第9話 センセイの事、覚えてるかな?
「どうもありがとうございました」
部室の鍵を職員室に届けに行った島根 寛志は、そう言って一礼し、大きな身体を折り曲げて職員室の扉をくぐった。
「おぅ、お疲れさん」
まだ三人程残っている職員室の中で、一番入り口に近い場所の机に座っていた男性教師から言葉を掛けられた。
それは耳の上に赤いペンを挟み、テストの採点作業をしているメッシュヘアー…
昨日に続き今日もサッカー部の部長は休みで、明らかに部内全体もだらけモードになっており、セット練習だけではやる気も起きない。
殆どの奴らがぬるぬると練習をやり過ごし、適当に時間だけ潰して引き上げたような感じになってしまった。
心詞も『スマン!用事がある』と言い、部活が終わるが否や、あっという間に着替えて早々と帰ってしまった。
島根は今日、心詞から分けて貰ったハコちゃんのクッキーを昼休みに数枚程丁寧に味わい、残りは自分の弁当箱に入れて持ち帰り大切に食べようと、昼休みの終わり頃に手洗い場で空になったタッパーを綺麗に洗っていた。
丁寧に水気を拭き取り乾かして、手垢で汚さないようにタオルで包み、後はいつ返そうかとソワソワしていたのだった。
島根とハコはクラスメイトではあるが普段から親しい訳でも無く、教室内では人目を気にして、というか島根がシャイなので中々自分からは近付けない。
ハコがマネージャー活動をする部活中が話をする最大のチャンスである。
終了のホイッスルが鳴り、軽いミーティングを経て副部長の森田が『解散ッ』と言ったタイミングで島根は、
“よし、今ださりげなく…”
と意を決し、努めて平然を装いハコに近づこうとしていたら、先輩達に
「おっ、島根!悪いがオレ達先上がるんで、お前、後片付けよろしくな」
と、頼まれてしまった。
一瞬、どうしようかと曖昧な返事をしている内に、ファイルを手にして3年の先輩マネと何か話しながら部室棟へ引き上げるハコの後ろ姿を見送り、結局ハッキリと断ることも出来ずに独りで後片付けをして、更に部室に戻ると残っていた別の先輩から部室の簡単な掃除と鍵閉めまで頼まれてしまい、今に至る。
もうすっかり日も暮れてしまった。校内には人影も殆ど見当たらない。
「フゥーー…」
職員室から正面玄関までの道のりを歩きながら、島根は長く息を一つ吐いた。
部活では大した運動もしなかったのになんだか疲れてしまった。
鞄の中にしまってある、返しそびれたハコのタッパーに思いを馳せる。
“…でも、最初に心詞にクッキー作ってきたって事はやっぱり…”
< ハコちゃんは、心詞の事が好きなんだろうな >
と言うのは何となく、前から気付いてはいた。
しかし当の本人である心詞は全く気が付かない様子だった。
そして、多分俺の気持ちにも気が付いていないようだ。
「…ハァ~~~~ッ…」
今度は大きく溜め息を付き、俯いたまま廊下を曲がろうとした時に『ドシン!!』と、腹に何かがぶつかって来た。
「?」
島根はその場にそのまま立っていたが、ぶつかって来た方は衝撃でひっくり返って倒れてしまっていた。
それは見知らぬ男子生徒だった。
「あっ!大丈夫…ですか?」
島根は屈んで倒れた男子学生を抱え起こした。
途中でネクタイの色から3年生と分かり、咄嗟に敬語を付け足した。
ごく平凡な容貌の男子だったが、何となく頭髪に違和感がある。
妙にボサボサ…?
そして倒れ込み起き上がってからもずっと、片方の耳を手で押さえている。
「…あ…、ごめん、こっちこそ…」
怯えているような感じで、やけにボソボソと小さな声で男は言ったので、島根はかなり背中を曲げて顔を近付けないと聞き取れなかった。
そこへ、暗い廊下の向こうから2.3人の男子の話し声と笑い声が聞こえる。
「…おーーい、ゴキ!!どーこーだ~~!!おめかしが終わってね~ぞ~~!!」
誰かを探しているようなガナリ声に、ギャハハハハ、と下品な笑い声が重なる。
だがそのガナリ声は、どこかで聞き覚えがある声に似ているような気がする。
「…ごめん、隠れるよ…」
男は耳を押さえたまま更に小声で呟き、島根の大きな背後に回りこんだ。
どうやら彼を探してるようで、あのガナリ声に見つかるとあまり良くない事が待っているのだろう。島根は少し考え、一芝居打つ事にした。
「…あっ!先生、ヤスダせんせーい!!すいません、俺さっき忘れちゃってー!」
島根はその体格を利用した最大級の大声で職員室方面を向いて叫んだ。
一瞬、背後で大声に怯える雰囲気が伝わる。
放課後も遅い時間でシンとした校内にその声はよく響き、はるか向こうの職員室からも「…どうした~~?…」とかすかな返事の声が届いた。
「っ!…やっべ…!!」
するとガナリ声のしていた方角からは明らかに歩調の乱れた感じと、舌打ちと同時に息を呑む声などが聞こえ、やがて反対方向に走り去る足音が響いた。
「…どっか行ったみたいです」
島根は小声で言い、振り向いた。
背後の暗がりに隠れていた男は左耳を押さえながらホッと安堵の溜め息を吐いた。
「あ、ありがとう…すまないね、僕のせいで…」
その時、男が押さえていた手が外れた。
手にはクシャクシャになったハンカチが握り締められていたが、それは暗闇でも分かる程に真っ赤に血で染まっていた。
「!…えっ、耳、どしたんすか…!」
島根が思わず尋ねると、その時職員室の方面からペタペタとサンダルの足音が聞こえてきた。
「…おーい、その声は島根くんかぁ?どーしたぁ??」
野洲多先生は赤ペンを耳に挟んだままこちらに近づきながら声を掛けてきた。
「あー、すいません!忘れたと思ってたけど、大丈夫です、問題なかったです!」
島根は彼のハンカチの血痕などが見られるとまずい気がして、大声でそう返事すると背後の男子学生を教師から見られないように、
※※※
「…あの、えっと俺、1年C組の島根って言います」
ゆっくりと歩調を合わせて歩きながら島根は男に自己紹介をした。
「あ…ごめん、助けてもらっちゃったのに何も…あ、…ありがとう。…僕は3年D組の
怯えたような様子で彼は答え、島根にひとつ質問をした。
「サッカー部です。…あの、差し支えなければ、その、…耳の事とか、話してもらっても…?」
校門からかなり離れた辺りで、島根は隣を歩く
彼は途中で血だらけのハンカチを畳み直し、再び左耳を押さえながら歩いていた。
そして歩きながら島根の目線で彼の頭部を見ると、ボサボサの違和感の正体が何なのかが判明した。
どうやら頭部の一部分の毛髪が、酷く短く切り込まれているせいだった。
「…サッカー部…だったら…無理…かな…」
声が震えてやや涙声になっている。
そこで島根も、さっきのガナリ声の持ち主が誰なのか完全に思い出した。
「…うちの部長…伊能さんと…何かあったんですか…?」
※※※
「…あ~あ、逃げられちった。しゃ~ねーな、解散しよーぜ、カーイサンっと!」
手に
「なんだー、つまんね。おぅ、このままどっか遊び行こーぜ」
男三人で連れ立って歩いていた内の一人が言う。
「じゃーカラオケ行ってさー、こないだのコ呼ばね?…あれならまたヤらしてくれそうじゃんww」
その隣の男が言う。
一番背の高いイケメン伊能を中心にしての取り巻きのようだが、それぞれの外見もそこそこ悪くはなかった。
だが、いずれも話す言葉や内容はまぁまぁクズを露呈していた。
「あーー、レミぴょん?あいつ酔うと見境無いよなww」
伊能はそう言って笑いながらポケットからスマホを取り出した。
すると、複数の着信通知と更に複数のメッセージ通知がある事に気付き、さり気無くスマホを手で隠しながら着信情報を見た。
そこで彼の笑顔が一瞬凍りついたが、二人には気付かれない。
「…わり。俺っち、これからお仕事呼ばれてくんよ。…終わったら連絡する」
伊能は目を細めて貼り付いた笑顔のままでそう言うと、再びスマホをポケットにしまった。
「マジィーー?ちぇ~、…しゃーねぇかぁ」
「俺らだけ先にカラオケ行ってんよ。またたんまり貰って、ガッツリ遊ぼうぜぇ」
二人はへらへらと笑いながらそう言うと、いきなり一人がダッシュして走り出し、もう一人がそれを慌てて追いかけて脚払いを掛け、お互いに奇声を上げてはしゃぎながら繁華街のある方向へ消えて行った。
二人が完全に視界から消えると、伊能はその場でスマホを取り出して画面を開いた。
複数の着信と、複数のメッセージは二人の相手から送られたものだった。
その両方で大部分を占める一人目の相手からは、
『 あんたなんか死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
ユ ル サ ナ イ 』
この同じ文面が何度も何度も繰り返し貼り付けられて送られていた。
もう一人の相手からは、対照的にたったの一文が送られていた。
『 S・I 殿 要求不認 近々に上長が直接伺います 』
だが、この一文が彼に最も大きな打撃を与えたのだった。
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