side.雫

 私が子どもの頃から駅前にあり、真っ白な髭を生やしたおじいさんが一人で経営している喫茶店『クレール』。座ると軋む音を響かせる木のイスと欠けたキズは勲章と言わんばかりの長方形のテーブル、外国を舞台としたアニメでしか見たことのない暖炉、店内のあちこちに飾られている絵画たち。それは名画のように立派な額縁に収められていますが、有名なものの模造品ではなく、どこの誰が描いたのかも分からない代物。壁につけられた古時計が時を刻み、店内はもう何十年も前から時が止まっているもしくはタイムスリップでもしたかのように感じる。しかし、照明・エアコン等の設備は最新鋭のものを使用しており、店の古びた様相は『ノスタルジック』をコンセプトにしているためデス。

 なので、店内はちゃんとクーラーが効いていて涼しい。けれど、茹だるような暑さの中を歩いてきた身にはほんの少し物足りませんでした。

「では、少々お待ちを」

 注文を取り、白髪頭をぽりぽりとかきながら厨房へ戻っていった店主の青葉ショーヨーさんを見送り、お冷を一口飲む。そして、朝早くから呼び出してきた金髪ギャルこと心珠ココミにあのメッセ──『須藤のことで話がある』とはどういう意味か尋ねるも、やはり歯切れが悪く、なかなか本題には入れませんでした。

 だから、強引に、

「話す気がないなら帰りマスヨ。 私だって暇じゃないデス」

「でも、今日は同好会休みなんだろ?」

「…………。 何故それを?」

「結々に聞いた」

「や、休みだろうと自主練はしますし、歌やダンスの研究などなどもあるんデス‼︎ もう一度言いますが、暇じゃないんデス‼︎」

「わ、分かったよ。 言う、言うから。 ……その、な……アレだよ、アレ……」

「ん゛ー」

「だ、だからな……須藤ってさ。 アイドル同好会のことで、結々と何か……あったのかなぁって」

「何故そんなことを?」

「それはさ、見ちゃいけないものを見ちゃった、的な? えーと……実は──」


 心珠ココミの話を聞いて、正直信じられなかった。

 あの日のフェス、菊花キッカさんは私と結々ゆゆのパフォーマンスを見て、涙を流していた。しかも、その涙は感動ではなく、何かを悔いているような感じだったと。

 それは心珠ココミがそう感じただけで信憑性は皆無。でも、もしそれが当たっていたなら。


「嘘、デスヨネ。 いえ、嘘だと言ってクダサイ」

「アタシも信じられなかったよ。 でも」

「その話を菊花キッカさん本人にするなんて信じられマセンッ‼︎」

「え。 そっち⁉︎ そっちなのッ⁉︎⁉︎」

「バカ! バカバカバカッ! このオーバカッ‼︎ ホントーにバカなんデスカラッ‼︎」

 目撃しただけならまだしも最後の最後になんてことを……。昔から空気が読めず、デリカシーのカケラもない人でしたが、まさかここまでとは。常識的に考えれば、泣くところを他人に見られたくなくて姿を消したであろう相手に追いかけてそれを目撃したなんて口が裂けても言えるはずがない。そして、何かあるのだと察していながら直接会って話すだなんて。大方、私と和解する機会を作ってくれた結々ゆゆに恩返しをしたかったのでしょうけれど。全く。

「この話、結々ゆゆには言ってませんよね?」

「……言ってないです……」

「流石にそこまでバカではありませんでしたか。 良かったデス」

 もし結々ゆゆがこのコトを知ってしまえば、きっと自分を責めて思い悩んでいたに違いない。だから、知らなくて本当に良かったデス。

「なぁ、どうしたらいいんだろ?」

「どうも何も直接話して『何もない』と言われたのデショ」

「そうだけど。 でも、アイツは……」

「本人が望まないのなら他人わたしたちに出来ることはありマセンヨ」

 もし菊花キッカさんが何かを隠していたとしても、それは彼女と結々ゆゆだけの問題で、二人には二人の距離感がある。そして、それは他人が軽々しく踏み入っていいものではなく、フィクションの世界のように干渉して解決するコトは到底出来ない。だから、見なかったコトにして何もしないのが正しい。

「ですが、私も菊花キッカさんと話してみようと思いマス」

 頭ではそう分かっていても、この気持ちは抑えられない。直接会って、話して、こので確かめたい。菊花キッカさんの本当の気持ちを。

 多少の懸念があっても、もし彼女に私と結々ゆゆと同じ気持ちがあるのなら──。

だよ、もう。 じゃあ、初めからそう言ってくれよ。 もったいぶるから変な汗かいちゃったじゃんか」

「このギャルは……。 言っておきますが、私は貴方のようにデリカシーのない人ではありマセンから!──」



 *



 週末の土曜日、ついにこの日がやってきました。

「……う……」

 インターホンを押さなければ何も始まらない。それなのに中々押せなくて。

 とりあえず、一旦深呼吸をして気持ちを整える。

 落ち着け、落ち着くんデス。菊花キッカさんと話すために家へ遊びに行く約束を取りつけ、ちゃんと彼女の好物もリサーチし、用意してきました。

「よし」

 リュックサックの肩紐をギュッと握りしめる。

 大丈夫、準備は万端。それに話すために来たと言っても、今日はただ普通に遊んで、おしゃべりして。それで、結々ゆゆや私と同じように『好き』なのか確かめるだけ。

 だから、大丈夫。大丈夫、大丈夫、大丈夫、

「しず、何してるの?」

「ひょわぁっ‼︎ キ、菊花キッカさんどうして⁉︎⁉︎」

「ちょっとコンビニ行ってた」

「あ、あぁ。 そうでしたか、なるほどデス」

 背後から声をかけられて驚いたものの、菊花キッカさんと直接会えて良かったデス。下手をすれば、あと三十分は家の前で躊躇していたかもしれませんし……。



「お邪魔しマス」

 靴を揃えてから菊花キッカさんの家へ上がり、まずはアレを渡す。

「これ、どうしたの?」

結々ゆゆからいちごが好きだと聞きまして」

「そっか、ありがと。 部屋は二階で、上がったらすぐ分かると思うから先に行ってて」

「デス」

 言われた通り二階へ上がると、まるまるとしたかわいい文字で『きっかのへや』と書かれたネームプレートの吊るしてあるドアが目に入りました。

 さっそく中に入ると、

「かわいい」

 部屋自体は勉強机や本棚・テーブル、ベッドなどの生活に必要な家具があるだけで、一言で表すならごく普通でした。しかし、流石は手芸部といったところでしょうか。部屋の至るところにぬいぐるみが飾ってありました。けど、まだまだ物足りなかったのかそれ専用の棚まであって、

「おぉ、すごい。 素晴スバラシイデスっ‼︎」

 棚の中にはジオラマも作られており『ウサギのお茶会』、『海辺に佇む人魚』、『森で歌う少女』など、ぬいぐるみ達の様々な世界が表現されていて、見ているだけで胸が高鳴っていく。

「ふわぁ」

 もっと、もっと見たい。溢れる好奇心に駆られ、次へ次へと棚の中を、小さな世界を巡っていたその時。

「ここは」

 様々な世界がある中で一箇所、ただ星空のシートを貼ってあるだけの場所がありました。そこはまだ完成してないだけなのか、はたまた何かを置いていたけれど片づけたのかは分かりません。ですが、きっとここは菊花キッカさんにとってとても大事なものが入る場所だと思わずにはいられませんでした。

「お待たせ。 ん? どうしたの?」

 トレイを手に持ち、不思議そうに首を傾げる菊花キッカさんに恐る恐る『ここには、何か入るのデスカ?』と尋ねたら、困ったような顔で『うん、入るよ。 まだ完成してないけどね』と言われました。

「そうでしたか。 なるほどデス」

 本当は何が入るのかまで聞きたかった。でも、直感的にそれを聞いてはいけないと遠慮して。いや、逃げてしまいました。

「気になる?」

「へ。 き、気になるというか。 きっと、素敵なものが入るのだろうなぁと。 それだけで。 え、えへへ」

「ちょっと待ってて」

 菊花キッカさんはトレイをテーブルに置き、勉強机へ向かうと引き出しを開けて、中から一体のぬいぐるみを取り出しました。それはある少女に似ていて、つい彼女の名前を──『結々ゆゆ』と口にしてしまいました。

「うん。 そうだよ」

 ぬいぐるみの結々ゆゆが着ているのは、あのフェスで着ていたものと。菊花キッカさんが用意してくれたものと同じ、百合の花をモチーフにした白のドレス。

「……どうして、これを?」

 自分でも驚くぐらい声が震えていて、胸がきゅっと苦しくなる。

 心珠ココミから話を聞いた時、真っ先に思ったのは菊花キッカさんは結々ゆゆとのステージを夢見ていたのではないかというコト。以前、結々ゆゆはアイドルを目指そうと思った時、菊花キッカさんと一緒にアニメを見ていたと言っていました。だから、もしその時に、菊花キッカさんも結々ゆゆと同じように感銘を受けていたら。

 二人にどんな事情があるかは想像も出来ません。けど、私は知らず知らずのうちに彼女の夢を奪ってしまったかもしれなくて、怖かった。

「ちょっとした課題があってね。 何にしようか迷ってた時、たまたま中庭で楽しそうに練習してる二人を見かけて、いいなぁって。 もちろん、フェスでのステージも良かったよ。 だから、それを形にしたくて。 ほら」

 菊花キッカさんは引き出しからさらにもう一体。私のぬいぐるみも取り出して、

「ほぼ完成してるんだけど。 ドレス、もう少しこだわりたくて。 完成したら写真送ろうか?」

 優しく微笑んでくれた。勝手に怯えていたこんな私の為に。

 そして、その笑みがとても優しかったから、彼女のを見て『アイドル同好会に入りませんか?』と口にしていた。

「今井さんから何か聞いた?」

「あ。 ……デス……。 でも、それは」

「そっか、やっぱり聞いちゃってたか」

 菊花キッカさんに言葉を遮られ、喉が固まってしまったみたいに何も言えなくなる。

「まぁ、どうせしずに頼って話すとは思ってたけど」

 それから菊花キッカさんは何か考え事をしているかのような険しい顔でしばらくの沈黙。そして、ようやく口にした答えは。

「やらないよ。 私じゃ結々みたいに本気になれないから」

「そう、デスカ」


 その後、何事もなかったかのように普通に話して、友達との時間を楽しんで。今日のメインの目的であるアレを、アニメのBDをリュックから出して。


「あのぅ、今日キョーはこれを一緒に見たくて」

「そのアニメ。 結々ゆゆの好きな」

「ダメ……デショウカ?」

「ううん、いいよ。 私も好きだから、それ」

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