第2話 静かな店内でストローを啜る音くらい許してやれよ下さい


 ゲームのイベントを終えた須佐は、漫喫を退店し近くのファーストフード店でフィッシュバーガーとアップルパイに季節限定の白桃シェークを頼み、静かな2階で腹ごしらえをしていた。


 それまでの店内は主に、テストか行事で早帰りであろう、制服を着た近隣の学生達が多く占めており、その彼等があちこちで島を作り大声ではしゃぎ騒ぐ声が飛び交う、かなり騒々しい空間だった。


 だが、一人の学生が話に盛り上がり、オーバーリアクションを取った際にたまたま階段から上がってきた小柄な白パーカーの少年にぶつかり、少年のトレーに乗せていた白桃シェークを落としてしまうという事故で状況は一変した。


「あっ、わりっw」


「……」


 須佐はその場でしばし固まっていた。


「(…あれ?)」


 少年は訝しがりながら、そのまま立ち去ろうとした時に強烈な違和感を背後から感じる。



「お…俺の…」


「…俺のシェークを返せぇぇぇぇぇーーーーーー!!!!!」



 目深に被ったフードの下から青ざめた須佐の渾身の叫びにより、ぶつかった学生は引き返して謝りに謝り倒し、すぐに階下のレジで代わりに新しい白桃シェークを買って彼に渡した。


 途端に機嫌を直した須佐はあっさり『ありがとう』と小さく礼を言うと、すぐに窓際の席に座ってパーカーを脱いだ。


 すると、一連の流れからほっこり騒動だと思いかけていた周囲の笑顔が一転凍る。


 その小さな体躯とはミスマッチ過ぎる顔中のピアス、肩から手首までビッシリと彫られた大きな梵字のタトゥーを見るや、彼らの穏やかで生ぬるい普段の学校生活では絶対に見られない、何かの一端を垣間見てしまったような、冷たくザラリとした違和感から皆一様に声を潜め、何人かはその場から逃げるように去った為、店内は静寂で広々として寛ぐのに快適な空間へと早変わりした。




“『…リーダー、蛇の臭いが消えたんやけど…なんかあったんスか?』”



 須佐がアップルパイを食べようとして、熱さで思わず舌を引っ込めた所で、脳内へ侵入者が来た。


 声の主は【阿魏汰あぎた ひとし】、彼より6つ年上の【妖霊使い】だった。


“「さすが、鼻が利くんだな。残念だが消されちまった」”


 須佐は白桃シェークを口に含んで火傷を回避した。


 ーーうん、美味しいーー


 彼は無表情で非常に喜んでいる。どうやら甘いものは殊更好きなようだ。


“『まあ…正直オレは蛇嫌いやから、別にええんやけど…、他になんか使えそうなん、こっちで見繕っときます?』”


 軽い笑みを含んだ尻上がりの口調で阿魏汰は言う。



 彼、阿魏汰は少々な【鬼人憑き】だ。



 遺伝的に雑霊を呼びやすい波動を持っていて、両親、特に父親は酷く内向的、と言うよりは前向きに物事を考える事が苦手な性質で、〈何事も努力をしてもどうせ虚しい結果に終わるのだ〉と言う、父親の、自身の少ない経験則から勝手に築き上げた結果論(【自業自得】という言葉は他人事だと信じている)を固辞し、切磋琢磨を嫌う卑屈で矮小な性格だった。


 その父親の考え方、性格はただでさえ雑霊を招く波動に加えて更に多くの低質な雑霊を招き寄せ、より惨めな不幸体質へと誘う悪循環を生む絶好の環境だった。


 そんな父親を囲む環境は、当然のように常に何かに追われるような逼迫した貧困状態になっていく。


 そして蓄えるような金もそのような発想も持たず、努力を嫌う父親は当然の成り行きのように様々な賭け事に嵌っていった。

 賭け事の仕組みも理解せず、単なる時の運任せの勝負は所詮胴元に弄ばれるだけの〈養分〉と成り果てているのにも気づかず、勝てば自分を讃えて運命の天才にでもなったかのように錯覚し、負ければ悪態と言い訳をつけてその次に負けた分を取り戻そうと躍起になる。


 どこにでもいる、典型的な<底辺>を体現していた。


“ーーこれは投資だ。儲かるやつは必ず投資で成功する、俺にはこの道しか無いーー”


 歪んだ成功理論と思い込みで彼は“投資”と称して借金をどこからでも引っ張った。

 そんな負の結果を生み続けるスパイラル状態に陥った家庭はあっという間に崩壊、母親はとうの昔に幾分な男を見つけ、まだ幼かった均を置いて出て行った。


 やや成長した均は水道すら止められているのに、相も変わらず賭け事とその日の飲酒しか考えられない父親に苛烈な暴力を施した。

 意識混濁の肉塊となった父親は近隣の住宅からの通報により、かろうじて一命を取り留めるものの、現在も意識は戻らず入院中。


 その事件を切っ掛けに均自身は少年院へ収容されるも、やはり幾度となく暴力事件を起こし院を数回脱走。


 5度目の脱走の際、接触した<組織>の中の【K】により、彼の持つ波動から才能の可能性を見出され、父親の借金と医療費と、彼自身の罪状を組織が請け負い処理する代わりに、阿魏汰一族の血筋に負わされていた業である【雑霊憑き】との間に【契約】を交わす事となった。


 そこに一つのイレギュラーが発生する。


 契約後に半ば実体化した彼の【宿業】は、契約という使命を与えられたが故にのようなモノを持ちはじめ、そしてそれは【鬼人】に近い存在にまで昇華し尚且つ、


【 自分より劣る規模の妖霊であれば、自らの手足として使役する力を持つ 】


 と言う、ただの宿業に過ぎなかった負の思念の集合体が【鬼人】へ変化し【妖霊使い】としての能力を持つと言う、異例の変化となった。


 そして、その能力は阿魏汰自身にもまた、そのまま反映される事となった。


 ーーーー彼と、彼の宿業との間の【契約】が続く限りは。


 この【宿業】や【鬼人力】というの、陰湿で悪意に満ちている、呪いにも似た永遠の禁忌でしかなかった土着の<思想>は、<非常に稀で特異な力>だという新たな側面と可能性を見出すきっかけとなったこの用例は、組織内の鬼人力の研究に飛躍的な広がりを持たせる事となった。


 彼は勿論、これは自身の功なのだと自負し『出世』と言う実体を持たない、言葉だけは非常に耳心地の良い文句に生まれて初めて触れる機会が得られるのでは、と多少の期待を持ち始めた頃に出会ったのが、須佐だった。



『彼が君たちのリーダーとなる。従うように』



 阿魏汰は既に、地元関西周辺のある界隈では『院の狂犬』としてまあまあ知られた存在だった。

 そこへ来て、今やこの【妖霊使いちから】があるのだから、今更組織の【K】や他の顔も知らない幹部以外に仕える人間など居るわけが無いと思っていた。


 ましてや、自分より年下の者になどーーーー


 加えて身体つきも小さく色白の、ピアスや入れ墨だらけの須佐の事など、単なる「虚仮威こけおどしの混血野郎ハーフ」だと舐めてかかり、当然のように<ご挨拶>と称して喧嘩タイマンを吹っ掛けた。


 ーー結果、阿魏汰は前歯を殆ど失い、脳震盪で昏倒している間、ご丁寧に右手の指を全てへし折られていた。


 須佐は傷一つ無く、彼は大敗した。


 その一瞬の出来事を見守っていた阿魏汰の手持ちの配下は全て須佐に寝返り、阿魏汰自身もまた、須佐に付き従う事にもはや異論を挙げない。


 実体を持たぬ『出世』という言葉の代わりに『忠誠』と言う、見えない刃が彼の背骨を貫いた瞬間だった。



【ー強い者には従え。抗いたければ更なる力を持つか、命を持って覚悟を示せー】



 弱肉強食の裏社会における鉄則は、まだ10代の彼等でも骨の髄にも染み込んでいた。


 そして阿魏汰はその能力ちからにより須佐をサポートすべく、最初は須佐本人が使い魔として使役出来そうな妖霊モノぶつもりだった。


 ところが、須佐には既に非常に強大な鬼人力が憑いており、これ以上必要無いのではと思った。しかし須佐は阿魏汰にこう言った。


『俺の“ヤツ”をカモフラージュ出来そうなのをんでくれ。アイツは臆病なんだ。なるべくデカイのがいい』


(・・・臆病?)


 その言葉が気にはなったが、そこは逆らわずに要望を請け、阿魏汰は<網>に引っかかった<餌>を元に妖霊を招び、ちょうど良い具合の大蛇を須佐に<プレゼント>したのだった。


 ーーーー近年稀な大きさの妖霊だったにも関わらず、それがあっという間に消失するとはーーーー




“「・・・ああ、なるべくデカイのを頼む。前のよりな」”


 須佐はシェークをズズーーッと吸い上げながら心で呟いた。

 容器の底に溜まった白桃の欠片がなかなか取れなくて困っている様子だった。



 ーー・・・アレよりデカいヤツって・・・軽~く言いよるんなァ・・・



 阿魏汰は首の後ろを掻いて苦笑した。


“『・・・承知。ほなな』”


 阿魏汰の声が引き取り、脳内から気配が消えた。


 須佐はシェークの蓋を開け、じっと底を見つめた後、仕方なくストローの先で白桃の欠片を一つ一つ掬い上げる事にしたようだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る