第5話 君は【筆鉛筆】を知っているか
昼休み明け、午後の授業が始まって間もなく、
空腹の所に弁当とパンを一気に流し込んだせいだ。
“クッソー…あのガキんちょにカレーパン取られたから…”
俺は食い物の恨みを思い起こしてなんとか起きる原動力に繋げたかったが、どうにも舟を漕ぐ頭が止まらない。
しかも午後一の授業は古語だ。
けりけりけりけりなかりけりなど、もうただの呪文にしか聞こえない。
おまけに古語の先生は校内一番の年寄り先生で、抑揚の無い音程でただただ教科書読み上げて板書するだけの、全く楽しくない授業の進め方で定評のある奴だ。
まあ、おかげで他の授業の宿題やってたり、同人の下書きしたりとか個人的な内職を進められると一部では有難い存在なのだが。
多分、
“…そいや、さっきなんかアプリが…赤い点が出て……”
ヤバイ、もう本格的に考える事自体難しくなってきた。
耳に聞こえる呪文は心地良い子守唄となって俺の意識をかっさらっていった。
※※※
身体を撫でる風を感じる。
“…ん~、…なんか気持ちいいなー…”
そうだ、身体のどこも痛くない。
昨日の怪我も、今日増えた腕の傷も、どこも全然痛くないからだ。
それに、ふわふわと身体が浮いてるみたいで
「…そっか、夢か。あー、すっげー楽チン」
ん?声が
「出て……って、えーーーーーーーーーーー!!!」
目を開けて俺は驚いた。
俺の身体は遥か大空にあって、足元には校舎と学校の運動場が見えたからだ。
俺はぐるりと辺りを見渡した。
間違いなく学校と周辺の住宅街が足元に広がっている。
グー●ルマップの航空写真と完全に一致している!
「マジか、なんだこりゃ?!えっ、ちょちょ、どーなってんの俺!」
なんか分からんが空中を浮いてる?
なんだー、俺ってば実は能力者だったんだー…
「…そんなアホな話が…でも浮いてるしな…」
信じがたい事が起きてるようだが、それならそれで。
とりあえず空を飛んでるなら、どうせだからもっともっと上空へ行ってみるか!
俺は遥か上を目指そうと身体を上に引っ張るイメージをしてみた。
が、そこで急に身体が動かなくなり、猛烈に下に引っ張られるような感覚が襲う。
「!?」
じたばたと身体を泳ぐように動かしてみても下に引っ張る力が物凄い。
そして突然目の前に電光石火のような光が瞬いたかと思うと、
“『中途半端に覚醒しては危ないわ!!』”
頭の中に女の声が大音量で響く。あれっ、この声ってーーーー
「うわわわ、わーーーーーーー!!!」
俺は巨大ゴムを身体にでも巻き付けられたような、何かの反動みたいな物凄いスピードで地上めがけて引っ張られた。風圧で身体が切り裂けそうだ!
もう駄目だ、地面に激突する!!
「バッターーン!!」
午後の静かな教室の中、俺が椅子ごと後ろにひっくり返った音が響き渡る。
一瞬、何が起きたか全く分からない。
だがひっくり返った俺に見えるのは規則的に並ぶ蛍光灯のある学校の白い虫食いタイルの天井で、顔を回すとワックスで光る床に並ぶ沢山の机と椅子と、生徒たちの足と上履きとーーーー頭の中で状況整理をしている途中で、どっと教室中から笑い声が沸き起こる。
「
「ちょ~あからさまっしょ~~ww」
俺は教室中の笑い声の中、照れ笑いをしながら身体を起こした。
なんか俺、今日笑われてばっかだな。てか恥ずかしい。
教壇から「あー、ゴホン」と咳払いの声がする。
「君、せめてもう少し目立たないように寝る工夫をしたまえよ。私にも
老いた教師から
「あの、あ…すませんっした!」
また、ぎゃははと笑い声が一部から上がったが、それは本当に一部だけだった。
老教師はやれやれといった感じの眼差しをほんの少しの間残したが、『ふぅーっ』と口をすぼめて細く息を吐くと再び黒板に向き直って続きを板書し始めた。
“…あー、恥かいた…てか、さっきのはやっぱ夢…?”
俺はバクバクする自分の心臓の音を聞きながら、さっきの感覚を思い出そうとしていた。あれは夢というよりはかなりリアル過ぎる。
そうだ、それに身体がすごく軽くて…痛みが何も無かった。
あれ?じゃやっぱ夢じゃね?今は普通にあちこち痛いしな。さっきの真後ろにこけた衝撃で今度はケツも痛くなってしまった。
“なーんだ、やっぱ夢か…”
だが、そこでふともう一つ思い出した。
最後に頭の中で響いた声は、今日初めて聞いた声に良く似ている。
そうだ、隣に居る転校生の声にそっくりだった。俺は思わず首を回して隣を見た。
少女はこんな退屈な授業だというのに変わらず背筋をピンと伸ばして美しい姿勢を崩さぬまま、真正面を向いて教師の呪文を聞き、時折顎を下げて手元のノートにこまめに書き込んでいるだけだった。
シャーペンではなく鉛筆が紙の上を走る音がする。俺の視線に気づいて
相手の反応に俺は少しビクッと身体を震わせてしまった。
「……」
彼女は俺と目を合わせたが、そこには何の感情も読み取れなく、ただ完璧なまでに美しく整った顔立ちに俺は一瞬固まった。
もしかしたら赤面してしまったのかもしれない。
しかし俺のリアクションには全く興味を示さないようで、鳳ひびきは長い睫毛が影を落とすような大きな瞳をゆっくり閉じる瞬きを一つすると、またクルリと自分の手元に顔を戻し、何事も無かったかのように鉛筆を動かし始めた。
再び、硬筆が紙の上を滑る音が聞こえる。
“…やっぱカンケー無い…よな?気のせいか……ん?”
ーーーーあれっ、これってもしかして、俺が転校早々、隣の席に来た彼女に気がありそうな感じになってしまって、変な勘違いされたんじゃなかろうか。
“…しまったーー!”
俺は一人で混乱してソウジャナイ、ソウイウワケジャナクテーーーー、と言い訳を頭の中で並べたが、じゃあどんな理由でいきなり見つめたのか、と言われたら上手く返す言葉が見当たらない。
いやえっと、そういうんじゃなくて、好きとか嫌いじゃなくてちょっと興味がーーーーってそれじゃただのヘンタイかよ、あーーなんて言えばい
「 はい 」
凜と澄んだ声が俺の思考を割り込むと共に、目の前に白い長い指先が一枚の紙切れを挟んで現れた。
無意識に紙切れを受け取ると白い手は持ち主である隣の黒髪の美少女の元へ引き返した。
「えっ」
鳳ひびきはもうこちらを向いていないが、確かに「はい」と言って紙切れを渡したようだ。彼女の袖口からの残り香がほんのりする。
俺は紙切れに目をやる。ノートの切れっぱしかと思ったが、そうではなく端から折り畳まれた薄い桃色の一筆箋のようだった。
俺は『まさか』の思いを抱きながらそおっと紙切れを開く。
【お話があります 放課後、
鳳 ひびき】
俺の心臓は更に早く大きく波打った。
やばい、死ぬかもしれない。
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