13話 介入

 エドワードが庭園を後にしてきっかり一時間後、カズハは温室に入り込んできた朝日を受けて目を醒ました。

 生涯に一度でも経験すれば充分なくらいに心地良い空間での睡眠を摂り、心も身体も活力に満ちているようで清々しかった。国王からは、まだまだエイ国内での自由を許されているが、昨晩の時点で既に準備は整っていた。エデンから来た男、カザーニィの人々、道中で奪ってしまった一人の命、様々なものの為にも旅は再開されなければいけない。今日の朝から出発することは、ダンゴたちから隊員へと伝わっているはずだ。

 カズハは寝起きの頭を働かす為にも、庭園の小洒落た机の上で手紙を書いた。エイ国での出来事や街並みの素晴らしさ、エドワードのことなど、きっとカザーニィの国王も手紙を読んで晴れ晴れしく思うだろう。この国には本当に優雅な風が吹いている、と現在進行形で感じることを手紙の締めくくりとし、伝書鳩を飛ばした。カズハは兵士に声を掛けて仲間を王邸前に集めることにした。

 いくら二日酔いが残っていようとも、旅の再開とあれば隊員たちはすぐに王邸前へと集合した。そもそもメンバーの多くが酒豪を誇る為に、アルコールによるダメージは大したことがないようにも見える。エイ国の高度な文明に羽目を外しすぎたショウと、昨晩になって初めてお酒を飲んだ十四歳のユウタだけがまだ気持ち悪いようだ。とはいえ二人ともかなりの修練は積んでいる。じきに回復するだろう。

 エドワードと甲冑の二人が加わった為に、一行は十六人に数を増やしていた。カズハは旅立ちの時よりも仲間が増えていることに誇らしさを覚えた。自分たちのやり方はこの世界で決して間違っていない。心よりの対話を諦めなければ人々は繋がれるのだ。きっと、この姿勢を後押ししてくれる何かが存在して、エデンの平和の秘訣はそのヒントを与えてくれるに違いない。旅の先には希望がある。

「エイ国の尊大なおもてなしを、このような短時間で辞退するご無礼をどうかお許しください。私たちにはエドワード兵士長もいるのですから、必ずやエデンからの帰り道には平和の秘訣を共有しに戻ってまいります」

 平和を手にした日にはカザーニィにお招きすること、そして力いっぱいの歓迎をさせていただくことを、カズハは帰りの為にここでは伝えないことにした。エイ国王と王妃は惜別の表情を浮かべながらも、カザーニィ国王のように新しい風の期待を持って戦士たちを見送った。



 ネトエル山は標高約二千メートル。エイ国を発つ前に立てた計画では、山頂にあるとされるエデンの町まで登りきるには少なくとも四時間は必要だと見積もっていた。季節によっては頭に雪を被っているし、当然ながらカザーニィやエイ国よりは寒い場所になる。部隊はしっかり登山にも耐えうる装備を揃え、防寒具も食料も充分に確保できていたが、隊員たちは決して楽天的な表情にはなれなかった。それは、魔物が住むという噂などが原因ではない。魔物なら似たような動物たちと道中で格闘してきたし、そもそもこの噂はかなり都市伝説じみたところが多かった。翼が生えていて空を飛ぶとか、山に生えている大木を食料としているとか、極めつけは山のように大きいというのだから信じる気もなくなる。

 一同が悩まし気な様子を隠し切れないのは、エデンらしき町の姿が少しも確認できないことにあった。エドワードが屋上庭園で山を眺めたように、カズハたちも昨夜のパーティーの前にはネトエル山を可能な限り調べていた。カザーニィにはない望遠鏡という道具を使って、山頂の辺りに人が住んでいる様子はないかと確認してみたが、そんな気配はどこにも見当たらない。エデンから来た男が着ていた真っ白なレースのような着物なら、山の中では目立ちそうなものだ。エデン探しの旅もあまり雲行きが良いとは言えないが、カザーニィで死んだあの男が最期にろくでもない嘘をつくような人間にも思えなかった。それに、遥か遠い山頂を充分に確認したとは口が裂けても言えない。何にせよ、カズハたちに残された手段は山を登ることしかない。

「可能性はいろいろ考えられるわ。山頂に窪みがあってその中に町があるのかもしれないし、もしかしたら洞窟内の町なのかもしれない。エイ国とは真逆の位置にあるから見えないことだって充分に考えられるし」

 カズハはなるべく声掛けを怠らないようにして山を登った。カザーニィの戦闘部隊には登山くらいで音を上げるやわな男はいなかったが、甲冑の二人が心配だった。昨夜のパーティーにも参加せず、カズハたちに心を開き切っていないのがはっきりとわかる。そして国外では甲冑を決して脱がなかった。山登りにはどうしても向いてない装備だが、こればかりは無理強いして外させる訳にもいかない。彼らの体力には気を配らなければいけない。

「……これがネトエルか。これは確かに、迷信など無くても四大国が手を出さないはずだ」

 いつも山を見ている者として、エドワードは低い声で呟いた。彼が苦言を呈してしまう程に、ネトエル山そのものにも幾つか問題があった。

 まず前提として磁場が狂っている。すなわち、この山ではコンパスが言うことを聞かない。方角がわかりにくくなるということだ。そして、とにかく広大だった。高さとしては二千メートル程度、大したことはない。しかし面積は国が二つは収まる程に大きかった。その為に傾斜は緩く、幸か不幸か登り道がかなり少なかった。歩く分には登り道などない方が良いが、広大な平たい森の中で一度方角を見失えば、それは重大な死活問題となる。ずっと登り道が続くのであれば方向など見失わずに済むのだ。

 問題は他にもあり、人が長いこと干渉していないので道と呼べるものが何もなかった。鬱蒼と生い茂る自然を掻き分けて進むしかない。またそれだけ未知の空間が広く、どこに何があってもおかしくない。動物はいるだろうし、地面に溝が開いているかもしれない。登山というよりは開拓に近い。

 さらに、あまり人目に付く訳にもいかなかった。ここで言う人目とは、エイ国以外の四大国に住む人々の事だ。エイ国王が他の三国に事情を説明した手紙を送ってはいるが、カズハたちの姿がネトエル山を越えての侵略と勘違いされないとも言い切れない。必要以上に派手なことをすると何が返ってくるかわからない世の中なのだ。

 旅人たちの先ゆく道は長く、そして困難に満ちている。しかし立ち向かうのは〝戦乙女〟率いる勇敢な男たちだ。先頭を歩くカズハとエドワードはやはり並の逞しさには収まらず、彼らの背中は追い掛ける仲間たちを寡黙に鼓舞し続けていた。

「カズハ、君の国に来たエデンの男はどのような人物だったのだ。詳しいところをよく聞かせてほしい」

「ええ、すぐに亡くなっちゃったんで、そんなに詳しいことは私にもわからないのだけど、こうして山を登っていると変な感じもしてきたわ。彼はあなた達の国の人が着ているのよりも少し質素な着物を着ていた。ほとんど装飾品に近いような感じで、たった一人で何も持たずにこの山を下りてきたなんて考えにくい気はする」

「それじゃあ彼は嘘をついたのだろうか。それとも、本当は仲間も一緒に山を下りていて、彼は仲間の力を借りて下山してきた。そこで襲われて離れ離れになった」

「それだとどちらにせよ嘘はついてることになるわね。彼は町の人には黙って出てきたって言ってたし。だとすると何か後ろめたい理由があったのかしら。たとえば罪人が国外追放の目にあっていた、とか」

「うむ、どうだろう。そうなると争いのない平和の町と言い残すのもおかしな気もするが……」

 エドワードは顎に手を当てて深慮している素振りを見せた。彼にかかると些細な仕草もいちいち画になる。カズハの持つ空のような青さの瞳に、海のような青さの瞳を持ったエドワードが映る。カズハは心のどこかで、指揮官同士の信頼関係を超えた強い絆のようなものが芽生える温度を感じた。何か、エドワードの端正な顔を眺めるのが尋常ならざることのように思えてきて、不意に顔を逸らしてしまい、今日は心の調子でも悪いのかしら、なんて勘違いを抱えた。

 そんな彼女の様子をエドワードは見逃したようだ。代わりに後ろを歩くフミオとキヘイが見ていて、少し疑り深い言葉で囁き合っていた。「おい、隊長のあの顔を見ろ。エドワードがあまりに美青年なもんだから、普通の女の子になっちまったんじゃないのか」「あり得る。隊長もあれだけモテるのに、国の男子にはとんと興味を示さなかったからな。やっぱり男も顔かな」「これじゃあ、ただの〝乙女〟だぜ」

「まあいい、カズハ。我々はもうここまでやって来てしまったのだ。暗い議論は避けて、エデンという平和の町がある前提で話しをしようじゃないか」

 エドワードの態度はすっかり兵士長のそれだった。どんな状況下においても冷静に大局を見つめる。カズハもその様子に連られたのかいつも通りの調子を取り戻した。

「そうね。私たちが悩むべきは、エデンという町の存在の有無じゃなくて、その見つけ方。さっきも言ったように、外からは容易に確認できない形で町が存在するのなら、この旅はここにきて最も難儀な問題を抱えることになる。山頂に窪みがあってということならまだしも、洞窟の中なんてことになると一仕事だわ。この山は一周するのにも一日は掛かる」

「そういうことになるな。ただ、エデンの男が君たちの国に逃げてきたことと、橋や河を渡らないで済むルートを考えれば、そちらの予想通りチョウ国からということになる。とりあえずは東側を探索するのが得策かもしれないな」

「うん、賛成」

 カズハはエドワードを見て頷くと、全身を使って岩肌を一気に登った。ここにいる誰よりも背は低いのに、誰よりも楽々と高所を移動する。重たい荷物を背負っていてもなお身軽だ。

 それぞれの力を合わせて荷物やお互いを岩肌の上に運び上げると、武力だけでなく視覚聴覚も優れたサンダユウが声を上げた。

「お、隊長、近くに滝がありますぜ」

「本当?それは良かった。そこまで行って休憩にしましょ。サンダ、先導よろしく」

「任せとけ」

 未開の山は実際に登り始めるまでは想像でしか語れない。カズハの肌感覚としては高さの五分の一を登ったところだったが、時間は二時間近くも過ぎていた。とにかく平坦な森が続くのだ。傾斜という不利性ディスアドバンテージがない限り、人は山を登っていけないというある種の教訓かもしれない。休憩できるのは誰にとっても幸運なことであった。

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