第3話 ペットボトルの中身はゲー●レード

 

 一時限目の終わりのチャイムが鳴り始めてから程なく経った頃。


 校舎の1階から部室棟や体育館へ繋がる渡り通路から少し離れた先にある、旧校舎の脇道に小さな中庭がある。

 昔、学校に園芸部が存続していた頃は使用されていたが、その園芸部が廃部になってからは放置され、今では伸び放題の雑草だらけだ。

 茂みに隠れて陰気な為、ここに来る奴は滅多にいない。

 旧校舎の中庭、旧中庭の通称で『きゅうなか(旧中)』とか呼ばれている。


 その荒れ果てた中庭内で比較的収まりよく、まとまったツツジの植え込みの近くの縁石に心詞みことは土埃を払いスペースを造って腰を下ろしていた。

 手には購買の袋とさっき途中の自販機で買ったペットボトルのジュースを持って。


「いたーきまーー」


 小声でそう言うと、袋からカレーパンの端っこを出してガブリと口に入れた。

 ザクッと歯で噛み切られた揚げ衣から、ジュワッと甘い油が染み出る。

 揚げ立ての温かさはもう大分薄れたが、内部のルゥに残る温度はスパイシーさの中にも隠されたまろやかな旨味を更に引き出し、揚げてから時間が経ってほどよく油の抜けた、衣のカリッと感と中身のパンのふんわり感は絶妙なバランスだった。


“ううん!うんんまーーーー”


 曜日限定で特売価格になる、【揚げ立てカレーパン!】と【つやつやウインナードッグ!(水曜日限定!)】はいつでも腹の空いている男子生徒達には力強い味方だ(勿論女子だって狙ってる)。

 なので、当然この日売り場では熾烈な争いが繰り広げられる。

 そして購買部は朝9時からの営業なので、一時限目の休み時間、つまり正に今、生きるか死ぬかの攻防戦が繰り広げられている筈だ。


 彼は今日遅刻(ギリOKです!)したお陰で、いち早く生者せいじゃのフラッグを掴む事が出来た(つまり、登校してから教室に行くよりも先にカレーパンの確保に向かった)のだった。


 ペットボトルを開けると中身のガスが「プシッ」と音を立てて放出される。

 ゴクリと一口喉を潤してから大きな二口目にかぶり付いた時、何かが不意に視界の端に入り込んだ。


「?」


 もっしゃもっしゃとカレーパンを口にしたまま、彼は辺りを見渡した。


「…ンニャ~~…」


 細い猫の鳴き声がする。…迷い猫か?

 鳴き声のする植え込みの方へ目をやると、茂みの陰に白い尻尾の先が見える。


「おっ、猫ねこ~、おいでおいで」


 動物はみんな大好きな心詞は、カレーパンとペットボトルをその場に置いて猫のいる植え込みへ向かった。

 用心深い猫は見知らぬ他人が近づく気配がすればすぐにその場を離れる筈だが、その白い尻尾は変わらずピコピコと動いて見えている。


 何か狙ってるのか?猫は集中してると他の事に気付かない時もあるそうだ。

 …それか、もしかしたら怪我をしてるか、あるいは首輪か何かが茂みの中の枝に引っかかっているのかも知れない。


 俺は更にそっと近付いたが、それでも猫の尻尾はそのままピコピコと別の生き物のように動き、『ニャ~オ~』と困ったような鳴き声も届く。


 どうやら後者のようだ。

 俺はかがんで身体を低くして茂みの奥まで手を伸ばし入れた。

 しかし硬いツツジの入り組んだ枝に阻まれて中々手が入り込まない。


「いていて、いてて…待ってろよ、猫ちゃん…」


 顔の側面を地面にくっ付けて、四苦八苦しながら何とか茂みの奥でうずくまる猫の近くまで両手を差し入れる。フカフカした毛皮に包まれた小さな身体が震えているのが伝わる。やはり何かが枝が引っかかって身動きが取れないようだ。

 手探りでその引っかかっている部分を外し、猫が枝で傷つかないように慎重に腕で覆いながらそっと茂みの外に連れ出した。


「よーし、もうだいじょーぶだぞー、ねこー」


 真っ白く、ツヤツヤ輝くほど綺麗な毛皮に大きな翡翠色の目をした長い尾の猫。

 耳がかなり大きかった。

 枝に巻きついていた首の緋色のリボンが多少引きれたくらいで、多少埃っぽかったが他にはどこも怪我はないようだった。


 代わりに彼の頭と顔は土埃にまみれ、手と腕はまた新たな傷を増やす結果となったが、心詞はそんな事は全く意に介さずに猫の無事を喜んでいた。



「ハークー~、どこだ、ハクオーウ~~!」



 子供特有のキィンと響く声と共に、どこからか不意に現れた幼女が中庭に姿を現すと、猫はヌルリと心詞の腕から飛び降りて、一目散に幼女の足元に走り寄って行った。


「ニャー!!」


「おぉ、ハク~!心配したのだぞ!何処に行っておったのだ?」


 そこには黒髪を白い紙のような紐で両サイドに束ねた、緑色のジャージ上下に身を包んだ、俺の太ももくらい?…いや膝くらい?……いやもっと低い??…背丈の幼女が猫を抱きとめていた。


「おー、飼い主さん迎えに来たのか。良かったなー、猫」


 そう言って心詞は頭の葉っぱや埃を払うと、残りのカレーパンを食べようとさっきまで座っていた植え込みの縁石に戻った。

 すると、猫を抱いた幼女がてててとこちらへ向かって来た。

 正面からじっと彼の顔を見据え、少しいぶかしげに顔をかしげて


「お主は…」


 と、言いかけたが、ハッと我に返ったような顔つきですぐにふるふると頭を振り、改めてこちらに向き合うと、にっこりと笑顔になった。


「お主が『ハクオウ』を救ってくれたのじゃな!礼を言うぞ、ありがとーじゃ」


 白い猫は『ハクオウ』というらしい(変な名前?まぁいいか)。

 ジャージの幼女はやたらデカイ瞳を輝かせながらお礼を言葉を送ってきた。

 なんだか時代がかった言葉使いが気になるが、子供だし何かの遊びのつもりなんだろう。知らんけど。


「ああ、いーよいーよ。それより今度から逃げ出さないように気ぃ付けろよー」


 パクンと一口、カレーパンを食べながら言う心詞を幼女はジッと見つめる。


「…その、お主が今食らっておるものはなんじゃ?」


「何って…カレーパンだよ?食う?」


 心詞は残りのカレーパンを冗談のつもりで『ホラッ』と差し出した。

 だが幼女は全く躊躇ちゅうちょせずに彼の歯型の残るカレーパンにパクリと食い付いた。


「マジか!」


「…!ッ!!うむ~!!」


 呆気に取られる心詞をよそに、幼女は更に瞳を輝かせてもぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み下した。


「…なんじゃこれは~!にうまい物じゃのぅ!!」


「まさか…もしかして、カレーパン食ったの初めて?」


 心詞の言葉に幼女はコクコクと頷き、じっと残りのカレーパンを見ている。

 その大きな瞳が『 全 部 寄 越 せ 』とキラキラ輝きながら訴える。


「マジか…分かった、やるよ。…どーぞ」


 心詞はガクッと項垂れて半分以上残ってるカレーパンを袋ごと幼女に手渡した。

 幼女は満面の笑みを浮かべて袋を受け取ると、ペタンとその場に腰を落として猫を膝に乗せて、それはそれは嬉しそうに残りのカレーパンを平らげた。


「ハァ。。。」


 心詞はわざと聞こえるようにデッかいため息を付いてペットボトルのジュースを飲んでいると、チャイムの音が聞こえた。


「おっと、んじゃ俺は行くかんなー。気ぃつけて帰れよ!じゃな~」


 身体の埃をパパッと払い、心詞は教室へとダッシュで帰って行った。

 その場に残された幼女は手や口に付いたカレーパンのカスや油を猫のようにペロペロと舐め取ると、満足そうな笑みを浮かべていた。


「あれは【かれーぱん】と言うのか、いやはや~美味かったのぅ。…彼奴かやつとはどこぞでうたと思ったが、…多分勘違いじゃのぅ!では、ハクオウ、我らも帰ろうぞ」


 猫が『ニャ~』とひと鳴きすると幼女は立ち上がり、植え込みの外側に回りこむや否や、チョロチョロと走りながらその場から立ち去って行った。



 そして幼女の立ち去った後のから影がひとつ、まるで湯気のようにゆらりと沸きで、うごめいていた。

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