38話 The Second Round World

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 輝くような地平線からは朝日が昇り始め、地上には二人の天使の姿があった。まだ薄く白い月が見えるような時間帯。空は覚束ないグラデーションに富んでいる。空気は生まれたてのようにまっさらだ。

 和葉とエドワードは、早朝から旧ホテルへと向かった。マスター・ブレインとは再会を誓って別れた。彼は最後に「東へ進め」という助言を言い渡してくれた。夢の中のカザーニィのように、喜怒哀楽に満ちた人々が生き残っているのかもしれない。

 果てしなく見える草原を歩く二人に、新しい歴史を告げる巨大な風が吹いた。舞い上がりそうなレースの着物を抑え、二人は廃墟群へと歩いていく。そこにあの墓の姿がないことにも、和葉はもう動揺はしなかった。今は形にこだわっていない。虚構だろうがあの人は間違いなく、和葉に命の重みを教えてくれた。

 『教団』の人々は予想通り、エデンの住民として早朝からも動き始めていた。旧ホテルの入り口付近で水を汲んでいた女性に、みんなに大事な話があると二人が告げると、彼女は硬い表情をしながらも人々を呼び集めてくれた。カズハが人を殺めた広場を二人は背にして、旧ホテルの門には十九人の人々が集合した。エレナ、もといガブリエルは、和葉の姿を確認するとすぐに彼女の手を取った。これから一緒に暮らせるのでしょう?と問い掛けるようなその瞳を見つめて、和葉は透き通った声で人々に話をした。

 隕石による電波障害がマスター・ブレインにもたらしていた影響の真実、それを踏まえた上での彼の言動や抱え込んでいた悩み、和葉とエドワードはどのような道を歩むつもりなのか。エデンを創る者たちへの尊重を忘れずに二人は意見を伝え、エデンとは別の世界を創らないかという提案と、そうでなくても和葉たちに付いてくる者はいないかという確認をした。話はそれ相応に長く続き、五人の天使は寡黙に話を聞き続け、十二人の生き残りたちは銘々に反応を見せていた。和葉の顔を鷲掴みしたあの若い男性はまたも取り乱し、二人が話している間に何度も口をはさんでは、その度に天使の誰かになだめられていた。彼は性格的にエデンには向いていないのかもしれない。平和であってほしいと願っていても、その行動が平和を崩しかねないという例はそう珍しくもない。

 話を終えた和葉たちは、各人が決意をするまでは幾らでも待つ覚悟があることを伝えた。人々は小さな声でそれぞれ話し合い、また、何も意志を変えるつもりはないと言い張るように黙っている者もおり、若い男性はずっと二人を睨んでいた。どれだけ美しい着物に身を包み、どれだけ理性で澄ましたような表情をしていようとも、彼の態度からは本性が浮かび上がってくるようだった。和葉たちに出来るのは、誠意があることを示す為に真剣な表情を保つことだけだった。

 やがて、全員の意見が定まったようだった。自分はエデン派だとわざわざ宣言する者もいれば、何も言わずに現状維持の姿勢を示す者もいる。五人の天使はみんなエデンを慕う言葉を告げ、二人に考え直さないかと言う者もいた。夢の中にいる時から考えていたことの結果だと和葉は話し、お互いに少し寂しそうな顔をして決別した。


 最終的に、意見を変える者は一人もいなかった。マスター・ブレインの思考の変化にショックを受けていた者もいたが、これからは天使たちが導いてくれるのだからと気を持ち直した。二人はその現状を受け止め、旅に出る為の物資を分けてもらえないかと頼み込んだ。エデンの人々には敵などおらず、持たない者には持っている物を分け与えることが出来る。二人の為に一通りの旅支度が整えられ、和葉とエドワードは感謝の意を込めて深く頭を下げた。

 すると、顔を上げた和葉に向かって拳ほどの大きな石が飛んできた。その石は和葉の左側頭部に当たり、彼女の頭からは生々しく血が流れた。投げたのは錯乱状態に近いあの若い男性であり、『教団』の人々はすぐに彼を止め、天使たちは彼を諫め、エドワードは荒々しい怒声を上げつつも和葉を心配した。しかし当の和葉は再び顔を上げると、一心に空のような青い眼で若い男性を見つめた。男は辛そうな表情で叫び声を上げていた。その姿は『教団』の人々によって遠ざけられていった。

 すぐに和葉の傷の手当てが行われ、いよいよ五人の天使たちからは別れの挨拶が告げられていた。サラフィエルは二人の無事と健康を祈り、必ず平和なエデンを実現させると誓った。バラキエルとラファエルは夫婦になるつもりがあるらしく、いつでも戻ってきて良いのだと告げてくれた。イェグディエルは最後に二人の意志を確認し、潔い返事を聞くと二人の旅を祝福してくれた。ガブリエルは和葉と抱き合い、エドワードの頬に豊かな唇でキスをし、和葉とエドワードを本名で呼び、行ってらっしゃいと手を振ってくれた。

 ガブリエルの言葉に笑って頷き、二人は用意された荷物を背負うと、行ってきますと手を振って東の方へと歩き出した。まるで背中を押すかのような優しい追い風が吹き、和葉のひとまとめにしていたたおやかな髪の毛先の部分を前へと揺らした。二人が向かう先からは鮮烈な朝日がまばゆさを放つ。二百年前に粉々にされた地上には、両手では数えられないような人々が希望を持って生きようとしていた。ずっと古くから地球の様子を見てきた太陽と月は、「また人間か」と苦笑いして囁き合っていた。

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