ep.04 災厄の実感


「パンドラがエルピスを殺した」。

雨の恵みのその言葉が、夏休みの終わった今でもぐるぐるしている。

友人と遊ぶ時だって気になってしまい、心配されたほど。


「私たちは、何度でも生まれるの……パンドラと同じように」

「生まれ変わりってやつか……エルピスは辛くなかったのかな」


雨の恵みが降らせたのでない自然の雨が、秋の訪れを告げるように降り注ぐ。

木から幾何かのイチョウを払い落とし、いつの間にか金の道を作っていた。

天気雨というのか、西日が反射して、黄金の杯からこぼされるしずくのようだった。


「エルピスは……パンドラと旅をするためにいる」


その終着点が、だからこそ辛かったのではないだろうか。


「パンドラを待ち、パンドラに会い、パンドラと旅をするために……そのためだけにエルピスで在り続ける……エルピスはパンドラと対で、共に生きる存在」


雨の恵みはふわぁ、とあくびをし、エルピスを呼び止める。

恵みは恵みであるために、過ぎたることを良しとせず、適度に眠ることを必要としているようだった。トランクを開け、灯火の恵みと共に箱の中へ入っていく。


「おやすみなさい、ふたりとも」


彩花はエルピスの手を引いて、家に帰った。



「あらやだ、また地震」

「最近多いね」

「ローカル局でね、隕石じゃないかって言ってたのよ」

「ながれぼしが、おちたの?」

「ふふ、そうねぇ……流れ星といえばそうかしら?」


洗濯ものが揺らぐ程度の小さなものだったが、それは絶えず断続的に起きていた。

テレビからは地震について、出演している有識者それぞれの見識が流れていた。


「地割れが……」

「隕石と見られる岩の塊が……」

「雹ですよ、雹……」


どれも当てにならない。

彩花は三人に行ってきます、と言い学校へ。



「彩花おはよう」

「おはよう」

「ねえ、ニュース見た!?」

「見たけど……あんまり、かな」

「なんか顔色悪いよ、大丈夫?」


(みんな、こういった異変の原因がわたしだって知ったらどうするんだろう)


こうしてふつうに学校に通えていることが、不思議だった。まるで夢の中にいるみたいに現実感が希薄で、どこかぼんやりとしていて、友人に心配までかけている。


しっかりしなくては、と思った。


提出物を集め、授業に集中し、わからないところを質問して、友達に頼みごとをされたり、一緒にお弁当を食べて他愛のない話をしたり。

そこでもやはり地震の話がたびたび出てきて、彩花は居心地の悪い思いだった。

まあ、そこは学生らしく、面白おかしい理由付けがなされていたので、彩花としてもだんだん気持ちが楽になる気がした。


「冷凍されてた巨大なゾウが起きたんだよ、きっと」

「かつて帝国を築いた地下空洞が出たんだよ」

「……不思議だね」


何か、今朝からの一連の話に引っかかりを憶えた。


「あたし今日、通行止めに遭ってさー、これから遠回りして帰らなきゃ」

「通行止め?事故かなにか?」

「うん、道路の陥没事故だって」

「この間の豪雨で浸水したんじゃないの?」


あ、と思い至る。


彩花は直感のままに早退し、エルピスを探した。



「えっと、青い鳥……お~い、鳥ちゃ~ん……」


エルピスの相棒ともいえる青い鳥を呼ぶ。

青い鳥はいつもエルピスの肩にいるが、エルピスを探しているとどこかから飛んできてはエルピスの元へ導いてくれるのだった。


「ぴい」

「鳥ちゃん!エルピスのところまで連れて行って!」


母の言葉がよみがえる。

『こんど大きい地震が来たら、うちも駄目かもしれないね……蔵が、さ』

いつだって困るけど、いまは特に災害が起きたら困る。


「彩花がむこうにいきたいだなんて、めずらしいね」

「災厄を見つけたいの、次の災厄を……」


地震、という時点で気が付くべきだったのだ。

その時点で、迎えに行ってあげるべきだったのだ。


「ねえ、教えて……地震や地割れを起こすような災厄がいるんでしょう?」


エルピスの背中のトランクが開き、ふたすじの光が降り注いだ。

雨の恵み、そして灯火の恵みだ。


「……地の災厄」

「地か、彩花、アイツは厄介だよ」

「……それでも、行かなくちゃ」

「それじゃあ、あたしの出番……進むべき道を示しましょう」


灯火の恵みから、蛍にも似た小さな炎が無数に出てくる。

それらはしばらくぼーっと揺らめいた後、するすると形を変えた。

光、いや、炎で出来た橋だ。


「それだけだと、彩花が燃えてしまうわ……」


雨の恵みの遥か彼方、情報から、恵みの雨が降り注ぐ。

雨粒が集まり固まって、波紋を映す結晶のように変化した。

乗ることができて、そして、乗っても沈んだり燃えたりしない。


「……私たちの出番は、ここまでよ」

「うん……ありがとう、ふたりとも」

「いこ、彩花」

「うん」


エルピスに手を引かれ、相反したの道を行く。


吐く息が白く、冬をすぐ近くに感じた。

秋は短く、楽しむ間もなく過ぎ去ってしまう。


「ながれぼしが、おちたみたい」


やがて道は途絶え、隕石や雹と表したくなるのもわかる惨状が目に入った。

道路は抉れ、割れ、へこみ、まるで巨大な何かが転げまわったみたい。

中心にはやはり災厄であろう人影があり、ふたりと一羽は迷わずそちらへ向かう。


「……はじめまして、地の災厄さん」

「はこにもどってほしいんだ」

「…………我は実りを奪い、怒りを体現するもの」


様々な植物に覆われた2m近い長身。

地の災厄は、その長身をしのぐ程のみどりの杖を取り出し、地面を打つ。


「わっ、と」

「彩花!エルピス、とばされちゃうよー!」


宙を舞ったエルピスを捕まえ、しっかりとその胸に抱える。


どんな重量だ、と叫びたくなった。

蔓が絡まった物にしか見えないのに、みどりの杖はたしかに地震を起こし、地面を割ったのだった。持ち上げ振られると、今度は岩が落ちてくる。隕石の正体だ。


「我の怒りは鎮まらぬ、貴様の言葉など耳に入らん」


ひときわ強く杖を打ち付けると、より大きな地震がして水が噴き出た。

どこかで水道管を破壊したのだろう。修繕費がとんでもないことになりそうだ。


母の顔が頭をよぎった。

『こんど大きい地震が来たら、うちも駄目かもしれないね……蔵が、さ』と言う時の。蔵だけじゃない。ひとだって、無事じゃ済まないのだ。

蔵はいくらでも建て直せばいいが、ひとはそうはいかない。


「……災厄は……災厄のままでいたらどうなるの?」


エルピスを殺したパンドラがいたと聞いた。

それじゃあ、災厄たちはどうなった?どうにかなっていなければ、こうして今が未来に向けて過ぎていけるわけがない。


「そのままだよ」

「そのまま?」

「水の災厄なら悲しみのままに雨を降らせ、海を荒らし、星をまるごと洗い流す……火の災厄なら、楽しみのままに踊り狂い、燃え盛り、星をまるごと灰にする……」


木々のざわめきに似た声だった。


「……あなたなら?」

「……我ならば、怒りのままに暴れ、地を乱し、星そのものを破壊する」

「きみは、そう、したいの?」


彩花とエルピスは、顔を見合わせて眉を下げた。

地の災厄だけ、スケールが違いすぎる。地球を壊すだなんて。


「無論、したくはない……だが、この怒りが鎮まることもない」


ドン、ドン、ガツン。


大通りが壊滅していく。

映画の中だけで見るような光景が、目の前で繰り広げられていく。


電線が切れ、電柱が倒れる。

地面が盛り上がり、破裂するように割れる。


「その怒りは、どこから湧いてくるの?」

「わからぬ……お前のその心のせいか、我には怒りしか存在し得ぬ」


空っぽだった。

空虚な器に、無理矢理怒りという感情を注ぎ込まれているようで。


「たびをしながら、りゆうをさがしたらいけないのかい?」

「いつか……旅の終わりに、何に怒っていたのか知りたい」


この旅に、終わりがあるのか知らないけど。

はじまりがあったのだ、終わりくらい、いつか見つけるだろう。


「怒りのみなもとを知れば、今度こそ災厄として猛威を振るうぞ」

「そしたら今度は、わたしも一緒に怒る」

「エルピスはおこるのにがてだけど、がんばってみるよ」


地の災厄は沈黙した。

支えを失った建物たちが、星に近付こうと倒れ始める。


みどりの杖がほどけては、割れた地面から大樹をいくつも生やし、果実を実らせ、すべてを飲み込んで成長していく。比例するように、地の災厄もしゅるしゅるとほどけていって、やがてちいさな女の子だけがその場に残った。


「……あなたのことを、教えてくれる?」

「わたくしは実りの恵み……荒れた地にも命を宿し、やがて大地を豊かにするもの」


草花や木の実たちをあしらった装いの、ちいさな恵み。

ペコリとひとつお辞儀をして、エルピスの箱に戻って行った。


「……これで、よかったのかな」

「めぐみにもどれば、わるいこころにしはいされることもなくなるさ!」

「それなら、いいんだけど」

「さあ、にんげんかいにかえろう」


ここは、ひとの住む場所ではなくなってしまった。

人間界はどうなっているだろうか。負傷者や……死者が出ていなければいいが。




人間界は、様変わりしていた。

地の災厄の影響ではない。

いや、それももちろんあったのだが。


「ねえ彩花、にんげんかいのふゆっていつもこうなの?」

「……ちがう、こんな風に街ごと凍ったりしないわ」


街すべてが……地の災厄が生やした大樹までもすべてが、それより大きな氷に飲み込まれてしまっていた。暗くて、寒い。


どこからか、笑い声が聞こえる。


「ようこそ、新しいパンドラ」


氷のように、冷たい声だった。

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