ep.18 予言
「ねえ、人探しが得意な神様とかいない?」
「人探しか」
「うん、物知りな神様でもいいんだけど」
ピシャン、と目の前に雷が落ち、中からゼウスが現れる。
「なぜここに」
「俺じゃない、メーティスが」
「私を頼る声が聞こえたわ!!ねえ!呼んだでしょう!?」
ゼウスの髪を掻き分けて、ちいさな女神が姿を現した。
「知りたいことがあるのでしょう?私がなんでも教えてあげるわ!」
「えっと、そう……まずは、神話世界でなくなったものを教えて」
「なくなったもの?」
タナトスがわずかに首を傾げるのと同時に、プロメテウスが駆け寄ってくる。
後ろに見覚えのない誰かを連れて。
「ちょっと待ったぁ!!」
「呼ばれて来たのになぜメーティスがいるんだ!予言者と言えばこっちだろう!」
「ゼウスの知恵は私によるもの!知恵と言えば私!」
「ま、待って、教えてくれるなら多い方が心強いわ」
「そう?じゃあ教えてあげるわ!特例的にね!」
こほん、とひとつ咳をして、一柱と一人の予言が始まる。
「まず、迷宮が消えている」
「さっきあの家が迷宮になっていたな、アリアドネのおかげで助かったが」
「やだ、プローテウスも消えてる……アザラシたちが泣いてるわ」
「ポセイドンは……気付いてないんだろうな」
「そして、エキドナが」
足を踏み入れたものを惑わすという迷宮。
姿形をあらゆるものに変えるという海神・プローテウス。
様々な怪物を産み落としたという、怪物の母・エキドナ。
「これらはひとりの女に飲み込まれている」
「手となり足となり、時が満ちるのを待っている」
「逃げ出すこともできず、神格だけが目覚めたまま」
「新たに生まれ出るものとして」
予言はこれで終わりらしく、双方黙り込んでしまった。
「あの……あと、ともだちに会いたくて」
「ステュクスを東へ、東へと船を漕ぎなさい」
「ステュクスか、ならば私も同行しよう」
「うん、お願い」
「エルピスもー!」
「もちろん、一緒に行こ」
◆
「いいわ、あなたには冥界を救ってもらった恩があるもの」
「ありがとう!」
「ただ、河の水に触れることはおすすめしないわ」
「不死性を持ちたければ別だがな」
小舟を借り、東へ東へと漕いでいく。
次第に霧が深くなり、ルーキフェルの光も届かない。
目の前にいても姿が見えない程に暗かった。
誰かの呼ぶ声がして、振り返る。
そこには古い古い、石造りのちいさな城が建っていた。
霧と闇で何も見えないように、ひっそりと、こっそりと。
「あれ?地面?いつの間に……」
「あたしが呼んだの……彩花、どうしてここが?」
「フィリ!!」
今は巨大なヘビの姿でなく、よく馴染んだ人の姿をしている。
思わず駆け寄り、手を握って確かめる。
この冷たさが懐かしく思えた。
「聞きたいことがあるの」
「……そうでしょうね」
「パンドラは、いまどこに?」
「いまは彩花から遠く遠く」
前は近く。でも今はずっと遠く。
そう言ってフィリは城に入っていく。
後をついていくが、特に止められはしなかった。
むしろ、呼ばれているように思う。
「きっと、事のあらましは知ってしまったんでしょうね」
「うん……まだ、わからないことだらけだけど」
蝋燭の灯りだけを頼りに、階段を上がっていく。
木造りの扉を開き、立ち止まる。
後ろから覗き込むが、暗くてよく見えない。
床に何か大きな水たまりがあるように見えるが……。
「ここは?」
「パンドラの寝室……そして、エルピスを殺した場所」
「!!」
「彼女はエルピスの血の中で眠り、目覚めるの」
この水音は
フィリが蝋燭を部屋へ向けると、その全貌が明らかになった。
「パンドラは、いまもエルピスを渇望してる」
「エルピスを……」
「あんたから奪ってでも、得ようとしてるの」
床のほとんどを覆う血だまりが。
底から湧き出ているかのように揺れている。
まだ新しくあるかのように、尽きることのないように。
消えることのない罪のように、真新しく。
「あんたにこんなことを言うべきじゃないとわかってる」
「うん……」
「パンドラを、助けて」
「うん」
「それから…………ごめん、なにもかも」
「わたしも、ごめん、ずっと」
フィリが涙を拭う。
彩花は強く決心した。
パンドラをさがして、終わりにしよう。
「送る、舟まで」
「ありがとう」
誰も乗っていないように見える舟に乗り込む。
「あっ」
「どうしたの?」
「ううん、目になんか入っただけ」
「どんくさいなぁ、相変わらず」
「……えへへ」
舟は漕がなくても進みだし、フィリを小さく遠くしていく。
「彩花」
「なに?」
「……ありがとう、ともだちって、呼んでくれて」
「……またねフィリ!」
「…………またね」
◆
「彩花おきた!」
「よくこんな場所で眠れるな」
ふと気が付くと、元の舟の上だった。
「ちがうよ、ともだちに会ってきたの」
「彩花、ずっとふねのうえにいたよ?」
「それでもいま、会ってきたの」
「用が済んだのなら、舟を戻そう」
「うん、ありがとう」
かさ、と音がして手に何かを握っていたことに気付いた。
「それなぁに?」
「なんだろう……手紙?読めないや」
「どれ……黒い髪、琥珀の瞳、彩花より頭ひとつ高い身長……?」
「なんのことだろう?彩花しってる?」
「ううん……でもこれって……」
よく知っている気がする。
いまは遠くて、前は近い。
ああ、どうして気が付かなかったんだろう。
◆
この身であっても、天を覆う暗雲にはうんざりしている。
さっきはアリアドネに邪魔されたけれど、それでも構わない。
私がほしいのは、今も昔も変わらない、たったひとつの希望。
そのために必要なのは、彼自身が持ってる。
私の箱が機能しないのなら、機能する箱を奪えばいい。
そして、叩き壊してしまおう。
世界がどうなってもいいから。
私がほしいものを永遠に。
◆
「メグミさん」
「彩花ちゃん、どうしたの?」
「えっと、その……」
いざとなると、なんだか変な気がしてきた。
あなたはパンドラですか、なんて質問、突拍子がなさすぎる。
「体調は、どうかなって……」
「うん、ずっと寝てたからすっかり良くなったわ」
「実は……」
リリリリリ……ン。
リリリリリリ……ン。
家にある黒電話が鳴る。
絶えず、何度も。誰も出られないようで、ベルがただ響く。
「ちょっと出てきます」
なんだか残しておけなくて、エルピスの手を引いて電話へ向かう。
ベルは未だ鳴り響いて、鳴り止む気配はなかった。
これが異変の前触れじゃなければいいけど、そう思って受話器をとった。
「もしもし、メグミですけど」
「…………え?」
「あ、その声は彩花ちゃん?ごめんね、なんかどうしても元気にならなくてさぁ」
とても、理解が追い付かなかった。
玄関にある鏡から庭を見ると、メグミが立っていて。
でも電話の向こうから聞こえる声も、確かにメグミで。
「えっと、メグミさん、体調が……」
「そうなの、全然起き上がれなくって……」
「……大丈夫、異変が終わるまでお店はお休みだから」
他愛のない挨拶を交わし、受話器を置いた。
胸からおかしな音が鳴っている。
鏡の向こうには、まだメグミらしき誰かがいる。
歩み寄っても、逃げようとしない誰か。
黒い髪、琥珀色の瞳、彩花より頭一つ分高い身長。
喉が震え、勝手に声が出る。
「姿形を、変える……プローテウス」
「あら、なんのお話?」
「……いま、メグミさんから電話があったの」
どこか鋭いような硬質の笑みを絶やさないメグミ。
ただ立っているだけなのに、攻撃されている気がする。
「私はここにいるでしょう?」
「……あなた、誰」
「何言ってるの、彩花ちゃん……私はメグミ」
「……メグミさんは自分のこと、メグって呼ぶわ」
いつからだ。
いや、いつだ。
誰も気が付かなかった。
「……あなた、パンドラね」
ガラスの割れるような音がする。
いや、悲鳴だったのかもしれない。
彩花はエルピスを抱きしめたまま、天に浮かんだ。
辺りを見回すと、ヒュプノスが母親と弟を抱えて飛んでいる。
幸い、眠っているようで騒がれることはなかった。
「タナトス!」
「無事のようだな」
「彩花、あのひと、パンドラだったの?」
「大丈夫よエルピス、あなたはわたしが守る」
メグミの形をしていたものが、赤く白く変わっていく。
血のように赤く淀む髪の毛が蜘蛛の巣のように迷宮のように街に巣食い、白く長く何匹もの蛇に変貌した体躯が這うように伸びていく。
上半身の前面を裂くように巨大な赤い眼が現れ、虚空を睨んでいた。
「ど、どうしよう!」
「迷宮はともかく、プローテウスとエキドナの魂まで切り離す訳には行かんな」
「あれをなっとくさせるのなんてできないよ……!」
そう、そうなのだ。
元がなんであれ、今は災厄となっている。
それなら、恵みに戻さなければ世界が滅んでしまうだろう。
街一つ程度の大きさと化したパンドラが、彩花たちを掴もうと腕を振り回している。
狂気を湛えた微笑みで、でも無邪気に遊ぶように。
「えっと、なまえをつけるなら……」
「馬鹿者、怪物に名を付けるな」
「あれはさいやくだよ、なまえをつけなくちゃ!」
名前を付けるなら。
「人の災厄・パンドラ」
赤く淀む目が、エルピスを捕らえる。
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