのかもしれないけど、あなたには多くの仲間がいたじゃない。そして、今は私がここに残っている。大丈夫よ、復讐なんかしなくても、あなたの怒りは別の形で私にぶつけたっていい。とにかく今は、昔とは違ってここに仲間がいると考えるの。私は永遠にあなたの味方よ」

 和葉は力強く青年に声を掛け、エドワードは温かい少女の顔を見つめた。その瞳には荒々しさが宿る。どちらかと言えば睨んでいるようだった。和葉は少しだけ怖くなったが、それ以上に強い彼への愛情で立ち向かおうとした。

 すると、エドワードは二人で握っていた手を振りほどき、そして両手で和葉の両手を強烈に包み込んだ。睨んでいるというよりは真剣さが滲み出る目付きに変わって、両手を強く握りしめた。その行動に、怒りの感情が含まれているようには見えない。荒々しさというものも見受けられない。和葉は何をされているのかよくわからずに、されるがままに動かなかった。

「そうだ、和葉。僕と君はこの世界で唯一残っているお互いの仲間だ。僕は夢で宣言したのと変わらない、この命を捧げても君を守る。そして君もだ。これからの君の生涯を捧げて、僕の傍に居続けてくれ。これは愛の誓いプロポーズだ、和葉。僕と結婚してくれ!これからは妻と夫として、新しい世界で生きていくと誓ってくれ」

「は、ええ⁉︎」

 突然の彼のに、和葉は自分でも見たことがないくらいに狼狽えていた。エドワードはどうしようもない怒りのエネルギーを、求婚の言葉に込めて放ったのだ。これが受け入れられたなら、その喜びが怒りの代わりをしてくれる。マスター・ブレインは「おめでとうございます、ご両人」と、まだ和葉の返事も聞いていないのに祝福を始めていた。和葉は手が熱くなり、心臓の鼓動が早くなり、頬を極端までに赤らめた。彼女はエドワードの顔も見れなくなっていた。「でも、そんな急に言われても……」とか弱い乙女の声を出している。エドワードは「和葉、僕の妻になってくれ」と、さらに両手の力を込めて言った。和葉は自分の中の狼狽や驚きが、徐々に幸福へと変わっていくのを知った。急な展開で、事態を認識するのに時間が掛かったり恥ずかしさが湧き上がってきていたが、彼女だって自分の気持ちはわかっている。和葉は目を細めながらもエドワードと目を合わせ、弱々しい声で彼に伝えた。

「あの、私の方こそ、よろしくお願いします……」

「ああ、ありがとう、和葉!」

 エドワードは珍しく満面の笑みで顔を輝かせて、我慢できないように和葉を全身で抱きしめた。和葉は彼の行動ひとつひとつにドキドキしながら、抱きしめられている彼の大きな体の中で、そっと身を任せて涙を浮かべた。マスター・ブレインは赤い球体の中の光を可能な限り強く光らせて、二人の婚約を盛大に祝おうとしてくれていた。

「うむ、やはり人間のエネルギーは想定の範囲に収まらないものですね。おめでとうございます、和葉さん、エドワードさん。今のこの世界では結婚式などそう簡単に出来ませんよ。お二人が『教団』とは別の道を行くというのならなおさらです。いかがでしょう、ここで私が神父の役を務めさせていただきますから、婚姻の儀を執り行ってはどうですか」

 マスター・ブレインのその提案に、訳もなく和葉は首を振った。しかしエドワードはありがたいとばかりに提案を受け入れ、またお願いし、和葉の手を取って二人で立ち上がった。和葉は何が起きているのかも、自分が何を考えているのかもよくわからなくなってきた。別に、ここで結婚式をすることに異論なんてない。でもなぜか、恥ずかしさ故なのか、意味もなく身体が抵抗しようとする。そんなことはおかまいなしの様子で、マスター・ブレインは神父としての文句を二人に告げている。「誓います」とエドワードが言い、和葉も愛を誓うかと尋ねられた。和葉が両手で顔を覆いながら狼狽えていると、マスター・ブレインはもう一度同じことを尋ねた。

「どうですか、和葉さん」

「和葉」

「……誓います」

 彼女はやっとのことで声を振り絞り、二人の間には愛が誓われた。次に用意されているのは誓いのキスであり、エドワードは優しい力で和葉の両腕をそっと下に降ろさせた。和葉は真っ赤な顔をどうにか勇気付け、顔を上げてエドワードを見つめた。「では」というマスター・ブレインの掛け声があり、和葉は一生懸命に目を閉じた。エドワードは微笑んで彼女の肩に手を置き、少しずつ顔を近付けながら、そしてゆっくりと目を閉じた。

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