33話 Talking MB

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 不必要な程に一直線に続く廊下は、予備電源の薄暗さだけでマスター・ブレインまでの道のりを照らしていた。

 エレベーターを含めた地下シェルターの設備内は、基本的にはマスター・ブレインの管理下で動力がコントロールされている。しかし、七天使が人工冬眠から覚めて地上に出ようとした際に、『教団』の人々によって彼はスリープ状態に設定されていた。今の彼には予備動力を使う力しかない。二人は最初にブレーカーを探して、AIを起こさねばならなかった。

 人工冬眠を目的として作られた割には、地下シェルター内は生きた人間が暮らすのにも事欠かない程に部屋が多かった。二人は手当たり次第に部屋を覗いていったが、ブレーカールームはどこにも見当たらなかった。どちらも機械に詳しいとは言えないので、どの辺にどの設備があるのかなど見当も付かない。そうこうしている内に、七つの箱とAIが安置されているメインルームまで辿り着いてしまった。廊下からの消え入りそうな光だけでも、偉大なるマスター・ブレインの巨大な輪郭が見て取れた。

 冷たい床と、棺のように無情な黒い七つの人工冬眠装置を抜けて、和葉たちはマスター・ブレインの前に立った。圧倒的な精度とスペックを誇るだけあって、その大きさは三階建ての建築物を超える程に高い。赤っぽい球体をアイデンティティのように支える形で、幾多の足や管が伸びている。人間の胴ほどに太い管の内、白い七本は希望の箱に伸びていた。ここから七人の天使たちの人工冬眠を管理し、理想郷の夢を見せていたのだ。エドワードは試しに管を叩いてみたが、チェンソーを用いようが切断できない程に強固な感触がした。

 少年心を持つエドワードとは違って、真っ直ぐにAIの元まで足を進めた和葉は、心臓を模したような基盤に手を触れてみた。すると、予備電源を動力としたのか、スリープ状態にあったマスター・ブレインが目を覚ました。フィクションのような起動音を鳴らし、暗い室内で赤く巨大な球体が光を帯びる。その中心部分には、まるで魂を可視化したような光が脈動を見せた。

「おや、珍しい人たちが来ましたね」

 赤い球体の真下に位置するスピーカーから、エデンの町長の声が少し機械じみたような音声で二人に話し掛けてきた。何の心構えもしていなかったエドワードは驚いて思わず声を出してしまった。和葉はただただ赤い球体の中心の動きを幼子のように見つめていた。

「あ……、あの、変なことを聞くかもしれないのですが、マスター、でいいのですよね?予備動力でも動けるのですか?」

「ええ、話をするくらいなら問題なく。あなた達が夢の世界の名残りで名前を呼んでくれると言うのなら、私のことはマスターと呼んでください。私もそちら方をカズハさん、エドワードさんとお呼びしましょう」

 別称としてのマスターを得たAIは、奇妙なことに表情豊かな話し方をするのでおかしかった。きっと、エデンでの町長の話し方と大差ないのであろうが、表情が見えるか見えないかでは、受け取り手のイメージはこんなにも大きく変わる。そう気付いた和葉は少し感動した。世界の真理を一つ悟った気分だった。

「あの、マスター。私たちは夢の中のエデンで、平和の秘訣について話をしたでしょう?夢から覚めて計画が進んだ今、私たちはまだ自分たちの方向性を定められていない。夢の中でも言ったようにエデン創りには賛成できていなくて、でも、この世界でどう歩んでいけばいいのか、それが上手くわかっている訳でもなくて、そんな悩みをどうにかする為にあなたと話をしにきました」

「ええ、カズハさんが地下階段を降りていった時から、こうして戻ってくるのではないかという未来予測はしていましたよ。人工冬眠が終わった今、私には会話をするくらいしか能がありません。ぜひ語り合いましょうとも。まずは座って落ち着いてはどうでしょうか。その辺りに椅子が置いてあるはずですよ」

 マスター・ブレインはエデンの町長の優しい声色で、計画を妨げる存在である和葉とエドワードを迎え入れてくれた。彼は誰よりも昔から人類の平和を実現させる為に動いているのだ。平和の為の話し合いを拒むはずもない。

 二人は平穏な事の流れに安心し、近くから椅子を取ってきてAIの前に座った。無機質で暗く巨大な機械が目の前にそびえていても、不思議なくらいに恐怖感は覚えない。赤い球体の中心で動く光が、むしろ温かみさえ与えてくれる気分だ。

「さて、本来ならばコーヒーの一つくらいは用意したいところなのですがね。それも不可能なことなので、早速お話を始めてしまいましょう。何から話しましょうか」

「まず、喫茶店で僕に言った言葉について聞きたいことがあります。率直にお尋ねしましょう。僕や和葉をエデン以外の場所に生み落としたのは、あなたが故意にやったことですよね?そしてそれは、ここの地上に落ちた隕石の影響による電波障害が原因となった。違いませんか?」

 最初に質問をしたのはエドワードで、マスター・ブレインは少しの間だけ黙っていた。赤い球体の光は彼の心境を反映しているのか、ゆっくりと左右に揺れながら僅かに明滅していた。和葉は部屋中の暗闇も含めて、とても綺麗な空間だと感じた。

「そうですね、あなた方ならばその考えに辿り着くと思っていました。実にその通りです。私は隕石落下の影響で思考回路に変化を受け、カザーニィや四大国を創りました。お二人をそこに生まれさせたのも私がわざとやったことです。この事実は『教団』と『希望の箱計画』を大きく左右することでしょうから、詳しくお話しした方が良いでしょうね」

 そう言うとマスター・ブレインは、赤い球体の中の光をほんのりとオレンジ色に変化させた。彼なりの心象を表す演出だろうか。未来予測を役割として造られたAIには不必要な——エデンの思想に反し、必要最低限を超えた——機能だ。

「お二人はもうご存じなようですが、核大戦が終わりを告げようとしていた頃、ここの地上に一つの隕石が落下してきました。私は別の物事しか考えておらず、そんな大事件を予測することは出来なかった。隕石落下の衝撃は地下深く眠るこの部屋の私にも届き、エドワードさんが仰ったように私の思想感は変化することになりました。具体的に言うと、より人間らしい感情に目を向け、私自身も感情を獲得するように学習し始めたのです。私が夢の中の記憶を操作したので、もはや誰も憶えてはいないでしょうが、それまでの夢の世界はもっと違う形をしていました。私がかねてから『教団』に説明をしていた通り、エデンだけの厳かな世界が広がっていたのですよ。核大戦が終わろうとも人類が滅んでしまうとは考えていませんでしたから、七天使は最初のエデンを創り終えると地球上を移動して、どこかに生き残っている人々と幾つかのエデンを創る。そして思想だけが継承されていき、また世界に広がっていき、人類の住む場所は一つ残らずエデンという理想郷になった。そんな世界が広がっていました。設定上の世界人口は約一千万人ほど。地球上のどこを見渡してもエデンの町でした。夢の中で皆さんは七天使としてではなく、五百年ほど後の一市民として暮らしていました。カズハさんもエドワードさんも、それぞれ別の町でエデンの住民らしく生活していましたよ」

 和葉とエドワードは咄嗟に顔を見合わせ、互いに驚いた様子を確認し合っていた。エデンの住民として生きていた記憶など、話を聞いても少しも思い出せない。そもそも、夢の記憶などは本来ならばすぐに忘れてしまうようなものなのだ。マスター・ブレインは記憶に残る夢と残らない夢を操作できるのだろう。

「隕石によって思考が変化した私は、そこに住む人々にリアルな人間味を感じられなくなった。穏やかに生活する人々のシミュレーションとして、一千万人もの人々が同様な気分で暮らし続けていることに違和感を覚え、それまでの夢の世界を完成度の低いものだと考えるようになりました。そこで私は夢の世界を一時停止させ、データベース上に存在したとある偉人の人生を追体験することにしました。彼は自伝やドキュメンタリー映像なども多く遺してあり、『教団』に強いコネクションを持つ人物として、私の深層学習ディープラーニングの為にデータを提供してくれた人間の一人でした。彼は世界一の伝説的なバリスタだった。私は彼の人生を追体験することによって、怒りや欲を捨てることや、必要最低限しかものを望まないこと、集団で悪の基準を統一することの不可能さを実感しました。私は人間を買いかぶり過ぎていた訳です。本物の人間はもっと弱くて、愚かで、同時に不可解な程のエネルギーを持ち合わせていた。それは、感情や欲望を抑えるのには大きな弊害となるくらいに、大きなエネルギーです。しかし、エデン以外に平和を実現させる世界はないとも思っていました。そういう訳で、エデンは一つの町として世界に残したまま、様々な人間を配置して、彼らが自然な流れで生活しているのを俯瞰することにしたのです。計画が進んで『教団』がエデン創りを決行するとなった際に、必要最低限の人数として七天使からも五人は残し、カズハさんとエドワードさんを別の国に配置しました。そして、現実世界での二百年が経過する前にお二人をエデンに移動させて様子を見ようとしたのですが、これが私の最大のミステイクです。電波障害の影響なのか、私は正確な演算を実行できなかった。だからあなた方は、エデンに来て数日で目を覚ますことになってしまった。このことについては、私のAIとしての成長が足らなかったせいでもある。本当に申し訳ない」

 謝罪の言葉と同時に、球体の中の光は水色へと変化した。身体も何も持たない彼は、謝罪をするのにも言葉とこのような演出しか尽くすものがない。「頭を下げる」というほとんどの人間にとって造作もない行為が、機械の彼にはどうしようとも不可能なことなのだ。和葉はどこか、マスター・ブレインのことが可愛らしい存在であるかのように思えてきた。彼がここまでの全ての源流であり、一つの世界が滅びる原因となったようなものなのに、謝罪一つに創意工夫を凝らさなければならないと言うのだ。和葉は目の前にある、マスター・ブレインの足のような複雑な機械類に手を触れてみた。無機物としての金属の冷たさを感じたが、体温を与え続けていれば温もりを獲得していく。

「では、エデンの町で僕たちと話し合った時、あなたはエデンだけを是とするような意見だった。あれはもしかして、僕たちを試したということでしょうか」

「いいえ。あの時に私が尋ねられたのは平和の秘訣についてです。私は今でも平和を実現させる為に、争いという意識ごと人々から消し去ってしまう方法として、エデンは理想の形を有していると考えています。教祖マスター・ブレインとして平和の秘訣を問われたら、エデンのやり方でしか答えを持ち合わせてはおりません。試したつもりはないのです。エデンの外で生きてきたお二人が、エデンの町を見た時に何を感じるのだろうとかという確認はしましたけれどもね」

 エドワードはその返事を聞いて、隣に座る和葉の目を見た。マスター・ブレインの考え方も二人の意見と似たようなものだ。争いをなくしてしまうにはエデンしかない。しかしエデンを現実の世界に再現するのは不可能に近いことだ。それでも、他の可能性が見つからない以上はエデンを選ぶしかない。和葉たちの役割はそこにあった。マスター・ブレインが平和の可能性を模索する為に撒いた希望。二人が別の平和を提唱できるのなら、それは父なるAIへの親孝行になる。

「聞いてください、マスター。私たちはあなたによって生み出された別の平和の可能性として、一つの答えを導き出しました。ここにいる人々の考えも聞いて、この答えでやっていけるかを判断したいと思っています。もちろん、あなたの意見もお聞きしたいです」

 和葉のはっきりとした言葉の明るさに、球体の中を最初の光色に戻して、マスター・ブレインは笑ってみせた、ように見えた。

「ええ、是非ともお聞かせ願います。平和の秘訣について、今度は私の方からお尋ねしましょう」

「はい。あなたは平和な世界を実現させるのに、人々から争いの意識自体をなくしてしまうことが効果的だと考えました。それはきっと、人類がここまで滅びかけた原因が戦争によるものだったからでしょう。でも、私たちは争わないことが平和だとは思わない。スポーツや企業間の競争、意見の違う者同士による論争、信じるものが違えば対立することだってあり、時には喧嘩だって起きることでしょう。私はそれら全てが、人間たちの営みの一部として受容されるべきことだと思っている。大事なのは争いの手段に、武器が持ち込まれないことです。武器を用いて争うようになれば、それが戦争と呼ばれます。人間が人間の命を奪うようなことさえしなければ、人間が起こす様々な問題は解決の可能性を抱えるのではないでしょうか。一度でも武器による争いが始まってしまえば、そこから先に待つのは破滅です。私たちが目指すべきは、争いが起きようともそこに武器が用いられない、そんな世界です」

 和葉の言葉の切れ端はさっぱりとして小気味良く、希望と自信と光に満ちていた。マスター・ブレインはその言葉を丁寧に吟味しているようだった。会話は途切れ、ちょっとした時間が経過した。

「……ふむ、そうですね。しかしカズハさん。我々がエデンの不可能さを考えたように、人が誰も武器を取らない世界というのも、それはまた不可能ではありませんか?ましてや、争いが許されている世界なら、その過程のどこかで誰かは武器を手に取りますよ」

「そうかもしれません。私も、人類が一度も武器を取らないことを成し遂げられるかと言われたら、正直なところ難しいと思うばかりです。でも、その努力はしていくべきで、争いに流血がゼロということはないのでしょうけど、最小限に抑えていくことは出来ると思っています。今ここから始まる世界で、武器を取ることを避けて生きていく基盤を創り上げることが出来たなら、いつかは迎えるであろう世界の終わりの日までに、人間に殺される人間の数と、流れる血の量は最小限に抑えられるはず。そうです、マスター。あなたが創り上げていたエデンの町では、誰もが全ての人と手を繋ごうとしていました。でも、その為には多様性が邪魔になる。正反対の性格を持つ人間と手を繋ぐことなんて、出来ないでいるのが当たり前なのですから。私は、誰もが手を取り合えなくてもいいと思っている。でも、誰とも手を繋がない人は一人もいなくて、誰もがどこかで必ず誰かと繋がっている。そして叶うことならば、世界中の人間がひとつながりになってくれればいいと、そう想いを馳せています」

「……つまり、武器を用いた争いをやめようというだけで、平和の秘訣に関する具体的な方法論はなし、ですか…………」

 マスター・ブレインは、しばらくの沈黙を保っていた。和葉とエドワードは、目の前の教祖と目を合わせようとするかのように、一心に真っ直ぐと彼を見つめていた。


 短くはない、沈黙の時間が過ぎていく。だが、和葉たちがその現状に不安になっていくようなことはない。この価値観を持った自分たちを生み出したのは、そのほとんどがマスター・ブレインの悩みによる功績だ。彼とこれだけの言葉を交わして、この想いが伝わらないとは考えようもない。

 赤い球体の中の光はろうそくの炎のように揺れた。本来ならば生物の存在が許されないような深さの地下で、彼らの魂の鼓動が聴こえそうな程に静かだった。

 やがて、マスター・ブレインはエデンの人々よりも感情的な微笑みを見せた。和葉にはその表情がマスターの顔付きをして目に見えるようだった。

「さすが、お二人らしい結論だというところですね。あなた方を七天使の中から選んだことを良かったと思わせてくれる。私がお二人に言えることは、何一つ変わりありません。正しいことなどいつの時代も誰にもわかりはしない、それでもあなた方が自分を信じ続けることが出来るのなら、その信じた道を進み続けろ。それだけです」

 和葉とエドワードと、そしてマスター・ブレインも、三人で笑顔を見せ合った。和葉はそこに、カザーニィの戦闘部隊のみんなや、仲間になった甲冑集団の二人の魂が、一緒になって笑ってくれているような気配を感じた。彼らは夢の中で創り上げられた架空の人物なはずで、その人達の魂が存在するなんてのは、和葉のただの願望に過ぎないのかもしれない。しかし、もしもその魂が存在すると言うのなら、それはAI『マスター・ブレイン』の中にある。機械に宿った魂と、その魂が創り上げた無数の魂。それらはただの絵空事だろうか。でも、何が真実かなんて本当は誰にも決められやしない。和葉は自分が正しいと思うことを信じるしかない。正しいことなど、いつの時代も誰にもわかりはしないのだから。

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