Chapter 1.
「晴れたーっ‼︎‼︎」
放課後の中庭。大声とともに目一杯身体を伸ばし、全身で陽の光を浴びる。そうやって例年より早い梅雨明けを喜んでいると、ニコニコ顔の雫に『今日は一段とハリキってマスネ!』と言われた。なので、それに応えるように笑顔を返す。
「そりゃそうだよ! 久しぶりの外練だからね!」
梅雨の間は空き教室での筋トレと軽めのダンスレッスン。帰宅後はビデオ通話でその日の練習内容のおさらい等、何もしていなかった訳じゃないけれど。
やはり、それでは体力を持て余していたので、思いっきり身体を動かせるのが楽しみだった──。
「ほらほら、もっといくよー!」
まずは準備運動として学校の外周を走ると、楽しくて気持ちが高揚した! やっぱり、外でのびのび身体を動かすのは格別! 走れば走る程、モチベーションがぐんぐん上がっていく!
「はぁ、はぁっ……あ゛ぁ゛……。 は、はひぃぃぃ……!」
「この勢いでもう十周くらいいこっか!」
「え、えぇっ……⁉︎」
「うそうそ。 あと二周頑張ろ!」
「うっ、しれっと二周も追加を……で、でも、頑張りマス……ッ‼︎」
「ハイ! ファイ! トー!」
「で、デース……ッ‼︎」
今の雫は以前よりも体力がついてきて、パフォーマンスも完璧とまではいかないけれど。ほんの二ヶ月前までは素人だったとは思えない程、形になっていた。あとはパフォーマンス中の笑顔をキープ出来るようになれば。
「ほら、スマイル! スマイル!」
「はぁ、はぁっ。 ん、はぁっ。 ハイデス!」
汗だくで、見るからにつらそうな雫。でも、彼女の笑顔は輝いてて、見ているだけで胸の底から『おぉ!』って気持ちが溢れてきて、どんどん楽しみが膨らんでいった。
あぁ、一秒でも早く本番の日になってほしい。そして、雫と一緒にステージに立ちたい。
──そう、この時のは私はその未来しか見ていなかった。
動画編集のことも考えつつ、ギリギリまで練習し、ついにこの日がやってきた。
「それじゃいくよ」
「で、デス! 頑張れミャス!」
体育館の舞台でのPR動画撮影。以前は一人で立ったのに、今は二人。それがすごく嬉しくて雫とのパフォーマンス、と言ってもサビを踊っただけでお試しって感じだけど。楽しくて仕方なかった──。
「はぁ、はぁ」
「はぁ、はぁっ、はぁ、はぁっ。
「……雫。 うん、バッチリ! 今の私たちにやれる最高のパフォーマンスだったよっ‼︎」
やれることは全部やった。あとは天命を待つだけ。
大丈夫。ずっと努力してきたんだから、きっと良い結果に決まってる。
だから、不安になる必要なんて。
──私は、まだ気づいていなかった。本当の試練はこれからということに。
学校から帰って、しばらくの間。ボーっと自室のベッドで横たわっていると着信音が鳴り響いた。
非通知からの電話だったから少し迷ったけど。ここで逃げてもどうにもならないと思い、恐る恐る電話に出てみると、予想通り柿崎さんからだった。
最低限のやり取りの後、
『単刀直入に聞くが。 それで満足か』
スマホから発せられた彼の声は機械のように無機質で何の感情もなく、ただ事実を突きつけてきた。
「ちゃんと。 ちゃんと全部見てもらえればきっと」
『本気でそう思っているのか?』
ガシャンッ、と。まるで心臓が鎖で縛られたみたいに胸が痛んだ。
目標の七千五百『いいね』は、学校から帰る頃には達成していて、本当に驚いた。まさか投稿してから一日足らずで達成出来るなんて思ってもみなかったから。
だけど、それを素直に喜ぶことは出来なかった。だって、動画へのコメントが。特に雫に対する反応が、否定的なものばかりだった。
なのに、喜べるはずが……。
『何を言おうとそれが現実。 今のお前達の全てだ』
何も、言えなかった。
『当日まで、よく考える事だな』
電話が切れた瞬間。悔しくて涙が止まらなかった。
柿崎さんは初めからこうなるって、だからこんなにも簡単な条件を出してきたんですね。
それなのに、私は。
「ダメだよね。 このままじゃ」
今の時刻は十八時四十七分。雫と別れてから一時間以上経っていた。
すぐさま雫に『時間ある?』とメッセージを送る。一瞬で既読がつき、着信音が鳴り響いたので迷わず応答ボタンをタップした。
『スミマセン。 急に。 どうしても、
「……ううん、私もちょうど話したいと思ってたから──」
すぐ本題には入らず、目標を達成出来て良かった。そんな他愛ない話でワンクッション置いてから。
「ところで……。 見た? 動画への、コメント」
『ハイ』
「全然気にしなくていいよ! まだ全部見せた訳じゃないし! 寧ろ、本番に向けての課題が見えたというか。 えっと、だから……」
『ありがとうございマス』
──優しくなった声にホッとした、その時。
「え。 今、なんて」
『私は……フェスには出ないデス』
*
いつもと変わらない朝の教室。
「おはようございマス、
いつものように挨拶をして。
「見てクダサイ! ルナルナの新曲デス!」
いつものようにお喋りをして。
「次は
いつものように一緒に授業を受けて。
「クゥ〜、お腹空きマシタ〜」
いつものように一緒にお昼を食べて、一緒にのんびりして、一緒に笑って。
いつものように午後の授業もあっという間に終わって。
放課後、いつものように一緒に──。
「では。 また、明日デス」
「うん。 バイバイ、雫」
フェスまでの残り僅かな時間。雫に『私に合わせていては
本当はそんなの嫌だった。けど、私にはこれ以上彼女を付き合わせることは出来なかった。
本当はどうするべきか。
ううん、どうしたいかは分かっている。でも、今の私が何を言っても雫を傷つけるだけ。
だったら、彼女の想いを尊重するしか──。
「はぁ」
学校の外周を走り終え、中庭に戻った途端に大きなため息が出た。一人で練習するようになってまだ二日目なのに、これじゃ先が思いやられるな。
「あれ?」
大きな一本の木、花壇、ベンチにテーブル。その気になればここでライブだって出来そう。中庭って、こんなにも広かったんだ。
いつも二人だったから気づかなかったな。
「……練習しよ」
そう口にしても、またスマホを手に持ったまま何も出来なかった。だって、あの曲は一人じゃなくて二人でするもの。
私は、今でも雫と。
「結々」
気がつくと目の前に、菊花がいた。
「どうしたの?」
「それはこっちのセリフ。 しずは?」
「今日は休みだよ」
「昨日も休んでた。 なんで? 体調不良って訳じゃないんでしょ」
「それは……色々あって。 あはは」
わざわざ相談するような話じゃないから笑って誤魔化そうとしたけど。私を見つめる菊花の顔があまりにも真剣で。
「……あの、ちょっとだけ話聞いてもらっていいかな──」
雫と歌うのが楽しかった。踊るのが楽しかった。
ただ一緒にいるだけで舞い上がっていた。
だから、私に追いつけず、ゆっくり追い詰められている雫から目を背けて、無理にでも一緒にステージに立とうとした。
「──私、バカだよね……」
一方的に理想を押しつけて、雫と通じ合ってるような気になっていた。片側からだけじゃ絆を結ぶことは出来ないのに。
「雫にとって、ただの重荷だったのかな……。 もしそうなら……」
最低だ。
「ふーん。 そう」
菊花は興味なさげな返事をし、背中を向けてきた。無理もない。こんな私、呆れられて当然。
だから、そのまま立ち去るかと思っていたら、
「明日の夕方。 家に来て」
「いいけど。 なんで急に」
「来れば分かる」
予想外の言葉で不意打ちをくらった。
「んー、んぅ、ん〜」
翌日の土曜日、言われた通り菊花の家へ来た。それで『着いた』とメッセージを送ったけど、既読がつかず、家の前を右往左往するはめに。
夕方って何時からなんだろ。個人的には十六時くらいだと思ってたけど。もしかして、ちょっと来るのが早かったかな。
「……はぁ」
仕方ない。一旦、家に帰って──その時、勢いよく玄関の扉が開いた。
「き、菊花⁉︎ どうしたのそのボサボサ頭、それにその顔」
目は充血し、その下には隈。さらに顔色は悪く、今にも倒れそうだった。
「はい。 これ」
突然渡された紙袋。
その中には──白のドレスが入っていた。
「忘れてないから」
「……っ……‼︎」
──あのアイドルアニメを見て、私の夢が始まった日。
私はどうしても憧れの彼女達のように二人でステージに立ちたくて菊花を誘った。でも『ゼッタイにイヤ』と断られてしまった。
だけど、菊花は、
『……でも、衣装くらいなら作ってあげる』
私の夢を支えてくれると、約束してくれた。
「ステージ。 一緒に立ちたい人いるんでしょ」
「……ん……」
「だったら、ちゃんと言えば。 自分から何も言わず、ただ呆然と立ち尽くすなんて。 そんなの時間の無駄だから」
「うん……うん……」
紙袋をギュッと抱きしめ、しばらくの間、涙が止まらなかった──。
「月曜日。 それ以上は待てないから」
「……ううん、大丈夫だよ。 今すぐ行くからっ‼︎」
菊花に返事をした時。きっと今の私はすごく良い笑顔をしているに違いないと思った。
だって、トクン、トクンと。こんなにも胸が高鳴っているから──。
早く雫に会いたい。その一心で駆けていた。
あのまま菊花の家から駅へ直行し、切符を購入。お釣りを取る時間すら惜しくて放置。発車直前で閉まる扉を無理矢理こじ開けてでも乗車した。
──早く。早く会って、雫と話したい。
「はぁ、はぁっ、はぁ、はぁっ。 ……よし」
雫の家に到着してすぐインターホンを鳴らした。
「あれ?」
しかし、しんと静まり返ったまま。それはもしかしなくても不在を意味していて……やっちゃったぁッ‼︎ 頭の中が雫のことでいっぱいで、勢いに任せて来ちゃったけど。週末なんだから予定があるよね。あぁ、家にいるかぐらい確認するべきだった……。
「どうしよう」
とりあえず、雫にメッセージを送ったけど。
このまま会わずに帰るのは……。こうなったら最悪どこかで寝泊まりすることも考えて。
「結々さん?」
「ッ‼︎⁉︎」
一瞬、雫に名前を呼ばれたかと思った。でも、今の雫は私を『結々さん』とは呼ばないから違う。
振り返ると、そこにはコンビニの袋を片手に持った少女がいて──
「こ、こんばんは。 茜ちゃん」
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