ep.17 ともだち



パンドラ。


あたしのともだち。


パンドラ。


ずっと昔からの、あたしのともだち。


パンドラ。


だけどともだちは、ともだちでしかなくて。


いつかおいていかれるもの。


いつか忘れ去られるもの。


あたし、それで満足なのかな。





「え、お店閉めちゃうの?」

「ずっとじゃないわ、今はこんなご時世だから……」


空の暗雲は消えず、人々の気力は目に見えて尽きそうになっていた。


「メグちゃんもずっと体調崩しちゃってるし、私たちも休まなきゃ」

「それは……そうだね、みんな疲れてる」

「……しゃらくせぇな」


日に数度、アポロンが燃え、アルテミスが反射し、なんとか昼という体裁を保っていた。雲に遮られなければいいのだろうと思ったが、そうでもないらしい。あの雲は物理的に退けることは不可能な上、人々の精気といったものを吸い上げている。

洗濯物は乾いてくれるが、それは大した回復にはならない。


治癒の恵みと親愛の恵みもここ数日は働きっぱなしだ。

直接的な治癒はできないし、愛情もエネルギーにはならない。


やはり、災厄を見つけ出すしかないのだった。


「……あの、オネイロス」

「彩花、それはやめておいた方がいいでしょう……」

「どうして?」

「わからない……けれど、確信に近い何かが……今回の旅はイレギュラーが多すぎる……彩花自身に関しても、それは言えること……」

「わたし、自身に?」


オネイロスは、申し訳なさそうに目を伏せた。


「……彩花にもきっと、イレギュラーが眠っている……それも、とてつもなく大きな何かが……」

「イレギュラー……」


それに反応するように、エルピスのトランクから眠りの恵みが姿を現す。


「それは僕も思っていた……具体的なものを挙げるなら、……それに尽きるだろう」

「らしくない……?」

「パンドラを代表するものは、その美貌と悪辣さ……」

「おい!彩花はかわいいだろ!深愛の恵みであるボクが惚れた彩花だぞ!!」

「落ち着いてね……」

「うん!!」


深愛の恵みが再び働きに出るのを見計らい、話の軌道を戻す。


「まず、文献にあったものからおさらいしよう……最初のパンドラはゼウスの注文でヘパイストスが創り、ありとあらゆるを神々から受け取った……」

「……人類への災いとして、だがな」

「……災い……人類への……それって、まるで……」


災厄そのものじゃないか。


元始の災厄。


災厄を齎すためだけに創られた存在。


「……わたし、が、災厄……?」

「なぜそうなるのだ」

「だって……」

(兄上……彩花はパンドラが生きていることを知らないだろう?)

「そうだったな……とにかくだ、そうだったなら恵みに戻っていなければおかしいだろう、彩花の場合は」


善でいたい。

正しく在りたい。


それは、悪辣では持てない望み。

それでも拭えない不安があるのは、なぜだろう。





あたしのともだちは今、最後の災厄を待っている。


阻止するために。掠め取るために。


悪辣らしく、何もかもを狡猾に利用して。


最愛を、永遠に手に入れるために。


でも、あたしは……。


あたしは、悲しい。


あたしがはじめた、あたしが原因だからと黙っていたけど。


ともだちがそんな手を選んだことを。


ともだちが……ともだちを、壊そうとしていること。


あたしは唆すしか能のないヘビだから。


だから、唆すの。


また、ともだちを。





「……彩花」

「……え?」


彩花は、いつの間にこんなところに来たのだろう、と首を傾げた。

誰かに呼ばれた気がして振り返ると、そこは霧が満ちて目の前も見えないどこかだった。どこだろう。白いとしか言いようのない霧の中だ。


「……あ、なた」

「……彩花」


久しぶりに聞く親友の声に、彩花は唇を噛みしめて涙をこらえた。

きっともう会うことはないと思っていた。

きっともう、会ってくれないだろうと思っていた。

誰かわからなくてもいい、おおきなヘビだっていい。

たとえ霧の向こうで見えなくても、それでもよかった。


「ねえ、あなたの名前……教えて」

「あたしは怪物……ただのへび……名前なんてない」

「あなたを呼びたいの……ともだち、だから」

「……それなら、フィリ、とでも」

「フィリ……わたし、フィリに謝らなければならないこと、いっぱい……」

「いまはそれどころじゃない」


焦ったように遮る友人――フィリの声に従い、そっと口を噤む。


「……災厄は、あとひとりいる……会いに行くべきだよ」

「災厄が……もうひとり?」

「あれは最早災厄と化した……恵みに戻せるかもわからない、イレギュラーな災厄」

「イレギュラー……ねえ、それはどこにいるの?」

「あんたのすぐ近く……いつの間にか傍にいた誰か……そいつが……そいつこそが…………の災厄……」

「待って!聞こえないわ、行かないでフィリ!!」

「……パンドラ……」


霧がさらに深くなり、息もできないほどになる。

溺れてるようで、涙がこぼれたことにも気付かない。








「彩花ちゃん、気が付いた?」

「……メグミさん?体調は?……あれ、でも、お店は……」

「いつまでも寝ていられないから、手伝いに来たの」

「お手伝い……うちに……」


頭がぼやぼやとする。

まるで、濃い霧でもかかったみたいに。


――霧?


慌てて辺りを見回すが、部屋にいるのはメグミだけだった。


――――メグミさん、だけ?


「あれ?みんなは?」

「お庭の方に」

「そっか……」


誰かしらは傍にいてくれそうだったけどな、と思う。

それにしても自分まで体調が、などと考えていると、外から雷の音がした。

ふと窓の外を見ると、そこに誰かが貼りついているのが逆光で浮かび上がる。


「本当にそうかな?」

「え?」

「……どちら様でしょうか?」


鍵どころか窓すら開けていないのに、するりと部屋に入り込まれた。

首筋に花のような炎のような痣を持った少年が、悲しむような笑みを浮かべる。


「僕はプロメテウス……災厄を作り出す原因になった者だ」

「災厄を……」

「オネイロスから言伝を受けてやって来た」


プロメテウスは彩花の頭上でサッと手を振ると、腕を引き起こした。

不思議と気分は良くなっている。


「あ、待って、メグミさん、これは……」

「聞こえやしないし見えやしないさ」

「メグミさんに何かしたの?」

「しばらくすれば元通り、少し面食らってるだけさ」


ふっ、とメグミに向き直る。


「……彩花、きみは何を探したい?」

「何を、って……それは……」

「僕は人間を愛しているから、人であるきみの頼みをきこう」


災厄をさがして、と頼んだら聞いてもらえる?

でも、災厄は神々にとっても解決したいもので。

それなら、どうして聞く前に教えてくれないのだろう。

そもそも、信頼できるのだろうか。

気分は良くなったが、頭の中の霧が晴れていない気がする。


「ただし、プロメテウスの性質上、必ず望まない不運を伴う」

「……ああ、それなら信頼できそう……」


少しずつ、頭の中の霧が晴れてきた感覚がする。


「わたしのすぐ傍に災厄がいると聞いたわ……」

「それをさがしたい?」


プロメテウスの痣から、じりじりとした熱を感じる。

それが意識を引き戻しているようで、心強くなる。


「不運がどういうものかによるかなぁ……」

「火を齎した際には戦を始めたらしいよ」

「それは困るんだよなぁ……」

「でもプロメテウスは与えずにはいられない、齎さずにはいられない」

「そんな、選択肢がひとつしかないみたいな……あれ?」

「どうしたの?」


階段ってこんなに長かったっけ。

どれだけ多くてもうちの階段は十数段。

でも今は、何十と下っている。

そもそも、最初から何かおかしかった。


「……これはプロメテウスが人類に与えるものじゃなく、僕が災厄に立ち向かう個人に渡すべきものであると宣言する」

「…………」

「氷の災厄がヒュプノスを操ったことがあったね、停滞の災厄がモイラとクロノスを使ったこともあったとか」

「うん……」

「幸い今回は他にはいなかったようだけど、今までは違ったんだ」


特に前回は、災厄が神々をも飲み込み災厄にその神々などの名がついた。

プロメテウスの災厄、デメテルの災厄、ヘパイストスの災厄、アプロディテの災厄、ゼウスの災厄、ヘスティアの災厄、ヘルメスの災厄、マルスの災厄、ハデスの災厄、オルペウスの災厄、アポロンの災厄、ニュクスの災厄、カオスの災厄、モイラの災厄、レーテーの災厄、メラムプスの災厄、オネイロスの災厄……。


「あれ?前は18の災厄を恵みに戻したって聞いたけど……」

「正しくはそうではないんだ……恵みのまま生まれ、災厄になったものがいた」

「恵みのまま……」

「もうわかっているんだろう?希望の恵みであるエルピスは、殺されてしまうことで絶望の災厄と化した……本来なら、エルピスだけは反転しないはずなのに……」


希望の恵み。

そして。

絶望の、災厄。


「残り6の災厄は世界に残ったまま眠りに就いた……もう、いないけれど」

「つまり、どうすればいいの?」

「僕らの神話世界から、消えたものを探せばいい」

「消えたもの?」

「僕の火のように、盗み出されたものを」


階段を下りつづけながら、遠くなったり近くなったり。

やっぱり何かおかしい。

話を遮るのは悪いが、助けを求めるべきだろう。


「あのねプロメテウス、わたしたち、ずっと階段を下りてるの」

「変わった造りの家だね」

「本来なら、十数段しかないの、だから何かおかしいわ」


はるか遠く、下の下まで階段は伸びている。

プロメテウスは壁をペタペタと触り、あちこち確かめていた。


「僕は面白さだけが取り柄の神様だからなぁ……」


首筋の痣が燃えるように輝き、揺らめく光を放つ。


「人間の住むところを壊すのは気が引けるけど……」

「だめ!!だめよ壊したら!!」

「あぁ、違う、そういうわけじゃない」


説明が難しいのだ、と顎に手を当てるプロメテウス。

状況が好転せず困り果てていると、どこかから清い音が聞こえてきた。

セイレーンの声のような、でも細くてやわらかい。

きょろきょろと辺りを見回すと、上の方から光る糸が垂れていた。

どうして降りてくる時は気が付かなかったのだろう。


「ねえ、これプロメテウスの?」

「しめた、アリアドネだ!辿って行けば出られるはずだ」







「仕方ないから既に開示された答えを教えよう」

「答え?」


糸を辿ると、家の玄関に出られた。

今まで気が付かなかった、みんなの声や物音も聞こえる。


「まずひとつ消えたもの、それは迷宮ラビュリントス

「迷宮……」

「次にひとつ消えなかったもの、それはパンドラ」

「……パンドラ?」

はきみを不安にさせたくないんだろうけど、僕は真実を知るべきだと思うからね……前のパンドラ……つまり、前のエルピスを殺したパンドラは、死なずに今もどこかで生きているんだ」


聞き慣れた足音がこちらへ寄ってくる。

その前に言葉の続きを言ってくれることを願う。


「絶望を齎したパンドラは……果たして何者になったのかな」

「何者に……」


不運抜きで教えられるのはここまでだ、そう言ってプロメテウスは援軍に来た神々の輪に加わった。


パンドラは何者になったのか。


「……もう一度、会わなくちゃ」


彼女は何かを知っていた。


会わなければ。


フィリにもう一度、会わなければ。


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