ep.17 ともだち
パンドラ。
あたしのともだち。
パンドラ。
ずっと昔からの、あたしのともだち。
パンドラ。
だけどともだちは、ともだちでしかなくて。
いつかおいていかれるもの。
いつか忘れ去られるもの。
あたし、それで満足なのかな。
◆
「え、お店閉めちゃうの?」
「ずっとじゃないわ、今はこんなご時世だから……」
空の暗雲は消えず、人々の気力は目に見えて尽きそうになっていた。
「メグちゃんもずっと体調崩しちゃってるし、私たちも休まなきゃ」
「それは……そうだね、みんな疲れてる」
「……しゃらくせぇな」
日に数度、アポロンが燃え、アルテミスが反射し、なんとか昼という体裁を保っていた。雲に遮られなければいいのだろうと思ったが、そうでもないらしい。あの雲は物理的に退けることは不可能な上、人々の精気といったものを吸い上げている。
洗濯物は乾いてくれるが、それは大した回復にはならない。
治癒の恵みと親愛の恵みもここ数日は働きっぱなしだ。
直接的な治癒はできないし、愛情もエネルギーにはならない。
やはり、災厄を見つけ出すしかないのだった。
「……あの、オネイロス」
「彩花、それはやめておいた方がいいでしょう……」
「どうして?」
「わからない……けれど、確信に近い何かが……今回の旅はイレギュラーが多すぎる……彩花自身に関しても、それは言えること……」
「わたし、自身に?」
オネイロスは、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……彩花にもきっと、イレギュラーが眠っている……それも、とてつもなく大きな何かが……」
「イレギュラー……」
それに反応するように、エルピスのトランクから眠りの恵みが姿を現す。
「それは僕も思っていた……具体的なものを挙げるなら、パンドラらしくない……それに尽きるだろう」
「らしくない……?」
「パンドラを代表するものは、その美貌と悪辣さ……」
「おい!彩花はかわいいだろ!深愛の恵みであるボクが惚れた彩花だぞ!!」
「落ち着いてね……」
「うん!!」
深愛の恵みが再び働きに出るのを見計らい、話の軌道を戻す。
「まず、文献にあったものからおさらいしよう……最初のパンドラはゼウスの注文でヘパイストスが創り、ありとあらゆる贈り物を神々から受け取った……」
「……人類への災いとして、だがな」
「……災い……人類への……それって、まるで……」
災厄そのものじゃないか。
元始の災厄。
災厄を齎すためだけに創られた存在。
「……わたし、が、災厄……?」
「なぜそうなるのだ」
「だって……」
(兄上……彩花はパンドラが生きていることを知らないだろう?)
「そうだったな……とにかくだ、そうだったなら恵みに戻っていなければおかしいだろう、彩花の場合は」
善でいたい。
正しく在りたい。
それは、悪辣では持てない望み。
それでも拭えない不安があるのは、なぜだろう。
◆
あたしのともだちは今、最後の災厄を待っている。
阻止するために。掠め取るために。
悪辣らしく、何もかもを狡猾に利用して。
最愛を、永遠に手に入れるために。
でも、あたしは……。
あたしは、悲しい。
あたしがはじめた、あたしが原因だからと黙っていたけど。
ともだちがそんな手を選んだことを。
ともだちが……ともだちを、壊そうとしていること。
あたしは唆すしか能のないヘビだから。
だから、唆すの。
また、ともだちを。
◆
「……彩花」
「……え?」
彩花は、いつの間にこんなところに来たのだろう、と首を傾げた。
誰かに呼ばれた気がして振り返ると、そこは霧が満ちて目の前も見えないどこかだった。どこだろう。白いとしか言いようのない霧の中だ。
「……あ、なた」
「……彩花」
久しぶりに聞く親友の声に、彩花は唇を噛みしめて涙をこらえた。
きっともう会うことはないと思っていた。
きっともう、会ってくれないだろうと思っていた。
誰かわからなくてもいい、おおきなヘビだっていい。
たとえ霧の向こうで見えなくても、それでもよかった。
「ねえ、あなたの名前……教えて」
「あたしは怪物……ただのへび……名前なんてない」
「あなたを呼びたいの……ともだち、だから」
「……それなら、フィリ、とでも」
「フィリ……わたし、フィリに謝らなければならないこと、いっぱい……」
「いまはそれどころじゃない」
焦ったように遮る友人――フィリの声に従い、そっと口を噤む。
「……災厄は、あとひとりいる……会いに行くべきだよ」
「災厄が……もうひとり?」
「あれは最早災厄と化した……恵みに戻せるかもわからない、イレギュラーな災厄」
「イレギュラー……ねえ、それはどこにいるの?」
「あんたのすぐ近く……いつの間にか傍にいた誰か……そいつが……そいつこそが…………の災厄……」
「待って!聞こえないわ、行かないでフィリ!!」
「……パンドラ……」
霧がさらに深くなり、息もできないほどになる。
溺れてるようで、涙がこぼれたことにも気付かない。
◆
「彩花ちゃん、気が付いた?」
「……メグミさん?体調は?……あれ、でも、お店は……」
「いつまでも寝ていられないから、手伝いに来たの」
「お手伝い……うちに……」
頭がぼやぼやとする。
まるで、濃い霧でもかかったみたいに。
――霧?
慌てて辺りを見回すが、部屋にいるのはメグミだけだった。
――――メグミさん、だけ?
「あれ?みんなは?」
「お庭の方に」
「そっか……」
誰かしらは傍にいてくれそうだったけどな、と思う。
それにしても自分まで体調が、などと考えていると、外から雷の音がした。
ふと窓の外を見ると、そこに誰かが貼りついているのが逆光で浮かび上がる。
「本当にそうかな?」
「え?」
「……どちら様でしょうか?」
鍵どころか窓すら開けていないのに、するりと部屋に入り込まれた。
首筋に花のような炎のような痣を持った少年が、悲しむような笑みを浮かべる。
「僕はプロメテウス……災厄を作り出す原因になった者だ」
「災厄を……」
「オネイロスから言伝を受けてやって来た」
プロメテウスは彩花の頭上でサッと手を振ると、腕を引き起こした。
不思議と気分は良くなっている。
「あ、待って、メグミさん、これは……」
「聞こえやしないし見えやしないさ」
「メグミさんに何かしたの?」
「しばらくすれば元通り、少し面食らってるだけさ」
ふっ、とメグミに向き直る。
「……彩花、きみは何を探したい?」
「何を、って……それは……」
「僕は人間を愛しているから、人であるきみの頼みをきこう」
災厄をさがして、と頼んだら聞いてもらえる?
でも、災厄は神々にとっても解決したいもので。
それなら、どうして聞く前に教えてくれないのだろう。
そもそも、信頼できるのだろうか。
気分は良くなったが、頭の中の霧が晴れていない気がする。
「ただし、
「……ああ、それなら信頼できそう……」
少しずつ、頭の中の霧が晴れてきた感覚がする。
「わたしのすぐ傍に災厄がいると聞いたわ……」
「それをさがしたい?」
プロメテウスの痣から、じりじりとした熱を感じる。
それが意識を引き戻しているようで、心強くなる。
「不運がどういうものかによるかなぁ……」
「火を齎した際には戦を始めたらしいよ」
「それは困るんだよなぁ……」
「でも
「そんな、選択肢がひとつしかないみたいな……あれ?」
「どうしたの?」
階段ってこんなに長かったっけ。
どれだけ多くてもうちの階段は十数段。
でも今は、何十と下っている。
そもそも、最初から何かおかしかった。
「……これは
「…………」
「氷の災厄がヒュプノスを操ったことがあったね、停滞の災厄がモイラとクロノスを使ったこともあったとか」
「うん……」
「幸い今回は他にはいなかったようだけど、今までは違ったんだ」
特に前回は、災厄が神々をも飲み込み災厄にその神々などの名がついた。
プロメテウスの災厄、デメテルの災厄、ヘパイストスの災厄、アプロディテの災厄、ゼウスの災厄、ヘスティアの災厄、ヘルメスの災厄、マルスの災厄、ハデスの災厄、オルペウスの災厄、アポロンの災厄、ニュクスの災厄、カオスの災厄、モイラの災厄、レーテーの災厄、メラムプスの災厄、オネイロスの災厄……。
「あれ?前は18の災厄を恵みに戻したって聞いたけど……」
「正しくはそうではないんだ……恵みのまま生まれ、災厄になったものがいた」
「恵みのまま……」
「もうわかっているんだろう?希望の恵みであるエルピスは、殺されてしまうことで絶望の災厄と化した……本来なら、エルピスだけは反転しないはずなのに……」
希望の恵み。
そして。
絶望の、災厄。
「残り6の災厄は世界に残ったまま眠りに就いた……もう、いないけれど」
「つまり、どうすればいいの?」
「僕らの神話世界から、消えたものを探せばいい」
「消えたもの?」
「僕の火のように、盗み出されたものを」
階段を下りつづけながら、遠くなったり近くなったり。
やっぱり何かおかしい。
話を遮るのは悪いが、助けを求めるべきだろう。
「あのねプロメテウス、わたしたち、ずっと階段を下りてるの」
「変わった造りの家だね」
「本来なら、十数段しかないの、だから何かおかしいわ」
はるか遠く、下の下まで階段は伸びている。
プロメテウスは壁をペタペタと触り、あちこち確かめていた。
「僕は面白さだけが取り柄の神様だからなぁ……」
首筋の痣が燃えるように輝き、揺らめく光を放つ。
「人間の住むところを壊すのは気が引けるけど……」
「だめ!!だめよ壊したら!!」
「あぁ、違う、そういうわけじゃない」
説明が難しいのだ、と顎に手を当てるプロメテウス。
状況が好転せず困り果てていると、どこかから清い音が聞こえてきた。
セイレーンの声のような、でも細くてやわらかい。
きょろきょろと辺りを見回すと、上の方から光る糸が垂れていた。
どうして降りてくる時は気が付かなかったのだろう。
「ねえ、これプロメテウスの?」
「しめた、アリアドネだ!辿って行けば出られるはずだ」
◆
「仕方ないから既に開示された答えを教えよう」
「答え?」
糸を辿ると、家の玄関に出られた。
今まで気が付かなかった、みんなの声や物音も聞こえる。
「まずひとつ消えたもの、それは
「迷宮……」
「次にひとつ消えなかったもの、それはパンドラ」
「……パンドラ?」
「彼らはきみを不安にさせたくないんだろうけど、僕は真実を知るべきだと思うからね……前のパンドラ……つまり、前のエルピスを殺したパンドラは、死なずに今もどこかで生きているんだ」
聞き慣れた足音がこちらへ寄ってくる。
その前に言葉の続きを言ってくれることを願う。
「絶望を齎したパンドラは……果たして何者になったのかな」
「何者に……」
不運抜きで教えられるのはここまでだ、そう言ってプロメテウスは援軍に来た神々の輪に加わった。
パンドラは何者になったのか。
「……もう一度、会わなくちゃ」
彼女は何かを知っていた。
会わなければ。
フィリにもう一度、会わなければ。
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