Chapter 5.

「ありがとうございました」

 週明け、朝の職員室。峰村先生に頭を下げ、お礼を言う。すると、先生はやや呆れたような顔で『貴方も律儀ですね』と言い、悩ましげにメガネを押し上げた。

「突然のことで諸々の許可や手続きが大変だったと思うので。 あ、これ良かったら食べてください」

 焼き菓子の小箱を差し出すと先生は大きなため息をつき、返してきた。

「そういうのはいいですから。 それより何の用ですか?」

「あ、あはは。 そんな裏があるみたいな」

「そうでなければ、わざわざこんなに早くから来ないと思いますが」

「あー。 えーと、そのですね。 ごめんなさい! 裏って程じゃないんですけど。 ちょっとしたお願いがありまして。 フェスのこと、まだ雫には言わないでほしいんです」

「どうしてですか? フェスはあくまで白陽女子アイドル同好会での参加のはずですが」

「それは──」




 朝の教室。登校してきた雫に声をかけたけど。

「…………」

 返事はなく、まるで私が見えていないかのようにそのまま自分の席へと座った。

 言うまでもなく、それから一日ずっと上の空。

 雫はまだ心珠ちゃんの件で悩んでいて、今はそれ以外のことを考える余裕がない。その状態では部活に身が入らないどころか、不注意から怪我をするかもしれない。

 だから、私の都合という名目で今日の部活は休みにした。




「今日はないんだ。 同好会」

 放課後。菊花に『少し話せない?』とメッセージを送ったところ、一緒に下校することになった。そして、顔を合わせるや否やそのことを聞かれたので詳しい理由は言わずに『うん』と返す。

「そっちは良かったの?」

「自由参加だから問題なし」

 私が雫とアイドル同好会を始めてすぐに菊花は手芸部に入部していた。昔から裁縫が得意で、入学式の日も入るなら手芸部と言っていたので当然と言えば当然だけど。

「で、話って何?」

「え。 あー、同好会のメニューを新しくしようと思って。 また相談したいなぁ、と」

「どうして? まだ今のままで充分だと思うけど」

「実はね、今度大きなステージに立つことになったんだ」

「いつ?」

「来月の十一日」

「ふーん。 なるほどね」

「ダメ、かな?」

「いいんじゃない。 別に」

「じゃあじゃあ!」

「続きはうちに着いてからにして」

「はーい」

「ねぇ、結々。 ……今度は、見に行くから」

「っ‼︎」

 思いがけない言葉に驚きが隠せない。

 前のライブ、菊花はどうしても外せない用事があって見に来れなかった。

 私がアイドルになりたいと言い出した時からずっと応援してくれて。迷ったり、挫けそうな時は心配してくれて。頼るといつも助けてくれて。どんな時も見放さず、支えてくれた菊花。

 今もそう。

 私にとって菊花は特別な幼馴染そんざいで、いつか必ずステージに立つ姿を見てほしいと思っていた。

「うんっ‼︎」

 だから、その言葉が聞けてすごく嬉しかった。



 *



 菊花の協力のもと、フェスに向けての新メニューが完成したその日の夜。お風呂上がりにスマホを確認すると、思わぬ相手からメッセージが届いていた。


「ねぇ、私に何の用なの?」


 学校が終わってすぐに駅前の広場へ向かい、呼び出してきた張本人──心珠ちゃんにその理由を問うと、いきなり頭を下げられた。

「本当にありがとう。 アンタのおかげで、雫と話せる」

 やっぱり、そうだったんだ。

 今朝、雫に部活を休みにしてほしいと頼まれた時からもしやとは思っていたけど。

 そっか。迷いが晴れたんだね。

「なら、早く行きなよ。 待たせてるんでしょ」

「そうだけど。 こういうのはきちんと言っておきたかったんだよ」

「ふーん。 お礼の件、忘れてないから」

「あぁ、分かってる。 じゃ、行ってくるよ」

「今度こそちゃんと話しなよ」

「分かってるって。 どんな事も受け止めて、もう後悔しない──」




「って感じでかっこつけてたのに」

「そうだけども! ちげぇじゃん! ちげぇじゃんかぁ!」

 駅前広場で心珠ちゃんと別れて数十分後。恐らく雫と話していたであろう駅近くの喫茶店に呼び出され、来てみると心珠ちゃんは涙でグシャグシャだった。

「まさか、また話せなかったの?」

「ううん、ちゃんと話せた。 仲直りも出来た。 けど……──」


 心珠ちゃんの話によると。

 雫は嫌な過去があっても、楽しかった思い出はなくならない。それと同じように嫌な過去もなくならない。

 その複雑な想いを打ち明け、悩み抜いた末にもう一度向き合う。再び心珠ちゃんの手を取ることを選んだ。

 なのに、『余計な一言』で台無しにして、絶交されてしまった。


「もう。 だから、そういうとこって言ったのに」

「そういうとこって、どういうとこだよ……わっかんねぇよ……っ‼︎」

「それで何言ったの?」

「その喋り方、どうしたんだよって。 昔はそうじゃなかったろって」

「あー……」

 雫と初めて会った日、『日本語がおかしいかもしれないのは気にしないで』と言っていて、その時は家族の影響ぐらいにしか考えてなかった。でも、お母さんと妹は上手に日本語を話していたからそうじゃないとは思っていたけど。

 昔はああいう喋り方をしていなかったとなると、あれは自分で。

「別に、大したことじゃ……なのに、なのにぃ、絶交ってぇ! しばらくは何があっても話さないってぇ!」

 ポロポロと大粒の涙を溢す心珠ちゃん。

 彼女には悪いけど。雫のこと、可愛いと思ってしまった。

「ホントすぐ地雷踏むよね」

「は? 地雷?」

「確認するけど。 しばらくは話さないって言ったんだよね?」

「うん」

「なら、大丈夫だよ。 しばらくは、だから。 少し時間を置いてから謝れば問題なし」

「……その根拠は?」

「だって、本気で絶交するならそんな言い方しないよ」

 心珠ちゃんには言わないけど、根拠はもう一つある。

 それは『絶交』すると言った時の雫がどんな顔をしていたのか鮮明にイメージ出来るから。

 勢いでそんなこと言っちゃうなんて、よっぽど恥ずかしかったんだろなぁ。

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