ep.αρχή エルピスの大冒険/おまけの話
①エピローグ「エルピスの大冒険」
なんてことのない日常。
だがいつもと違い、ダイニングテーブルの上には包みが置いてあった。
「あ!彩花ったらお弁当忘れてるわ~…」
「エルピスがもってくー!」
「エルピスちゃんに持って行けるかしら?」
「いけるー!いけるよう!」
「う~ん……あ、じゃあお願いしようかしら」
「わかったー!!」
かつてのトランクではなくてんとうむしを模ったこども用リュックに、お弁当、お菓子、麦茶、お財布、地図などを入れ、母親はエルピスを大冒険に送り出した。
「……よし、行ったわね……それじゃあ、見守りお願いね」
「……任されよう」
母親は、こそこそと家を出る黒尽くめの青年を見送る。
最近は昔から彩花の言っていた「友達」も来てくれるようになったし、彩花の弟にも構ってくれるし、夕飯も食べて行ってくれるし、嬉しいことばかりだ。エルピスの言う「ぼうけん」で出かけることも増えたし、未来は明るいな、などと思う。
「一時期は変なことばかりだったけど、すっかり平和になったわね~」
「そうですねぇ、元気になったらお饅頭もおいしくて……しあわせ~」
メグミが、のほほんと茶を啜る。
今日も世界は平和だった。
◆
「あー!あじさいのしたに、ちっちゃいおはながさいてる!」
エルピスにとっては、おおきな発見だった。
かたつむりが葉っぱについた水滴を気持ちよさそうに浴びている。
寄り道している暇は、少しくらいならあるのだろう。
タナトスは通行人から怪しい目で見られながらも、エルピスが迷わないように見守っていた。まあ、辿って行けば彩花の学校での様子も見られるし、いいだろう。
「がっこうって、たくさんあるくんだなぁ……」
水筒の麦茶を少し飲み、道端にしゃがみ込むエルピス。
まったくどこのテレビ番組だ、と思いながらも陰ながらに見守るタナトス。
まだ朝とはいえ、この調子で昼までに着くだろうか。
「わ、いぬだ……ちょっとおこってる……」
どこかから逃げ出したらしい大型犬はしばらくエルピスを威嚇していたものの、タナトスの一睨みで尻尾を巻いて逃げ出した。
「あとちょっとあるいたら、おかしきゅうけいにしよう……」
ちいさなエルピスの足では学校はひどく遠く、一緒に歩いてくれたり、抱き上げてくれたりする彩花も今はいない。再びしゃがみ込んでしまった。
「う~……」
じわじわと涙が滲んでくる。
なんだか足が痛いような気がするし、まだまだ学校に着かない気がするし。
あとなんか、ちょっと麦茶をこぼして地図がぐしゃぐしゃになってしまったし。
このままヒヨコのごとく泣き出しそうだと思ったタナトスは、仕方なく無関係を装って姿を現した。わざとらしく驚くことも忘れない。
「あー、なんだー、お前かー」
「あ、タナトスだー!」
「わー、チラシの安売りに従ってやって来たものの、奇遇だなー……」
我ながら恥ずかしい、と髪の毛に隠れた頬を赤くした。
エルピスはそんなこととは露知らず、心から安心したように飛び跳ねた。
「なんかねー、あしがいたいきがしたけどなくなったー!」
「そうか、それでお前はなぜこんなところに?」
「あのねー、彩花がねー、おべんとのやつをわすれてったの!」
「それで?」
「だからねー、いまエルピスがもってってあげてるんだよ!」
「そうか、それならちょうど通り道だ、僥倖だったな」
同行を悟ったのか、さらに嬉しそうに飛び跳ねる。
「あのねー、おべんとねー、エルピスのもあるんだよ!」
「そうか、良かったな」
「うん!タナトスにもあげる?」
「いらん」
「おべんとねー、たこさんういんなとねー、たまごやきとねー、おにぎりとねー」
あれだけ遠かった道も、喋っているとあっという間で、エルピスは無事お昼前に着くことができた。
「ぴんぽんのやつ、とどかないよう」
「……」
「ありがとー!」
仕方なしに持ち上げ、自分の顔が隠れる高さに調整する。
人見知りするし、あまり他人に見られたくない。
羽は隠せるようになったけど、羽だけにいつ飛び出るかわからないし。
「エルピスきたよー!」
「……はい?」
タナトスは小さく絶望を感じた。このちいさな希望は、お弁当を持ってくることはできても事務的な会話をすることは不可能に近いのだった。
それを見越してのことだったのか、と軽いめまいを覚える。策士め、と。
「……さ、3年2組の神咲彩花を頼む」
「ああ、神咲さんの、わかりましたちょっとお待ちを~」
◆
「彩花ー!おべんともってきたよー!!」
「エルピス!ひとりできたの!?」
「とちゅうでタナトスにあったんだよー!」
「……通り道だっただけだ」
「通り道?どこへの?」
ぴしり、と固まるタナトス。
それがどういう意味なのかを読み取った彩花はエルピスを抱き上げた。
それと同時に正午の鐘が鳴る。
「よかったねー、タナトスがたまたま通り掛ってくれて」
「うん!」
「大冒険だったでしょ、一緒にお昼食べよっか」
「たべるー!」
「あー……でもどうしようかな」
「どうしたのー?」
ちょっと待っててね、とエルピスを降ろし、タナトスを手招く。
エルピスはリュックの中身をぽいぽいと出している。
通り掛けの生徒たちが微笑ましそうにそれを見ていた。
「実はお弁当を忘れたことに気が付いて、来る途中コンビニで買ったの」
「ほう」
「梅雨時だしなー、かといってこれも食べるわけにはいかないしなぁー」
誰か半分食べてくれないかなー、とわざとらしく目配せをしてみる。
フッ、とタナトスから笑いが漏れた。
「仕方ない、予定を遅らせるとしよう」
「よかった!エルピスがレジャーシートを持ってたから」
「オカーサンがいれてくれたんだよー!」
「そうね、お弁当を食べながらエルピスの大冒険のお話を聞かせて?」
「うん!あのねー……」
雨の晴れ間にお弁当を運んでくる。
たったそれだけで、エルピスにとっては大冒険。
◆
②おまけ「彩花はお父さん似」
エルピスと出会ってから1年ほど過ぎた。
彩花の弟、彩人もつかまり立ちを始める頃だった。
「エルピスちゃんはなかなか大きくならないのね?」
「えっ!、えぇ!?そう!?ちょっとは大きくなってるんじゃない!?」
母親の真顔に、冷や汗がドッと出る。
「エルピスちゃんのお父さんお母さんも知らないし、連絡先も知らないわね」
「えーっ、そうだったっけ!?でもホームステイって言ったのお母さんだし!」
「たまに鏡を通り抜けたりもするし」
「げほっ!?」
ああ、おそらくこれはバレているのだ。
バレているものの、どう話を切り出したものかと母親なりに悩んでいるのだろう。
仕方なしに、洗いざらい吐いた。それはもう、すべて。災厄に恵みに神々も。
大して驚きもせず「へぇ、そう」で済ませられたが。
「まあ、最初に会った時からそうかなとは思ってたけど」
「そんなこどもを家に置いてたの!?」
「だから、彩花はお父さん似なのか~って思ってたのよね」
「……へ?」
さっきとは別の意味で冷や汗が出る。
なに、なんだ、なんの話なんだ。
「系統は違うけど、昔よくうちに色んな人が出入りしてたでしょ?」
「えっ……?」
「彩花好きだったじゃない、雪ちゃん」
「え、ユキちゃん……親戚のお姉さんじゃないの?」
「ううん、お父さんが助けた雪女。あと一時期うちで飼ってた犬いるでしょ」
「え、コマちゃん?」
「あれ、どっかの神社の狛犬だったみたいよ」
「!?!?」
キャパオーバーである。
「あー……わたし、この家に生まれてよかったね……たぶん……」
「そういう時の便利な言い訳が『ホームステイ』だったのよねぇ!わはは!!」
そりゃあ羽の生えた誰かが居候したり燃えたり大きすぎる誰かが常駐していても何も思わなかったわけだ。懐が大きいというか、気にしなさすぎというか……。
◆
③おまけ「それからの恵み」
箱制度が変わり、いくつか小さな変化があった。
外からは見えないが、彩花の家の一角に扉が増えた。
それは家のどこでもなければ、外にも繋がっていない。
ただ、箱の中にあった建物に繋がっているのだ。
それぞれの部屋と居場所を持ったまま、邪魔することなく共に在った。
「おかーさん!洗濯物乾かしといたよ!」
「あら、ありがとう灯火ちゃん」
「オカーサン!彩花と結婚させてくれないか!!」
「それはダーメ」
「い、いつの間に仲良く……?」
それに比例して、いつからか恵みたちが家の中を闊歩するようになっていた。
恵みたちは皆一様に彩花の母親を「オカーサン」と呼ぶが、母親は恵みたちの個別の名を把握までしている。いつの間に、だ。
「知らないの?たまに店番もしてくれてるのに」
「店番!?恵みたちが!?」
「んぇ?呼んだ?」
「あ、メグさんじゃないです」
「そぉ~?」
でも、幸せを感じるほど賑やかだった。
未だに驚くことは色々あるけれど。
「今月のシフトはこんなものでどうでしょうか」
「時くんいつもありがとうございます~」
「経理も手伝ってくれて助かってるわ~」
驚くこと、本当に色々、色々あるけれど。
◆
④雪ちゃんふたたび
「彩花~!ピンポン出て~!」
「はいはい……あ」
「サイカ、お久しぶりです」
「ユキちゃん!!」
淡い青色の着物を纏った背の高い淑女だ。
陽の光を遮る唐傘をしとやかな所作で折り畳み、彩花へ微笑む。
居間に通し冷たいお茶を出しながら、背中に刺さるいくつもの視線を感じていた。
「えっと、向こうの人たちは……」
「私と似たような存在ですね」
「あれ?お母さんから聞いたの?」
「いいえ、同類だからこそわかることもあるのでしょう」
雪がひらひらと手を振ると、何かを感じ取った恵みたちがなだれ込む。
特に雨や灯火、実りなどの元素に近い恵みたちが反応していた。
「あなた日本の!?」
「そうですね、妖と呼ばれる類のものですが」
「日本で近いもの、初めてみた!」
「箱が開かれたことは我々も承知していたのですが、領分違いと言いますか……」
「いえいえ、今回はこちらもアグニに頼った程度の規模でしたので」
和やかに違う世界の話が進んでいる。
そういえば、何かメインの用事があったのだろうか、と思い至った。
「ユキちゃん、今日はご用事?」
「いいえ、こちらの世界でも災厄の終息を聞いて挨拶にと」
「そっか、心配してくれてたんだね」
母親のいる店の方に行ったのを見計らい、恵みたちが彩花へと集まる。
「ねえ彩花」
「ん?」
「ユキって、ちょっとタナトスに似てるね」
「そう!?」
「似てる……目元とか、特に」
「そうかなぁ……?」
だから親近感を感じたのだろうか。
いや、それは内面に対してのものではあったけど。
「でも彩花はボクの方が好きだろう!?」
「ん~……相手がユキちゃんだからなぁ……」
「なぜ!?」
久しぶりに夕飯でも食べて行ってくれるだろうか、いや、泊まって行ってくれたっていい、といそいそ客間の支度をする。部屋だけはたくさんあるのだ。
深愛の恵みの叫びを聞きながら、布団を日向に干した。
◆
⑤おまけ「プローテウス」
「パンドラってプローテウスの力をメグミさんに化けるためだけに使ったの?」
「いいえ、彩花……あなたは答え合わせまで気付かなかったようね」
「え、そんなに化けてたの?」
「ふふふ……ある時はニュンペーのひとり、またある時はあなた達にお菓子を渡した若者、またまたある時はメグミサン、という風にね」
「結構楽しんでたのね?」
「私の中のプローテウスが『やれ』と……」
ここにプローテウスがいたら怒られていそうな発言だ。
◆
⑥おまけ「懸念事項」
「……ヒュプノス」
「どうしたんだい兄上」
「ふたつほど、引っ掛かりを覚えたことがある」
「彩花の何がふたつも引っ掛かったんだい?」
「……まだ彩花の事とは言っていないが」
ヒュプノスは「言ってなくてもわかるんだから続けて」と促す。
さっさと仕事を片付けてくれるようになったのは良いが、他がこうなんだから。まあ、心を許せる誰かが増えるのは良いことだろう、と微笑む。
「……あの時、暗雲のごく近くから落ちたのだが、無傷だった」
「あれ?パンドラが助けたんじゃなかった?」
「たとえ液体だとしても、あの高さだと骨が粉々になっていたはずだ、と治癒のが」
「……でも、人間界の液体じゃないんだろう?」
「ポセイドンと海水のように、あれ自体に神性が宿っているなら、あるいは……」
ヒュプノスは怪訝な顔でタナトスを窺った。
彩花の事とは言え、こうも真剣な顔をしているとそれこそ引っ掛かりを覚える。
これから兄の口から出るのは恐ろしいことだ、と確信を持った。
「もうひとつ、彩花は生死の境をさまよった時、ステュクスに立っていた、と」
「なんだって!?」
「それから、同じくステュクスの水が目に入った、と」
「あぁ……あぁ、それは、もう……」
「よもや、と私は思ったのだ」
それは不死性を得ることを意味している。
「まあ、一部だけなら……足と目を怪我しなくて済む、と思おうよ……」
「目覚める前に全身が浸かっていたら、と恐ろしくなるな」
「それはそれで……アキレウスみたいに踵を気にしなくていいかもね……」
ああ、上手く笑えない。
不死性を剥奪する手はあるが、もし不可抗力で持ってしまったというのなら誰もそうはしないだろう。パンドラ、いや、運命の恵みがかつてそうであったかのように。
「よもや……」
「まあ、大した話ではなかったな、忘れろ」
ヒュプノスは「ああ、他へは隠し通す気なんだな」と悟った。
◆
⑦おまけ「ゼウスの見た夢、ヘラの見た夢」
「やばい、ヘラ、やばいよ」
「なにが」
「さっき、夢を見た」
「はぁ?神が夢なんか見るわけないでしょ、なに、人間界かぶれ?」
「違うんだよ、本当に見たんだよ!」
「どうでもいいけどそれ、他所で言わないでね、恥ずかしいから」
じゃあオネイロスは恥の塊か!?と叫びたかったが、堪える。
いや、わかっている。元々神々が眠る時というのは死を意味するから、連動して夢を見ることは生涯ないといいたいのだろう。そんな旧い説で否定しなくても。
「ただの夢じゃない、初代最高神がお告げを」
「……初代が?」
「今なら箱を作り替えることができるかもしれない、と」
「……大事件じゃないの」
「だから言ったろ、やばいんだって!」
ヘラは冷たい目でゼウスを見ている。
箱が開かれた時も「私はあなたの姉ではあるけど奥さんじゃないから」と宣って今の今まで我関せずだったのだ。名義上どころかマジの家族なのに。
対暗雲のμαχίαでやっと腰を上げかけた、いや、脚を組みかえたくらいか。
「どう作り替えたらいいのかわからない、って顔ね」
「そりゃあ、まあ……でも、向こうも今はそっとしておいてほしいだろうし……」
「……私も夢を見にいこうかしら」
「は?たった今否定したくせに」
「オネイロスの元に」
それがなにを意味しているのか、わからない最高神ではない。
「……たった一度を?」
「頭痛の種を失くせるというのなら、一度くらい力を貸してもよくてよ」
「それは…………ヘラがいいなら、だけど」
どういう風の吹き回しなのか知らないが、やっと関わる気になったらしい。
・
「まあ、それで予知夢を……」
「ほんの少し未来を見てくるわ」
箱が、災厄が、パンドラがどうなったのか。
ゼウスはどんな風に理を組みかえたのか。
それだけだ。
たった一度、ほんの瞬きほどの夢を。
・
「そっか、ヘラさんが予知夢を見てくれたんだ……」
「まあ、旅の途中で力を貸せなかったわけだし……どうする?縁結びとかする?」
「え!?いえ、そういうのはまだ早いかな……」
夢の中で幸せそうに笑うこどもたちが見えたから、すこしだけお節介を焼いてしまいそうになった
◆
⑧おまけ「ポセイドン危機一髪」
「あー……ひまだし業務スーパーに行って……お土産でも買ってこよっかな……」
身体を縮めようとするが、あまりの面倒さにふと思い立つ。
「圧縮じゃなくて……等倍でいっか……そんなすぐ蒸発するわけじゃないし……」
正確に縮む時とは全く違う質量だが、大きさは変わらない。
ちょっと買い物に行くだけだし、いつもみたいに水を飲みながら歩けばいっか。
そう楽観視して、ポセイドンは人間界へと降り立ったのであった。
…………が。
「……財布忘れた……宝石じゃだめ?だめかぁ……」
会計を保留にしてもらい、仕方なしに誰かから借りよう、と考えた。
まあ、人間の知り合いなど皆無に等しいので行き先は決まっているのだが。
しかしポセイドンは、道中で大変なことにやっと気づくのだ。
「……財布忘れたから……水買えないじゃん」
しかもここは住宅街、河も海も絶妙に遠い。
財布を忘れたことに気付くまでにやたらと寄り道をしたせいで、既に身長は10cmほど縮んでいた。体積にして……まあ、とにかくかなり減っているのだ。
アスファルトは真夏の太陽に焼かれてじりじりしているし、こうして考えている間にもじわじわと蒸発していっている。気化熱で冷えてはいるものの、だ。
「やーばい……」
ワッ、と走り出すが、風に飛ばされたり地面に吸われたりでみるみるうちに減っていく。こんなことになるなら、ちゃんとした手順で人っぽくなってくるんだった。
「あ、あと……ちょっと……!」
目線がどんどん下がっていき、当初の半分以下にまでなってしまった。
金色をしたあのちいさな希望くらいになるのも時間の問題である。
彩花の家である骨董品店の看板を見つけ、全力で駆け込む。
一度転び一気に縮んでしまったが、ここにくればもう大丈夫だ。
神秘で編んだ服も同じように小さくなってしまったし、それも借りよう。
「わ、ポセイドンどうしたんだい!?」
「彩花は!」
「はーい、呼んだ?」
エルピスの半分ほどのちいささになってしまったポセイドンは、慌てて駆け寄る。
「おかねかして」
「……ん?」
「財布忘れたんだ、おかねかして……」
「あー、はい、うん、どうぞ……でもその前に水、飲んだら……?」
じわじわと縮み続けるポセイドンは、慌てて庭の池に飛び込んだ。
ポセイドンが池に広がってゆらゆらと大きくなっていく。
「雨の恵みさん、ありがと」
「このくらいは……朝飯前だから」
池の上にだけ雨を降らし、水が枯れないようにする。
しばらくそうしていたかと思うと、ポセイドンがぎゅっと縮んだ。
さっきまでと違い、ヒトのカタチをした水でなく、本当に人のように。
「生き返った~!!!!おかねかして!」
「はは……はい、どうぞ」
「財布取ったらすぐ返すから!」
来た時と同じく慌ただしく帰っていくポセイドンを見送り、彩花たちは小さく微笑んだ。なんだか、たまにはこんな風に慌ただしいのもいいものだ。
◆
⑨おまけ「アリアドネの糸」
くるくる、ぱたぱた、かたんかたん。
しゅるしゅる、くるくる、ぽいぽい。
「あ、こんにちは」
「彩花、あの時ぶりね」
「うん、ちゃんとお礼言えてなかったなって思って……ありがとう、アリアドネ」
「そんなこと、べつにいいのに」
迷宮から助け出してくれた糸と同じ、きれいな銀色の髪の毛。
星の光のような髪の毛の上に、炎に似た金の冠が乗っている。
「……髪の毛を編んでるの?」
「えぇ、冠によって伸びた髪の毛で糸を紡ぎ続ける……それが仕事だから」
「きれいだね、きらきらしてる」
「もうあんなことはないとは思うけれど……ひとつ持って行って」
「え、いいの?」
ラビュリントスほどじゃなかったとしても、またいつおかしな迷宮に巻き込まれるとも限らない。あるに越したことはないのだ。
「人生はまだ長いのだから」
「うん……ありがとう、アリアドネ」
ただ伸び続ける髪の毛が、遠い地の友人の役に立つならば。
「……こんなに嬉しいことはないでしょう」
糸車を回す。
銀の糸が生まれていく。
勇者を迷宮から脱出させる神秘を持った糸が。
◆
⑩おまけ「新しい日」
「あけまして、おめでとー!」
「はい、お年玉」
「ありがとー!」
エルピスが来てから、2回目の新しい年だ。
そんなことを考えて、ふとちいさな疑問を抱いた。
「エルピスたちに誕生日はあるのかな?」
「……誕生日ケーキの発祥は古代ギリシャにあるという」
「じゃあ、あるんだ?」
「……あることはあるが」
「私達の誕生日は、人間界の誕生日とはまた違う意味合いを持つのでしょうね」
「最近の神話世界でも、似たようにお祝いしようって流れはあるんだけどね」
自分ばかり祝ってもらうのはなんだか申し訳ないな、と彩花は思った。
みんなの誕生日がわかればお祝い事がたくさん増えて幸せなのに、とも。
新年早々悩んでいると、時の恵みがどこから取り出したのかわからないバインダーを差し出して来た。街頭アンケートとかでよく見るやつだ。
「そんなこともあろうかと、記録から逆算して確認しておきました」
「ほんと!」
「帰宅後リストアップしてお渡ししましょう」
「ありがとう!」
「エルピスにもおたんじょーび、あるの?」
「あるんだって!今年は一緒にお祝いできるね」
歳を取るのかは不明だが、恵みたちが嬉しそうだからいいだろう。
ついでのように冥界3兄妹からも教えてもらい、時の恵みにメモしてもらう。
「……神である我々に初詣とは」
「え、だめだった?」
「駄目ではないが……」
屋台のたこ焼きやべっこう飴を食べてご機嫌なエルピスやオネイロスたちを眺め、僅かに微笑む。そして、上空に誰かを見つけたらしく、軽く手を挙げていた。
「なに?知り合い?」
「いや、挨拶くらいしておこうかと思ってな」
「見えない……」
「だろうな……いい、挨拶は済んだ……願い事をするのだろう?」
なんの願い事をしようかな、そもそも願い事をする行事だったっけ……。
(まあいいや、みんな、こんな風にいつまでも平和でいられますように)
「彩花ー!りんごあめたべれないよー!」
「小エルピス、なぜ自分の顔くらいの大きさなのに食べられると思ったんだ?」
「おうちに帰ったらカットしてあげるからほかの食べたら?」
「あのねー、ちがうりんごあめならたべれるかも」
「小エルピス、りんご飴はどれもりんご飴よ」
「あっちで何か配ってるみたいだったよ、行ってみないかい?」
人混みを移動し、顔馴染みの関係者からおしるこをもらう。
石段に腰かけ、エルピスたちが食べるのを見守った。
「エルピスもオネイロスも、熱いから気をつけて食べてね」
「ふー!ふー!」
「エルピス、それは言葉で言うものじゃないと思うわ……」
わずかに上がった気温で溶け出す雪に、昇りゆく陽の光が反射する。
恵みの旅に出る一行も、人混みに紛れてはそうわからない。
ただ、綿飴やらりんご飴やらを抱えて、嬉しそうに帰っていく。
恵みの訪れを告げるかのように、きらきらと輝いて。
◆
⑪さいごに・あとがき
エルピスの大冒険はこれからも続いていきますが、お話はここで終わりです。
また別のお話で言及されるかもしれないし、されないかもしれません。
最終話にしてとんでもないボリュームにしてしまいましたね。
もうずっと前に考えたお話をこうして完結させられたことを嬉しく思います。
ここまで付き合ってくださった皆様には、心よりの感謝を申し上げます。
若さゆえの迷宮のような心理は、歳を重ねても消えることはなく。
どうでしょうね、更に重ねていけば、いつか真珠の輝きを得るでしょうか。
ともかく、重ね重ね、お付き合いいただきありがとうございました。
エルピスの大冒険 海良いろ @999_rosa
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