20話 鎮魂

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 エデンの町の片隅に、森の木々を背に負う形で、古く朽ち果てた寺院がある。この町では唯一の木造りの建物で、永い時間を過ごしている為にあちこちが腐り、蔦は全体を縛るように絡み、内部は意味をなさない程に荒れ果てていた。エデンの人々には宗教や信仰といった文化はないが、この寺院は核大戦が始まるよりもずっと昔からこの土地に存在し、町民たちの間では死者を弔う祭壇として用いられていた。

 寺院の足元には無数の石の板が埋められており、その一つ一つには故人の名前が刻まれている。石板は墓標であり、土は生命の出入り口である。そして今から、一人の男の名前が新しく刻まれる。

 エデンの町民は一人残らず全員がこの場に集まっており、誰一人として違わないような厳粛な表情を浮かべて並んでいた。四百人近くも集まると、その様子はまるで一つの大いなる意志によって動く傀儡かいらいたちのようでもあり、神が地上に使わした大量の天使たちのようでもある。

 人々は示し合わせたかのように黙って手を繋ぎ、白いレースの着物はこの時間だけの純白の喪服となる。カザーニィからの旅人たちもその姿に倣い、お互いの手を強く繋ぎ合った。町長は町人たちの意志を代表する為に言葉を連ね、その隣では故人の妹であるエレナという女性が、涙は流さずに哀しみだけを憂いていた。

 カズハは遺跡の寺院や数多の墓標を眺め、この町の歴史と人々の暮らしてきた痕跡を思い知り、ようやくエデンという町に現実味と親近感が湧いてくるようだった。夢みたいに無垢で平和的な人々だが、彼らが住み着く前にはここも核大戦の一部となり、それよりずっと前には別な人々が暮らしていたはずだ。どれだけ平和で美しい町だって、あの大戦では一面が焦土と化し、そこから今の形を得るまで歩み続けてきた。平和の為にはどんな困難が付いていようとも、希望を絶やさなければいつかきっと実現できる。そう強く信じられる。

 町長の締めくくりの一言を持って、タクマの魂は鎮められた。事故や病気が原因でなく、人によって殺されるというのはさぞ苦しいことだろうと、そこら中でエデンの人々が口にし合っていた。町に住む全ての人が一人ずつタクマの墓に手を合わせにいき、旅人たちも最期の見届け人として冥福を祈った。しかしカズハの役割はそれだけで終わりではなかった。タクマの墓の傍らでじっと見守り続けるエレナの元へ、兄から妹への最後のメッセージを伝えなければいけない。

 近くまで行って彼女の顔をよく見るが、ひんやりとしていそうな白い肌に特徴的な厚い唇がよく映えていた。二週間ほど前にはその唇で兄におやすみのキスをしたのかもしれない。きっとそれは兄にとっては宝物のような存在で、まさか見ず知らずの人間にその幸福を奪われるとは夢にも思わなかっただろう……。

 と、カズハは必要以上の想像を膨らまして、自分の寂しさを助長させてしまっていることに気が付いた。実際のエレナという女性は、カズハが思うよりは事態を受け入れているようだった。兄がいなくなって二週間という時間がそうさせたのかもしれない。

「あなたが妹さんですね。私はカズハ。お兄さんの最期の言葉を伝えにここまで来ました」

「あ……!その、兄は何と」

「はっきりと一言、兄はお前のことをいつまでも愛している、と。息絶える間際の全力を尽くして言い残してくれました」

「ああ」

 兄の遺言を聞いたエレナは堪らずカズハへと抱き付いた。カズハとあまり変わらない背丈でも、カズハよりも一回りは大人の身体が柔らかく触れる。まるでこちらが慰められているようだわ、とカズハは優しく腕を回す。エデンの平和の秘訣を別にしても、この旅を続けてきた甲斐があったのだと心から思わされるようだ。二人がひとしきり温め合うのを見届けて、町長はエレナの肩に手を置いて話した。

「さあ、エレナさん。今日はこのくらいで気持ちを切り替えてもらいましょう。あなたのお兄さんの魂を運んできてくれた旅人たちに、歓迎の儀を尽くさねばなりません。皆さんも、今日の仕事はもう終わりにして、出来る限りのことで恩人を迎え入れましょう」

 町長の合図の言葉で人々は微笑みを取り戻した。涙を流していた者は見当たらなかったが、あの厳粛な表情を輝かせるには相応の気合いが必要なはずである。ここには本当に平和なのだと、カズハは何だか嬉しくなった。

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