第13話 かつて「伝言」というモノも存在したようですよ



 ※※※




「!!…ッゲホッゲホッゲホッ!!!…す、すい…ゲホッ、ません…」


 途中で弟が気を利かせて持ってきたくれた麦茶を飲みながら話を聞いていた島根は、そこで驚いて思わず息を吸い込みむせてしまった。


「だ、大丈夫?」


 呉峡ごきょうも手に麦茶を持ちながら島根に声を掛けたが、彼は<大丈夫>とジェスチャーをして話の続きを促した。




 ※※※




 込み入った話になりそうなので、二人は場所を変えてカラオケ店へ移動した。

 ここなら聞き耳を立てられる心配は無いからだ。

 そして適当に頼んだドリンクが届いてから伊能は話し始めた。


 そこには単純に付き合っていた彼女が妊娠した、では済ませられないかなり複雑な事情が絡んでいた。


 ーー


 彼、伊能いのう 俊介しゅんすけは幼少の頃をどうしようもない父親のDV家庭で育ち、彼と母親はその犠牲になりながら毎日を怯えて暮らしていた。


 が、俊介が小学校に上がる位の年齢で遂に意を決した母親と共に家出し、後に離婚が成立。生活は苦しくともようやく怯えずに済む日々を送れるようになった。


 そして、新天地で母親の仕事も落ち着き、生活も安定の兆しを見せていた折に、母親に再び再婚の話が持ち上がる。

 元々年齢よりも若く見えて美しいと評判だった母親は、どの職場でも大抵数人から求婚されてしまうのだが、それが元でトラブルになる事も少なくなかった。


 この時も同じように職場で揉めたらしく、母親は退職し再び仕事を失うが、求婚してきた相手は責任を取ると言い、結局彼と彼の母親を自分の籍に入れた。


 が、初めの頃こそ優しく甲斐甲斐しい理想の父親のように思えたその相手も、次第に傲慢で支配的な態度を現すように変化した。


 この時小学校高学年になっていた俊介は家に帰りたくなくて、隣の県にある祖父母の家に家出した事があった。

 だが、様々な権利を駆使した義父親に引き戻され、結局は成す術も無く耐えるだけの日々が続いた。


 やがて中学生にもなると彼の身体的成長はめざましく、毎晩痛くて眠れぬ夜を過ごす程に手足は長く、日毎にぐんと背も伸びていった。

 母親譲りの端麗な容貌は女子には大変ウケが良く、今もそうだが中学校ではやはり非常にモテたそうだ。


 女子にはどこでもチヤホヤされ、男子とはバカ話やバスケにサッカーとスポーツに興じ、学校生活が楽しくて仕方なかった彼は授業にも真面目に取り組んでいたので成績もまずまずで教師からも評判良く、とにかく学校が大好きだった。


 しかし、そんな楽しい学校も、放課後過ぎれば家に戻らなくてはならない。

 あの、息苦しい場所。母さんを虐げる、アイツがいる処へ…。

 帰りたくは無い。けど、前に家出をしてから父親は門限を設け、それを過ぎて帰宅したのが判明すると、それを理由に母親が折檻を受ける。


 何とか母親を連れて逃げ出せないかと彼は義父親の目を盗んで手段を探した。

 まずは金を稼ぐ方法だ。金さえあればなんとか出来るに違いない。

 パソコンの類は無いが、スマホだけは持たせて貰ってるので検索した結果、



【☆男性限定v】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【年上の女性とチャットするだけ☆素敵なお姉さまとお話してラクラク稼げる!】                   

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【v早い者勝ち☆】



 と言う、いかにも怪しげな求人に目が止まったが、とにかく早く稼ぎたい彼は試しに応募してみることにした。

 年齢制限があり、未成年者は登録出来ないと言う事だったので、二十歳と言う設定にしてニックネームは真夜中だったから<シンヤ>で登録した。


 プロフィール欄には【 身長178cm・体重53kg 】と、ここは本当の数値を入れた(後に彼は更に10cm以上身長が伸びる事になる)。


 <☆お姉さまへ一言アピール☆>の欄には色々考えたが、適当に良い事書けばいいや、と思い、こう打ち込んだ。


【 まだ見ぬ素敵なお姉さま、早くあなたに会いたいな。

                 僕と一緒に楽しいお話いっぱいしようね。 】


 ーーーーこの書き方が大いに誤解される表現だと言う事を、この時の彼にはまだ理解出来なかったのだ。


 翌日、学校の休み時間に昨晩登録したサイトから何か来ていないかスマホを見ると、複数のメッセージがあるとの通知が来ていた。

 登録先のページを開いて自分へのオファー欄を見ると、一晩で十何件もの自分宛のチャットオファーが溜まっていた。


 誰かに見られるとマズいので、昼休みにかき込むように弁当を食べ終えて一人になる場所を探すと、そこでオファーの中身を一件ずつ確認した。

 どれも内容は似たようなもので、言葉や文句は違えどそれはどれも、


『いつでもいいから連絡下さい、直接会いたい』


 といった事を伝えていた。


 彼はそこで初めて昨夜の書き方がマズかった事に気が付いた。

 自分としては、チャット上の意味で<会いたい>と書いたつもりだったのだが、それはもう<直接対面希望>だと捉えられてしまっていたのだった。


 仕方なくその中から柔らかな表現の言葉遣いで、プロフィール上の年齢が一番近い、ロングヘアで清楚系お姉さんのイメージ写真が貼り付けられた“28歳の未婚OL”だと言う<タエ>を相手に選び、まずは最初のやり取りをしてみる事にした。


 初めまして、からスタートしたやり取りは時間を置いてまとめて返ってくる感じで、仕事の休憩時間にでも返信しているようだった。

 初日はお互いの自己紹介や趣味や好きな食べ物など無難な内容に留まり、夜には会話を一旦区切って<おやすみ>を言い合った。


 思いのほかあっけなく、普通に誰かと話してるようで楽しかったし、会話だけでポイントが貯まるのは本当のようだった。

 が、実際まとまった額を換金するにはかなりのポイント量が必要で、それには同時に複数人と会話し尚且つ一日中スマホに張り付いていないと実現は難しそうだった。


 このままでは埒が明かないので他に何か稼げる事は無いだろうかと思案しながら眠った。そして翌日、そんな彼の思いを見透かすような言葉が<タエ>から届く。


『 ここ、ポイント貯めるの結構キツイってよく聞くよ。お小遣い程度なら渡すから、一緒にゴハン行かない?独りで外食って寂しいからさー…勿論、お姉さん奢っちゃうよ(^o^) 』


 一緒に食事に行く位なら、そしてそれでお金が貰えるんだったら…彼は揺れた。

 迷ったが、門限さえ守れば大丈夫だろうか。右手の親指は左、左、下をなぞる。


『 いいよ 』


 土曜日、うちの学校は休みなので、義父親からの取り決めによる週末恒例の、母親と一緒に家中の掃除をし(全てをピカピカにしないと怒られる)友達と出掛けると嘘を吐いて外出した。


 待ち合わせ場所にいたそれらしい女性は手を振って近付いてきた。

 そこにはどう見ても四十近い、プロフィールの姿とはかけ離れた容姿の女が香水の匂いを振りまいていた。

『騙された』、と思ったが<タエ>は申し訳なさそうな顔をして謝り、お金は渡すから食事だけでも付き合ってくれと懇願されてしまい、食事だけですぐ帰ると約束して予約してあるというレストランへ入った。


 食事をしながら、自分が本当は14歳の中学生である事、家を出るためにまとまったお金が欲しかった事などを怒りも手伝って正直にぶちまけた。

 すると女も再び自分のプロフィールについて謝ると、本当は43歳である事、未婚OLでは無く会社員の旦那もいて自分は小さなデザイン会社を経営しているのだと打ち明けた。


 お互い嘘を吐いていた訳で、話してしまえばスッキリしたし、<タエ>さんも香水さえ変えてくれればそんなに嫌では無い気がしてきた。

 食事が終って約束通り帰ろうとした時に彼女は前もって用意したらしい封筒を渡し、受け取ろうとする時に両手でその手を掴まれて、言った。


『 あのね、<シンヤ>君が嫌でなければなんだけど、またこうやってゴハンだけでも、時々でいいから会ってくれない?勿論、お金は渡します…お願い 』


 掴まれたその手が妙に生温かかったので、正直、気持ちが悪かった。

 でも食事だけでお金が貰えるのは悪くない。他に割りのいい稼ぎ口が見つかるまでのとしてならいいかな、と打算して彼は承諾した。

 但し、門限があるので遅い時間は困ります、とだけ告げ、相手が頷くのを見て彼は独りで帰路についた。


 その日は服に付いてしまった香水の匂いについて誤魔化すのが大変だったけど、何とか『 友達が自分のコロンと間違えて母親の香水を大量に付けてきた 』話をでっち上げ、義父親も『思春期だからな』と言って笑って許してくれた。


 門限前だったのと、たまたま機嫌の良い時が重なったので大丈夫だったがヒヤヒヤした。やはり香水についてはもう一度念を押しておこうと思った。


 それからは隔週くらいのペースで<タエ>と食事デートをするようになった。

 外でゴハン食べるだけで何が楽しいのか良く分からなかったが、いつもメイクも服装もバッチリと決め、とにかく嬉しそうにしているのでそれで良しとした。

 香水の方も、最初に会った後に親に怒られそうになったとチャットで話をしたら、また激しく謝ってきて『二度と付けない』とまで言い、実際に止めてくれて助かった。


 そうして半年くらい過ぎた頃、遂に二人の関係に変化が訪れる。


『 あのね、朝まで一緒に過ごしてくれたら、何回かで引越しくらい簡単に出来る位のお金を渡せるんだけど…難しい? 』


 学校の昼休みに彼はおにぎりを食べながらその文面を見て固まった。

 自体に興味が無い訳では無いが、相手は母親より年上で、何よりどうやって泊まりの理由を考えようかと思いあぐねた。

 昼休みが終って午後の授業中もずっと色んな言い訳を考えたけど、どう繕ってもボロが出そうで現実的じゃなかった。


“…どう考えてもダメだやっぱり。断ろう”


 と心に決め、家に着いたらそう返信しようと思いながら帰宅した。

 しかし玄関に近付くと中から何か物音が聞こえ、同時に義父親の大声が聞こえる。

 そおっと鍵を開けて扉を開けると、飛び込んできたその光景に目を疑った。


 部屋中に布切れが散乱し、細かい綿毛のような物や鳥の羽根、真珠の玉や大小様々な大きさの色の付いたビーズなどがあちこちに散らばっている。


「 …何なんだ、こんな贅沢ばっかり!!俺の見た事も無い服やアクセサリーもある!!お前、またどっかで浮気でもしてるんだろ、そうだろう!!誰なんだ、今度は誰なんだっ!!!言えっ、はっきり言えー!この無駄遣いばっかりの浮気女っ!!」


 母は床に座り込んで義父親に引っ掴まれてぐしゃぐしゃになった髪の毛をだらりと垂らし、引き裂かれた洋服を握り締めて声も無く大粒の涙を零していた。

 リビングの前で立ち尽くす自分の姿を認めると、大きな舌打ちをして義父親はドスドスと足音を立てて自室へ入って行った。『バタン!!』と殊更大きい扉の音を立てて。


 母親は「うっ、…うっ」と嗚咽を噛み殺しながらノロノロと片付けを始め、彼も黙ってそれを手伝った。

 この無残に引き裂かれた洋服やアクセサリーが浮ついた物では無い事を彼は良く知っている。何故ならそれは、アイツと一緒になる前に母親が持っていた物で、大幅に制限された生活費を遣り繰りしながら母が趣味の手芸でリメイクしていたのを見ていたからだ。


 部屋の隅やテレビの下にまで散らばった真珠玉などを拾い集めながら、やっぱり早く家を出ないといけない、との思いが再び強まり、ある決心をした。

 集めたビーズ玉と真珠玉を母親にそっと手渡すと、小さな声で囁いた。


「 …俺、早く大人になって稼いで、ここから母さんを連れ出してあげるから 」


 母親は涙で潤んだ大きな瞳を自分に向けると、はなすすりながら「いいの、無理しないでいいの」とだけ微かな声で言った。

 片付けを終えると彼は自分の部屋に行き、部屋の電気も点けずに真っ暗なままスマホを開いた。


『 泊まりは難しいので、今度会う時早めに待ち合わせでどうでしょうか 』


 送信ボタンをタップすると、すぐに返信が返ってきた。


『 嬉しい ありがとう 』


 <タエ>の目元に皺の寄った笑顔が浮かぶ。

 同時にさっき見た、母親の涙でぐしゃぐしゃになっても尚、美しい顔がよぎる。



【 …少し早く大人になろう、母親を守る為に 】



 その決意が、今後の彼とその周囲を大きく変化させてしまう事になる。



 そしてある週末のその日、うんと早起きして先に掃除を完璧に済ませて父親を黙らせると、適当な事をでっち上げて午前中から出掛けた。

 待ち合わせ場所であるシティホテルのロビーラウンジで彼は<タエ>と落ち合うと、そこで軽く飲み物を飲んで雑談してから、エレベーターで彼女が先に取ってある部屋へと上がって行った。


 その後、ベッドを共にした<タエ>の寝顔を見ないようにして彼はシャワーを浴び、トイレで散々吐いた。

 先程見たモノ、味わったモノを全部吐き出したかったが、もう胃液しか出てこなかった。


 無理矢理吐いたので涙が出てきたが、トイレから出てもまだ涙が止まらなかったのでもう一度シャワーを浴びた。


【 早く稼ぐ。早く母親を連れて家を出るんだ 】


 その決意だけを支えに、同じような逢引をその後も数十回、毎回別のホテルでおこなった。何度行為を重ねても、身体が反応するだけで気持ちが付いていかなくてバラバラな感じだったが、そういうモノなんだろうと諦めて割り切った。


 そして中学3年生に上がって間もなく、彼は遂に母親と一緒に家を出た。

 その後は事後処理や手続きなど煩雑を極めたが、母親もそこは懸命に済ませてくれて、晴れて二人は自由の身となった。

 実は、事情を話した<タエ>の知り合いにそう言った関連に詳しい知り合いが居た為、こっそりと手伝いをしてくれていたのだった。


 引越し関係の事にも色々と世話を焼いてくれ、彼にとって<タエ>は大恩のあるタニマチのような存在になっていたが、さすがにもう身体の関係は断りたくて、落ち着いたらそう切り出そうと考えていた時だった。



「…ごめんね、あたし、妊娠しちゃったみたい…」



 今日で最後にしようと思ったその日、事が終ったホテルの一室でシャワーを浴びたふくよかな肢体をバスローブに身を包んだ彼女に、そう告げられたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る