第7話 良い子は真似しちゃいけません。ダメ、絶対。


 ピロンッ。


 川べりの塀に背を預け、しゃがみ座りをしたままゲームをしていた<ゼキ>のスマホに通知音と共にアプリのマークが表示された。

 彼はゲームを一時停止して内容を表示する。


『 終了 エサ 寝てる 』


 <ゼキ>は顔を上げ、塀の上に腰掛けている阿魏汰に声を掛けた。


「アギさん、終わったと」


 川の上を眺めながら須佐へのお土産を考えていた阿魏汰はその声に反応して立ち上がると、大きく伸びをして首を回した。ポキポキボキ、と骨の鳴る音がする。

 緑色に染めた半分の髪の毛が、傾きかけた陽に透けて青くきらめいた。


「んぁーーー~~~、……おけ」


 天に上げた両腕を重力に倣ってぶぅんと下ろすと、そこでグリンと両肩を内側に入れ込み、その状態で両手を目の前の高さにまで持ってくると、両手のを勢い良く合わせた。



『カアアァァァンンッッ!!』



 大きな金属音が響く。


 彼の両拳の関節は皮膚の内側を金属プレートで補強されている為、通常では有り得ない程に甲と甲が打ち鳴らされると音が響く。


 これは以前、須佐に右手指を全て折られた後の治療の際、どうせならと頼み込んで追加手術をしてもらい、ついでに左手にも同様の処置を頼んだものだった。

 最初は単純に武闘派で鳴らす阿魏汰が喧嘩で有利に、と考えた趣味の悪いイロモノ仕様だったが、実は彼のような【妖霊使い】には重大な利があると後々に気付いたものだった。


『 “ “ オーーーーーーーーン ” ” 』


 両手の甲を合わせたまま阿魏汰の口から発せられるその声は、まるで幾重にも声が重ねられたような、ビリビリとした振動のある重低音となって、周囲に響き渡る。

 その声の反響音の中、再び阿魏汰の背後に巨大な黒い影のようなモノが立ち昇る。


『 “ “ 捕 食 ” ” 』


 その声と共に黒い影が一気に膨らんで阿魏汰の周囲一体を飲み込んだが、一瞬でそれは掻き消えた。


 阿魏汰は【裏拍手】を彼の術中の儀式の一つとして位置付けたのだった。


 通常、拍手は手の平と平を合わせて行う。

 それは【祝福】としての意味を持ち、また術者としての観点からは、両の掌から発せられる【気】を合わせる事で生じる瞬間的なプラスエネルギーの爆発から、普通の人間でも周囲に【気力の磁界】を、一瞬だが生じさせる事も出来る程の【正】の威力を持つ。


 その逆である、手の甲と甲を合わせる事ーーーーそれの意味する処は【呪い】だ。


 そしてその【負】の威力も本来の拍手ーー【正】の威力と比例している。

 それを【妖霊使い】の阿魏汰が使用することの意味は大きい。

 彼は偶然知ったその儀式を取り入れる事で、簡単に自身に憑いている契約霊の欲求を満たす事が出来たのだった。




 ※※※




 夕暮れが近づき、より賑やかさを増した繁華街にあるホテルの一室では、くちゃくちゃに乱れたシーツの上で、毛布の端っこを申し訳程度に裸体に巻きつけ、<ウラ>との交歓に疲れきった<りりは>がスゥスゥと寝息を立てて眠っていた。


 ベッドから少し離れた1人掛けのソファに腰掛けている舵浦<ウラ>は既にシャワーを済ませた後、ひたすらスマホに集中していた。


【恋愛ガチャ】の“実在するスキルマスター”の中の人の一人として、悩める乙女との幾通りものやり取りをするには、時間がいくら有っても足りない。

 だがまずは現状の報告をしなくてはいけない。

 喫緊の連絡だけ先に数件済ませ、阿魏汰のいるチームへの連絡中継点としての役割を担う<ゼキ>にメッセージを送った。


『 終了 エサ 寝てる 』


 数秒置いて返信が来た。


『 伝 』


 伝えた、の意だ。彼もすぐに返す。


『 り 』


 了解、の意。 

 そしてこれから起こる、彼が最も見たくないおぞましい光景を避ける為に身体をベッドから反対方向に逸らし、とにかくスマホの操作にだけ、集中した。


 阿魏汰が『 “ “ 捕 食 ” ” 』と唱えた正にその瞬間、りりはが横たえるベッド周囲の四隅や天井、床から、潜んでいた影がまるで意思を持ったかのようにドゥッ!!と増殖し膨れ上がり、りりはの身体に群がった。


 すると、彼女の身体からそのままそっくり黒い影だけ抜き取ったかのような姿が宙に浮かび上がった。ベッドの上ではりりはの肉体に変化は無い。

 やがて部屋中の増殖した影達は、りりはの身体から抜き取った黒い影をまるで数日間何も腹に入れられなかった飢えた獣の群れのように、貪り始めた。


 その黒い影はりりはの【宿業】として魂の容れ物の表層に付きまとう【念】。


 それは常に宿主に似た形をとり、いつしか宿主のように振る舞い、そして緩やかに血族の破滅へと誘うように導く、過去からの【黒い使者】だ。


 りりはの影は抵抗しているようだが、四方八方から押し寄せる増殖した影達に手や脚を食いちぎられ、腹を食い破られ、やがて首も千切れてボロボロの塵となり、その塵一つすら見逃さないよう、全て綺麗に影達にくらい飲み込まれていった。


 この、まるで音の無い魂の惨殺のような捕食の光景を、舵浦は初めて見てしまった時に大いに後悔した。


 彼はただ、女の子と気持ちのイイ事をするだけが楽しくて生きているのだから。


 その行為の後も、何度か会ったり言葉や連絡も交わすのに、さすがにこの光景を見た後に平然としてはいられない。

 だが、彼女らは彼等にとってはただの手段であり、生活の中のタスクの一つでしか無い。余計な情報や感情は持たない方が幸せだ。


 彼は、彼の目標だけに向かって進んでいる。

 ここで聞いても決して笑わないで欲しい、その目標とはーーーー


“ 千人とヤる ”


 だけだった。

 達成したら? 決まっている。


“ 一万人とヤる ”


 舵浦とは、そういう男なのだ。

 その為に、各種検査も毎月欠かさず行っているのだった。 恐れ入る。


 そして阿魏汰の契約霊に捕食・吸収された【宿業】はそのはらの中でより深い闇へと絡め取られて行く。

 この【宿業】を捕食された側、<りりは>の方はどうなるか?と言う問いが浮かぶだろう。【宿業】が消えたのなら、彼女の血族としての因縁は立ち消え、今後は幸せな生活が送れるはずーーーーなら、良かったのだろうが。


 彼女はこの時点で、最も近づいてはいけない“肉欲の罠”に嵌った直後なのだ。

 そう、新たな破滅への扉をこじ開けたのは、彼女自身に他ならない。


「ん・・・?」


 毛布から大半の肢体が出たまま寝込んでしまった<りりは>は、身体が冷えたようで目を覚ました。

 枕元には、既に着替えた<ウラ>が腰掛けていた。


「おはよ」


 舵浦は微笑んでそう言うと、彼女の頭を軽く撫でた。

 まだ恍惚感と痛みの余韻の残る<りりは>は、にっこり笑って彼に抱きつき顔を近付けた。二人は当然のように唇を合わせ、舌を絡ませた。


「また…会ってくれ…?」


 <りりは>は唇を離した後に、彼の匂いのする上着に顔を埋めながら言った。

 彼女の裸の背中のスルスルとした手触りを愉しみながら、彼は言う。


「いいよ」


 笑顔で応え、再び抱き合いながら軽く愛撫をする。


 だが、彼の頭の中には、後15分で退室する事と、この後会う予定の別の女の子との約束の事でいっぱいだった。

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