第10話 茶葉とお酒と、苺ジャムと大福と塩辛を少々

 

 俺が固まっている所へ、べったべったべったべった、と裸足で廊下を小走りに歩く足音が近づき、ガシャン!と音がするや否や、この部屋の障子がガターーン!と乱暴に開いた。


「客人にを持ってきたのじゃ!ゆるりとくつろぐが良いぞ!!」


 ジャージ幼女は上気した顔でハァハァと息を切らしながら大きなお盆に三人分の湯呑みと急須、それに丸い器にこれでもかと盛られたお茶菓子を運んできた。

 それを明らかに慣れない手つきで、てんこ盛りの茶菓子をテーブルの中央に乱雑に置き、いそいそと急須から湯呑みに中身を注いで(かなりこぼれたが)、俺たちの前に置いてくれた。


「…ぉう、あ、ありがとな」


 固まっていた俺は我に返ると幼女の精一杯のもてなしに感謝をし、早速湯呑みに口を付けた。

 実際、俺には理解が難しい話の連続で、話を飲み込む代わりにお茶ばかり飲んでいたので最初のお茶はもうとっくに飲み干してしまい、喉はカラカラに渇いていたので有難かった。

 ぐっと湯呑みを一気にあおると、


「…!!!!!」


 今まで味わった事のない強烈な味と香りに思わず俺は、



 ぶっふおぉぉぉぉぉーーーーっっ!!



 と盛大に口の中のものを拭き出してしまった。


「な、なんっだよこりゃーーーーっっっ!!!」


 ぺっぺっと口の中に残ったものを吐き出しながら俺は言った。

 余りの酷さに涙が滲むくらいだ。


「うむ…?違ったようじゃの…。す、すまぬ。もてなしと言えば、その、普通は“酒”じゃろ?じゃがこの場合は“お茶”を出すべきだとじぃが言うものでな。その、ならば一緒に出せば良いものかと…のぅ?」


 幼女は申し訳無さそうに指先をもじもじといじくりながら言い訳を述べた。


 どうやら、味と香りからして、らしい。


 ごっちゃ混ぜな味からして、茶葉も数種類、いや他にも何か謎要素が入っているようだ。しかも、ご丁寧に煮出してある。

 さとるは手を付けずに良かった、とホォーっと長い安堵のため息で表現した。


 すぐに祖父が慌てて水を持って来て俺たちに謝罪したが、その後、急激に皆の顔がぐにゃあと歪んだように見えた。




 ※※※




「…どうかしら?お湯加減は…」


 凜として張りのある声、おおとりの声が湯気に混じって届く。

 ああ、温かい…湯加減はちょうど良いな。


「失礼するわ…おもてなしをさせて頂戴」


 湯気の向こうから、白いタオルを巻いた裸の鳳がやってくる!


 長身の大人っぽい雰囲気と制服のシルエットからも想像出来る、メリハリの効いた殆ど完成された立派な身体ボディが、吸水性の良いタオル一枚だけを纏ってこちらに手を伸ばしてやって来るーーーー


「わわ、わ、いやいやちょちょい待っーーーー」


 俺が手を振り払った所に、いやに固い手触りがあった。

 そしてすぐ近くに見覚えのある顔がーーーー


「おいおい、まだ寝ぼけてんのか?もうすぐ着くぞ」


 そこには伊達眼鏡の幼馴染の姿があった。


 気づいたら辺りは夕闇に包まれている自分の家のすぐ近くで、俺は友人にもたれたまま愛車のチャリンコに跨がされて歩いていた。

 ハンドルは哲が俺の上半身を肩に担ぎながら押していた。


「…あれ?俺…ここは?」


 状況が全く把握出来ない俺は哲に訊いた。

 幼馴染の友人はヤレヤレ、と軽くため息を付いてから言った。


「風呂の準備どうこうから面倒臭そうだったから、一旦帰る事にしたんだ。お前のママンをダシにしてな。けど、どうやらお前は酔っぱらっちまったみたいで、まるで要領を得ないしマトモに歩けなかったから、俺が学校へお前のチャリを取りに行って、半分担いで帰路に至る←イマココ、だ」


 そういえば頭も痛いし気持ちが悪い。気分は最悪だ。

 なんで酔って…って思い返して“ハッ”となった。


 そうだ、あの幼女の危険極まりないお茶もどきのせいか!俺は口を押さえた。

 酒に酔うって、こんな気持ちの悪いものなのか?だとしたら、俺は一生酒なんて飲まない。


「おえーー、気持ちわりー…そっか、すまねー哲」


「気にすんなー。…しかしさっきの話なんだが、アストラルや多次元に鬼の力、更に日本消失とか…中々刺激的な話だったが、信じるかどうかはいまいち、現段階では情報不足って所だな。まあ、正直俺はどっちでもいいんだが」


 哲はなんだか楽しそうなので、俺としては何より。

 そして俺はまだ、あの鳳の言う“祓え”の最中に彼女がコスプレをしていた事は言ってないし、彼女もそこには触れていない。

 あれは…なんなの?


 やがて俺の家が見えて来たので考えを中断した。

 お礼に夕飯でも、と誘ったが、哲は『やる事がある』とワクワクした様子で帰って行った。

 あの様子だと、オンラインゲームするかアニメのリアタイ視聴なんだろう。


 俺は『また明日』と言って門扉の前で幼馴染と別れた。


 哲の家はここからもう少し歩いた先にある、1階にピザ屋(テイクアウトのじゃなく、【ピッツェリア】と呼ぶ方がふさわしい、薪釜もある小洒落た店だ)があるマンションの最上階にある。


 哲の両親は大手外資企業に勤めていて、出張が多く留守しがちなので、独りで過ごす時間が多い彼は幼少より二次元に囲まれて育った。

 頭は良いが協調性の乏しい感じで最初は物凄くとっつき悪かった。


 だけど、同じ幼稚園でいつも独りで離れて遊んでるあいつに俺が声を掛けてから、あいつは俺には気安く接してくれるようになった。

 その内、一緒に遊んで楽しそうな笑顔を見せる事が増えたあいつには女子から人気が高まり、いつも側にいる俺はその取り持ちみたいな係りになって行った。


 けど、あいつは生身さんじげんには一切興味を持たないし、俺はどっちかと言うと女の子よりサッカーとか身体動かして遊んでる方が好き(勿論、人並みに興味はある!ただ、女子とどう接して良いか分からん)だったしで、何となくお互いバランス取れてる関係だ。


 これであいつがモテる事を鼻にかけるような奴だったり、母子家庭の俺を見下したりとかだったら、今こんな風に友人付き合いはして無かったんだろうな、と思う。


「おっかえりーー!ミコちゃんったらお酒!飲んじゃったんだって?!」


 玄関を開けるなり、朝のスーツ姿のままの母ちゃんがデカイ声でリビングから飛び出してきた。

 手には水の入ったコップと胃薬を乗せたお盆を持って。


「サトルちゃんに聞いたわよぉ、なぁーに、超可愛い転校生に招待されたんだって?もーー、さっすが私の息子!!」


 と言って、玄関に座って盆から水と胃薬を受け取り、飲もうとする俺の背中をバンバン叩いた。

 どうやら哲は口実とは言え、ちゃんと母に報告・連絡したようだった。彼は昔から母ちゃんのお気に入りだ。


いて-ってば。招待ってか、まあ、その…神社の話聞きに行っただけだよ」


 何とか零さずに胃薬と水を飲んだ俺は口元を拭い、なんて説明していいか分からないから、珍しい神社の話を聞きに行った事にした。

 母親はニヤニヤしている、なんか悔しい。


 母ちゃんもつい先程帰ってきたばかりのようでまだ化粧は落としてないが、口紅だけ取った後だった。

 うん、その方が数百倍マシだ。


 俺は気持ち悪いから夕飯はやっぱりナシにしてもらい、風呂だけ入って早々に寝る事にした。


「ほんじゃ、メシ用意してたらごめん。おやすみー」


 風呂上りにタオルで頭を拭きながらリビングにいる母親に声をかけた。

 母ちゃんは適当に済ませるから逆にOK、とむしろ喜んでいた。

 ラフな部屋着に着替えて食卓に着いてる母ちゃんの前には、カップラーメンとあり合わせの惣菜と500ミリの缶ビールが並んでいる。


「ミコちゃんも、ちゃんと飲めるようになったらママに付き合ってねー」


 と言って母ちゃんは缶ビールの蓋をパキュっと開け、俺のほうへ乾杯するように向けてから一気にあおった。


 ぷはーーーー!と口を開けて喘ぐ幸せそうな母の顔を見て、俺はまたあの気持ち悪さを再現して吐き気を催し、口を押さえた。

 なんでオトナはあんな得体の知れない、臭くて苦くて気持ち悪いだけのものを喜ぶのか、理解に苦しむ。

 自室へ行くのに階段を上がっていると、リビングからテレビの音が流れてくる。母ちゃんが点けたようだ。


“『…近年のモラルの低下は著しく、この一因が簡単にネット環境により他人のーー思いやりなどに配慮する段階を経ずに…』『アーカー、アカ ♪ こじ~ん情ー報守りましょ~ ♪ 』『ぶわははは、いやそりゃ無いて!ホンマに…』『…気象庁の発表による来年の天体条件では場所によって…非常に稀な事であり…』”


 俺は自分の部屋のベッドに入って布団に潜り込んだ。

 鳳から聞いた話を反芻して理解しようとしたが、それよりも自分の体感した事象の方が前面に出てくる。


 暗闇の中で目を瞑ると、旧中庭で取り囲まれたあのおぞましい黒い影達の、一体一体の詳細がやけにリアルに思い起こされて、なんだかまだその辺に出てくるような気さえして怖くなった。

 身体を小さく丸めて、何か他の事を考えようと必死になると、


“そういえば今日は部活に行くのを忘れていた!”


 と思い出して青ざめ、一気に現実に戻された。


 明日学校で島根や部長とマネージャーに何て言おう、特にマネージャーはいつも俺に突っかかってくるから面倒臭そうだな、とかあれやこれやを考えていたら、いつの間にか俺はいびきをかいて寝てしまっていた。



 ※※※



 深夜過ぎーーーー天井の丸い染みがじわじわと小さくなり、代わりにそこから液体のようにしたたり落ちた黒い塊が実体となり、俺の布団の上にポソッと落ちてきたのに、俺はすっかり熟睡していて全く気づかなかった。

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