第3話 川で泳いでいるのは多分マガモ


  旧い昭和の時代からの建物が残る、とある街を流れる大きな川沿い。


 その川の高いコンクリ塀沿いに数人の若者が座り込み、それぞれスマホを手にゲームしたり、音楽に浸りながらたむろする一団が居た。


 その中で一際目立つ、ツーブロックヘアーの頭髪の半分は肩まで届くサラサラの金髪、半分はツンツンと尖らせた緑色の髪の痩せた青年が口元に手を付けて目を瞑っている。

 青年が着るグレーのパーカーは肩が半分はだけており、そこから須佐の両腕にあるようなタトゥーと同じ紋様がチラリと見えている。


 須佐の領域から意識を離れたツーブロックの青年、阿魏汰あぎた ひとしは目を開き、周囲の連中を見やった。


 白いカラコンを入れた細く切れ長の瞳が左右にゆっくり移動する。

 何か考え事をする時の癖、透明なクリスタルの前歯を人差し指でカン、カン、カン、と弾く。


 以前、須佐に喧嘩タイマンを挑んで大敗を喫し、前歯を殆ど失った彼はそこに【アウェイクド・クォーツ=トルマリン】を使用したインプラントを嵌め込んでいた。

 その効能で通常よりも彼の【鬼人憑き】を介した能力が誰よりも繋がり易い環境になっている。

 そして、彼の配下である者達にも、それぞれ阿魏汰とリンク可能な波動を有したクリスタルが体内のどこかに埋め込まれている。



“ーーーー今、使えそうなのは誰がいる…どんな手が一番有効か…”



 阿魏汰の歯を弾く音が止んだ。


「おう!<ウラ>、頼むわー」


 塀にもたれて座り込み、スマホを見るキャスケット帽の少年が顔を上げた。

 とがった顎と、細い鼻筋が神経質そうな印象を与えるが、その瞳には意外にも人懐っこそうな輝きが見える。加えて童顔の割りに長身。


 その、ギャップこそが少年の最大の武器だった。


 <ウラ>と呼ばれた少年ーー舵浦かじうら 星斗せいとは阿魏汰に向かって「コクン」と頷くと、親指でスマホを素早く操作し、その指がある箇所で止まると、画面をスワイプし拡大させてジッと凝視した。


 そして、何かを記憶させるようにブツブツと口の中で唱えると、


「…行ってくる」


 とキャスケットを被り直して立ち上がる。

 彼はもう一度阿魏汰に向かって何かの許可を求めるように頷いた。

 阿魏汰は舵浦に身体を正面から相対して右手を差し出し、


「【 こく てん 】!!」


 と鋭く叫ぶと、阿魏汰の背後に大きな黒い影が幕のように『ヌウゥゥッ』と現れ、それは意思を持った霧の如く、素早く舵浦の身体を取り巻いた。


 阿魏汰が「行け!!」と言い右手でヒュッと空を切ると、舵浦の姿は黒い影と共に掻き消され、同時期に彼の姿は大阪の繁華街の建物の影へ現れる事となる。


 それは彼が通称【 くろ 】と呼ぶ、影にむ小さな妖霊で、街中の雑霊が固まった埃のような存在だ。


 だが取るに足らないその存在を、彼の契約霊はひと息で繋ぎ合わせ、またひと息で解く事が可能である。

 あらかじめマーキングしておいた地点ならば、その場所へ紙に書いた点と点を折り曲げて合わせるように一瞬で空間を繋げて移動することが出来る。


「…ウラのヤツ、めっちゃ選ぶん早かったやないか。アイツ最初から<餌>ァ、決めてたんちゃう?」


 阿魏汰は薄く笑って言った。クリスタルの歯が曇天の隙間から漏れる陽射しに反射してキラリと光る。


「好みの娘ォでも、いたんちゃいます?『最近不作やー』てぅてましたもん」


 スマホのゲームをずっとし続けている小柄な男が、顔も上げずに言った。

 彼は先ほど舵浦の隣に居た男で<ゼキ>と呼ばれている。<ウラ>とはそこそこ仲も良いようだ。

 もうじき新しいマップのイベント画面が始まりそうな雰囲気の戦闘場面で、<ゼキ>は思い出していた。この集団に入った最初の頃を。




 ※※※




 彼等、阿魏汰の配下となる少年(青年)達には特に取り決まりを設けていない。


 一日遊んでいてもいいし、それぞれのバイトやシノギに精を出すのも勿論構わない。

 だから、いつ誰が阿魏汰の元に居るのかは予測不能なのだが、何故か必ず、一定数の人間は手元に居るようになっている。


 彼等はそもそも何かしらの理由で幼い頃から社会に爪弾きされた者が多い。

 この男<ゼキ>も、そうだった。


 彼は中学校時代の些細な万引きから、ひょんな事でこのグループに加わったのだが、そもそも彼や<ウラ>は武闘派ではない。言ってみれば“知略派”の部類だった。

 しかし、どこでもそうだが団体というものは大きくても小さくても一枚岩では無い事が多い。


 阿魏汰がある時から突如としてこの地区で頭角を現し始めた頃、反発した武闘派の者は全て返り討ちに遭い、じわじわと淘汰される渦中で【K】と名乗る人物が代表となる、ある【組織】に組み込まれた。

 と、同時に【鬼人憑き】なる、異能の能力ちからを目に見える形で身に付けた阿魏汰に、誰も逆らえる筈は無かった。


『俺に付いて来るヤツにゃあ、自由と力を与えてやる。それ以外は、・・・ブッ殺す』


 かつて『院の狂犬』と謳われた少年院上がりの戦闘力は冗談じゃなく、ハンパじゃなかった。噂では、実の父親も半殺しにしたという話も聞く。


 しかし、そんな彼を<須佐>は一瞬で


 それを見守っていた<ゼキ>や<ウラ>達、今のグループに属する者全ては、【鬼人憑き】とかいう謎の力が無くても彼等二人には従おうと心底から思った。


 見た目もそうだが、破壊力も半端無い二人には、逆らっても到底敵う筈も無い。

 大人しく従いつつも、次に来るであろう指令を察しながら日々楽しく過ごすーーこれが今、一番の処世術だと彼等は察した。


 更に彼等が正式に配下になり、阿魏汰が全員にクリスタルを埋め込むようにしてからは、阿魏汰からの波動が繋がる効果が得られるようになったのだ。

 その為、今必要なのは何人くらいで、何をすればいいかは、何となくぼんやりとだが、集合意識のように伝わるようになっているのである。


 ーーーー面白いことに、当の阿魏汰本人はそれに気付いていない。



 阿魏汰自身は、己の【鬼人憑き】の性質になぞらえて動いているだけなのだ。




 ※※※




「ハハッ、アイツも好っきゃなァ!…まァ、え~餌ァ拾ぅてくれるンなら、お楽しみでも何でも好きにしたらエエがな。要はリーダーの役に立つかどうかやねんなァ?」


 阿魏汰は金髪の方の髪を一房、掴んで払った。




 ※※※




 <ウラ>は誰にも気付かれずに影からひっそりと通りに現れ、立ち並ぶ自販機前を歩いてレンガを敷き詰めた小さな公園のような場所に辿り着く。


 そこには先ほどのスマホに表示されていた【餌】が居るはずだ。

 彼は対象がすぐ近くに居る事を知りながら、用心深くもう一度スマホからメッセージを作成する。


『ごめん、もう近くなんだけどドコにいますか?僕は茶色のキャスケットにのジャケット着てます』


 ここで、彼は少し考えてメッセージの文面から『カーキ色』を削除して『』に変更してから送信した。


 すると、数箇所の木製のベンチに座っていた男女の中から、1人の女がスマホから顔を上げ、周囲をキョロキョロと見渡し始めた。


 舵浦は対象を確認すると、キャスケットのつばをつまみ、軽く目を閉じてから再び見開いた。

 そこには用心深い表情は消え失せ、人懐っこい瞳の優しげな表情の若者の顔になっていた。


「お待たせ。…君で合ってる?」


 ベンチから中腰の格好で立ち上がりかけていた、小花模様がプリントされた淡いローズピンクのフリルスカートに、黒キャミの上に濃いサーモンピンクのショート丈、ざっくりした目の粗いサマーニットを合わせた、10代半ばと思しき茶髪の少女の前に舵浦はスマホをかざし、はにかんだ笑顔を伴って現れた。


「あっ、えと…さっきの、チャットの人…<うーたん>ですか?」


 少女はやはりスマホを翳して、若干緊張した面持ちの中にも期待を込めた表情で訊いた。


「そそ、<うーたん>。…君が<りりは>ちゃん?アハッ、思ってたより可愛かーいいから、ちゃったらどないしょうとか思ったわ…」


 舵浦はまるで今までの人生で、若い女の子と会うのは学校生活以外には滅多に無さそうな、純情そうな少年(から青年に差し掛かる頃合の年齢だろうか)の雰囲気を完璧に表現していた。


「ややぁ、可愛いなんて、そんな…<うーたん>さんも、めっちゃイケメンやないですかぁ!や~もう、超ビックリ…てか、ホンマにこのアプリで、AIが選んだ【スキルマスター】と、実際に会えたりするんやなぁ…」


 少女は巷で噂になっている恋愛相談ガチャアプリのページを開いていた。


「ねね、【スキルマスター】ってことはぁ、<うーたん>さんも恋愛上級者ってコト…なんやろ?じゃあやっぱし…経験豊富なん?」


 少女はやや拗ねるような、甘えるような、しかし心の底では膨らむ期待に目を潤ませて言った。想像以上に<うーたん>がイケメンだったので、相談よりもむしろ好奇心に火が点いてしまったようだ。


「さぁ…どやろ?」


 少し困ったような表情で答える<うーたん>に、<りりは>はニヤっと笑って近づき、少し背伸びしてわざと耳打ちするような仕草をして言った。


「そうや、そのジャケットな、『』やなくて『』て言うんよ!」


 そう言われて、舵浦は初めて知ったような驚き方をし、彼女を褒めた。

 すると彼女は小首を傾げて得意気な顔で舌を出すと、お洒落には少し自信があるのだと自分から伝えた。

 何でも、将来は服飾関係のデザイナーを目指しているそうだ。


 ーーーー勿論、その情報は長いチャットのやり取りの片鱗で気付いていた。


「そうなんや…えらいんやなぁ、<りりは>ちゃん。…ところで、本題の相談があるんやろ?お茶でもして、たっくさんしたいんやけど…いいかな?」


 そう言うと、舵浦はさりげなく彼女の手を握り、ごく自然に自分の身体の方へと彼女を引き寄せた。

 <りりは>は耳まで真っ赤になりながらも、嬉しそうに頷いて、舵浦の腕に近寄った。


 そのまま、二人は雑踏に紛れて行った。




 ※※※




「…恋愛ガチャだのスキルマスターだの、ま~ようさん色々考えるわなぁ…俺らが必要なんは、個人情報と戸籍に基づいた土地の紐付けなんやけどな~。…こんで、しかもアクセスしてくる奴ッちゃあ、大概なんかしら背負しょってるようなんばっかしやから、一石二鳥やねんなぁ。…しっかもコレ、作ってるんは東京のガッコ行っとるボッちゃんなんやろ?大したオツムやなぁ~、ナァ?」


 阿魏汰はコンクリ塀の上に腰掛けて、スマホの【恋愛ガチャ】のページを開いていたが、やがて飽きて顔を上げると、目の前の濁った川を眺めながら言った。


 川の中腹辺りに何かの鳥がつがいで泳いでおり、その軌跡にキラキラと薄い太陽の光が跳ね返る。


“…俺が子供ガキん頃はくっさいドブ川やったが、今はマシになったもんやなぁ”


 不意に、阿魏汰は幼い頃を思い出しかけていた。


「…そっすね。…そいつ、最近バージョンアップさせたから、取り分増やせー、なんて言うてるらしいっすわ」


 先ほどのゲームをしている小柄の少年から少し離れた所で音楽を聴いていた黒いジャケットを羽織ったゴツイ体格の男が、ワイヤレスイヤホンを外したタイミングで答えた。

 何かしら調子が良くなかったらしく、スマホを見て調整している。


 彼の言葉で思い出から引き戻された阿魏汰は、感傷に浸るよりも今後の展開に思いを馳せる事にシフトした。


「…ふぅん?エラいガメついやっちゃのぅ?」


 と、自分の言葉で彼はある考えに閃いた。


「……ほんならほうで、俺らが拾って遊んだったらええんかいのぅ?」


 そう呟くと、にやりと上がった口元から覗くクリスタルの歯をカン、カン、カン、と小さく弾き出した。



 ちゃぷり、と音を立てて水面の鳥の一羽が水の中に潜って行った。

 

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