ep.21 彩花とエルピス


世間ではクリスマスやら年末やらで賑わっている。

無関係だった人々も何かを感じ取っているのか、単に暗雲が晴れたからか、笑い声を響かせながら行き交っていた。


「何か変わった?」

「エルピスはわかんなーい!」

「どうやって旅って終わるんだろう?」

「私のせいで終わらなくなってたらどうしましょう……」

「旅が済んで『はい、終わり』じゃあまりにも救いがないと思ったのでしょう」


大きすぎるために箱の中から、すべての恵みが慰めた。

確かに、はじまりが唐突だったからといって、終わりもそうではないのだろう。

そんな風に終わってしまえば、本当に何もなかったのと一緒だ。


「……じゃあ、お別れ会でもする?……そのうち、落ち着いたら」


いざ終わるとなると寂しいもので、彩花はパンドラの気持ちを理解した。

用が済んだ神々も順々に帰っているのだ、長らく居候していた冥界3兄妹が帰るのも時間の問題だろう。それは、ああ、寂しいな、と思う。







夢を見た。


というより、夢であることに気付いた。


「森の中?」

「彩花」

「はい……えっと、誰?」


いや、聞かなくても気付いていた。


「わたしが、はじまりのパンドラ……罪深き災厄の女」

「そんなことは……ないよ、うん、ないね」

「ありがとう、やさしい心を持った最後のパンドラ……」

「……最後の?」


はじまりのパンドラは、すこしだけ寂しそうに微笑んだ。


「パンドラも箱も、もう生まれないことを選べるわ」

「あなたは……生まれないことを選びたい?」

「わたしは……どうかしら……決めるのは、彩花だから……」


生まれない、というのは消えてしまうということだろうか。

それはあまりにも、本当に、救いがない。


「わたしが選べるというのなら、旅の意味を変えてほしいな」

「意味を?」

「最初に災厄を解き放って恵みに戻す旅をするんじゃなくて……こう、もっと人生みたいにゆっくりと楽しみながら……恵みをもっと世界中に配るような旅に」


だって、罰はもういいでしょう?

あなたも、充分苦しんだでしょう?


彩花がそう言うとパンドラは、ふわりと花が咲くように笑みをこぼした。


「それがいちばんの恵みに思うわ」

「何か変わる?これで」

「きっと変わるわ、すべてが善き方へ」


森すべてが虹色に輝いて揺れる。


ああ、夢の終わりが近いのだ。








「……ちゃんと、憶えてる」


寒さに震えながら目を覚ます。

彩花は夢の内容をしっかりと憶えていた。

きっと、真実なのだろう。


「彩花!オカーサンがごはんだからよんできてっていったの!」

「ありがとう、すぐ行くね」

「うん!エルピス、まってるね!」


災厄の兆しは、もうどこにもない。


居間へ下りると、すっかり顔馴染みとなったみんながいた。

彩花は、みんなが帰ったら両親も寂しがるだろうな、と思う。

ふたりとも、基本的に人と関わるのが好きな人たちだから。


こうして話しながらご飯を食べることも、縁側に座ってお茶をすることも。

鏡を通って神話世界に行ったり、たくさんの場所を歩いたりすることも。


思い返せば、本当に、本当に楽しかった。

たった半年やそこらの出来事だけど。

忘れようと思っても忘れられないくらい、楽しかった。


「エルピス、あそびにいってくるー!」

「わたしも行こうか?」

「だいじょーぶー!きゃははは!」


エルピスは鏡を通り、行ってしまった。

まあ、帰る時もこんな感じなら、きっと。








「レーテー!!」

「エルピス、久しぶりね」

「きょうはね、かわのみずをかえしにきたんだ!」

「ああ、結局使わなかったか……その方がいいもんね」


旅がに終わった時のためにレーテー忘却から借り受けていた、青い鳥のかたちをしたひと掬いの河の水。

彩花が気負うことのないように、旅一回分を忘却するだけの量の。


「旅はどうだった?」

「たのしかったー!!」


箱の中で眠っている時も、ずっと願っていたのだ。

楽しい旅になるように、と。

次にながい眠りに就いた時、その旅の夢だけで過ごせるくらいに。


青い鳥の中身が、河へ帰っていく。

青い鳥は肩の荷が下りたように羽搏いた。


「ところでね、昨日最高神ゼウスからお達しがあったんだけど……」







後日、彩花の家でお別れ会が行われた。


「じゃあ、元気でね」


冥界3兄妹の、だが。


「……まあ、私たちは渡し人がなくとも行き来できるものだからな」

「うん、そうね?」

「また遊びに来るって意味だよ」

「ほんと?うれしい」

「…………」

「これは素直にそう言われると思ってはいなかった顔ですね」

「オネイロス……」


来た時と同じように荷物を積んで、自分たちの場所に帰っていく。


「……そうだ、彩花は曲がりなりにもパンドラだったからな、死んだらこちらの管轄になるだろうから……そうだな……別に、わざわざ来ることもないだろうが……」

「兄上、帰るの寂しいって」

「えっ」

「まあ、冥界にもいい感じに仕事が溜まってる頃でしょうから、しばらくは来られないでしょうね」

「そっか、そこまでこっちにいてくれたんだもんね……ありがとう」


オネイロスはしれっと「私にはこれといった仕事もないので私だけはまたすぐにでも遊びにきましょうね」と宣った。二柱の兄から歯ぎしりが聞こえる。


「……そうだ、使いの犬を痩せさせようと思っていた……明日にでも一頭預けに来ようと思うが……いや、別に都合の良い日でも構わないが……」

「兄上ったら……」

「ほら、いつまでもそうしてないで帰りましょう」


弟妹にぐいぐいと押され、光の門をじわじわと潜るタナトス。

まあ、仕事を片付けてまたすぐに来るのだろう。

ここには太陽もあるし、気の合う友人もいる。


「ねえ、タナトス!」

「ん、まだ用があったか」

「ありがとう!」

「……ふ、礼を言うのはこちらだろう」


今までは、災厄に関することでばかり訪ねてしまったけど。

これからは、そういったことや仕事抜きで逢いたい、と思った。


「んー、まだ言うことがあったけど……」

「仕方ない、一度そちらに戻るか」

「オネイロス、そっちからもっと押してくれないか」

「精一杯です、これで」


その光景に、くすりと笑う。


「でも忘れちゃった!だから、次会う時に言うねー!」

「……そうか、そうだな……では、また」

「……またね」


三柱は完全に向こうへ帰り、光の門が閉じた。







「と、いうわけでして」

「………………えーっと……つまり……」


冬休みも終わり、恵みたちがいなくならないことに疑問を抱えながらも学校に行くぞ、という時だった。目の前に光の門が現れ、ヘルメスが伝令を持ってきた。


「ですから、旅は続けてくれ、と最高神ゼウスからのお達しで」

「ま、待って……みんな、恵みに戻したはずよね?」

「それが、夢に初代が出てきたとかで……」


ヘルメス曰く、パンドラと箱にがあったらしいから、ゆっくりとそのまま旅を続けてくれ、ということだった。奇しくも、恵みを行き渡らせる旅に。


夢、という言葉にあの日のことがよみがえる。

どう考えても、無関係ではないだろう。


「……エルピス、知ってた?」

「エルピス、わかんなーい!」

「えっとね、今度は恵みを行き渡らせる旅をするんだって」

「やったー!エルピス、ねむらなくていいの?」

「いいみたい」


それを聞き、我も我もとトランクから飛び出して来る。

ヘルメスは、エルピスの背中からそっとトランクを降ろした。


「なんでとるのー?」

「これからは背負うものではなくなる、と」

「そっかー!」


エルピスは、それはそれは嬉しそうに笑った。

ずっと、重かっただろう。いろんな重さがあっただろう。

それをもう、降ろしていいのだ、と。


「彩花、じゃあボクと結婚しよう!」

「え、それはちょっと……」


深愛の恵みも。


「それならわたくし、このお庭を改造したいわ」

「それはみんな喜びそうね!」

「わたくし、いつか、怒っていたけれど……」

「あ、思い出した?」

「ふふ、根っこからすっかり忘れてしまいました」


実りの恵みも。


「その……池を作る、予定などは……?」

「お願いしちゃおうかな~」

「任せて……立派なものを、作ってあげる」


雨の恵みも。


「えー!あたしやることないじゃんか!!」

「でも、火はないと困るでしょう?」

「じゃあいっか!色んな場所で踊れるんだもの!」


灯火の恵みも。


「まあ、眠れない夜があれば……話くらいなら付き合おう」

「眠れない夜じゃなくてもいいと思うけど」

「……そうだな、撤回しよう、いつでも」


眠りの恵みも。


「時が能動的に為せることは少ないですが、それでも良ければ」

「もちろん、あなたも恵みの仲間だもの」

「各所スケジュールは任せていただけると落ち着きます」

「そうね、じゃあ、お願いするわ」


時の恵みも。


「怪我や病気は私がすべて治しましょう!」

「心強いな、ありがとう」

「私はあなたの救急箱だもの!いつでも傍にいるわ」


治癒の恵みも。


「あなたの行いすべてが善き方向であるように」

「うん、善い旅になるように」

「あらゆる恵みを、世界に齎しましょう」


すべての恵みも。


「彩花……ありがとう、解き放ってくれて」

「わたしも、解き放たれたひとりだから」

「ねえ彩花どうしましょう恵みになってからエルピスに触れるの!!」

「触れるからと言ってもう一回殺すのはやめてくれよ」

「そんなこともう二度としないわよ!!」

「どーだか」


運命の恵みも、希望の恵みも。

これからの永い旅路に喜びを隠せない様子だった。


「彩花、遅刻するよ」

「フィリ!」

「あらぁ?そんな名前だったかしら?」

「い、いいのよこれで!!」

「なに、本当は違う名前があるの?」

「ないわよ別に!!今世はフィリなの!!」


そして彩花には、ヘビの友達が増えた。人間に化けているけど。

今度こそ、正しく。母親にだって認識されている。

相変わらず暑いのが苦手で、チキンやオムライスが好きな友達だ。

今はしっぽで彩花の弟をよくあやしてくれたりもしている。


そんな日々が、これからも続いていくのだろう。

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