第11話 クッキー作りは以外としんどい

 

 『(彼等は9回目のステージに着手した模様)』


『(中々に懲りない性分と見える)』


『(我等としても、これ以上は困難であると推測)』


『(加えて、過去最低と言って良い程の思念・精神レベルに加え圧倒的な知識・技術レベルの低さ…不自由極まる)』


 それぞれ異なる言語で発せられた言葉は、この真っ暗闇の部屋の中に、ただ独り存在する者にのみ聞こえるようだ。


 この空間を支配する主は、部屋の中央に敷かれた豪奢な敷物タペストリーの真ん中に脚を座禅の格好で組んで座し、白く細く長い両手を左右の膝の上に置いている。その手の親指と人差し指は円を作るように合わされており、他3本の指は開かれている。


 その場所は全て防音、防火、防弾に特化した特殊な内装の小部屋で、無機質な壁に囲まれた室内には四隅に小さな蝋燭が置かれ、中央に座する者の前には水晶と香が焚かれている以外は何も見当たらない。

 勿論窓のようなものも無く、今が朝なのか夜なのかは判別出来ないが、ここを使用する者にはそういった事が必要無いので問題は無かった。


「ーー我々と同様に彼等もまた、後が無い事を知っている。今回で本当の意味の支配者とは誰なのか、次元を統括出来る者はーー【運命】という我らが自由意志の裏に潜むに愛された勝者がどちらなのかを見極める、最後の幕となるであろうよ…」


 座する者は細くしなやかな両手の指同士を胸の前で軽く合わせ、瞑想しているかのように目を瞑りながら穏やかに言った。


『(“展開”を望みますか?ボス)』


 どこからか発せられた声が言う。【ボス】と呼ばれた者は切れ長の細い目を開けた。瞳の色が薄い。

 白く長い指先をゆっくりと踊るように広げた。


「“展開”せよ。…8度の【記憶】を糧とし昇華させよ。12ヶ月後のまでに全て整えよ。全ての想念と混沌をにえに、我等がたまみ願わん事を…」


【ボス】と呼ばれた者はそう言うと立ち上がり、床に届くような長い銀色に輝く髪を揺らし、闇の中で見えない観衆へ捧げるかのように、ゆらりとその場で舞いを始めた。



 ※※※



 俺は夢を見ていた。


 そこではまずいお茶を出す幼女を俺が走って追いかけ、壁に追い詰めたら幼女はジャージを脱いで白い猫に変化して逃げていった。すると、転校生が薙刀なぎなたを持って周囲の沢山の黒いまずいお茶を薙ぎ払い、全て退治すると転校生は制服を脱いで黒い猫に変化して俺に飛びかかり、俺は必死で振り払うも、猫は抵抗し前脚をのばs


「ンニャアァァ~~」


 夢の中の猫に飛びかかれて目を開けたそこに、真っ黒なふわふわが居た。


「?!えっ??!!ふ…nなに??!!」


 俺はまだ目も開ききらない半覚醒状態で飛び起きた。


 まだ夢の途中かと思い身構えたが、薄明かりの部屋の中で枕元の時計の秒針の音がチッチッと鳴る音、見慣れた俺のくたくたのブルーグレーの格安セットの布団、床に転がってる読みかけの漫画雑誌とサッカー本と脱ぎっぱなしの靴下、一昨日食い散らかしたポテチの袋と中身の無いペットボトル、昨年から配置の変わらない本棚…どう見渡しても現実の俺の部屋だった。


 だが、俺の枕元に猫がいる。真っ黒い、まだ幼い猫だ。

 瞳は琥珀のような濃い金色に反射している。


「ウンニャァァア?」


 猫は飼った覚えが無い。

 どっかから入って来た?にしても、俺の部屋の窓は昨日から開けてない。

 帰った時も閉まっていた。よく分からんが、ここはやはりーーーー


「母ちゃん、かーちゃん!!」


 俺は枕元に居た黒猫を抱いて階段を降りた。

 母親は1階のリビングの脇の部屋で寝ている。軽くノックしてから母親の寝室のドアを開けた。


「…あらミコちゃん、もう具合大丈夫なの?」


 母親はまだ眠そうだったが、俺の声と足音で既に起きてはいたようだ。

 布団から身体を起こし、眠そうな目をしばたいて寝巻きでベッドに腰掛けていた。


「大丈夫だけど、これ何だよ??猫なんてどっから入ったか分かる??迷い猫だったら早く届けないと…」


 俺は黒い子猫を母親に差し出した。

 しかし母親はまだ眠そうな顔のまま猫を抱き受けると、嬉しそうに頬ずりをした。


「あら~、くろタン、ミコちゃんの看病ありがとね~~」


 俺は拍子抜けした。


 母親は頬ずりどころか猫にチュッチュッと口づけし始め、猫も満更では無さそうに目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしている。

 何を呑気に可愛がってるんだ、そんな場合じゃないってのにーー


「おいおい、くろタンってーーーー」


 猫から顔を上げ、片手で猫の頬を掻いてやりながら母ちゃんは



「なぁに、このコがどしたの?くろタンはに。、ってーーーー」



 俺は頭から冷水を浴びせられたような感覚になり、その場で立ち尽くした。



「…お、俺…が、拾…った…?」



 猫は母親に抱かれながらすっかりほだされたようで、目を細めてゴロゴロと喉の鳴る音が大きく響いている。


「そーよぉ、“コクオウ”ちゃんじゃ呼びづらいから、ママだけ“クロたん”って呼ぶ事にしたんだもんねー、ねっ、クロたん?」


 母親は猫を味方に付けようと両手で猫の頬と顎をわしゃわしゃと掻いた。

 猫は嬉しさの余り歓喜の鳴き声を上げる。


「ンンニャアーーーーン ♪ 」


 母親の勝ち誇る顔をよそに、俺は自分の存在意義アイデンティティが曖昧になっていく恐怖を感じた。


“…なんなんだ、これ…昨日の件から…何か変だ…”


 この後、母親に促されて本格的な起床と朝の支度をしたようだが、正直よく覚えていない。ただ、腹は減っていたから朝飯はしっかり食べたような気がする。


 とりあえず、無性に身体を動かしたかったから、早めに出てジャージに着替え、学校の校庭で勝手にランニングやらサッカーのドリブル、シュート練を滅茶苦茶やって、どうにか人心地付いた感じだった。


 校庭の水道で頭から水を被り、持ってきたタオルでビショビショの頭を拭いて自販機に向かった。

 しまった、折角腹いっぱい朝飯を食ったはずなのに、また腹減ってきちゃった…

 購買はまだ空いてない。近所のコンビニに行くには時間が足りない。


 1時限目だけ頑張って休み時間に買いに行くか、と思い、自販機から出てきたジュースを取って顔を上げないまま後ろを向くと、下から誰か立っている足元が見えた。

 順番待ちかと思い、下を向いたまま少し迂回して行こうとすると、目の前の足が俺の行く方向に付いて来る。


「?」


 不審に思って顔を上げると、目の前に四角い物体が現れた。

 そこには、一人の女生徒が不満気な顔つきで、白地に緑の葉っぱ模様の蓋付きタッパーを両手いっぱいに伸ばし、俺の顔に向けて差し出して立っていた。


「あ、ハコちゃ…、いや、マネージャーさん…」


 やや小柄の中肉中背の体格だがバランス良い身体つき、緩いウエーブがかった天パの髪は、柔らかくて細い。日に透けると薄茶色に見える。


 肩にかかるボブヘアーにサイドで留めた大きめのヘアピンが似合う少女は、

瀬戸内せとうち 葉子ようこ”と言う名のサッカー部のマネージャーで、島根と同じクラスの女子だ。


 名前の漢字から、『ハコちゃん』と呼ばれているが、部員達にはナメられないように『マネージャー』と呼ぶように伝えている。


息長おきながクン!あなた、昨日は部活来なかったでしょ!?…身体、大丈夫なの?こんな、朝から勝手に自主練なんかして…!」


 瀬戸内は心配しているのを伝えたいようだが、膨れっ面にそっぽを向いて伝えては、どうにも怒っているようにしか見えない。

 中々感情表現がヘタクソのようだ。


「あ、昨日はすませんっした!えと、その、昨日は・・・」


 心詞みことは90度に身体を折り曲げて頭を下げた。上手い言い訳が出てこなくて言いあぐねていると、


「“お昼から具合悪くて、放課後に倒れてお友達に家まで運んで貰った”んでしょ?島根君からグループラインで聞いてるから。無理しないでね!…こ、これ、お見舞い!」


 と言って手にしたタッパーを再度差し出した。

 心詞は唖然としながら固まった笑顔でタッパーを受け取った。


「???…あざ…、りがとう…ございます」


 瀬戸内は少し頬を赤らめ、ニコッと微笑んだ。


「じゃあ、また後でね!部活、無理だったら早めに連絡してね!」


 そう言うと、手を振って小走りでその場を立ち去った。


 またしても不可解な出来事…心詞はもう訳が分からないが、受け取ったタッパーは開いてみる。

 そこには、キッチンペーパーを敷いた上に星型や葉型やハート型など、様々な形の型抜きクッキーが甘い香りをさせながらぎっしり詰まっていた。


「おおぉ…!」


 見るからに手作りのようだ。

 理由は分からないがサボったと怒られずに済んだ事、そして何より今の空腹を素早く満たす事の出来るアイテムが手に入り、心詞は素直に喜んで、感謝しながら早速それらを頂いた。


 甘さといい、サクサクとした焼き加減にアクセントとなる塩加減といい、めちゃめちゃ美味かった。

 全部その場で食べてしまいたかったが、島根の名前も聞いたからには分けてやらないと悪いな、と思って数枚食べた所で蓋を閉め、ペットボトルのジュースで喉を潤しながら教室に戻って行った。



 ※※※



 校舎の階段の影で、瀬戸内は一人、赤く火照った両頬を自分の掌で包み込むようにして、熱を冷まそうとしていた。

 胸の鼓動が全身に響きそうなぐらい、大きく早く打ち鳴らすのが分かる。


“…やった…、渡せた…!アタシ、グッジョブ…!!”


 彼女は一人、心の中で自分自身にハイタッチをして達成感に浸っていた。

 そんな彼女の側を通り過ぎる生徒達は、最新のアプリ情報の噂をしていた。


「コレさー、最近めっちゃ見るんだけどさー、どうー、知ってる?」


「あー、ウチも見たみたーー!星4・5だからイケルんじゃん?試しにDLしてみよっかー?ダメなら即アンインすりゃいいっしょ」


 女生徒達のスマホにはイケメンキャラ絵が次々と現れる画面に、このような文言が派手なフラッシュで表示されていた。


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