Chapter 2.

 再び電車に乗り、やってきたのは動物園。

 予想外の事態で行く当てがなくなってしまい途方に暮れていた時、雫が『動物園に行きたい』と提案してくれた。距離的にはそこまで遠くないし、私としては雫の願いを叶えたい。それに慣れないおしゃれ街を彷徨うよりもそちらの方が楽しそうだった。なので、私はその提案に賛成し、今に至る。

「余計浮かれてる感が増したじゃない」

 動物園の入り口に到着してすぐ、眉間に皺を寄せ、苦々しそうに口元を歪める美采。その表情からは不服そうなオーラがこれでもかと溢れていた。もしこれが付き合いたてほやほやカップルの初デートだったならば、開幕早々胃が痛くなっていたに違いない。

「まぁ、いいじゃん。 それだけピッタリな格好ってことで」

「そんな訳ないでしょ。 全く、どうしてこんなことに」

「スミマセン。 私がワガママを言ったばかりに……」

「ちょっとやめてよ。 元はと言えば私が悪いし。 それに、嫌なら来てないから」

 しゅんとした顔で謝る雫にすぐさまフォローを入れる美采。そのあまりの早さについ『くふっ』と笑ってしまった。

「ぐっ。 何よ、その目は」

「別に」

「あーもう。 さっさと行くわよ!」

「ふふ。 はーい──」



「おぉ、長い! 長いデス! ホントに長いデスーッ!」

 よっぽど楽しみだったのか。入園ゲートを抜けた瞬間、雫は一番最初に視界に入ってきたキリンに向かって一目散に駆け出していった。

「あの子。 やけに嬉しそうね」

「動物園に来るの今日が初めてなんだって」

「なっ⁉︎ 嘘でしょ」

「それ、私と全く同じリアクション──ひゃんっ」

 その時、美采にちょんっと鼻先を小突かれ、やや不機嫌そうな顔で『バカ。 そんな情報どうでもいいから』と言われてしまった。

 ただの小粋なギャグだったのに……。

「当日に体調崩しちゃったり、ケガしちゃったりして今まで行けなかったんだって」

「ふーん。 そう」

 雫へと視線を移す美采。まるで興味がなさそうな返事をしてきたけど、無邪気にはしゃぐ雫を見つめるその瞳はとても穏やかで、すごく暖かいものを感じた。だから、ゲートで貰ったパンフレットを彼女にも見せて、アプリで参加出来るクイズ形式のスタンプラリーに参加してみないかと提案してみた。

「当園限定の豪華景品、ねぇ」

「せっかくだしやろうよ! みんなで」

「まぁ、いいんじゃない。 別に」

「よーし。 そうと決まれば、レッツゴー!」


 すぐさま雫と合流し、ちょうどキリンの前に用意されていたパネルのQRコードを読み込み、クイズに挑戦したものの──


「ん? あー……そういう感じね……」

 いきなりつまづいてしまった。

 一応、このスタンプラリーはクイズに正解しなくてもスタンプは貰える。それに選択問題だし、分からないなら当てずっぽうの三分の一に賭けてもいい。けど、景品は正解数に応じて変わり、全問正解すると秘密の超豪華景品がもらえるとのこと。なので、出来ることなら全問正解したい。

 だがしかし、『キリンと人、どちらの方が首の骨の数が多いでしょう?』なんていくら考えてもさっぱりだった。そもそもキリン以前に人の首の骨の数すら知らないのに、どちらが多いと聞かれても……。

 パンフレットには子ども向けと書かれていたから、そんなに難しい問題はないだろうと思っていたのに。まさかいきなりこんな難問を出してくるとは。

 これ、子どもに解けるのかな?


『やったぁ! あってたよ!』


 そんな心配は杞憂に終わり、たまたますぐ近くにいた子どもは難なくクリアし、お母さんに満面の笑みを向けていた。

 なるほど、別に無理難題って訳じゃないんだね。

 だったら、

「ねぇ、二人はどう思う?」

 ここは頼もしい仲間と協力して解こう!

『三番の同じでしょ(デス)』

 美采と雫は声をピッタリ重ね、何の迷いもなく即答。あまりの早さに驚きが隠せなかった。すると、美采に呆れ顔で『これくらい中学で教わるでしょ』と言われてしまった。

「そんなマニアックなことを教える中学校があったなんて」

「そうじゃないわよ。 脊椎動物の首の骨の数は一部例外を除けば七って教わったでしょ。 だから、同じなのよ」

 そういえば、高校受験前。菊花に勉強を教えてもらった時にそんな話を聞いたような気がする。でも、『あれを覚えて』、『これを覚えて』と、次々覚えることだらけでヒィヒィ言ってた記憶しかないや。

 今はクラスが違うから勉強で分からないことは雫に聞くようになっちゃったけど。また今度、一緒に──…………。

「どうしたのよ、黙り込んで。 まさか、子どもにも分かるクイズを解けなかったのがそんなにショックなの?」

「え。 違う、違う、違う! そんなんじゃなくて……二人ともよく覚えてたなぁって関心してたんだよ! あは、あはははぁ」

「ふーん、そう。 先に言っておくけど。 ずっと頼りっぱなしなんてごめんよ」

「わ、分かってるよ。 それくらい──」




 続く第二問目は『ライオンはオスとメス、どちらが狩りをする?』、三問目は『アリクイは普段何を食べてる?』、四問目は『カバの汗は何色?』、五問目は『ゴリラの握力はどれくらい?』、六問目は『この中で耳がいちばん大きなゾウは?』と。私的にはひやっとする場面が何度かあったものの、クイズは順調に全問クリア出来ていた。

 意外なことに美采はとても動物に詳しくて。クイズはもちろん、動物を見ている時にも豆知識を披露してくれた。それには雫もすごく喜んで、美采の手を取り、『あの子は?』、『この子は?』、『その子は?』と聞き、連れ回すことも。

 美采も美采で自慢げに話していて、それはもう楽しそうで、楽しそうで。ちょっとした縁があって飼育員さんに褒められた時の反応なんて、腕を組んで『ふんっ、当然よ!』って。あの誇らしげな顔は、しばらく忘れられそうにない。

「ふーたーりともー、はーやーくー!」

「全く。 分かってるわよ! すぐ行くわ」

 別に心配してた訳じゃないけど。二人が"普通"に楽しんでくれて良かった──




「ふ〜ふ〜、ふふふ〜ん」

 最後のクイズがあるふれあいコーナーへ向かう最中。雫は鼻歌を歌いながら、先頭を切って歩いていた。その足取りは軽く、彼女の逸る気持ちがこれでもかと伝わってくる。そんな彼女が突然ピタッと止まり、振り返って『結々ゆゆはウサギに触ったことありマスカ?』と聞いてきた。

「そうだなぁ。 学校のならあるかな」

「どんな感じでしたか!」

「うぇっ⁉︎」

 突然グッと雫の顔が迫る。

 あると言っても小学生の時の話なのでそんなに詳しく覚えてる訳じゃない。だから、『ふわふわであたたかったかな』と無難な返しをしてしまった。それにも関わらず、雫は『くぅーっ‼︎』と嬉しそうな声を出し、美采にも同じように聞いていた。

「ふふ」

 その光景につい笑みが溢れる。

 きっと今日ここにいる親のみなさんもおんなじ気持ちなんだろなぁ。今からウサギを目の前にした雫を見るのが楽しみ──

「……あ……」

 その時、ふと不安が過った。

 まさかそんな事はないとは思うけど。可能性はゼロじゃない。すぐさまパンフレットを開き、ふれあいコーナーでどんな動物とふれあえるのか確認したら、

「……あ゛、あ゛わ゛わ゛……」

「ん? どうしたのデスカ、結々ゆゆ?」

「あ。 や、その……」

「急に顔色が。 もしかして、体調が優れないのデスカ?」

「そ、そうじゃないけど。 ちょっと、問題があって……。 ごめん! 二人とも! 私、ふれあいコーナーには行けない……かな……」

「エェッ⁉︎⁉︎ な、何故……?」

「それは……苦手な、動物がいて……」

 まさに一瞬の出来事だった。

 サッと私の側にやってきた美采は『それ、我慢出来ないの?』と耳打ちしてきた。それに倣って『無理。 絶対無理ぃ』と返すと、美采は小さくため息をついてから指で雫へ視線を移すよう促してきた。

「ゔっ」

 先程までとは打って変わってしょんぼりした様子の雫。月並みな言い方だけど、雨の中の捨てられた子犬とはまさに今の彼女。見ているだけで胸に穴が空きそうに……。

「そうでしたか。 では、しょうがないデス。 ウサギはまた今度にシマスネ!」

「……雫……──うっ」

 すかさず美采に肘で小突かれ、『もう一度聞くけど。 本当に我慢出来ないの?』と耳打ちされた。

 分かってる。私だって雫に我慢をしてほしくないし、さっきみたいに笑っていてほしい。

 けど、アレに会いに行くと思うと背筋はゾワっとして胸が苦しいし、身体も石になったみたいに重くて、とてもこの先へ行ける気がしない。何なら今すぐにでも逃げ出したいとさえ。

「っ‼︎」

 あの時も──アイドル部の設立を認めてもらうためにステージへ立つ時も今みたいに怖くて、一人じゃ前に進めなかった。雫が支えてくれたから私は。

 なら、

「ごめん、雫。 やっぱり、いこ! ふれあいコーナーに」

「へ。 で、でも」

「無理してる訳じゃないよ。 ただ、雫と一緒なら。 大丈夫かなって」

 嘘じゃないと証明するように、雫に向かってニッコリと笑顔を向けると、

「う、うぅ。 んぅ〜、結々ゆゆ〜」

 彼女はどんより泣きそうな顔から嬉しそうに笑い、そしてハグをしてくれた。こうやって彼女の体温を感じることはやっぱり恥ずかしい。でも、今はその温もりが心地よくて、しばらくの間こうしていたい。なんて──。

「いつまでそうしてるつもり? ほら、さっさと行きましょ。 誰かさんの気が変わらないうちに」

 澄まし顔でスタスタと歩き出す美采。彼女に置いていかれないよう雫と離れ、誤魔化すように苦笑いをしてから一緒に歩き出す。

 一歩、二歩。地面を踏み締める度に、ついうっかり美采の存在を忘れて抱き合っていたことの恥ずかしさが込み上げてきた。

 チラッと横を見ると雫は子どものような無邪気な笑顔をしていて、どうやらこの気持ちを感じているのは自分だけのようだった。そうなると、さらに恥ずかしくて……。

結々ゆゆ?」

「へっ⁉︎ あ、早く行かないと置いてかれちゃうね! ほら、いこっ──」




「良かったわね」

 ふれあいコーナーに着き、かわいいウサギ達と戯れるていると不意に美采にそう言われた。あまりにも唐突で、どういうことがイマイチ分からず聞き返したら『定期検診で』と言われ、さらにジトーッとしたを向けられた。

「私、日頃の行いが良ろしいので」

「やめてよ、そのドヤ顔。 はぁ、私からすればウサギもモルモットも──」

「ゔぅっ。 ちょっと! 名前出さないでよっ! 名前だけでもゾワァって! ゾワァってするんだからねっ‼︎」

「……今度貴方にイラッとしたらソレ系の動画でも送りつけようかしら」

「ちょっ、いくら友達でもそんなことしたらぜっーたい許さないからねっ‼︎」

「なっ⁉︎ じょ、冗談に決まってるじゃない! このバカっ‼︎」

「え? えぇ……」

「くっ。 ふんっ」

 真っ赤な顔に鋭い眼。それはまさに童話に出てくる鬼のような顔で睨まれ、プイッとそっぽを向く美采。その様子からかなりご立腹なのは分かるけど、どうして私が怒られているのかさっぱり分からない。寧ろ、怒りたいのはこっちのはずなんだけど。

結々ゆゆ! ミコトさん! あちらで餌やり体験が出来るそうなので、ぜひ参りマショー!」

 ウサギを三匹も抱え、顔もゆるみにゆるみきって幸せいっぱいな雫からのお誘いがきたけれど。流石に今はタイミングが悪──

「何? 行かないの?」

「へ。 や、行くけども。 その」

「ほら、行くわよ」

「う、うん」

 あれ? さっきまで怒ってたはずなのに……分からない。分からないけど、大丈夫ならいい……よね?



 *



 電車で雫と別れ、地元へ戻ると日が沈んでいた。薄暗い空にはまだほんの少し赤みがあるけど、それを吸い取るように街灯がひとつ、またひとつと明かりを灯していく。

 コツ、コツ。心なしか、隣を歩く美采の足音がよく聞こえる。

「ねぇ、美采。 今日は楽しかったね」

 夏の時期だけ、それにいつもって訳じゃない。たまに、本当にたまにこの時間帯に妙な寂しさを感じてしまう時がある。そうなる理由は特になくて、ただ理不尽に私の心を蝕まれている。

 だから、美采に話しかけて、少しでもその気持ちを忘れようとしていた──


「景品のストラップ。 三人でお揃いってなんか照れちゃうね」

「別に。 それくらい大したことじゃないと思うけど。 大体」

「ッ‼︎」


 ──その時。


「ちょっと! 話聞いてなかったでしょ」

「ごめん。 何だっけ、その……そうだ! 『このストラップ、大切にシマスネ!』って、言ってもらえて良かったね」

「何、その雑なモノマネは……。 雫に怒られるわよ」

「えぇー、そうかな? 雫の可愛さを余すことなく表現出来てたと思うけどなぁ」

「貴方ね」


 さっき目にしたことは、そこまで衝撃的じゃない。反対側の喫茶店から菊花と心珠ちゃんが一緒に出てきた。ただそれだけ。正直、心珠ちゃんとそんなに仲良くなっていたのは意外だけれど。違う。そうじゃなくて。

 この胸が騒ぐのは、


「あ、私ちょっと用事があるんだった! じゃ、まったねー!」


 美采の返事も聞かず、駆け出していた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 さっきの菊花はいつもと変わらず涼しげな顔だった。なのに、見ていたらなんか。なんか。なんか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る