ep.03 真夏と神話世界


水の災厄を雨の恵みに戻してから、約1ヶ月が経とうとしていた。


学校は夏休みに入り、エルピスは相変わらず彩花の家にいる。

災厄の兆しがないからか、蔵で遊んだり、街に出て遊んだり、庭で遊んだり、海岸で遊んだり、とにかく遊びまわっていた……もちろん、彩花を巻き込んで。


「エルピスちゃん、ちゃんとお菓子持った?お茶は?」

「もった!ありがとうオカーサン!」

「はい、じゃあふたりとも行ってらっしゃい」

「行ってきます……」


にこにこと見送る母を見て、なぜ疑問に思わないのだ、と彩花は思った。

きっと、神話世界のなんらかが影響しているんだろう、と考える。


「エルピス、今日はどこにいくの?わたし宿題をやっちゃいたいんだけど……そうだ、図書館はどう?本がいっぱいあって楽しいよ」

「やだー!きゃはははは!」

「そっか、やだかぁ……」


エルピスは時折難しいことを言うものの、神話世界のことが絡まなければ見た目通りのちいさいこどもだった。今日も、背負ったトランクに大好きなお菓子と麦茶、貰ったお小遣いの入った子供用のお財布などが入っている。

初めて会った時からいる青い鳥も一緒だ。ともだちなんだ、と言っていた。


「きょうはぶきをもらいにいくんだよ」

「ぶ、武器?なんで……」

「もしものときのためさ!」

「どんなもしもがあったら武器を持つことになるのよ」

「ヘパイストスにあいにいこう!」


青い鳥が近くのカーブミラーをコツコツと叩くと、また光に包まれた。

サングラスを常備するべきだろうか、と彩花は悩んだという。



「あれ?元いた街じゃない……」

「しんわせかいはひとのせかいより、もっとずっとひろいんだよ」

「ああ、そうなの……」

「かみがみのかずだけもつせかいがあるのさ」


荒野にある廃墟のような場所を、エルピスはずんずんと進んで行く。


「ねえ、妙に暑くない?」

「ヘパイストスのもつせかいはのせかいなんだよ」


陽炎の立つ荒野を、一切の迷いなく進んで行くエルピス。

彩花は真夏の炎天下など比ではない熱気に、早くも参りそうだった。


「こんにちはヘパイストス!」

「…………出かけてるんじゃない?」

「…………入れ」

「ひゃっ!?……こ、こんにちは……」


熱気の割にあまりにしんとしていたので、うっかり誰もいないんじゃないかと思いかけた。奥の暗がりから声がして、彩花はひゅっと息を呑む。

ヘパイストスと呼ばれ返事をした老人は、人間の世界にはない酒瓶を傾けている。


「地球でいちばんの最悪がおれの世代に……つくづく運がねぇ」

「ねえヘパイストス、ぶきがほしいんだ、いざというときのために」

「…………ならたとえ使い道のない武器でも作ってやったんだがな」

「え……なにかあったんですか?」

「この熱気のせいで、材料も既存の武器も熔けっちまった」


エルピスと彩花は顔を見合わせた。

一方は期待の眼差しで、もう一方はひきつった表情で。


「………………お前、少し外に出てくれないか」

「え?わたし?いいけど……」

「しんわせかいのぎじゅつはにんげんかいにもっていっちゃいけないから」

「わかった、少し離れたところで待ってるわ」


彩花はヘパイストスの工房を出て、廃墟の街を探索することにした。


「……いざという時が来たのはいちどきりだ」

「うん、こんかいはだいじょうぶだとおもう」

「……その青い鳥も、使い時が来ないといいが」

「たびのおわりにレーテーにかえすよ」

「…………なぜか、今回は……悪い気がしない」

「エルピスだってそうおもうよ!」



彩花は早くも気付いたことがある。

理解できるようになった、というべきか。


「早すぎる炎天下、神話世界の異常な熱気……」


廃墟を進むにつれ、火災現場になっていること。

そして、向こうで踊り狂っている人型の炎。


「あっ!以外と早く気付いてくれたのね!!」

「そういえばそうね……足が自然とこっちに向いたの」

「ひさしぶり……いや、はじめましてかしら」

「あ、はい、はじめまして……彩花です」

「はじめまして彩花、紹介はいらないと思うけど、あたしは火の災厄」


ひときわ、ごうと燃え盛った。

ヒトのカタチをとった炎、その紅い目が煌々と輝いている。


「どうやってあたしを納得させてくれるの!?」

「えーっと、いまはとにかく……武器が必要だってエルピスが」

「だめよ」

「え?」

「あたしがここで踊っているのは、彩花に武器を渡さないためだもの」


にっこりと笑ったまま、揺らめいている。

話の分かりそうな災厄に見えて、その真逆だ。

明るく熱く燃えながら、暗く冷たく凍るような。


「わたしは別に、武器を求めていないわ」

「それで?」

「……やっぱり、みんな恵みでいてほしい……だって、人間だって神様だって、なにもしなくたって不幸なことや悲しいこと……それに、災害は避けられないもの……どちらか選べるのに災厄を選ぶことは、わたし、しない」


火の災厄に、一歩、近寄る。


「あなたは……災厄を振りまくために踊っているのは、楽しい?」

「ふふっ」


ぼしゅっ!と音を立てて、目の前の炎が爆ぜた。

中から、カラフルな炎を纏った災厄……いや、恵みが姿を現す。

彩花は抱き着かれ、けど熱くもなく燃えもしないことに首を傾げた。


「そうね、あたし、きっとあなたはそういう人だって思ってた」

「えっと、恵みに戻ってくれたのね?」

「ええ、あたしは灯火の恵み!あなたが闇の中を歩くとき、この身をもって進むべき道を照らしましょう」

「ありがとう……!」



「あ、やっぱりいたんだ」

「灯火……あなたが次だと思ってた」

「えー!エルピスもいっしょにいきたかったよー!!」

「ごめんね、たまたまというか……」


不満をあらわにぽかぽかと彩花を叩くエルピスを宥め、ヘパイストスに向き直る。

武器を取り出しては灯火の恵みに熔かされている。


「武器はだ~め」

「エルピスの要望でもか?」

「もちろん、だめ」

「ちょっと!ぶきつくってもらうんだから!」

「だめって言ってるでしょ!」


彩花は雨の恵みに近寄り、耳打ちした。


「ねえ、どうして灯火さんは武器を嫌うの?」

「あぁ……」


ふたりのケンカを眺めていた雨の恵みは、ほんの少し翳った顔で言った。


「前のパンドラが、エルピスを殺して世界に絶望をもたらしたのよ」

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