Prologue.
「いつまでそんなこと、つづけるの?」
茜色に染まる公園。
ランドセルの肩ベルトをぎゅっと握りしめた菊花の顔は同じ小学生とは思えない程険しく、その声は震えていた。
「あんなこといわれて、バカにされて。 なんで。 なんで、やめないの」
「だって、やめたらアイドルになれないもん」
「どんなにがんばっても、なれないかもしれないのに」
菊花は私なんかより賢いから言ってることは正しいと思う。だけど、彼女は笑っていない。例えそれが正しくても、私はそんな悲しい現実を受け入れたくなかった。
だから、
「そんなことないよ! あきらめなかったら、いつかぜったいなれるよ!」
自分を信じて笑顔を向ける。
だって、菊花には笑っていてほしい。最高の私を見ていてほしいから──
「でも、やめたじゃない。 私に負けて」
突然、背後から声が響いた。
すぐさま声の方へ視線を移すと、トクンと胸が高鳴った。
「神姫、命」
スポットライトに照らされたステージの上。私達はあの日と──初めて出会った日と、何もかも同じだった。出で立ちも、纏う空気も、熱く燃えるこの胸も。
彼女は冷ややかな笑みを浮かべながら、ゆっくり、ゆっくりと、こちらに向かって歩き出し、
「圧倒的な差を前に心を折られ、素直に負けを認められず。 才能が、運がなかったと言い訳して。 新しい自分が始まると嘘をつき、ステージから目を背け、逃げた」
やがて私の背後に立つと耳元で囁いた。
「どうせまた逃げ出すに決まってる。 惨めに。 負け犬のようにね」
トクン、と高鳴っていた胸が急激に冷えていく。
少し前の私ならそうだったかもしれない。
でも今の私は、あの時の──憧れだけでガムシャラに突き進んでいた子どもじゃない。ましてや自分の弱さを認められない未熟者でもない。
雫と出会って大切なことを思い出した。震えながらでも前へ進める勇気をもらった。そして、なりたい私を見つけた。
「ううん。 逃げないよ、私」
ドクンッ。
再び燃え上がった熱い鼓動とともに振り向くと、そこには──
「え。 雫?」
「なら、何故一人でステージに立たないのデスカ?」
「どうしたの、急に。 なんで」
「
「そ、そんなことないよ! だって、私は同じ大好きを持つ人と一緒に歌いたい、踊りたい。 私一人で立っても意味ないよ!」
「その答えは、"本当に正しい"のデスカ?」
「正しいとかじゃなくて! 私がなりたいのはそうやって繋ぐアイドルなの。 それに私は雫のこと、最高のパートナーだと思ってる! だから」
「そんな甘い考えでなれる程、アイドルは甘くありマセン」
「違うっ! 違うよ……。 確かに、甘いかもしれない。 けど、これが私の」
──バシッ。
分かってほしくて雫へ伸ばした手は無情にも弾かれ、そのまま彼女は背を向け、離れていく。
「待って! 待ってよ! 雫!」
暗闇の中。
必死に追いかけているのに追いつけない。
それどころか、沼に沈んでいってるみたいに足が重たくなって。どんどん、どんどん距離が広がって。
「雫っ! 雫ぅ‼︎──あ、ぅ⁉︎」
声が出ない。
どうして。どうして出ないの。
なんでこんなにも、喉が苦しいの。
「あ。 ぁ」
歯が抜けていく。ボロボロと。
口の中は砂利が溜まっていくような不快感でいっぱいになる。
話せない。もう雫と、何も。何も。
「……ッ……ッ……‼︎」
手を伸ばせば届きそうなのに、届かない。雫の後ろ姿が闇に溶けていく。
行かないで。
私を置いて、行かないで。
お願いだから。
私は、貴方と一緒に──
「──ッ‼︎」
パッと目を開くと、真っ暗で何も見えなかった。だけど、安心した。この柔らかいベッドの感触のおかげで、ここはさっきまでいた闇の中じゃなくて自分の部屋だと分かったから。
「……はぁ……はぁ……」
スマホで時間を確認するまでもなく、まだ朝じゃない。
何時間も眠ったような気がするけど。多分、布団に入ってからそんなに経っていない。
「…………」
眠る為に布団を被り、目を閉じる。
「……んぅ……」
でも、またさっきの悪夢を見てしまうかもしれない。そう思うと中々寝つけなかった。
*
お昼休みの教室。雫と一緒にお弁当を食べていた時、突然『
一体、何のことだろう。分からずに首を傾げていると、雫は不満そうに唇を尖らせた。
「さっきの授業、また居眠りしてマシタ」
「あー、それは……て、低気圧のせいかなぁ。 なんだか眠たくって。 あは、あはは」
笑って誤魔化すも、雫の唇は尖ったまま。
最近授業中に居眠りをしてしまうのは頻繁に悪夢を見るようになり、そのせいで寝不足だからだけど。悪夢の内容が内容だけに、雫には話したくなかった。
「顔色も、悪いデスヨ」
「心配かけてごめんね。 ちょっと体調崩してて。 でも、大丈夫。 病気とかじゃないから」
ニッコリと、今出来る精一杯の笑顔を向ける。
ちゃんと笑えてるのかな、私。
「今日が雨で良かったデス」
窓の外へと視線を移す雫。
グラウンドはもちろん、体育館も他の運動部が使っているので場所がない。だから、私達アイドル同好会の活動場所は今も中庭で雨の日は外練が出来ない。
いつもならそれで困るところだけど、今日に限っては彼女の言う通りかもしれない。
「……はぁ……」
学校から帰宅してすぐベッドへ倒れ込む。
今日は部活を休みにしたので身体的には疲れていないけど。倒れ込んだ瞬間、スッと力が抜けていった。
──ザァーッ。
部屋中に鳴り響く雨の音。
薄暗い室内で電気も点けず、ボーッとしているせいか。それとも本当に低気圧のせいなのか。
どんどん気持ちが沈んでいき、あの日のことを思い出してしまう──
『やぁ、来ちゃった』
白陽の近くで仕事があったから、とすごく軽い理由で織音さんは私達の元へやってきた。それには雫も驚き、軽くパニックを起こしていた。でも、織音さんの人柄の良さもあってすぐに打ち解け、まるで遅れてやってきた三人目のメンバーのように親しく接していた。
『このメニュー、ゆーちゃん一人で考えたの?』
『いえ、幼馴染の菊花と考えました』
『幼馴染の。 その子は今日休みなのかい?』
『菊花は別の部に入ってて。 時々、アドバイスをもらってるんです』
『ふーん。 面白いね、その子。 ぜひ会ってみたいよ』
『呼べば来てくれると思いますけど』
『いや、今はいいかな。 それより私も練習に参加させてほしいな』
それは願ってもない機会。もちろん二つ返事をして、織音さんと一緒に練習した。その最中でちょっとしたアドバイスも貰えて、いつも以上に有意義な練習をすることが出来た。
だけど、
『ねぇ、君はどうしてステージに立つんだい? 結々と』
練習を終えた直後。織音さんはニッコリ微笑みながら、雫にそう尋ねた。
それに対して雫は『同好会の仲間だからデス!』と元気よく返していたけれど。恐らく彼女が尋ねていたのはそういうことじゃない。
──その問いの真意は、かつて私が思い悩んでいたこと。
どうして、それを聞いたのか。織音さんは雫の返事をどう思ったのか。
『大変だろうけど。 頑張ってね、ゆーちゃん』
帰り際のその一言が答えだった。
「──……ん……?」
あれ、いつの間に寝ちゃってたんだろ。
「……ん、んぅ……」
スマホ、スマホは……あった。十八時前か。
夕飯までまだ時間がある。もう少しだけ、このままで。
──ザァーッ。
止まないな、雨。
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