第10話 伊能の髪は天パです ↓


 「…どーいう事だよ、『要求不認』って…」


 伊能は青ざめた顔でスマホを握り締めていた。

 そして、怒りの表情もあらわに通話履歴の中から最近とみに顕著な06で始まる相手へリダイヤルをした。


『…プルルルルルッ、プルルルルルッ、プルッーー『はい、K企画です』』


 前回とはまた別の相手が電話口に出た。


「あの、今メッセ見ました…『要求不認』ってどういう事でしょうか、僕には理解出来ないんですけどきちんと説明して貰えませんか?…こちらが成果を上げている事に対しての報酬の引き上げは、正当な権利だと思うんですけど?」


 伊能は抑えた口調でも隠しきれない怒りをはらんだ問いを電話の相手に向けた。


『ーーすいません、担当がいないので詳細は分かりかねます。後に上長が対応するのでお待ち下さい』


 電話の相手はマニュアルを読み上げているかのように感情の無い薄っぺらいトークを声で綴っただけだった。

 そして、それが更に伊能の怒りを掻き立てた。


「ハァ?どういう事だよ、ならその上長っての今すぐ電話口に出せよ、おい!!」


 しかし、それがまた良くなかったようだ。

 電話の向こうで『チッ』とあからさまに大きな舌打ちが聞こえ、それに対してキレた伊能が更に文句を言おうと「!っ、おまー」と言いかけた時だった。


『ーーっせぇんだよ、クソガキぃっ!!!…大金もるぉうておいてまだ不満かい、ワリャァ!!!…おぅ、上のニィさん寄越すさかい、文句あったら体張ってのたまんかいぃ、こんクソボケがぁぁっっ!!!』


 鼓膜が破れそうな勢いの流暢な関西弁の怒号がスマホのスピーカーから溢れ出ると、一方的に通話を切られた。

 ここで初めて伊能は気付く。



 ーーーー向こうはプロの裏社会の人間だったのだとーーーー



 一瞬で血の気が引いたように青ざめた伊能は呆然と立ちすくむ。

 本気でドスの効いた罵声を浴びた経験など無かった為、脚がカクカクと震えた。

 聞かなかった事にしてスマホをポケットにしまおうとするが、手が震えて滑ってしまい、アスファルトに落としてしまった。


 震える手でゆっくりとそれを拾い上げると、今の衝撃で画面にヒビが入ってしまっていた。

 そして、歪んだスマホ画面に着信を知らせる相手の名前が表示され、マナー音がブブブブブブッと鳴り振動すると、彼の全身がビクッと強張った。


 しかし、ここ数日で何度も目にしたその相手の名前を一瞥すると、今度は全身を例えようも無い虚無感が襲い、逆に恐怖は消えて震えは止まった。

 電源を切り、今度こそポケットにしまい込もうとーーしたが、途中で慌ててスマホをアスファルトに投げ付けて叩き壊した。

 表面ガラスの割れたスマホを更に靴底で何度も何度も踏み潰すと、ドロリと光の無い瞳を抱えた虚ろな表情になった伊能は繁華街の方向へ力無く歩いて行った。




 ※※※




「----これで傷、痛くないですか?」


 島根は洗面器に汲んできた水とタオルと、救急箱から出した消毒液や絆創膏で呉峡ごきょうの耳の怪我を洗い、簡単な手当てを施した。


「あ…ありがとう、大丈夫…だと思う」


 ハンカチをどけてもらってよく見たら、耳の上部に鋏で切ったような傷跡と、耳たぶに二つ、太い針のようなもので無理矢理突き刺したような穴が開いてしまっていた。

 それでも最初は、出血が酷かった為に『まさか耳が切り落とされ・・・』みたいな事を想像していたので、ちゃんと身体にくっ付いていただけでも少し、安心した。



 ※※※



 ここは大衆食堂を営む島根の実家で、3階建て家屋の2階にある彼の部屋だった。

 呉峡ごきょうから詳しく話を聞こうと思ったが、外ではまだ先輩達と遭遇する恐れもあったし、かと言ってどこかファーストフード店に入るのにも血だらけの耳では問題があるので、結局そう遠くない場所にある自宅に招き入れた。


 正面の店舗入り口とは別に、ブロックで隔てた隣の小さな門を開けると2階の玄関に繋がる階段が有り、家人はそこを利用して出入りしている。

 まだお客もちらほら出入りしている為、気付かれないようにソォッと階段を昇って玄関を開けた。


「にーちゃん、おかえり!!」


「ひろにーちゃん、おかえり!あのね、としくんがね、」


 玄関を開けた音でバタバタと騒々しく出迎えてくれたのは彼の小さな弟妹達だ。


「ただいま。あのな、にーちゃん、この人とこれから大事な勉強をするから、邪魔しないでくれな。邪魔しないでいてくれたら、あとで一緒にゲームしような」


 と言って約束させてからそれぞれの頭を大きな手でワシワシと撫で、呉峡ごきょうを先に自分の部屋に通してから襖を閉めると、今度は洗面器や救急箱を弟妹達に見つからないように急いで運んで来たのだった。



 ※※※



「あの…、俺、消毒して絆創膏貼っただけだし、なんなら早く病院で診てもらった方が良くないですか?俺、送りますよ」


 島根は化膿したらどうしようかと、心配で提案した。


「いや、ホントに大丈夫だよ。…なんならウチが病院だし、ね…」


 弱々しい笑顔で手を振りながら呉峡ごきょうは答えた。

 島根は「ん?」と言って、少し目を瞑ってから見開くと、「ああ!」と頷いた。


呉峡ごきょうって…もしかして、<ごきょうクリニック>?」


「そう、良く分かったね。ここからだと少し離れてるけど…」


 島根は子供の頃から店の食堂の手伝いをよくしているので、常連の年寄りなどから「今日はどこどこ行ったよ」なる話を良く聞いていて、地域一帯にある店舗や病院の名前は大体聞き覚えがあるのだった。

 さすがに毎日見聞きしている訳では無いのですぐにはピンと来なかったが、なるほどそうだったのか。


「あの、そしたら訳を聞かせてもらえますか?伊能さん…がやったんですか?」


 自宅が病院だと聞いて、少し安心した島根は早速切り出した。

 彼はコクリと頷いて言う。


「まあ、正確にはあの連中全員共犯なんだけど…さっきはさ、もう、


『僕のやる事終ったから、もう関わらないで欲しい』


 って言ったらさ、シュンの奴が、


『じゃご褒美でナンパ行かね?そんならお洒落しないとだぜ~ ♪ 』


 って言って、いきなり鋏出して勝手に僕の髪切ろうとするんだよ。だから抵抗したら変な所ザックリ切りやがるし、しかも耳まで切りそうになるしで、逃げようとしたら今度はあいつら二人が羽交い絞めにしてきて、


『お洒落ならピアス開けようぜ、俺らみたいにさ~』


 って言って、コンパスの針で無理矢理……それで、あんまり痛過ぎるから悲鳴上げて逃げたら追いかけてきて、そこで君にぶつかって…って、そんな訳なんだ」


 島根は思わず自分の耳を手で押さえた。

 コンパスの針でだなんて、聞いてるだけで痛くて脚の間がムズっとした。

 なるほどさっきの経緯はそういう事か。しかし、


「その、『やる事終った』って、何か一緒に作業でもしてたんですか?それに、実は伊能センパイと仲…良いんですか?」


 聞いている内容はイジメとしか思えないが、それなら相手の事を<シュン>だなんて親しげに呼ぶだろうか。島根は疑問をそのまま相手にぶつけた。

 島根は大柄で大人しく普段から無駄口を叩く方では無いが、その分、思った事はストレートに相手に伝える事が出来るようだ。


「うーん…まぁ、最初は…良かった、のかなぁ…?もしかしたら僕だけがそう思ってたかもしれないけど。…そうだな、最初から話さないと分かんないよね」


 呉峡ごきょうは頭を左右に少し振ったが、傷が痛くて顔をしかめ、痛みが落ち着くと、


「ちょっと長くなるかもだけど」


 と、前置きした上で静かに話し始めた。



 ※※※



 呉峡ごきょう 伴人ともひとは病院を経営する一族の子供として生まれ、金銭面や教育面ではまぁ不自由なく育った方だ。


 しかし、家庭内の<とある問題>で中学生辺りから家に帰るのが苦痛になり、やがて夜は外で過ごす事が多くなって行った。


 とは言え、別に煙草やアルコールやドラッグなどに手を出した訳でも、不順異性交遊に勤しんだ訳でもない。そういったものには興味が無かったからだ。


 ただ<家に帰りたくない>理由があっただけなので、いつもゲーセンに閉店までいるか、その後はネカフェかファーストフードか夏なら公園かで、延々と携帯ゲームやスマホゲームをしているだけだった。


 その内に既存のゲームだけでは飽きてしまい、自分でもゲームを作りたくなった。

 そこでプログラミングに手を出すと、地頭が良かったのか、ネットにある数本の動画や教習本数冊をお手本に、独学で数種類のゲームや動画のプログラムなどを制作するに至り、それが趣味に成り代わっていった。


 やがて高校に入り、PCサークルに入った彼はそこでアプリを制作する事を覚えた。仲間内で色んなアプリを作ったり、改造したりするのが面白かった。


 ある日、『サークル費用を賄う為に申請登録して収益化しよう』と提案してきた者がいた。

 しかし学校内サークルである為、営利目的での行為は許可出来ないと学校側から言われてしまい、すぐに断念した。


 だが彼は自分で作ったアプリでの収益化を前々から秘かに考えていた。

 何故なら、アプリ開発やゲーム制作で十分食べて行けるだけの利益を生む事が出来るんだったら、<実家の病院を継ぐ>という定石コースから抜け出せるのではないだろうか、と思ったからだ。


 伊能いのう 俊介しゅんすけと知り会ったのはそんな頃だった。



 ※※※



 サークルの打ち上げでカラオケに行き、周囲のやかましさに疲れて独りで部屋の外に出て、フロント近くのベンチに腰掛けてやりかけのプログラムをノーパソでガシガシ打ち込んでいた所、画面を覗き込んできた人物がいた。


 同じ学校の制服の筈なのに、脚が長くてバランスがいいだけでこうも着こなしが変わるものなのか、と感心するくらい格好いい男が目の前に立っていた。


「ウチのガッコだよね?それ、何やってるの?」


 緩いパーマみたいな髪の毛をしたイケメンで、少し垂れ目のそいつはニコニコ笑って、モサイ男の僕にでも優しく話しかけてきた。


「…あ、アプリを作ってるんだよ。あ、僕、PCサークル入っててさ…今、作ってるのはオリジナルなんだけど、その、占いとかが出来る系の…」


 この頃はもう収益性が高そうなモノに的を絞って色々ジャンルを振り分けていた。

 占い系は特に若い女性を中心に普及率が高そうだったから、女の子受けしそうな可愛くてキレイ目なフリー画像を引っ張って来て加工したりすればいけるかな、とか考えて作っていたものだった。


「え~!マジで、すっげーじゃ~ん!自分でアプリとか作れんの神ぃ?!」


 伊能は素直に僕の事を褒めてくれた。

 彼のチャらい言葉遣いには最初こそイラッとしたが、だんだん慣れてくると平気になった。


 伊能の方も、最初はただの暇潰しで話し掛けただけだったが、当時付き合っていた彼女ってのがそう…ヤンデレ?目のコとかで、占い系のゲームやアプリに相当ハマッていたらしく、いつもウンザリとした気持ちで横目で見ていたモノを、実際にこんな身近な人間が作れるものなのかと驚き、そこから興味が湧いてきたんだそうだ。


 そこから、僕と伊能はたまにゲーセンやカラオケで遊ぶようになった。


 大体僕は夜には外に出ているので、伊能が連絡くれたらこっちに呼ぶか、そっちに行くか、みたいな流れだった。

 つまりは彼も、同じように夜は出歩いているようだった。


 僕らは落ち合うと、最初はゲーセンやカラオケで一緒にゲームするか歌うとかでフツーに身体を動かして遊ぶんだ。

 お互いの得意ジャンルが丸っきり違うから、それはそれで面白かったからね。

 その後はファーストフードかファミレスに移動してドリンクバーだけ頼む。

 その後は大抵、伊能がサッカーの話するか彼女の事で延々と愚痴るのを横で聞きながら適当に相槌を打ち、僕は独りで携帯ゲーム機でユルいゲームしたり、いつも持ち歩いているノーパソでプログラムの続きを打ち込んだりするのが常だった。


 その頃にはお互い名前呼びもするくらいには仲は良かったんだけど…


 ある日、シュンからこんなメッセが飛んで来た。


『 なあ、売れるアプリ作ってみないか?トモだったら出来る! 』


 この日を境に、僕は彼の友達ではなく、ただプログラムを作れるだけの奴隷に成り下がったみたいなんだ…。

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