第6話 表札の件は勿論フィクションです


 まだ夕陽が地平線に沈むには十分時間がある頃、窓を開ければきっと眼下には賑やかな街中の様子が一望出来るであろう白く独特な外観の建物。

 だが、部屋の窓は安全を考慮して基本、開かない仕様となっている。


 赤と黒の千鳥格子の絨毯が敷かれた建物内の、その中の一室のドアの上には<使用中>と赤く灯るランプが点いていた。


 ドアから入りすぐの場所に置いてある簡素なテーブルセットの上には飲みかけのジュースが入ったコップが2つ。

 その傍には、大きめのシルバーリングとスウォッチの腕時計、年季の入ったグッチの腕時計と細いチェーンのネックレスが置かれている。


 室内のクリーム色の壁には一枚の有名な絵画が安い額縁とセットになった廉価な版画製品となって飾られている。


 その絵の下に置かれたセミダブルベッドでは、寝るには首の痛そうな高さのある枕とペラペラな質感のシルク様のベッドカバーが乱雑に放り出され、糊の利いたシーツは既にグシャグシャになっている。


 その上にのた打ち回る若い肢体は、彼女が生まれて初めて知る逃れられない恍惚と歓喜で絶えず短い悲鳴を上げ、一層激しく寝具を乱れさせていた。


 シャワーを浴びて汗ばむ女の身体の耳から足の指先まで執拗に攻め立てる男は、特にその中間地点に顔を埋めてからは、より激しく女を高揚させている。

 そこには普段のキャスケットを被った優しい顔の仮面を捨て、獲物を最後までしゃぶり尽くす獰猛な内面を露にした男ーー<うーたん><ウラ>こと舵浦の姿があった。



“ーーーー【餌】は押さえたで……”



 舵浦の下になり、そのまま彼に初めての痛みを捧げる事になる彼女は、中々のの土地にゆかりを持つものだった。


 彼女自体には何の問題も無さそうだが、遡る5代前に土地神からの祟りを貰ったと思しき形跡があったようだ。

 それが原因かどうかは厳密には言えないが、親族には何かしらの事故や病が続いて血縁は先細りし、恐らく彼女の代でこの家系は滅びるだろう。


 そこで途絶えてしまう前の怨念は、独立し力を得た【鬼人力】には格好の養分と成り得るのだそうだ。

 旧い怨念それ自身が彼女とその血縁しか影響を及ばさなくとも、負の思念は集合したがる性質を持つ。

 弱きものは如何なる存在でも群れたがるという事だろうか。


【恋愛ガチャ】アプリのチャット内容から吸い出したデータを元に、一括のに籍を持つ者が該当した場合、そこから戸籍解析班に回され精査される。その中で怨縁関係が濃厚そうな者をグループ分けし、舵浦を初めとする複数の【ハンター】を<スキルマスター>の中に潜り込ませる。


 本来の<スキルマスター>は生成AIに依る自動botなのだがこのアプリには【スキルマスターと会える?】ガチャが途中の選択肢に最初から組み込まれており、それまでのチャットで一定のルートを辿るものーーつまり、そのようにルートが用意されているーーには、スキルマスターが登場し、いる。


 大体、発端は恋の相談とは言え昼も夜もチャットにのめり込んで行く内に、それこそ昼夜を分かたず親身に受け答えをしてくれる、顔も見えない相手徐々に気持ちは傾いて行く。


 そして、実際に会った者達からは何らしかの念の欠片を取り込まれているのだった。


 舵浦のように女をたらし込む方法は一番効率が良かった。

 特に彼の巧妙なテクニックには心身共に溺れる者も少なくなく、念を取り込んだ後も組織の息のかかった水商売や風俗に沈めたりと資金源の方面でも役立つ場合がある。


 今、まさに舵浦と身体をひとつに合わせようとしている彼女も、恐らく彼とあと数回行為を繰り返す事でそうなるだろう。

『服飾デザイナーになりたい』と言う<夢>は稼がせるにはもってこいの【都合の良すぎる大義名分】に成り得るからだ。


「は……っあっ!!…!…!!」


 貫かれる痛みに涙を浮かべながら、彼女は舵浦の細身だが引き締まった肩を掴んで、ある達成感と優越感を噛み締めていた。





 ※※※





 ーーブブブブブブブブブッ ブブブブブブブブブッ


 マナーにしてあるスマホが着信を知らせる振動で震えた。

 その<非通知>の相手からの着信を待ち構えたように素早く取る手があった。


「…もしもし?」


『S・Iさん?K企画と申します』


 受話口から届く声はくぐもったような男の声だった。


「あ、はい。僕です…あのー…僕、何度も何度も電話したんですけど?」


 電話を取った者は若干怒りを含んだ声で言う。


『…すいません。こちらも手が離せなくてね。ところで、そちらさんからの要求の件ですが、直接お会いして交渉させて頂きます。ご都合の悪い日は?』


 毎回電話に出る相手は違うようだが、今回の相手の声はどうもいつもよりも更に違和感があった。

 どことなく、イントネーションがおかしいような気がした。

 そして、いつにも増して全て向こうの立場の方が上だと言う事を、言葉の端々で確認させてくるような言い方だった。

 だが、ここでキレては全てが泡となる。男はぐっと抑えて下手に出る。


「特に…無いです。夕方以降ならいつでも」


『了解です。ではこちらから追って連絡します。では』


 短いやり取りが終わり、男はスマホを置いて緩んでくる口元を押さえずに髪をかき上げた。





 ※※※





 ……べったべったべったべったべったべったべったべった 


 ガラララッ


「おぉ!!お主、今日は夕餉ゆうげも一緒なんじゃなっ!!」


 廊下を端から勢い良く走り寄る、裸足の足音の存在が客間のガラス戸を開けるなり、舌足らずの大きな声で嬉しそうに叫んだ。

 鳳ひびきの姪、<こだま>だった。頭の両サイドに結わえた髪の毛をふるふると揺らし、大きな瞳を輝かせて喜びをあらわにした。


 相変わらず緑のジャージを着てやがる。他に着替えは無いのか?


「…お、おう。お邪魔してまっす」


 心詞みことは幼女に軽く手を振って挨拶した。

 俺はついさっきシャワーを浴びて出て来た所で、いつも部活用に余分に持たされてる(勝手に鞄に入れられてる)替えのTシャツに制服のズボンを穿いてタオルを頭に巻いたまま、座布団に座って足を崩していた。


「入るわ。お待たせしたわね」


 鳳ひびきは木製の大きな四角い取っ手付きのお盆を持って入って来た。

 ひびきは風呂上りで、部屋着なのかゆったりした茶色のワンピースに、長い髪を頭の上で纏めているのは新鮮だった。

 夕飯を運んで来てくれたようで、湯気の上がる大皿が見えただけで俺の腹は素直に鳴いた。俺も手伝おうと腰を上げた所で、辺りを見回した。


「あれ?さとるはどこ行ったんだ?」


「電話するからって、外に行ったわ…ああ、戻ってきたみたい」


 ひびきがお盆を下ろして大皿料理を置き、幼女がそこから取分け皿を取り並べている(落とさないでくれよ…!)と玄関方面の廊下から哲と、更に大きなお盆を持った知らない女性が談笑しながら一緒に客間へ向かって来た。


「お、シャワー浴びたか。綺麗になって大変ケッコウー」


「はいはい、お待たせしちゃってごめんなさいね~」


 哲はスマホを持った手をヒラヒラさせながら入って来て、知らない女性は膝を付きながらそう言うと、大きなお盆から次々と温かい膳を手際良くテーブルに並べた。


「すみませんね~、ご挨拶が前後しちゃったけど、私はここの宮司の光一郎こういちろうの妻で香里かおりと言います。」


 あらかたの膳を並べ終えた所で、ふくよかで柔らかい印象の優しげな女性はそう言って膝を付き指を揃え、頭を下げてきちんとした礼をした。

 それに倣い、俺達も慌てて同じ格好になってそれぞれの氏名を名乗った。


「…あれ?でも表札にはーー」


 と、顔を上げた俺が言いかけると、


「あのね、私はこの敷地には本当は住んではいけないから、名前だけ表には書いてないのよ。こういう神社ならではの、裏技みたいな慣例?とでも言うのかしらね?」


 と、香里さんはペロッと舌を出して悪戯っぽく言った。


 ーーーー何でも、香里さんの家系は【鬼を倒した】事があると言う、言い伝えのある直系なんだそうだ。


 その為、【鬼が寄り付かなくなるので居を分かつ】というしきたりが、こういった鬼を祀る神社では存在してたんだそうだ。

 だがそれは昔の話で現在では、そんな事は現実的ではないと簡略化されて表札には名を出さず、ここにはと言うていで実際には表札の裏側や、少し離れた場所に名札を置いておくーーーーと言うならわしなんだそうだ。


「へーーーーそんなモンあるんだ…」


 香里さんはそこでコッソリ結婚する前の苗字を教えてくれたが、あんなポピュラーな名前にそんな由来があるとは!


「それじゃ、ごゆっくり」


 と言うと、香里さんは母屋へ帰って行った。

 そして、目の前に並べられた純和風の美味そうな料理の数々を前に、俺はもう腹の虫が俺よりも辛抱たまらんと鳴き続けているので、これは要求に応えないとイケナイ!!


「わーー、もう、腹減ってたまらん!食おうぜーー」


「そうね、いただきましょう」


 俺が言うとひびきも頷いて箸を取り、親指に挟んで手を合わせた。


「いただきます」


「いたーきやすっ!!」


「いただきまっす!」


「いただくのじゃーーーー!!」


 ひびき、俺、哲、こだまの4人はめいめい言うと、それぞれの茶碗を握り締めて箸をチャカチャカと鳴らした。


「そいやお前、電話はどしたん?何か急用だった?」


 俺はおかずとご飯で頬を膨らませながら、ふと気付いた事を哲に聞いた。

 哲は咀嚼しながら残念そうにこう言った。


「いやー、ダメだ。全然出ないな」


「ふぅん?」


 そんなに大した用件でもないのかな?と思ったが、哲が何も言わないので俺もそれ以上追及はしなかった。何よりも、今は口の中が忙しいのだ。


 その後暫く、下らない事を合間に話しながら客間の空間は箸の交差する音が占有していった。

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