Chapter 5.&side.雫
体育館の舞台袖。もうじき開演時間になり、ここから数十歩先には待ち望んでいたステージがある。
だけど、前へ進める気がしない。
朝起きた時も、学校へ向かう時も、雫ちゃんと一緒に機材や席の準備をしている時も、本番前のリハーサルの時も平気だったのに、今は嫌な汗が止まらない。トレーニングウェアが鉄みたいに重たく感じる。あんなにも立ちたいと願っていたステージが怖い。
今までたくさん受けてきたオーディションでも、こんなことには。
「……ッ……」
その時、初めて気づいた。
誰かに自分の力量を見てもらうことはあっても、人に自分の好きを見せる為の舞台に立つのはこれが初めてだったと。
それで出来るの? ここで失敗したら──。
「はぁ。 はぁ。 はぁ」
息がしづらい。いつもは高鳴る胸が痛くて、内臓が内側から締め上げられてるみたいに苦しい。
知らなかったな。私には、まだこんな弱さがあったなんて。
「ん、くっ…………」
少し、少しずつ離れていく舞台。後退るのは前へ進むよりも簡単で離れれば離れる程、身も心も楽になっていった。
でも、これ以上は下がっちゃダメ。あと一歩でも後ろに下がったら、二度と前へ進めなくなる。
「…………」
それだけは絶対に嫌だから、もう退がらない。何としても、前へ。進まなくちゃ。進まないと、届けられない。私は、もう。決めたでしょ。雫ちゃんと、二人で。
「大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫。 大丈夫」
「
「ッ‼︎」
振り向くと、そこには心配そうな顔でこちらを見つめる雫ちゃんが。
「どうしたの? 機材トラブルでもあった?」
「いえ。 本番前に、一声かけようと思いまして」
「そっか。 ありがとう。 でも、私は大丈夫だよ。 ほら、さっき緊張をほぐすおまじないもしたしね!」
いつもと同じように微笑みかけると、抱きしめられ、耳元で『怖いデスカ?』と聞かれた。
「まっさかぁ、アイドル目指してたんだよ? 場数は踏んでるよ。 だから、これくらい、平気に、決まって……………………」
あぁ、ダメだ。こんなにもピッタリとくっつかれたら嘘をついても意味がない。だって、この身体の震えは。どうやっても、誤魔化せないから。
「ごめんなさい。 こんな、直前で。 情け、なくて」
「ごめんなさいなんて言わないでクダサイ。 誰にだって怖いものはありマス。 情けなくなんかないデス」
「でも。 こんな大事な時に」
「それでもデス」
その時、力強くギュッと抱きしめられたから。
「……ぁ……」
堪えきれず、涙が溢れ落ちる。
ポロポロと、ポロポロと。雫ちゃんの肩へ。
頭では甘えちゃいけないって分かってるのに、彼女の温もりがこんなにも優しいから。
「……いいの、かな……」
「まだ時間はありマスカラ。 ゆっくり心の準備をしまショウ──」
* * *
・Side.雫
──もし過去の私にメッセージを送れるのなら、言ってあげたいデス。
『しずくって変だな』
それは何気ない一言でした。
小学生の頃。外国語活動の為に外部からやって来た先生はマムと同じアメリカの人で、彼女は私を一目見た時から英語を話せると思っていました。しかし、そう思ってしまうのは仕方ありません。先生からすれば銀髪と碧い瞳を持つ私は同郷の人にしか見えなかったでしょうから。
私の両親は
だから、授業で当てられた時、正直に『英語は話せないです』と言ったら、ずっと仲の良かった子に『変』だと言われてしまいました。そして、それ以来クラスメイトに『外国人なのに英語が喋れないのはおかしい』と揶揄われるようになって、少しずつ溝が生まれ、いつしか誰とも話さなくなって。
中学生になる頃には、学校に行けなくなっていました。
朝になるとお腹が痛くなって、玄関から外へ出るのが怖い。でも、学校に行かないのはいけないこと。だから、頑張らなくちゃ。そう思っているのにお腹はどんどん痛くなって、足も重たくて動かない。
優しく抱きしめてくれるマムに泣きながら『ごめんなさい』と謝る日々。情けない自分のことがいやで、イヤで、嫌で。いつも変わりたいと。でも、私は誰かこんな自分を変えて、と願うことしか出来ませんでした。
そんな時、出会ったのです。
マムはドラマやアニメのコトを全く知りませんでしたが。例え、
その中の一つに、あのアイドルアニメがありました。
アイドルになる夢を叶える為に異国の地から日本へやって来た少女。彼女の言葉はカタコトなうえに、たった一人で知らない土地へ来て心細いはずなのに、そんな素振りは微塵も見せず、真っ直ぐ自分の夢へ突き進んでいった。その姿は、とてもかっこよかったです。でも、それはただかっこいいだけではなく、やっぱり彼女の胸の内には不安や弱さがあって、普通の女の子でした。
私と同じ。
だから、憧れました。
その少女はもちろん。彼女の気持ちに応えたもう一人の少女にも。
あんな風になりたい。
例え、弱くても、未熟でも。あの少女のように夢を見て、それに向かって力強く前へ進んで、手を取り合い背中を預けれる大切な友達に出会いたい。
世の中、そう都合よくいかないのは分かっています。
でも、ここのまま引きこもっていてはそれを叶えれる可能性はゼロ。
だから、
『マム、私……学校に、行けるよう……頑張りマスッ‼︎』
お腹が痛くても。毎日一歩でも、一ミリでも、全く進めなくても。焦らず、諦めず、玄関を目指して。
長い時間をかけ、ようやく開けれた扉の先には優しい陽射しと青い空が待っていて。
『きれい、デス』
涙で滲む世界で思いました。この景色をいつもの景色にしたい。しよう、と。
それから外を歩けるように、近所の人達に挨拶が出来るように頑張って。不登校の生徒を支援してくれる施設に通い、たくさん勉強をして──。
十五歳の春。高校生になり、新しい私が始まりました。
桜の下、まだ見ぬ友達を求め。
出会う生徒全てに大きな声で挨拶。
挨拶、挨拶、挨拶をして。
『うんっ、おはようこざいますっ‼︎』
いました。
一人だけ大きな声で返してくれた人が。
来てくれました。
教室では声をかけれず一人ぼっちだった私の前に。
貴方が。
高校生になって、初めての友達。
彼女は
特に、好きなものに夢中になっている時に見せる眩しい笑顔が素敵。
だから、好きになりました。あのアイドルと同じくらい。
これから彼女と楽しい日々が始まると思っていました。
でも、彼女には抱えているものがあって、悩んでいて。
私と同じでした。
だから、寄り添いたくて。
本当の貴方とともに歌って。素敵な
出会えました。
すぐ側で推したい人に。
ずっと、この手を離したくない人に。
貴方を支えていきたい。そう思っているのに。
『話は分かりました』
『では、アイドル部を作っても』
『残念ですが、学校でアイドルをする理由がない以上無理でしょうね』
『ま、待ってクダサイ! 部活動は自由に出来ると』
『限度があります』
『そんなぁ……それでは、
『貴方はやりたくないのですか? アイドル活動を』
『え』
『まさか友達の為だけ、とは言いませんよね?』
『私は……』
先生の問いに、答えるコトが出来ませんでした。
好きだけど、体力がない。
好きでも、自信がなくて躊躇ってしまう。
好きだけで、出来るはずがない。
彼女と一緒にいると楽しい。楽しいのに。
『じゃあ、行ってくるね』
頑張る貴方の背を見送るコトしか出来ない。
ただくっついて、誰でも言えるようなアドバイスしか言えない。
悩む貴方に、何もしてあげられない。
私は彼女を支えれていない。
分かってイマス。
先生が言いたいコトも。
このままではダメなのも。
『もっともーっと雫ちゃんと仲良くなりたい』
彼女と歌うのは楽しい。
彼女と踊るのも楽しい。
出来るコトなら私も、彼女と一緒に。
だけど、私にはそこから先へ進む勇気がなくて。
『大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫──』
震える貴方の背中が胸を刺す。
無理をする姿が、あの日の自分と重なる。
このままでは貴方の夢は潰えてしまう。
それでいいのデスカ?
嫌デス、絶対に。
あの笑顔を失いたくない。
失うくらいなら、私は。
貴方の隣に立つ。その為に一歩踏み出すと──
「ありがとう、雫ちゃん」
ただ抱き合い、しばらくして泣き止んだ
きっと、それはもう
だから、その前に。
「一つ、いいデスカ」
「……なに?」
「"Be brave."」
「ッ‼︎ し、雫ちゃん……⁉︎」
「私の心からの言葉。 受け取ってもらえマスカ?」
「…………」
彼女は私から離れると舞台へと向き直り、そのまま前へ進んでいった。先程一人で震えていた時とは違い、その背中は力強くて、もう心配はないと安心した時。彼女は突然振り向き、笑顔を見せてくれました。とても眩しくて、素敵な笑顔を。
「見ててね。 もらった勇気。 めーいっぱい輝かせるから!」
「ッ……当然デス、初めから。 一秒だって。 見逃すつもりはありマセンカラ!」
止められない。
この嬉し涙はライブの後まで取っておきたかったのに。
ズルいデス。
──聞こえマスカ? 過去の私。
未来の貴方には、夢見ていた大切な友達が出来ましたヨ。
* * *
「お疲れさま」
「デス」
片付けを終え、私と彼女しかいない体育館。ほんの少し前までここでライブをしていたのが信じられないくらい静かだった。
今日のライブを見に来てくれたのは先生を除いて七人。その内の四人がクラスメイトなので、実質観に来てくれたのは三人。単純な成果としては全然ダメだと思う。でも、三人も観に来てくれたことが素直に嬉しかった。
それに、
「アイドル部、どうなるデショウカ」
「分からない。 もしかしたらダメかもしれない。 けれど、私──最高のライブをしたよ!」
自分の目指す『表現』で、観に来てくれた人達みんなを満足させれたと自信を持って言える。そう、その場にいたみんなを。
『あの!』
『え。 先にどうぞ‼︎』
『……ふ、ふふ。 あはははっ』
切り出すタイミング、それへの反応。笑い声さえもピッタリ重なる。
「はは、あー。 じゃあ、私から先に言うね」
「デス」
「あのね」
今なら言える。彼女の
今なら、この手を彼女に差し出すことが出来る。
「私と一緒に、アイドル活動しませんか?」
あの日、菊花とのカラオケをきっかけに決心した。迷惑になるかもしれないから、もう言わないと胸の中にしまい込んでいた気持ちを正直に言うって。
私の憧れた二人は『大好き』が架け橋になって、手を繋いだ。それがどんどん増えて、みんなを繋ぎ、大きく広がっていった。
私もそうなりたい。自分と同じように『大好き』を持つ人と歌いたい・踊りたい。そうして私達の『大好き』を繋いで、それをどこまでも広げて、遠くへ響かせたい。この『大好き』を終わらせない為に。
それが私の目指す『表現』、なりたいアイドル。
色々悩んで最初の私に戻ってきたようなものだけど。最初とは違う。だって今はただ憧れてるだけじゃなくて、あの日もらった小さな輝きを未来にも灯していきたい。
だからね、同じ『大好き』を持つ貴方と一緒にその夢を──。
「…………」
まるで周りの時間ごと凍りついてしまったかのように黙り込む彼女。
同じように何も言わず、ただ待つ。彼女の返事を。
「私、
「うん。 知ってる」
良かった。
彼女がこの手を取ってくれて。
「これからよろしくね。 雫」
「デスッ‼︎
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