ep.16 援軍
その日、世界に暗雲が満ちた。
世界中のニュースで取り上げられ、あらゆる神話世界でも騒がれた。
いよいよだ、と。
◆
「結局、最後まで来てしまったな」
「パンドラの目的は結局なんだったんだろう、ヘビまで遣わせておいて……」
「旅を永遠のものにしようとした、と言っていたな」
「旅を……そんなこと、できっこないだろうに」
なにより、世界がそれを許さないだろう。
「とにかく、だ。彩花の旅が終わるまでは目を離してはならないようだ」
「大丈夫かな……」
縁側から空を見上げてみても、太陽は暗雲に覆い隠されて見えない。
あの暑苦しい神たちが消えてしまったように冷たい世界だった。
昏さなんか冥界には遠く及ばない、慣れ切った暗さのはずだったのに、なんだか不安でたまらなくなってしまう。冥界からの連絡はない。つまり、死者が出る予定はないということではあるのだろうが……。
「……オネイロスの予知夢を、使うべきだろうか」
「兄上、それはただ一度だけのものだ……僕たちも例外でなく」
ひとつの命につき、いちどだけ許される予知夢。
いつかエルピスが、旅の終わりになり得る困難を見ようとしたもの。
無意識下での条件の指定が厳しく、おいそれとは叶わないもの。
夢のはじまりと言われた一頭の蝶なら、もっとうまくやれただろう。
彼女はいま、どこかの幽世にいるから探しようがないのだが。
あるいは、失踪したとされていたその弟君なら……いや、考えても無駄だ。
最悪の災厄は、今すぐ降臨してもおかしくはないのだから。
最悪の災厄。
あらゆる災厄を内包し、パンドラの悪性を突きつけるもの。
恵みに戻せなければ、幾度となく世界を滅ぼすもの。
旅の終わりの、象徴。
さいごに立ちはだかる困難。
そのはずだったのだ。
◆
ごとり、ごとりと音がする。
殻を破れない雛のように。
羽化し損ねた蝶のように。
どろり溶けるように流れ出す。
「嘘をついてるのは誰……嘘つきは誰……」
生まれられないのに絶えず生まれようと崩れる身を抱え、唸る。
「わたしがうまれようというのに、災厄はまだ――」
自壊し続けながらも、顕現しようと生まれ続ける。
わたしは。
わたしは、最悪の災厄――。
◆
「もう、はっきりしない天気ねぇ~」
「かれこれ1週間はこの調子ですね」
空は暗雲に覆われたまま、ほんの数筋の光だけを地に届けた。
その数筋の光も、人知れず頑張るヘリオスとアポロンのおかげなのだが。
人々は気力を失い、緩慢になり、ただぼんやりと終わりを待った。
メグミは、焦燥を隠すように眼鏡を押し上げる。
「お母さん、コインランドリー行ってくる」
「エルピスもいってくるー!」
「こんな天気だから、気をつけていってらっしゃいね」
「はーい!」
洗濯物の山を籠に抱え、近くのコインランドリーへ急ぐ。
混んでるだろうか。混んでるだろうなぁ。
ニュースでは連日そんなことばかりを放送しているし。
監視のために堂々とついてきたタナトスも、心なしか弱っている。
冥界の暗さとはまた違うようだ。
「やっぱり混んでるなぁ」
「だからあたしに任せてくれればいいのに」
「そうねぇ……お願いしちゃおうかな」
ちょっとずるい気もするけど。
さすがにこんなに並んでるんじゃ仕方ない。
「……ねぇ、どうして最後の災厄が来ないのかな」
「なんか、てんきがわるいだけだよね?」
「……前が終わらなかったのなら、最後の災厄も生まれ変わらずにいるのかな?」
「ふむ……災厄に関しては神話世界にも文献が少ないからな」
「どんな文献があるの?」
タナトスは立ち止まり、しばらく考え込んだ。
「そうだな……例えば、パンドラの生まれ変わりがどこに現れるかというのは、実は定まっていない」
「そうなんだ」
「これは、パンドラという存在が『急に発生するもの』として世界に組み込まれているから、だそうだ」
「発生するもの?」
「パンドラはかみがみがつくったから、だね?」
「そうだ……本当に、厄介なものを残してくれたものだ、初代ゼウスは」
遠方で、ちらっと雷が轟いた。
三人と一羽は顔を見合わせ、くすくすと笑った。
「どうやら、ようすをみにきているみたいだね!」
「あれ、くしゃみなのかな」
「だろうな……」
◆
うまく生まれられない。
誰かが嘘をついているから。
災厄がまだ残っているから。
あの子の悪性が低すぎるから。
最悪の災厄として生まれるはずのわたし。
これじゃあ旅を終わらせてあげられない。
災厄をリセットすることができない。
恵みを回転させることができない。
わたしは、生まれなければならないのに。
ああ、わたしもやっぱり災厄でしかないの。
あなたに助けを求めなければならない。
◆
「…………」
「………………」
「…………あの」
「あ゛?」
「いや、その、なんの用でしょう……?」
彩花たちの目の前には、真っ赤に燃えるおっきいヤンキーがいた。
うっそぉ、今どきぃ、だなんて思って見ても、いざ目の前にすると足が竦む。
彩花以上にぷるぷると震えた一柱とひとりと一羽が、彩花の背に隠れる。
いや、無理があるでしょうよ。どうしてこのヤンキーはすべてに濁音がついているようなドスのきいた声で話しかけてくるのでしょうか。
「なんの用じゃねぇよ」
「……えっと?」
「お前だろ、彩花って」
「え、あ、はい……」
ヤンキーに名前を知られてしまった。もう終わりだ。
しかしさすがの彩花だ、震える友人を背にして勇気を振り絞る。
「すみませんけど、わたしはあなたを知らないしそんなに威嚇しなくても……」
「あ゛ぁ゛!?」
「なんでそうやってすごむのー!!」
「あ、彩花……彩花……」
「なによ」
黒い翼で自分たちをすっぽりと覆ったタナトスが、震える手で彩花の袖を引く。
「わかったろう、あれがアポロンだ」
「あぁ、自由奔放で身勝手で押しが強くて暑苦しいっていう」
「あ゛!?」
「彩花……タスケテ……」
ヤンキーでないとわかったのだから、もう怖くはない。
たとえ限りなくヤンキーに近い太陽神であっても、だ。
文字通り燃える目で睨まれたとしても、だ。
「えっと、本当に、わたしになんの用?」
「なんで最後の災厄が出ねぇんだ!!」
「わ、わたしだって聞きたいんだけど!!」
「災厄が出ねぇと俺が来た意味がねぇだろうが!!」
「はい……ん?最後の災厄に用事?」
「んな訳ねぇだろ!!」
えーと。
最後の災厄に用があるわけじゃないけど、災厄が現れないと来た意味がない。
つまり、そういうことだろうか。
「えっと、手助けに来てくれた、の?」
「そう言ってんだろ!!」
言ってないが。
いや。
言ってないんだが。
◆
「あー……それじゃあ、ずっと夜みたいにならないのはアポロンたちががんばってくれてたのね」
「そう言ってんだろ」
「……はは、ありがたーい……」
「で、どーすンだ」
「どう、と言われても……あの、手助けが必要なほどの災厄って……どんな?」
アポロンは火の粉を飛ばしながらガシガシと頭を掻き、燃えるため息を吐いた。
「知らんのか」
「知らんですね」
「はぁ……俺も伝え聞いた限りだが……いくつか前の最後の災厄は、あらゆる災厄を操り、神々を従え、北欧でのラグナロクのように世界を滅ぼした」
「……え?滅ぼした?」
アポロンに出したお茶は湯気を立てているし、背後にぴったりとくっつく一柱とひとりと一羽は相も変わらずぷるぷる震えているし部屋はしいんとしている。
「人間はおかしく思わないんだろうな。これだけ色々な国や神話がぶつかりあっているのに」
「…………まさか」
「亡びては生まれた世界が存続のためにお互いにぶつかり合い補い合い重なり合い、そのためにどれもが同時に存在している」
なんてスケールの大きな話だ。だが同時にどこか腑に落ちた。
戻れなかった災厄が世界に残ると聞いた時、じゃあどうして世界はこんなに平和なのだ、と無意識に思ったのだ。
そんなにも、そんなにも些細な滅びなのか、と。
「あの……」
「こらああああぁぁ!!!!」
「げっ」
「なんでひとりで行動するのよ!!!!」
「ど、どなた!?」
いつの間に、部屋に長身の美女が。
白くアシンメトリな髪の毛を後ろへ払い、あのアポロンを睨みつける。
「あなたが彩花ね!われはアルテミス!このやんちゃ坊主のお姉ちゃんよ!」
「お姉ちゃん……」
「うっせぇ!!双子に上も下もあるか!!」
「タナトスはおにいちゃんだよね?」
「私は……ここにはいない……そっとしておいてくれ……」
神話世界の兄弟姉妹事情よりも、今は気になることがある。
「あの……みんなどうして怒らないの?」
「怒る?誰を?どうして?」
「だって、わたしは箱を開けたし……」
「確かにあなたは箱を開けた……災厄を齎す者……でも同時に、恵みを齎す者」
「恵みを……」
「そもそもだめなのは初代ゼウスだしね!」
またひとつ、雷が鳴る。
さっきより近くにはいるらしい。
「さぁて、援軍も揃ったことだし!作戦会議と行きましょうか!!」
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