Chapter 5.&side.神姫命

 ・side.神姫命




 ──こんな世界、大嫌い。




 三歳の頃、初めての記憶は、


『さいこー! みこと、今日もさいっこーにかわいいよぉ〜』


 笑顔の【お姉ちゃん】に抱きしめられていた。


 歳は六つしか違わなくて自分もまだ子どもなのに、【お姉ちゃん】はいつも私の世話をしてくれて、親以上に私を溺愛していた。

 私の為なら何でもして、どんな願いも叶えようとしてくれる。それはまるで物語の中に出てくるランプの精のよう。幼いながらに、そんな都合のいい【お姉ちゃん】を変だと思っていた。

 だから、どうしてそこまで私の事が好きなのか聞いたら。


『みことはね、わたしのかわいいおひめさま。 いのちのみなもとなんだよ〜!』


 当時の私にはその言葉の意味は全く分からなかった。だけど、その明るく優しい声色から「ずっとおねぇちゃんといっしょにいればいい」と思った。


 後にあれは好きなアニメのセリフに影響されて言ったと知り、ちょっとガッカリしたんだけれど。




 ──この世界は私を追いつめる為だけに存在し、私に禍いと不幸しかもたらさない。




 小学校に通うようになり、初めて【お姉ちゃん】がすごい人なんだと知った。


 勉強も運動も出来て、持ち前の明るい性格で人間関係は良好。さらに困っている人は見捨てず、助けていた。

 とても誇らしい【お姉ちゃん】。

 当然、【お姉ちゃん】は関わる人みんなに好かれ、どんな人も笑顔にしていて──まるで世界の中心、太陽のように思えた。

 誰とも関わろうとしない自分とは違う。血を分けた姉妹なのに真逆。

 私は【お姉ちゃん】に憧れ、同じように髪を伸ばせば。明るくニコッと笑えば。人助けをすれば。どんなに些細な事でも真似していけば、あんな風になれるかもしれない。なんて考えていた。

 でも、私は【お姉ちゃん】の真似をしなかった。


『ほら、行こう。 みこと』


 毎朝、玄関で差し伸べてくれる手。それは妹の私にだけ許された特権。

 家から一歩外に出るだけで眩しく、遠い存在に思えても。一緒に登校して、この手を握っている間は【お姉ちゃん】は何も変わってなんかいない。【お姉ちゃん】のままだと実感出来た。だから、私はこのままでいいと。




 ──もしあの日に戻れたなら、なんて甘い妄想。反吐が出る。




 たまたまだった。

 テレビをつけたら数年前に大流行していたアイドルアニメの再放送がやっていて、それを【お姉ちゃん】と一緒に見たのがきっかけ。私にとってはただのアニメだったけど、【お姉ちゃん】にとってはそうじゃなかった。

 運命の出会い、だったんだと思う。

 あれ以来、【お姉ちゃん】はそのアイドルアニメが大好きになり、何度も見て、いつも同じ感想を語ってきた。それに付き合わされる身にもなってほしい、と思う時もあったけれど。

 私もその時間が楽しくて、笑顔でアイドルを語る【お姉ちゃん】が大好きで、


『おねぇちゃんもアイドルになりたい?』


 余計な事を聞いてしまった。

 主人公のセリフや作中のダンスを真似たり、お風呂で一緒に主題歌・劇中歌を歌う。

 そんなささやかな幸せで十分だったのに。輝くステージに立たなくたって【お姉ちゃん】は煌めいていたのに。私だけのアイドルで良かったのに。




 ──他の誰にも分からない。私だけの孤独と絶望。




 当時の私には【お姉ちゃん】がお歌の習い事を始めた程度の認識しかなくて。ほんの数時間、【お姉ちゃん】との時間が削られる。それは仕方がないこと。別に寂しくなんかない。と言い聞かせて、我慢していた。

 だって、そうすれば【お姉ちゃん】は最高の姿を見せてくれたから。


『えへへ。 どう?』

『おねぇちゃん、すごい。 すごいよっ!』


 公園で【お姉ちゃん】のダンスレッスンに付き合う。といっても素人の私に手伝える事はなくて、ただ見たままの感想を言うだけで何の役にも立っていなかった。

 それでも【お姉ちゃん】は私との時間を大切にしてくれて──この時から私も【アイドル】に惹かれ始め、隠れて歌・ダンスの練習していた。

 とはいえ、素人が見様見真似の練習をしたところで、ただのお遊び。大した成果は得られない。だけど、何もしていないよりはマシで、私は己の未熟さを通して【お姉ちゃん】の成長の早さ•才能を理解した。

 だから、【お姉ちゃん】なら必ず本物のアイドルになれると信じて疑わなかった。



 しかし、そのせいで私は【お姉ちゃん】に置いていかれているような気になって。離れて、もう追いつけないんじゃないかと不安になっていた。



 私が九歳になった年。【お姉ちゃん】の大好きなアイドルアニメがキャストの一般公募オーディションを行った。

 まさに突然舞い降りたチャンス。【お姉ちゃん】にとって、それがどれだけ幸運な事か。私には到底理解出来ず、身勝手にも応募して欲しくないと思っていた。

 私は怖かった。

 才能のある【お姉ちゃん】なら、厳しいオーディションだろうと受かってもおかしくない。もしそうなれば、今以上に離れてしまう。それこそ、一般人とは違う別の世界の人とさえ。

 だから、


『オーディション。 こわく、ないの?』


 必死に涙をこらえて。

 私は【お姉ちゃん】にも同じ気持ちになってほしくて。思い止まってほしくて。

 けれど、


『ううん、怖くないよ。 だって、どんなに離れていても私とみことは繋がっている。 一人じゃないから』


 止められなかった。

 優しく微笑む【お姉ちゃん】の真っ直ぐな瞳。私は初めて【お姉ちゃん】を"嫌い"だと思った。



 頑張る【お姉ちゃん】を見て、こんな事を考えちゃいけない。頭ではそう思っても心を律する事が出来ず、何度も「不合格になって」、「夢を諦めて」と願い続けた最低な私。でも、それが聞き届けられる事はなく【お姉ちゃん】はオーディションに合格し、主役の座を射止めた。そして、キャスト兼タイアップアイドルとして活動する事が決まった。

 それから一年近く、ずっと泥の中にいるみたいだった。

 何もする気が起きない。あんなにも【お姉ちゃん】に置いていかれたくないと思っていたのに、歌もダンスの練習も投げ出して、目を背けていた。それどころか、夢を叶えた【お姉ちゃん】を素直に祝う事も出来なかった。

 心が重たい。こんな自分を変えたくても身動きが取れず、ネガティブな気持ちに追い詰められて、ゆるやかに暗い底へと沈んでいく。【お姉ちゃん】に助けて欲しい。でも、私にその資格はなくて。自業自得だと受け入れるしかなかった。



 あの時までは。



 十歳の夏。【お姉ちゃん】が主役を務めるアニメが放送されて、その一話を二人で一緒に見ていた時。


『──歌が好きだ』


 画面の中の少女──主役の女の子のセリフが自分に重なり、涙を流していた。

 大好きなのに。自分に失望して、目を背けて。それでもこのキモチが消える事はなくて。私も、やっぱり【好き】なんだと。

 だから、すぐに【お姉ちゃん】に聞いた。


『わたしにさいのうってある? お姉ちゃんみたいに、がんばれる……かな?』


 素直になれない私はそんな聞き方しか出来なかったけれど。【お姉ちゃん】は優しく微笑んで「大丈夫。 みことなら絶対に頑張れるよ」と言って、手を握ってくれた。だから、私はもう一度始める事が出来た。【お姉ちゃん】と一緒に。



 楽しかった。毎朝【お姉ちゃん】と一緒にトレーニングをして、歌•ダンスを教えてもらうのが。

 楽しい時だけじゃなくて、つらい時も。【お姉ちゃん】が厳し過ぎると挫けそうな時もあったけれど、やめなかった。だって、頑張った分だけ夢に近づく。それが嬉しくて、叶う日が待ち遠しくて。


 早く【お姉ちゃん】と一緒に。隣で肩を並べて──。


 その日々は私の人生の中で一番幸せな時だった。

 でも、それはほんの一瞬で。




 ──例え、世界が終わりを告げても終わらない。次の世界が始まるだけ。




 実感がなかった。

 棺の中で眠る【お姉ちゃん】はとても綺麗で。「朝だよ。 起きて」と言えば、今すぐにでも目を開けてくれそうに見えた。

 でも、その手に。その頬に触れて分かってしまった。私はこの冷たさを知っている。【お姉ちゃん】と一緒に夕飯を作っていた時、何気なく触っていたお肉と同じ。私は死をまだ先の話。いや、フィクションみたいに遠いものだと思っていた。けど、本当は身近にあって、触れていた。

 だから、嫌でも理解してしまう。【お姉ちゃん】はもう目を覚まさない。死んでしまった、と。

 これからだったのに。アニメは好調で二期の制作も決まり、ファンも増えて、ライブツアーだって控えていたのに。これからもっと、もっと輝くはずだったのに。その未来は失われてしまった。

 悲しみと怒りが入り混じったこの感情をどうすればいいんだろう。【お姉ちゃん】を事故に遭わせ、命を奪った運転手も一緒に死んでしまった。いくら加害者の遺族が謝罪してきても、不幸な事故に巻き込まれた関係のない人達としか思えなくて恨みの一つも言えなかった──。



 この世界は無責任だ。私から【お姉ちゃん】を奪った理由さえ教えてくれない。



 どんなに離れていても繋がっていると言ってくれた【お姉ちゃん】がどこにもいない。【お姉ちゃん】の部屋の中にも、遺品のドレスにも。

 部屋を出る時、ふと幼い頃に背比べをした事を思い出し、ドアにつけたペンの跡に目をやると──薄く、今にも消えてしまいそうで。


『お母さん。 ちょっと出かけてくるね』


 手を握り、一緒に歩いた通学路。毎朝、一緒にトレーニングをした公園。【お姉ちゃん】のお気に入りの喫茶店、よく食べていたクリームパン、雨の日に滑って尻もちをついたマンホール。あの猫を撫でていた。あそこでお買い物をした。茜色に染まる空に向かって二人で歌い、家に帰っていた。

 私はこの街でずっと【お姉ちゃん】と。

 何も消えていない。こんなにも【お姉ちゃん】との想い出があるのに、どこにもいなくて。この世界に私だけが取り残され、一人になっていた。



 お父さんも、お母さんも立ち直って。【お姉ちゃん】のファンだった人達も離れていって。

 怖かった。

 誰もが【お姉ちゃん】を忘れて、消し去ろうとしているみたいに思えた。前を見て生きるべきとか、死んだ人に心配をかけないとか。理屈はどうだっていい。そうした方が正しいのは分かっている。けど、私にはそんな事出来なかった。

 だって、私まで忘れたら【お姉ちゃん】は本当に消えてなくなってしまう。そんなの、そんなの受け入れられるはずが──


『おかえりなさい、【みこと】』


 ある日の学校帰り、お母さんは私の名前を呼んでいたんだと思う。だけど、私には【お姉ちゃん】の名前を呼んでいるようにしか聞こえなくて──気付いた。

 すぐさま自室に戻り、ランドセルを投げ捨てて、想い出の公園へと向かった。そして、歌った、踊った。【お姉ちゃん】のように。


『はぁ、はぁ。 うっ……うぅ……』


 涙で霞む世界の中、ようやく分かった。

 どこを探してもいなかった【お姉ちゃん】がここにいた。優しく抱きしめてくれた。

 私の中に、トクンと高鳴るこの胸に灯っていたんだって。


『私、なるよ。 【お姉ちゃん】と同じアイドルに』




 ──私の"未来"は誰にも触れさせない。




『私はね、みことがやりたいなら応援する。 でもね──』


 お母さんも、


『そうだぞ。 みことはみことなんだ。 無理に──』


 お父さんも、私の事を思って心配してくれている。その気持ち自体は嬉しいけど、ごめんね。私はもうこの道を行くと決めた。

 他の誰の為でもない。私の為に。



 見せつけてやるの。【お姉ちゃん】がくれた光で、私の煌めきで──ここにいる。もうこの世界に【お姉ちゃん】はいなくても、消えてなんかいないって。

 そして、そのに焼き付けて、二度と忘れさせない。私達の"赫き輝き"を。



 別に構わなかった。【お姉ちゃん】を知る人に二号扱いされても。

 寧ろ、嬉しかった。それは私が望む未来に向かって真っ直ぐ進めている証だったから。

 このまま行けばいい。そうすれば、【お姉ちゃん】が手にするはずだったあの星へと届き、二人で一緒に──。


『好きなものは、もちろん──アイドルですっ‼︎‼︎』


 ただの通過点としか思っていなかったオーディションに、あの子が──宇佐美結々が現れた。

 彼女は歌もダンスもそれなりに出来ているけど。ところどころ我流でやっているのが目立ち、落とされるのは目に見えていた。

 そんなつまらない存在のはずなのに、


『……何なのよ……』


 目が離せなかった。

 その歌い方、ダンス、パフォーマンス中の表情。彼女が【お姉ちゃん】に影響を受けているのはすぐ分かった。

 別に珍しい事じゃない。【お姉ちゃん】の才能に魅せられた子ぐらい何人も見てきた。だけど、みんなただ真似しているだけのロボット。もしくは自己流のアレンジを加えた劣化コピーで、何とも思わなかった。

 実力だけ見れば彼女もその子達と変わらない。

 それなのに、胸がざわついて。不覚にもひやりとした。


『……違う……』


 彼女も、ニセモノ。【お姉ちゃん】を理解していない。いや、理解しようとすらせず、お遊戯をしているだけ。そんな貴方に私が劣るはずないのに、どうして負けたような気持ちに。

 生まれて初めてだった。こんなにも誰かに負けたくないと思ったのは──


『は? ……何でよ』


 最終審査に彼女の姿はなかった。

 確かに我流の彼女がオーディションに受かる可能性は万に一つもなかっただろう。しかし、二次審査を通過している他の子達に比べれば十分実力はあった。だから、最終審査でぶつかり、打ち倒して、この気持ちを払拭するつもりだったのに。


 このオーディションは遊びじゃない。価値を見出されなかった者は存在しないも同然。


 そう思い続けれたなら、いつかは彼女を忘れ去れたのかもしれない。

 けれど、知ってしまった。彼女が落ちたのは価値を見出されなかったのではなく、私のせいだと──審査員達は荒削りでも彼女の実力を認めていた。だが、事務所は審査中に私の身の上を知り、亡き姉に代わってアイドルを目指す。そんなありきたりなドラマに目をつけ、私をデビューさせると決めた。そして、ネット配信される最終審査でその筋書きを脅かしかねない彼女を二次審査で弾いていた。

 所詮ただの立ち聞き。それが事実かどうかは分からない。だけど、この胸のドロドロした感情をどうにかしないと前へ進めないのは確かだった。


 そんな時、タイミングを見計らったようにあの女── 五月女さつきめ織音しおんから「かわいい子を見つけた」というメッセージとともにある動画が送られてきた。

 たかが一度共演しただけで馴れ馴れしく接してくる気に入らない女。普段なら無視するところだったけど。その時だけは無視しなかった。何せ送られてきた動画は宇佐美結々が『Mirage Strike.』を歌っているもので──私への宣戦布告としか思えなかったから。

 これならいけるかもしれない。そう思った時にはすでに白陽アイドル部のアカウントをフォローし、彼女の自己紹介動画を拡散していた。

 あの五月女織音が気に入り、私が目をつけたとなれば少なからず注目されるはず。そうなれば、私へと続く道を用意出来るかもしれない。そして、今度こそ決着を──。


 世の中、案外上手くいくものだと思った。


 思惑通り宇佐美結々は一躍時の人となり、柿崎志信を納得させれる最低限の条件を満たし、取引を持ちかける事に成功した。彼女の参加を認めてくれるなら今回のオファーを受け、今後何があっても彼との仕事を最優先する。たったそれだけで本来実現し得ない道を用意出来た。


 このやり方では宇佐美結々が私の前に立つ保証はない。けれど、業界で煙たがられる程パフォーマーへ真摯な柿崎志信が絡む以上、公平な審査は約束されている。もし辿り着けなかった時は彼女の実力不足。負けだと納得出来る。

 だから、私は彼女を招待し、待つだけで良かった。


『待ってください! どういう意味ですか! なんで貴方が! 私をっ!──』


 あの時、返事をしなかったのはする必要がなかったから。

 練習中の表情、そんなものは根拠になり得ないけれど。貴方なら私へと辿り着き、この口を開かせるだろうと思えた。




 ──貴方は私の敵。貴方にとっても私は敵。




 ここに来るまで宇佐美結々に何があったのかは知らない。

 ただ事実として彼女は以前よりも【お姉ちゃん】に似ていた。そして、『Shooting sonic.』を歌うその姿は。そのダンスは。二人で手を取り合って生まれたその"輝き"は【お姉ちゃん】と全く同じで。

 私と【お姉ちゃん】の違いを浮き彫りにしているようで。


『くっ……‼︎』


 気に入らないッ。気に入らないッ。気に入らないッ。

 貴方の存在が。

 だから、何があっても認めない。必ず証明する。

 私こそが──



 "【お姉ちゃん】の輝きとともに、ステージに立つべき存在だと"



 *



 パフォーマンスを終え、舞台袖に控えている宇佐美結々の元へ戻ると、

「すごいっ! すごかったですっ! 最初は怖かったんですけど。 なんて言えばいいんだろ。 次第に芯の強さみたいなのが見えてきて──」

 満面の笑みを向けられた。しかも、それだけじゃなくて私の【歌】、ダンスの感想を楽しそうに話してきた。

 恐らく彼女は私が挑発してきた事なんか綺麗さっぱり忘れて。これからあのステージに立たなくちゃいけないのに、不安を一切感じていない。

 今、彼女の頭の中にあるのは。

「私も全力でパフォーマンスするので見ててくださいっ!」

 どうして。

 歌もダンスも、私の方がまさっている。わざわざ周りの評価を聞くまでもない程、差は歴然のはず。なのに、どうしてそんな無邪気に笑っていられるの。


 ステージに立つ彼女が眩しい。

 この会場にいる大半の人は貴方に興味がない。ネットでは不平不満、僅かだけど批判の声すら上がっていた。そんな状況下で、何故貴方の瞳には希望が宿っているの。


 曲が流れ、彼女が歌い始めた瞬間。胸を締めつけられた。

 何でその曲を── 『Mirage Strike.』をそんな風に歌えるの。

 それは亡き姉の幻を乗り越える妹の決意と信念。そんな安っぽいドラマを生み出す為だけに作られた曲。私はそんなの気に入らなくて、【お姉ちゃん】を踏み台にしようとする世界こそ幻、撃ち抜くべき。と、怒りを込めて歌った。

 けど、貴方はそうじゃない。いないはずの相手──幻の誰かを想い、ともに歌っている。

 舞台の中央から離れ、やや右へ寄り、不自然で何かが欠けているようなダンスをする彼女。時折り左隣へ目配せをし、安心したように微笑む。その位置取りとダンス、仕草の意味に気付く人がどれだけいるのか。一体何人に怪我をしたあの子が見えているのか。

 分からない。ただ一つ言えるのは、そんな伝わる望みの薄い表現はすべきではないという事だけ。

 けれど、もし【お姉ちゃん】が『Mirage Strike.』を歌うとしたら、貴方と同じように。


 胸がざわつく。


 どうして。私の方が貴方より【お姉ちゃん】を大好きなのに。

 何で。妹の私より貴方の方が【お姉ちゃん】に似ているの。

 やめてよ。私から【お姉ちゃん】を奪わないで。


 貴方なんか。貴方なんか。貴方、なんか……。


『──みこと』


「ッ‼︎ おねぇ、ちゃん──」



 *



『朝だよ。 トレーニングの時間だぞ〜』

『ん、んぅ。 わ、わかってるも……んぅ……』



 眠たいのに起きるのも、



『はぁっ。 はぁっ。 はぁっ』

『はい! ファイっトぉー!』


『うぎっ、うぐぐ』

『ほら、頑張って! あと五回だよ!』



 走るのも、筋トレも大変だったけど。

 やめなかったのは、



『お疲れ様、みこと』

『あ゛ぁー…………よし! お姉ちゃん、歌! ダンス!』

『え。 もう少し休んだ方がいいんじゃ』

『休んでる暇なんかないよ! 早く!』



 二人の時間が楽しくて、ずっと夢見ていたから。



『みこと。 また上手になったね』

『ほんとっ! どれくらいっ? どれくらい上手になったのっ⁉︎』

『え。 あー、レベルが五くらい上がったかなぁ。 なんて』

『……んぅ、何それ……』

『やっ、すごいんだよっ! 普通レベルは一ずつしか上がらないんだよ! それを一気に五だよ! すごい! すごいよ、みことっ!』

『じゃあ、お姉ちゃんといっしょのステージに立つには、あとどれくらいレベルを上げたらいいの?』

『んー、そうだなぁ。 あと……四、五年くらいかな』

『レベルじゃなくなってるっ! もうっ!』

『あはは、みことでもそんなすぐには無理ってことだよー。 でも──待ってるからね』



 ねぇ、【お姉ちゃん】。私、失くしてなんかないよ。

 楽しいキモチも、好きも、あの日の夢も。

 この世界からお姉ちゃんがいなくなったって、どんなに遠く離れたって。信じてる。

 いつの日か必ずお姉ちゃんと一緒にステージに立てるって。

 だから、



 *



 ──宇佐美結々越しにお姉ちゃんが見える。


 私の名前を呼んでいる。


 彼女のパフォーマンスを見ていると、お姉ちゃんとの想い出が溢れてくる。


「そうか。 そこ、だったんだ」


 胸のざわつきの正体。

 それに気付いて伸ばした手の先に見えるのは、


「私の。 行きたい場所は」



 "貴方のような人の隣"



 * * *



 フェスが終わってすぐ神姫命の楽屋へと呼び出された。そして、あの日私がオーディションに落ちたのは彼女のせい──その真相を話してくれたけど。

「えーと。 それだけですか?」

「それだけって。 どういう意味よ」

「いや、拍子抜けというか。 何というか」

 全力を尽くしたとはいえ競演の結果は圧倒的な差をつけられ、私の負け。それはMCのとるてさんも同情する程で……。だから、ここに来るまでは何を言われるのか冷や冷やしていたし、何故か話してくれた真相もそんなことだったとは思わなかったしで。正直、頭が追いついていない。

 ただ、今言うべきことは。

「それって別に誰のせいでもないですよね?」

「…………」

「そ、そもそも私が勝ったら話してくれるはずじゃ……」

「はぁっ? それくらい察しなさいよっ!」

 突然ものすごい剣幕で怒られた……なんで……。

「私の事、恨まないの?」

「えっと。 恨むも何もないと思うんですけど」

「はぁ。 言葉を変えるわ。 こんな面倒事に巻き込まれて、嫌じゃなかったの?」

 その声色は徐々に弱々しくなり、彼女が一連の行動をどれだけ悔悟かいごしているのか伝わってきた。

 嫌じゃなかった。寧ろ、彼女に応える機会をもらえて感謝している。そう伝えたところ、不思議そうな顔で首をかしげられてしまった。

 だから、あのオーディションで彼女のパフォーマンスを見て胸が熱くなり、応えたいと思ったこと。けれど、空っぽで未熟な私では彼女に応えられず、悔しい思いをしたこと。一度はそれに目を背けて逃げたこと。友達のおかげで立ち直り、その挫折と向き合う為に『Mirage Strike.』を歌ったこと。これまでの道程で彼女に対して抱いていた想いを全て話した。

 そして、

「今の私はあの時とは違います。 ただ真似しているだけじゃない。 憧れの人にもらった小さな輝きを未来へ繋いでいく。 そういうアイドルになりたいと思ってステージに臨みました。 だから、その……──私のパフォーマンス、どうでしたか? 命さんに、応えれましたか?」

 やっぱり、直接聞くのは怖かった。でも、あの時の──パフォーマンス中の誰かと繋がっているような感覚を私は信じている。だから、きっと彼女にだって。

 しばしの沈黙の後、口を開いた彼女は、

「貴方。 そういう事恥ずかしげもなく言えるのね」

 同情するようなで、何の躊躇いもなく辛辣なことを言ってきた。

「まさか自分の事をアニメやドラマの主人公のように思ってるのかしら?」

「やっ、いやいやいや、そんなつもりはなくてっ! 私は、ただ……──わわっ⁉︎⁉︎」

 その時、彼女はグッと顔を近づけてきて、いたずらっぽい笑みを浮かべながら。

好敵手てき、決定」

「へ。 てき、ですか?」

「そう、貴方は私が認めた唯一の好敵手てき。 これから先、何があっても立ち止まる事は許さないから」

「……もう。 命さんもそういうこと、恥ずかしげもなく言ってるじゃないですか」

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