ep.20 最悪の災厄
もしゃ、もしゃ、もしゃ。
ぐび、ぐび、ぐび。
神々は、目の前でお菓子とお茶をやけ食いする(しかも泣きながらである)パンドラを、そしてにこにこしながらそれを見る彩花を交互に見て首を傾げていた。
どうしてそんなに微笑ましい笑顔で見られるのだ、元凶を。
「落ち着いた?」
こくこくと頷くパンドラ。
何度もエルピスに話しかけようとしては、悲しそうに諦めている。
エルピスはお菓子を食べながら、そんなパンドラを不思議そうに見ていた。
彩花がそっと促すと、意を決したように息巻いた。
「あなたは私のことなんか憶えてないんでしょうねっ!!!!」
みーんなズッコケた。
第一声がそれか、と。
まあ、元よりスムーズに会話できているならこうはなっていなかったのだが。
原因が最高神にあるからか、誰も怒るに怒れず、口を出せず、ただ見守った。
「エルピスはパンドラをおぼえてるよ?」
「え!?!?」
初耳だ。
なら最初っから片付いた問題なのではないのか。
「えっとね、おぼえているというより……」
エルピスから光る金糸がいくつも出、ぼんやりと青年の形を作った。
パンドラは顔を真っ青にして口元を覆う。
「こっちのエルピスは、憶えているというより知っているに近いだろうね……知識とか、情報とか、そういうものとしてのパンドラだけど」
「え……エルピス……私……」
「久しぶり、パンドラ」
「私……あなたを殺したわ……ずっと、謝りたかった……」
「仕方ないさ」
彩花は、ああ、これがパンドラの言っていたいつもの顔か、と思った。
なるほど、あの時パンドラがしてみせた表情にそっくりだ。
「僕がパンドラを憶えているから、こっちにも基本情報として残ってたんだろうな」
「ああ……ごめんなさい、エルピス……!!」
抱きしめようとしてパンドラが床をスライディングする。
大エルピスがいつもの顔でそんなパンドラを見やった。
「何やってんの、触れないんだよ。見てわかるだろ、普通。透けてんじゃん、僕」
「……そうだった、あなたってそういう人だったわね!!!!」
パンドラは、擦り剥いた膝を治癒の恵みに手当されながら頬を膨らます。
「いいじゃん、恵みになれば?箱の中も案外快適だよ?」
「……これが、罪悪感……今になって、重くなってきたわ」
殺したはずの大エルピスがこの調子なのだ。まあ、殺したと言っても元が元なので厳密には死んだという訳でもないのだが。神々の摂理はどこまでも人間であるパンドラに言ったところでわからないだろう、と思ったのかもしれない。
「……ど、どうやって恵みになるの?」
「んー……エルピス、名を与えてやれよ」
「ぼくは人の災厄となづけたし、恵みはきみがなづけるのがふさわしいとおもうよ」
小エルピスに言われ、大エルピスは「恵み恵み……」と唸る。
「よろしい、パンドラに恵みとしての名を与えよう」
「……」
パンドラはどきどきと不安そうに彩花の手を握っていた。
「運命の恵み、と」
途端に、部屋に一陣の風が駆け巡る。
パンドラは仄かな光を纏い、どうやら恵みになれたようだ。
「運命の……」
「そして同時に、困ったことがふたつ」
「えっ」
各所から声があがる。
「まずひとつは、本当に最後の災厄が現れること」
「あ、そうだった……これで本当に最後なんだ」
「そしてもうひとつ」
「うん」
大エルピスは再び困ったように唸る。
「旅の終わりと共に、世界の理が変わってしまうだろうね」
「どういうこと?」
「役割を捨てたつもりであろうパンドラだけど、事実きみに受け継がれたのはほんの一部だろう?つまり、パンドラの大本が災厄と恵みに組み込まれたことで、今後に変化が出ると思うんだ」
しぃん、と場が静まり返る。
「まあ、今はとにかく最後の災厄について考えた方がいい」
「そうね、空がずっとあのままじゃ困るもの……」
「最後に現れるのは最悪の災厄と決まっている」
「それってどういう災厄なの?」
大エルピスは、眉間に皺を寄せて呟いた。
「きみが……いちばん、嫌だと思うものが現れる」
「いやなもの?」
「もの、こと、なんでも……きみの思う最悪が、目の前に」
彩花は必死に考えた。しかし困った。思いつかない。ここまで来て、大抵のこと、何が来ても対処できるんじゃないかと思い始めていたのだ。
人の思いつかない最悪なんて、ないんじゃないだろうか。
◆
殻の外から、自分を否定する声がきこえる。
それじゃあ困るわ。
うまれてすぐに飛べもせずおわるだなんて。
フィナーレらしく足掻かせて。
一度でいいから羽搏かせて。
ようやく形になったのよ。
あなたが否定するのなら、目に焼きつけてあげなくちゃ。
最悪はあるのだと。
どうにもならないこともあるのだと。
◆
空から何かが落ちてきた。
べちゃ、とかぐちゃ、とか音がしたけど、何かはすっと立ち上がって。
「あなたが、最悪の災厄……?」
「初めまして彩花、そして……さようなら」
彩花の影から腕が生え、足を掴んで影へ引きずり込んだ。
誰も止められないほどあっという間の出来事だった。
◆
真っ暗だった。
自分すら見えず、ただ意識だけで存在しているかのように。
「……困ったな」
とっかかりがないと、何をしたらいいのかわからない。
現状、ただ闇に包まれている。
これが最悪なのだろうか。
「怖がりなさいよ」
「なにを……?」
「真っ暗で、ひとりぼっちで」
「うん」
「……怖がりなさいよ」
「えー……」
どうやら本当に、これが「最悪」らしい。
怖いものなしという訳ではないが、これはどうなのだ。
それにしても疲れている。
あくびまで出てきた。
ちょっとだけ休んでもいいだろうか。
「ちょっとだけ寝ていい?」
「な……なんでよ!!!!」
彩花は複雑な気持ちだった。
最悪の災厄が地団駄を踏んだらしいのだが、それで災厄がどこにいるのかわかってしまったのだ。捕まえたら怒るだろうか、泣くだろうか。
「ねえ」
「きゃっ!寝るんじゃなかったの!?」
「捕まえていい?」
「へ?」
闇の中をかつかつと歩き、両腕で抱き着くように音を発していたものを捕まえた。
しばらくじたばたと暴れていたが、やがて力尽きたのかおとなしくなった。
随分と小さい。
エルピスとそう変わらないくらいの大きさじゃないだろうか。
「うわーん!!なんでこうなるのよー!!!!」
泣いてしまった。
◆
「情けないと思いませんか?」
神々(と恵みたち)は正座させられ、怒られていた。
「傍についていながら、目の前にいながら、随分簡単に見失うんですね」
いっぴきの巨大なヘビに。
「あれかな?時代が進むごとに弱ってるんでしょうかね?」
あちこちで額に青筋が浮かぶ。
「み~んな、初代ゼウス以下ってことですもんね?少なくともアレをどうにかできないようじゃあ……」
空を覆う、暗雲。
今はその中で雨と火と岩と氷と毒とが争うように渦巻きながら留まっている。
「どうせ無理だ、なんて思って諦めちゃってるうちは、本当に無理でしょうね」
いっぴきのヘビが「ね、無知無能のカミサマ方」と言うと同時に、神々は我先にと駆け出し飛び立った。エルピスに促された渡し人が次々に神々を招き入れ、ギガントマキアも霞んでしまうほどの鬼気迫り方だったと言う。
◆
「なんてことするのよ!!」
「え、つかまえただけ……」
「彩花じゃないわ!!外の連中よ!!」
最悪の災厄を抱っこしたまましばらく座っていたが、最悪の災厄が再びじたばたと暴れ出した。しっかりと抱え直し、座らせる。
「あのね、彩花のせいでわたしがずっとちいさく生まれちゃったことはもういいわ」
「いいんだ……」
「でもせっかくのフィナーレを部外者が消そうとするだなんて!!」
「外で何が起こってるの?」
「あの、えっと、こうやって……」
最悪の災厄はしばらくもちゃもちゃと口ごもっていたが、やがて地団駄を踏みながら叫んだ。彩花の腕を掴んだかと思うと、下方に光が浮かび上がる。
うっすらとした闇の向こうで、神々が戦争もかくやといった様子で色々と繰り広げていた。そんなに酷いことになっているのだろうか、外は。
「ほんとはだめだけど、ちょっとだけ見せてあげるから」
「うん、ありがとう…………そしてごめんね」
「あーーーーー!!!!!」
自分がどこにいるのか分かった彩花は、しっかと災厄を抱えて外に飛び込んだ。まあ、誰かしらが捕まえてくれることを祈らないといけないが。
◆
「彩花!!」
「やっぱりタナトスだ、ありがとう」
暗雲から飛び出すと、すぐにタナトスがキャッチしてくれた。
あちらこちらで色々と飛び交っては暗雲を消し去ろうとしているようだ。
「それは?」
「あー、最悪の災厄……みたい」
「……それが?」
「なによ!!あんたたちのせいでもあるんだからね!!」
最悪の災厄は、自分を抱える彩花を抱えるタナトスの顔を、一生懸命手を伸ばしてぺちぺちと叩いていた。無論、痛くも痒くもないようだが。
呆れたタナトスは無意味と判断したのか、彩花の家の庭に降り立った。先程用意したお茶を啜り、休んでいる。もちろん、上空では今も尚神々が攻撃を続けている。
「彩花!」
「なぁに?」
「ちいさい子みたいにしないで!!」
「あ、ごめん」
「わたしあいつ嫌い!!叩いて!!」
「自分で叩けばいいだろう、私は反撃しない」
「彩花が叩いてぇ!!」
彩花の腕を抱え、タナトスを叩かせようとするが、力では叶わず、ぱたりと落ちる。
「わぁーーーーーーん!!!!」
「泣いたぞ」
「よしよし、タナトスやだったねぇ」
「あいつたたいてぇ!!!」
「それすらも自分の手ではできないのか」
「ばか!!まっくろ!!だんごむしー!!!!」
ああ、小さい子ってこういう駄々のこね方をするんだよなぁ、と彩花は思った。
それはそれは微笑ましくて、力が抜けてしまう。
「あの、わたしのせいでちいさく生まれたってどういうこと?」
「……最悪の災厄はその時のパンドラの悪さで大きくなるの」
「あー、わたしの中のパンドラ、すごく少ないみたいだから……」
「ちび」
「彩花!!あいつたたいて!!いや、かじって!!!」
タナトスは「彩花が叩いたところで大したダメージはないが」と煽り、最悪の災厄は彩花が心配になるほど真っ赤になって地団駄を踏んだ。
「タナトスも嫌なこと言わないの……わかった、じゃあ、あなたが恵みに戻ったらわたしがタナトスを叩いてあげる」
「……なぜだ」
「ほんと!?ほんとにほんと!?」
「うん、だからあなたもタナトスを叩いたり怒ったりしないでね」
「約束する!!」
途端に目映い光が世界を覆い、何も見えないほどになった。
さっきと真逆だ。
白い世界で、どこかから声が響く。
おおきくて優しくて、あたたかい。
やがて目映さは収まって、光の巨人が姿を現した。
「わたしはあらゆる善を為し、あらゆる命を愛する……すべての恵み」
「大きいね……?」
「あなたの優しさを受けて、わたしはこうも大きくなったのよ」
「えーっと、約束だから……叩く?」
「彩花……」
「いいえ、些細な諍いは忘れましょう……さあ、暗雲を晴らし、すべての疵を元通りに癒しましょう」
虹色に輝く雲から、光の粒が降り注いだ。
いのちに、ものに、せかいに。
「……そういうものだったのか、だから誰も、旅を否定しない」
「どういうこと?」
「旅を途中で終えることさえしなければ、必ず癒えるようになっている……ということだろうな……文献くらい残してほしいものだが」
「もっと早く知りたかったな……」
「もっと早くに知っていれば、手を抜くこともあるのだろう」
「それもそうだね……」
光の雨が虹を架け、世界中を癒していく。
すべてが今の時点で最善になるように。
疵を忘れ、やさしく眠り、あたたかさの中で目覚めるように。
誰もがそれを思い出し、胸の中に抱いておくように。
世界は少しだけ変わりながら。
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