19話 エデン②

 しばらく喫茶店の中で休憩していると町長が戻ってきた。

 彼は町のみんなにカズハたちのことを伝えてきたと言い、一時間もすればタクマの弔いの儀が始まるとのことだった。それまでに旅人たちは寝泊りする場所を用意してもらい、門番のエースが今日は門を閉めて街を案内してくれることになった。

 エデンの町はネトエル山の木々に囲まれ、崖の上の平地に作られた集落だった。地面は舗装されておらず、その点はカザーニィと造りが同じで、煉瓦を重ねて作られた民家や町を囲む柵がないところはカザーニィと違っていた。

 そして人々はみんな同じ例の服を着ていた。エース曰く、服装が人によって違う理由がわからないという。着心地が悪い訳でもないし、顔が違えば個人の判別も付くのだから、みんな同じ服装で結構じゃないかという意見だ。カズハたちも祖国では大体同じようなものだから特別な異論はなかったが、エドワードや甲冑の二人はもう少し個人的なお洒落が欲しいと言った。パーティーなどにもこだわりを持つ紳士である以上、服装から人の心持ちは変わるとエドワードは主張する。カズハも王妃様から借りたドレスを着ていれば誰にも〝戦乙女〟だなんて思われないだろうと、好意を寄せる女性への賛辞もさりげなく口にした。まあ、お洒落ならそれだって楽しくていいじゃないかと、カザーニィの面々は落としどころを見つけた。

 案内される中で一同が最も驚いたのは、この町には貨幣制度が存在しないということだった。物資の数や質を管理する為にそれぞれがお店という形を取ってはいるが、果物屋だって八百屋だって勝手に品物を持っていって良いらしい。必要以上の物は必要ないのだから持っていかないし、持っている者が持たざる者に分け与えていれば平等に暮らせるではないかと、エースは貨幣という存在の無意味さを口にした。ネトエル山の下に広がる地域では、国王会議の取り決めで共通の通貨を用いる事とし、カザーニィでもエイ国含む四大国でも、甲冑の国やもっと遠くの国だろうとも、同じ貨幣を使って物資を交換する。外交を行わない町でも、その中では貨幣が必要だろうと考えていたことをカズハが口にすると、そんなことをすれば持つ者と持たざる者が生まれてしまうではないかとエースは不思議そうであった。やはり平和の町というのは伊達ではない。欲をかく者などは存在しない前提でシステムが成り立っているようだ。

 話を深堀りしてみると、ここでは平等を実現させられるくらいには物資が豊富に存在するらしかった。水は町の外れにある泉に溢れるほど湧いて出るし、主食が木の実や草類なのでこの森では安定して食料が手に入る。落ちている木の枝や枯葉を集めれば暖も取れるし、気候は一年を通して温暖で理想的だ。エドワードやダンゴは、平和の秘訣は恵まれ過ぎた土地の環境にあるのではないかと、僅かな懸念を抱えることを余儀なくされた。

 それとはまた別に特別な感情を抱いた者もいた。甲冑の二人である。

 彼らの祖国は国王による強い統治でなんとか形を成しており、かなりの数の国民と悲痛なくらいに恵まれない土地は、強欲だが確かな手腕を持った国王に頼る他に生きることを許してはくれなかった。自分たちだってこんな場所に生まれていれば平和に笑って過ごせただろうし、頭領だって殺されることにもならなかったはずだ。二人は強い劣等感が己の内に生ずるのをはっきりと感じ取った。

「あれ、あの二人はどこ行った」

 エースによる案内も一通り終わってしまい、そろそろ弔いの会場へと足を運ぼうと話していた時に、ユスケは甲冑の二人の姿が見えないことに気が付いた。一同は近場を見渡して二人の姿を探ったが、そうそう近くにはいないようだった。エデンの町の穏やかな雰囲気は旅人たちの緊張をすっかり緩ませており、歓迎の会までには戻ってくるだろう、考えてみればあの二人にはタクマの死を弔う責務はないのだし、と納得することになった。

 その一方、甲冑の二人組は市場へと向かっていた。彼らは努力もなしに恵まれたエデンの人々の様子がどうしても気に入らなかった。食べ物も水も好きなだけ持っていって良いというのなら、抱えられるだけ取って祖国へ持ち帰ってやろうと画策したのだ。いや、抱えられるだけではまだ足りない。籠でも担架でも何でも使って、国の者どもが少しは安らげるくらいに、市場にある物の全てを運び出してやりたい。とはいえ、これだけ登るのが難儀だった山を、大量の物資を運んで下山できるはずもなかったのだが、二人はそんなことも考えておらず、言わば魔がさしたという状態だ。劣等感が運んでくる嫉妬と、怒りにも近い自らの不遇さへの反逆心は、時に感情的に人を悪しき行動までへと導く。

 二人の作戦はこうだった。まずは一人が不注意を装って市場の棚を崩す。これは申し訳ない、汚してしまった食べ物をみんなに食べさせる訳にはいかないし、旅の疲れで腹も減っているから、悪いが自分にこれらを引き取らせてくれないか、これだけで数日は我慢するから、というようなことを言って落とした分だけを貰う。その騒ぎの内にもう一人がこっそりと市場の食料を確保し、二人合わせてほとんどの物資を手に入れるというのだ。

 実際のところ二人は常に空腹だった。旅の疲れがあろうがなかろうが、生まれた時から腹いっぱいに飯を食ったことはない。市場には肉や酒がないことが唯一の不満だったが、この際もう何でもいい。さっさと奪ってこことはおさらばだ、ということで作戦はすぐに実行された。

 一人が市場の棚を崩すというのは、思いの外うまくいった。この町の中では二人の格好は非常に目立つ。悪意のない態度で騒ぎを起こせば、エデンの人々はすぐに駆け付けて優しくしてくれた。男の主張することに疑いもなく同意してくれ、食料をまとめる為の袋や籠まで用意してくれた。

 そして重要なのがもう一人の方だった。甲冑を脱いで下着一枚になり姿勢を低くし、人々の目が届かない場所を選んでは食料と水を取れるだけ盗った。仲間が起こした騒ぎが治まりそうな気配を常に気にしながら、ここらが潮時と思うと最後の木の実を手に取ろうとした。その時だった。

「あら、あなた。どうしたのですか、服も着ないで。こんなに食べ物たくさん抱えて」

 男の背後から初老の女性が声を掛けた。男は飛び上がりそうなくらいに驚き、手に取った木の実を元の場所に戻して必死に言い訳を考えた。あわよくば隙を付いて仲間と逃げ出そうと思い、心配する女性もそっちのけで目を泳がせていると、女性は慈愛に満ちた眼差しを男に向けた。

「まあ、長旅で疲れ切っているのですね。きっとそうよ。そんなに慌てて持っていかなくていいから、私の家で腰を落ち着かせながら好きなだけ食べてください。満足するまで料理を出しますわ。それに、その格好じゃ気持ち悪いでしょう。外を歩くにはちょっとはしたないし、私の着物の予備をあげるからそれを着てください。ほら、こっちに来て」

 己の行為を咎められやしないかと焦っていた男は、服もあげるし料理も出すぞと言う女性を前に拍子抜けして固まった。仲間を呼ぼうか逃げようか、何をどうすれば良いのかわからなくておろおろしている内に、男は女性に手を引っ張られて家まで連れて行かれてしまった。仲間は男の姿を探して町を走り回ったが、当分の間は二人が出会って悪しきことを考えることも叶わなかった。

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