ep.19 Ταξίδι της Πανδώρας
元始の災厄。
人類へ災厄を齎すための災厄。
災厄そのもの。
希望の流す血を浴び続け、狂気に陥ったもの。
「どうしよう!話できると思う!?」
「降りるか?」
「エルピスこわいよー!」
「いい、わたしだけ降りる」
「は?」
強く抱え直そうとした腕が空を切る。
彩花はパンドラへ真っ逆さま。
タナトスが掴むより早く、パンドラが手を伸ばす。
「彩花!!」
彩花はいやに粘度の高く温かい赤い液体に飲み込まれた。
エキドナを飲み込んだパンドラは、怪物たちを生み出していく。
神々は怪物たちを退治するのに精いっぱいだった。
それは希望を奪われてはいけないタナトスも同じで。
◆
「彩花!!」
それはタナトスでもあり、エルピスでも、他の神々の叫びでもあった。
そしてタナトスではなく、エルピスでも、他の神々の叫びでもなかった。
パンドラそのものから発せられた悲痛な叫びだった。
真っ赤な液体の中の空洞で、彩花はパンドラに出会う。
「……わたしを殺す気はないのね」
「……ねえ、私にエルピスをちょうだい……くれるって言ったわ、あなた」
「あの時わたしを助けてくれたのは、パンドラだったのね」
病の災厄を抱きしめて、生死の境をさまよった時。
あの時も、この美しい人を見た。
まだやるべきことがある、と背中を押してくれたのだ。
「助けたわけじゃないわ……あなたが死ぬと困るってだけ……」
「……あなたがいるのに、どうしてわたしが生まれたのかな」
「……私は……生きてるわけじゃないもの……とっくに役目を終えて、パンドラとしての権利を剥奪された……残ったのはいつかもらった不死性だけ」
パンドラは自嘲するように笑う。
よくわからず首を傾げていると、空洞の中に椅子が現れた。
「座りなさい」
「……ありがとう」
表で暴れているような凶暴さが、このパンドラからは全く見られなかった。
相席を許し、テーブルまで出してくれている。
「あのね、パンドラ……あなた、災厄になってしまったんだって」
「……そう」
「もしあなたが齎すとしたら、それはどんな恵みかしら」
パンドラは興味なさそうにため息を吐く。
「さあね、私は災厄としてしか生まれていないもの」
「わたしはそうは思わないわ」
「……どうして?」
真横を向いていたパンドラの体が、ほんの少しだけ彩花の方を向く。
「だって、過ぎた恵みが災厄になるんでしょう?」
「私は恵みになるようなものは何も持っていないわ……神々からすべてを与えられたけれど、それは誰かに与えるものじゃない、災厄に至るための贈り物」
「でも、仕組み的に恵みじゃないものが災厄にはなれないでしょう?」
「…………」
さらにもう少しだけ彩花の方に向き、語る。
「私は待っていただけ……私の一部が、彩花がすべてを引き連れてやってくるのを……私の愛したエルピスを連れて戻ってくるのを……ただ、やっぱりパンドラとしての自我はないに等しく、エルピスは元の形に戻らなかった」
あんなちいさなこどもみたいな姿で。
「彩花は、やさしいひとなのでしょうね……私と違って」
「やさしくない人はわたしに椅子なんて出してくれないと思うわ」
「……私の旅を語って聞かせてやりたいわ」
「聞かせてくれるの?」
今度は完全に彩花と向き合って、美しい顔を顰めた。
「簡易的に、ならね」
「あなたの旅の思い出はあなたのものだから」
◆
私は、パンドラに限りなく近い場所で生まれた。
そして、なにもかもがパンドラに限りなく近かった。
ヘビと友達になり、箱を開け、エルピスと神話世界へ旅に出る。
はじめての災厄は、プロメテウスを飲み込んだ災厄だった。
私の悪辣さを正しく写し取って、災厄らしく。
森が燃え、家が燃え、人が燃え。
説得なんてものじゃなかった。
私も燃えたし、エルピスも燃えた。
七日七晩にもなった喧嘩の末に、なんとか恵みに戻した。
全身を覆う火傷に苦しみながら出会ったのが、デメテルの災厄。
彼女の従えていたニュンペーの手当てで、私は不死性を得た。
デメテルの巨樹は枯れかけ、大地は荒れ、人々は飢餓に苦しむ。
痩せ細りながらも死ねない私の説得で、彼女は恵みに戻った。
そうして次に出てきたのがヘパイストスの災厄。
誰もが不要に武器を携え、ただ理由もなく振るった。
私はふたりの恵みの協力の元災厄と決闘し、勝利を手にした。
その時、これからの旅のためにとヘパイストスから武器をもらったわ。
アプロディテの災厄は一番楽だったわ。
誰が美を得ようとも、それによって諍いが起きても。
だって、私には神々から贈られた美貌があったんですもの。
武器を使うまでもなく恵みに戻った。
ゼウスの災厄で、私は初めて武器を使った。
何度死んだかわからないけど、恵みには戻した。
自分の作ったもので自分が苦しめられてちゃ詮無いわよね。
ヘスティアの災厄は苛立った。
彼女の災厄が何を司るかって、怠惰よ、怠惰。
人々を奮い起こして竈に火をくべさせて、やっと恵みに戻ったの。
ヘルメスの災厄。
知ることを良しとし、あらゆるものを際限なく知ろうとした。
禁忌、秘密、秘匿……そんなものまで、なんでも、ね。
もちろん、あらゆる恵みを総動員して恵みに戻したけど。
私はここで、旅の終わりを予知した。
まさか、ありえない。そう思って、旅をつづけた。
マルスの災厄……思い出したくもないわね。
誰もが争い、戦い、殺し合い。
自分のやってることもそう変わらないんじゃないかと思ったり。
でも、私には大義名分があったから恵みに戻せたわ。
ハデスの災厄は、結局変わらない。
人はいつか死ぬものだし、死んでしまったものはかえらない。
まあ、人々の嘆きが鬱陶しくて恵みには戻したけど。
オルペウスの災厄は……ね。
人々は災厄によって、禁じられたあらゆることをしでかしたわ。
後片付けがとんでもなく大変だったけど、恵みに戻った本人にやらせた。
アポロンの災厄と来たら……。
陽が沈まずにいるから河も海も煮えたぎってて。
岩壁でできた屋根で今みたいに空を覆ったのよ。
恵みに戻した後も、しばらく水はお湯だったわ。最悪でしょ。
そう思っていると、今度はニュクスの災厄が来たの。
そうそう、今度は明けない夜が来たわけよ。
もちろん、その前にアポロンの災厄を恵みに戻していたからね。
しばらく涼んだ後に恵みに戻したけど、悔しがってた。
あれを災厄と呼んでいいのかわからないけど……カオスの災厄。
あらゆる有限を無限に変え、なにもかも尽きることがなくなった。
人々は喜んだわ。だって、食べるも飲むもなにもかもが無限なんだもの。
恵みに戻した後、いちばん罵られたわ。救ったはずの人々にね。
私は間違ってないと思う。悲しみや怒り、憎しみだって無限にされるんだもの。
モイラの災厄。またはアトロポスの災厄ね。
あらゆる不運をふりまいて、運命の糸を断ち切り放題。
本人ではないというのに、恵みに戻った後、解放されたアトロポスはクロートーとラケシスにとんでもなく怒られていたわ。
それから、レーテーの災厄。
人々はあらゆるものを忘却し、抜け殻のように生きていた。
ムネーモシュネーに協力を仰ぎ、死闘の末恵みに戻した。
ええ、これも後片付けが本当に大変だったわ。
私は役目を忘れたし、エルピスは私を忘れたし。
……そして、メラムプスの災厄とオネイロスの災厄が同時に来た。
人々は自分たちの未来すべてを予知し、絶望した。
レーテーがいなければ、もしくは順序が逆だったのなら。
人々はどうなっていたでしょうね。
私は再び旅の終わりを予知し、実感していた。
予知の内容はどちらも、私がエルピスを愛し、殺すものだった。
初めの予知では愛を否定した。そんなわけない、と。
だって、エルピスは皮肉屋だったし、私のことをいつもこんな顔(半目で呆れたようにむくれている)で見てきたし。
でも、旅を続けるうちに、私は確かにエルピスを愛してしまった。
だから、次の予知では殺すことを否定した。
こんなに愛しているのだから、予知の方が間違っていたんでしょう、と。
でも予知は変わらず。
旅は終わるしエルピスとはその後もう二度と逢えない。
そんなのって。
そんなのって、ないでしょう、だって。
ここまで頑張ってきたのに、得るものがなにもない。
旅の果てが別れだなんて、喪失だなんて、あんまりでしょう。
だから私は、エルピスを殺し、パンドラであることをやめた。
次のパンドラが生まれれば、エルピスが戻ってくると信じて。
だって、耐えられなかったの。
エルピスは別れを受け入れているし、私を諭そうとするのよ。
私の箱はただの入れ物になり、残りの災厄が世界に傷をつけた。
ああ。
旅の終わりが。
どうして。
私は次のパンドラが早く生まれてくることを祈った。
そして、やっと。
やっと、あなたが生まれたわ。
私はすぐに友達を傍に送った。
彩花の元に箱が現れるまで。
それを開けて、希望が顔を出すまで。
それはもう、私の知る希望ではなかったけれど。
◆
パンドラの長い長い話が終わる。
「ねえ、あなたも同じ運命なの……さみしいでしょう?」
パンドラは真新しい涙を流し、拭うこともしない。
拭ってくれる人も、もうどこにもいないのだろう。
「わたしは……」
彩花は口を噤んだ。
こんな時になっても、誰かに共感しようとして。
そうじゃない。パンドラが求めているのは、共感じゃない。
彼女が誰かに残酷な真実を突きつけられたいと思っていても。
彩花は自分が言いたいことを言ってしまおうと思った。
「……眠った恵みは、どこへいくの?」
「さあ……概念的な箱の中で眠りに就くのか……どこかへ消えるのか……」
「あなたが恵みに戻れば、エルピスと同じところへいけるのに」
「………………え?」
パンドラが想定していたことではないのだろう。
でも結果として、望みの叶う場所に、彼女はいる。
「ただ眠るだけでもそうじゃなくても、共にはいられるわ……パンドラ……それは、あなたの望んだ形ではないのかもしれないけれど……」
パンドラは顔を覆ってしまう。
指の隙間から、ぼろぼろと大粒の涙を零して。
今だけでも、自分が涙を拭ってあげたいと思った。
「ねえ、彩花……私も聞いていいかしら?」
「わたしに答えられることなら」
顔を上げたパンドラの涙を、袖で拭う。
こんなに泣いてちゃ、きれいな顔が台無しだわ、と。
「あなたのその優しさは、どこから来るの?」
優しさは、自分には与えられなかった、神々の誰からも贈られなかったものだ。
心底不思議な眼をして、彩花を見つめている。
「わたしはいま、優しさの上に座ってるんだけどな」
「……?」
「わたしはたぶん、多くを与えられなかっただけだと思う……みんなみたいに、誰かを好きになったり、遊んだり、怒ったり……そういうものを持たなかっただけ」
「……でも」
立ち上がり、一歩パンドラに近付く。
「……パンドラは、怖かったんだよね」
「……私」
「そうせずにはいられなくて、でも、やったことを見るのが怖くて」
「……そうよ、だって、こんなじゃ嫌われちゃう……」
また一歩近付き、目線を合わせる。
「パンドラが望むなら、わたしがずっと傍にいるよ」
「…………」
パンドラから、光がひとつ、出ていく。
「ここにいてもいいし、わたしの家にいてもいい」
「…………」
またひとつ、光が出ていく。
「誰にもあなたを嫌わせないし、傷つけさせない」
「…………でも」
パンドラは、出てきた最後の光を掴む。
「あなたのともだちに言われたの、ともだちを助けて、って」
「…………」
緩んだ手から光が逃げ、周りの赤がほどけていく。
「私、どうすればいい……?」
「とにかく、いまの……本当の姿でエルピスと話してみたら?」
◆
「なんだ……?」
あれだけ無尽蔵に生み出されていた怪物が止んだと思うと、今度はパンドラがほどけてみるみるうちに消えていった。倒し切ったわけではないはずだが。
「パンドラが飲み込んでいたものたちが神話世界に戻っているわ!」
「一体、なにがどうしたんだ?」
赤も白もほどけきって、傷つけることなく街から消えていく。
さいごに残った赤い繭がほどけ、中からふたりの人物が出てくる。
皆地面に降り立ち、その姿を認めると同時に駆け寄った。
パンドラを抱えた彩花は武器を構える神々を押しとどめ、疲れたように笑った。
「大丈夫だから……とりあえずお茶とお菓子を用意したいの」
その場の誰もがポカンとした表情で、玄関から家に入る彩花を見送った。
ワンテンポ遅れて、皆が我もとそれに続いて。
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