25話 エデン⑦ —— Next
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翌朝、カズハの目を醒まさせたのは、降りしきる雨音と等間隔で鳴る巨大な鐘の音だった。
昨日の曇り具合からして、雨が降っていることには何の疑問も抱かなかった。雨の日にはエデンの人々がどのように過ごすのかという興味すら湧いてくる。しかし、鐘の音は不可解だ。いつもの誰かによる管楽器の演奏は聴こえてこない。雨が降っているからだろうか?雨のせいで外に出て演奏することが出来ないから、代わりに鐘を鳴らしているのだろうか。そう考えた時に浮かぶ新たな疑問は、鐘の姿なんてこの町では見かけたことがないことである。
カズハは小屋の外に出た。いつもなら白い霧を裂くようにして朝日を全身に浴びることが出来る。この天気ではそうもいかないだろうが、それ以上に何かがおかしかった。エドワードが倉庫から出てくる。鐘の音は鳴り続けて止む気配もない。
「おはよう、カズハ。これは一体どういうことなんだ」
カズハに尋ねられてもわかることなどない。エドワードが不思議がっているのなら、彼女も同様に不思議がっているのだ。楽器が雨の影響で演奏できないのではないかという推測を聞かせると、そんなもんかなとエドワードは倉庫に戻っていった。そして、すぐに険しい表情でカズハの元へ戻ってきた。
「大変だ。倉庫の中に誰もいない。いつもならこの時間にみんなも起き始める頃なのに、倉庫の中はもぬけの殻だ」
「……え?」
カズハは血の気が引いていく感覚に襲われた。祖国の仲間がみんな姿を消したというのは、手っ取り早く言ってしまえば絶望である。エドワードが間の悪い嘘をついているのだとしたら、むしろその方がいい。仲間たちの姿さえあれば、もしもエドワードが酷い悪意を持って嘘をついたとしても許すことさえ出来る。しかし、彼がそんなことをしないのは火を見るよりも明らかだ。二人は急いで倉庫の中を確認しにいくと、そこには荷物や布団までを残して人間の姿だけがなかった。どこかへ去っていったのではなく、まるで始めから存在しなかったみたいだった。
先に絶望しておいたのは間違いじゃなかった、とカズハは思う。目が醒めた瞬間から意味のわからないことだらけの現状で、彼女が真っ先に取るべき行動は何かが見えるからだ。〝戦乙女〟は絶望の言葉の一つも漏らすことなく、エドワードに指示を出すと二人で町中を走り回って仲間の姿を探し始めた。エデンに対しての疑いや、鐘の音に対する違和感などを考えている場合ではない。とにかく仲間の無事だけを願って足と目を酷使した。
五分ほど走り回って、カズハが最初に見つけたのはエレナの姿だった。少し遠くの方で喫茶店の中へと入っていく。遠目でわかりにくかったが、彼女はぼんやりとした目で虚ろに歩いているようだった。とりあえず、仲間の姿を見なかったかと声を掛けようとすると、道の反対側からは一人の男性を追い掛けるようにしてエドワードが走ってくるのが見えた。
その男性はエレナと同様に虚ろな表情で喫茶店の扉を開き、カズハたちには気付いていない様子で店に入ると機械的に扉を閉めた。ここまで近付いてわかったのだが、鐘の音は喫茶店の中から聴こえているようだった。カズハにもエドワードにも、この町で何が起きているのか想像もできない。ただ、今は未知への恐怖に足をすくめている場合ではない。それだけはわかる。カズハは迷わず店のドアに手を掛けると、討ち入りさながらに勢いよくドアを開けた。
薄暗い店内には、まずは先程の男性の姿が見えた。彼は喫茶店に入ったというのに、どこの席に座る気配もなくまっすぐと歩いている。その進む先は、あの地下へと続く階段だった。カズハはそのことに気付くと同時に、店のカウンターに座った町長の姿を見つけた。その瞬間、カズハにはこの男が全てを知っているのだという確信が湧いた。
「マスター!これは一体どういうことなんです⁉今、ここで何が起きているんですか。なぜ、私たちの仲間の姿が消えたのですか!」
全ての原因を作ったのが町長であると断言するかのように、カズハはカウンターへと詰め寄った。町長は瞳に宿した感情を悟られまいとするような動作でカズハを見た。一瞬だけの沈黙があって、彼が何かを言うか言わないかというタイミングで再び店の扉が開いた。店内へと入ってきたのは、昨日のヒロキに声を掛けたという女性だった。彼女も同じように虚ろな表情で、カズハにぶつかりそうな際のすれすれを歩いて、ろうそくも持たずに暗い地下へと降りていった。自分の進む道に人がいたことに気が付いていないようだった。その姿を見届けると「エドワード、君もここへ」と町長は一言だけ言った。エドワードは慎重にカズハの横まで移動した。
「今の彼女で五人は揃った。あとは君たち二人だけだが、まさかこんな事態になってしまうとは。私の処理能力では現状を予測できず、君たちも私の起こしたミステイクの一部だ。みんなに許してもらおうとは思わないが、謝罪の意があるということだけはわかっていてほしい」
「ちょっと、何を訳のわからないことを言っているの。カザーニィのみんなは?甲冑の国の二人をどこへやったのよ。まずはそれを答えて!」
町長は冷静じゃないカズハの目を深く見つめた。老人のその瞳に映った一番大きな感情は、他人ではなく己に対する哀しみのようだった。カズハは余計に訳がわからなくなる。エドワードはカズハの身を守ることだけに終始しようと決意していた。
「君たちが疑問に思うことの全ての答えがこの先にある。そして、階段を降りた先の扉を開くことにしか、君たちの疑問を解決する術はない」
脅しのような低い声色でそう言うと、町長は地下へと続く階段の先を指差した。鐘の音はその先から鳴っている。カズハはそこにある強大な暗闇に、本能的な恐れを抱いた。しかし、仲間たちの行方が知れるというのなら、自分の身に危険が伴う程度の恐怖に躊躇っている暇はない。カズハはすぐに階段を降りようとした。が、町長がすぐに目の前に立ちはだかった。
「悪いが、君たち二人にはここを通る条件がある。本来ならもっと時間を用意できたはずなのに、これも私のミステイクによるものだ。申し訳なかったとだけ言っておこう。さあ、君たちの二人の正直な答えを教えてくれ。嘘をついてもわかるように出来ているからな。質問だ。君たち二人だけを残して、世界の人々が滅んでしまったら、君たちはこのエデンのような世界を創っていこうと考えるかね?」
町長の質問は、まさに突拍子もないものだった。質問だけではない、先程からの言動の全てが理解不能だ。カズハは焦燥感に苛立つ自分を見つけた。こんな緊急事態で、のんびりと問答をやっている場合じゃない。最も平和的な解決法を模索している余裕もない。
「答えなさい」と町長が突き付けるので、「私は別の世界を望む!」とカズハは叫んだ。何かを考えている程の心の余裕もなかったので、最初に思ったことをただ口にした。つまりは本心を答えた。どう答えれば町長はここを通してくれそうだとか、打算的なものは一切なく、目的の為の手段を見失っていたといえる。その結果、町長はカズハの本心を引き出すことに成功し、しかし彼女との会話を生み出すことには失敗していた。カズハは目の前の邪魔者を無視して通り抜けようとし、しかし、次の瞬間には彼女の身体は宙を舞っていた。
背中から地面に叩きつけられる強い衝撃を受けて、カズハは自分が投げ飛ばされたのだということを理解した。たとえ十九の女の子だろうとも、彼女は圧倒的な身体能力で〝戦乙女〟とまで言われてきた逸材である。相当な実力がなければ彼女を投げ飛ばすというのは難しいはずだ。カズハを見下ろす町長の顔は、丸い眼鏡だけが怪しげに光っていた。平和の町、エデンでの出来事だとは思えない。不意に、カズハには彼を超えて地下への階段へと辿り着くイメージが出来なくなってしまった。
「うおおおおおお!」
そんな状況で、町長を組み伏せたのはエドワードだった。彼は町長の横側からタックルをかまし、その体重の全てを持って町長を押さえつけていた。
「カズハ、行け!」
そして一言だけ叫ぶと、起き上がろうとする町長に様々な攻撃をくらいながらも自由を許さなかった。腹を強く殴られ、首を爪で引き裂かれている。カズハはエドワードのことを考えようとしたが、ここで自分が地下へと向かわなければ、それがエドワードにとっては最悪の選択になるだろうという結論から考え、脇目もふらずに地下へと続く階段まで走った。彼女は目的の為の最良の手段を取り戻したのだ。背後ではエドワードの雄叫びが轟いた。
階段は本当に真っ暗で長く、四方八方どこを見渡しても黒という色しか見当たらなかった。しかし、足や手が物に触れる感覚はある。カズハは壁を手で触りながら、滑り落ちるように階段を降りていく。身体のいたる所を強打したり、ふくらはぎを擦りむいて血が出てくる感覚があったが、何も気にせず先へ先へと進んだ。
前のめりで、頭から前方にぶつかったのがわかった。目には見えないが、きっと目の前には木製の扉がある。地上に置いてきたエドワードや町長の存在、エデンという町の謎、故郷のカザーニィの人々。様々な想いが込み上げてきそうになったが、何よりも一番強い意志で自分を抑え込んだ。壁をでたらめに触り、金属製のドアノブの感触と形を確かめると、精一杯の力を込めて扉を開いた。
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はるか遠い未来、もしくは、気の遠くなる程の昔……。
大地は荒れ草木は眠り、多くの争いが起こった。誰もそれを止めることは出来なかった。
ひとびとは減った。どこまでも減り続けた。
そして、深い深い地下の底、生命の存在など許されないはずの場所に、七つの箱が存在した。
左から数えて六番目、その中に眠る少女は、この深い地下へと駆け下りてくるような足音を聴いた。ここまで何かが近付いてくる。そして、その何かは、少女の真上まで来ると、驚くような様子で動きを止めた。
少女は反射的に目を開いた。それは、とても綺麗で澄みきった青い瞳だ。そう、例えるならまるで、深く広く晴れ渡る青空のような瞳だった。
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