第9話 鳳の絵日記は通称【ロールヒャッハー】

 

 「【キジンリキ】とは鬼の人の力、と書くわ」


 おおとりは鞄から白い紙と筆ペンを取り出して漢字で説明をしてくれた。

 しかしサラッと書いていても恐ろしく字が上手だ。まるで書道の先生のように背筋をピンと伸ばして筆を動かしている。普段からこうなんだな…きっと。


「【鬼人力】の歴史は古く、遡るとおよそ1800年近くも昔から操られ、当時から一部の許された者以外には禁忌の術とされているものよ」


「“術”って事は、なんか魔法とか呪いとかみたいなものなのか?」


 さとるはもう一台のスマホを取り出して検索を始めた。

 俺は…いや同時になんかやると頭が追いつかないからここは大人しく話を聞こう。


「どちらも似て非なるもの、かしら。亡くなった人の事を【幽鬼】と呼んだり、【鬼籍に入る】なんて使われ方をするのは知ってるわね?」


 哲は『勿論』とでも言いたげな様子で頷き、俺は…『なんとなく』頷いた。


「つまり、【鬼人力】と言うのは亡くなった人の力を借りて願望を達成させる、本来はタブーとされた外法けほうの事よ。因みに、検索しても何も出てこないわ」


 哲はスマホでせわしく指を動かしているが、やがて頭を振って手を置いた。


「…確かに。いくら掘っても何も出てこないな」


 鳳はまた筆を動かしながら話を続ける。


「願望が大きければ大きい程、借りる力は大きくなければ達成出来ないわ。そして術を反復すればする程、鬼人の力は蓄積されてしまう…これらは消えない負のエネルギーとして、術を行使した者の魂に刻み込まれていくのよ」


 俺は陰鬱な流れの予感にゴクリと唾を飲み込んだ。


「万物の取引は全て等価交換で成り立っているわ。命を要求したならば、相応の代償を払わなければならない。つまり、命ーー魂を差し出さなければいけない。それは、単純に“死んでおしまい”、とはならないわ。本来の魂の辿るべき場所から外れてーー難しい話になるから分かりやすく噛み砕くと、死後、彼ら【鬼人】に与えられた魂は早々に手放しては貰えない。現世で満足する生を彼らのお陰で満喫できたのなら、あの世ではどんな要求にも応えなければならない。具体的には、魂の蹂躙よ」


 俺たちは身を震わせた。

 それはこの恐ろしい話に……



 ではなく、彼女の手元の紙に。



「あの、ごめん、ちょっと…。それ、は…何??」


 そこには、筆ペンで描かれた黒い…?豚…?犬……?いやナニコレ?が独特な画風でわやくちゃに描かれていた。


「何って、魂よ。鬼人に囚われた哀れな魂の説明を…何かおかしいかしら?」


 鳳は至って真面目な表情でそう応えた。

 もうダメだ、俺は腹筋崩壊した。

 同時に、下を向いてさっきから堪えていた哲も遂に爆発した。


 字は引くくらいに美しいのだが、絵はドン引きするくらいに壊滅的だった。


 彼女なら何でもこなせそう見えて、どうやら画才だけは持ち合わせて無かったらしい。思いがけず発見した意外な側面に俺たちはひとしきり笑ってしまい、さすがの彼女も何かに気付いて手元の紙をくしゃっと丸めて捨てた。

 少しだけ、顔を赤らめているようだ。


「は、ごめんごめん、中断させちゃった悪い!続きをお願いしゃっす!」


 俺は笑い涙を拭って謝罪した。機嫌を損なってしまっただろうか?

 しかし彼女は少し恥ずかしそうにしていたものの、お茶を一口含み、再び冷静な顔つきに戻った。

 彼女は口の中のお茶をゆっくり飲み下すと、軽く咳払いをした。


「…それじゃ、続けるわね。囚われた魂は当然、解放を望むわ。しかし、現世での紐付きが生じてしまった負のエネルギーはそのまま血縁にまで及ぶ。すると、あの世からの叫びは全く関係のない子、孫、と子々孫々にまで伝わり、その負の影響が及ぶようになってしまう。その為、これ以上の負の集約を防ぐ為に、囚われて文字通り【鬼人】となってしまった魂たちを鎮める為に興されたのが、当家のような【鬼鎮神社】なのよ」


 彼女は絵を描いて説明することは諦めたようだ。両手を膝の上に置いて真っ直ぐこちらを向いて説明する。


「ところで、その【負の影響】ってのは例えばどんなのが起きるんだ?」


 哲は小さく手を挙げて質問した。

 俺もそれは気になっていた。

 鳳は一瞬、紙に手を伸ばそうとしてすぐに止めた。


「大本の願望に影響される事が多いけど、概ね“不幸が重なる”イメージかしら。何をしても上手くいかない、自分の望んだ方向に進もうとすると必ず妨害が入るくらいならまだ良い方だけれど、【鬼人】の影響が強大であると、周囲の人間の命すら簡単に奪っていく事もあるわ」


「それは…穏やかでないな。でもそんな事がまさか、この現代にまだあるのか?」


「あるわ」


 哲の言葉に鳳は冷えた声で即答した。

 その瞬間、背筋にぞくっと冷たい何かが通り過ぎたような感覚になった。


「そして、その力を利用して世の中を動かそうと目論む者すら存在します。【鬼人】に囚われてしまった縁者は、その影響力が強大な程に比例して不幸な人生を歩む、つまり金銭的にも恵まれていない場合が多いわ。それを逆手に取って、その【鬼人力】ごと買い取って、己の願望を果たそうとする輩が遂に出現の」


「ぅえっ?!」


 俺たちは揃って変な声を出した。鳳の言葉は過去形だった。

 それはつまりーーーー


「力を…買い取る?出現って…」


「可能かどうかが一番の疑念なのでしょうけど、残念ながら可能だという事が実証されたのよ。それも考えうる最も効果的且つ最悪な方法でーーーー」


 鳳はここで一旦言葉を区切り、軽く目を瞑り呼吸を整えた。再び開かれた形の良い口からは、にわかには信じ難い言葉の羅列が幾分ゆっくりと温度を伴わずに吐き出された。


「今から話す事は全て事実だという事をまず、理解して欲しい、という事を先に伝えておくわ」


「【鬼人力】を手に入れた人間は己の願望の為に行動し、強大な【鬼人力】を持ってすればそれが可能だという事が、日本を領土とせんと欲する一部の外国勢力の知るところとなってしまったーー」


「ーー今は2021年6月17日ね。今から1年と2日後の2022年6月19日に、ある条件が成立された事に因って日本は地理的にも、経済・社会的にも壊滅的な被害を受け、実質上、日本国という形はほぼ消失するわ」


「生き残った国民は僅かおよそ9万人ーー現在約1億2494万7千人の人口から1億2485万7千人程の命が奪われた事になるわ」


「そしてこれは、残念ながら既に起こった結果なの。しかも、8。私たちは、その8回の事実を覆して9、悲願の達成の為に転生して来た【ミコト・プロジェクト】、つまり」


 鳳はここで大きく息を吸った。


息長おきなが心詞みこと君、これはあなたが発起人となって始まった、今から226年先の未来よりラムダ世界線に実在する貴方自身が発信した、全世界線共通/同時進行エフェクト修正案の一環なのよ。どうやら、ここの世界線のあなたは何も覚えてないようだけど…」


 静かだが熱を帯びた鳳の説明と裏腹に、俺はとうとう話に付いていけずに、ただポカーン、と口を開けて聞いているだけだった。


「えと…、ちょい待ってくれ。なに、その2百何年先からって話は…」


 俺は話を整理しようと頭を抑えながら訊いた。


「今から226年先の未来よ。この世界線の技術力と理解力では到底、信じる事自体難しいのは承知しているわ。けれども、私たちは事実、2247年からこの時代の日本国へ9度のアプローチを試みているわ。今がその9回目よ」


 鳳は先ほど、いや学校にいた時から全く同じ調子で話をしている。

 そこには何も誇張や虚飾の気配は感じられない、ただ、自分の感覚で受け入れるのが難しいだけなのだ。それは分かっている、のだがーーーー


「なるほど、それじゃお前がさっき“旧中庭”の存在や通称を知っていたのも、既に同じやり取りを9回繰り返していたから、って事か?」


 哲が静かに口を開き、彼女は『幾つかの変更点は存在するけれども』、と言いながら大筋ではそうだと頷いた。


 俺は聞きながら“あー!なるほど”と思っていた。


 つか、なに?その受け入れの早さ。

 俺の顔色が伝わったのか、哲は俺の顔を見て両手を広げ、


「おいおい、世界線とか異世界転生とか、今じゃアニメやラノベではデフォといって然るべくだぞ?ここは『遂に俺の処にも来てしまったか』と左目を隠して歓喜すべきところだろう?」


「え?そうなの?」


 俺はまだ頭が付いていけずに固まった。

 だが鳳は幼馴染の順応の早さを評価したようだ。


「ええ、ここは内容に追いつけなくても形だけでも理解してくれないと、進捗に支障が出かねない。まずは話だけでも、飲み込んで頂けると有難いわ…それで、この後なんだけれども、やや込み入った説明が必要となるの。泊まりなら、先にお風呂を用意させて貰った方が良いかしら?それとも夕食の後がいいかしら…?」


 お、


 おふ


 おふろ?


 ただでさえ付いていけない話の後の思いがけない提案に、俺の思考は頑張り過ぎたハムスターのように、いきなり走るのを止めてしまった。

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