ep.06 彩花と3柱の神々
「……まずは、オネイロスを見つけなくてはならない」
「妹さんね」
「夢であるオネイロスなら……眠りでありながら眠りに落とされたヒュプノスの夢に入り込めるかもしれない……ただ一つ、問題がある」
タナトスは神妙な顔つきで鳥かごを抱えながら、呟いた。
「オネイロスは、ふたつの門から出てくることで、全く違う存在となる」
「門?どういうこと?」
「……正しき門は普遍的な夢の入り口に、悪しき門は悪夢の入り口となっているのだが……えっと、つまり……正しき門から出てきたオネイロスは善良で……悪しき門から出てきたオネイロスは……嘘つきになる」
前途多難だ。
◆
わかっていたことだけど、冥界って、暗い。
景色を視認できるのだから、何かしらの光源があるはずだが、見当たらない。
気を抜けばまたパニックに陥りそうで、彩花は次々にタナトスへ質問した。
「電気が通ってるわけじゃないのよね?」
「……ゼウスがこんなところを気にかけるとでも?」
「そんなに悪い人じゃなさそうだったわ」
「…………冥界を視認できるのはルーキフェルのおかげだ」
「ルーキフェル?お友達?」
「まあ……よその神話世界のだが」
少し進んでは話しかけ、少し進んでは話しかけ。
「神様にも、好きな食べ物ってあるの?あなたは何が好き?」
「…………ぶどう」
「ぶどうね!わたしの祖父母の家がぶどう農家をしてるのよ」
「……故に、豊穣の神になりたかった、と思うこともある」
「職?役割?は、選べないの?」
「……冥界の神など、誰もやりたがる訳がないだろう……それに、神話世界のシステムが人間に理解できるようにできてもいない」
話しながら少し歩き、話しながら少し歩き。
「趣味はある?」
「……私に聞いているのか?」
「そうね、その鳥かごの中のエルピスとは会話ができないでしょう?」
「あぁ………………えっと……ない、あ、いや……ある……」
「なぁに?」
「……笛を吹くのが……ヒュプノスの竪琴とオネイロスの歌に合わせて……多少」
「そう……必ず助けるわ、エルピスのことは抜きでも……約束する」
やがて、氷に上書きされた影の城が見えてきた。
タナトスが言うには、城が丸ごと氷の災厄に乗っ取られているらしい。
おかげで、もうずっと氷の上で野宿を強いられているとか。
門や扉に鍵はなく、それどころか、開かれたままになっていた。
いつでも、そしてどこからでもかかってこい、という自信が伺える。
彩花は、これまであった「自信」に似た何かがすっかり自分の内から消え去っているのを実感していた。大丈夫。そう言い聞かせるものの、膝が笑っている。
「寒いのか?人間はやはり観賞用の生物か……」
「そうじゃないわ……そうじゃなくて……不安なの、今になって」
寒さのせいにしてしまえばよかったのだが、今の彩花にはそんな冗談を言う心の余裕がなかった。もしかしたら今回は駄目かもしれない、駄目だったらどうなるんだろう、エルピスは、家族や友達は、神話世界は、現実世界は、地球は。
そんな思考にとらわれていると、大広間の階段を通って、氷の災厄が降りてきた。
雪が音を吸収するのか、城内はしんと静まり返っている。氷の災厄の凍てついた声が、冬に包まれた城内に幾重かこだまし、静まり返った。
「氷は、世界のすべてに完璧な死をもたらす……そこにいるタナトスよりよっぽど優しく、静かに…………そして永遠に時を止めたまま」
「氷の災厄……」
「死が、
空気が一段と冷え込み、氷の災厄の半透明に白い髪の毛が吹雪に靡いた。硬質そうに見えるが、やわらかく撓んで正確に元に戻った。
一歩一歩ゆっくりと、こちらへ歩み寄ってくる。
彩花は、立ち向かうことも、逃げることもできない。
「死は誰にだって等しく訪れる……それでも怖いというのなら、ほら」
「ヒュプノス!!」
目を瞑った青年が、ふらふらとした足取りで現れる。
氷の災厄が促すままに、まるで糸に吊られたように。
腰に提げた枝を抜き取り、彩花に向ける。
「……彩花と言ったな」
「うん」
「たった今、この私の権限を持って……エルピスの魂を解放しよう」
「え!?」
「彩花の旅に、なくてはならないものを奪ったことを謝罪する」
彩花の前に立ちふさがったタナトスが、大きな氷の中に閉じ込められた。
鳥かごが砕け散り、影の粒子になる。
黄金の人魂は彩花の左肩に背負われたトランクケースへと入って行った。
と、同時にエルピスが飛び出してくる。
「彩花!しんぱいかけてごめんよ!」
「エルピス!」
ちいさな金のこどもを見て、彩花の心に勇気に似たものが湧き出す。
「てきたいしたのがみうちでさいわいした」
「聞いて、いまは逃げなくてはならない」
「とりかごのなかできいていたよ、オネイロスを探すんだね」
「それじゃあ、あたしが時間稼ぎをしてあげましょう」
灯火の恵みが飛び出して、荒々しい踊りを披露した。
踊りに煽られるように、大きな炎が氷の災厄を襲う。
「僕は昔っから嫌いなんだ、炎の」
「今は灯火よ」
炎から逃げるように、氷の災厄は姿を消した。
彩花はその隙を見逃さず、ヒュプノスの腕を掴んで全速力で城から逃げ出した。
「……すぐに戻るから!」
去り際に、タナトスを一瞥して。
◆
「ただしきもんでまっていれば、いいこのオネイロスがやってくるよ」
冥界の端、暁の方角とやらにてその時を待った。
門とは名ばかりで、ガーランドやアーチといった方がしっくりくる。
花でも飾れば見栄えが良くなる気もするが、今はただ寂れた風景の一部だ。
開け放たれた門は向こうが見えていて、とても誰かが来そうにはない。
「タナトス、大丈夫かしら……死んじゃわないよね」
「なかよくなったんだね」
「ううん、ただ少し……恩があるの」
タナトスは彩花を庇って氷漬けになったのだ。
精神的強度が低くてネガティブで猜疑心が強くて思い込みが強くて闇に輪をかけたような根暗だったけど、本当はとても優しい心の持ち主なのだろう。
氷の災厄がいないからか、横たわるヒュプノスはただ眠っているように見える。
エルピスがいることに心強さを感じながらも、彩花の胸中は焦燥感と罪悪感でいっぱいだった。はやくオネイロスが現れることを必死に祈る。
とても正しき門には見えない寂れたそれに、やがて虹の輪が現れた。
「彩花、オネイロスがきたよ!」
「よかった……!」
やがて虹の輪から少女が現れた。オネイロスだ。
花の髪飾りを揺らし、差していた樹木の傘を折り畳む。
オネイロスが、彩花とエルピスを目に留め、次にヒュプノスを見つめた。
ああ、と悲痛な嘆きを放つ。
「わたくしが夢の中を巡っている間に、とうとう箱が開かれたのですね」
「お願い、災厄を戻したいの、手を貸して!」
「彩花、まずはおちついてはなしをしよう」
「ええ、ええ、およその見当はついていますが……お聞かせ願えますか?」
彩花はタナトスとのことを話し、ヒュプノスを指した。
「彼を、起こさなければならないの」
「起こしたところで役には立たないでしょうけど……それでタナトス兄さまの心のつかえがとれるのなら、そうしましょう……」
「ありがとう、オネイロス!」
「本当ならわたくしでなく、友人の方が適任ですが……今はどこかの幽世でお茶屋さんを…………あら、案外簡単に開きましたよ」
ヒュプノスの上に浮かぶ虹の輪が大きく開いていく。これが夢の出入り口のようだ。
「ふたりとも、夢の中は荒唐無稽で支離滅裂……それでも、諦めないで探して」
「探す?」
「本物を……本物のヒュプノス兄さまに……目を覚ませ、と」
「わかったよ、きっとさがしてみせる」
ぱん、と傘を開いたオネイロスに連れられ、虹の輪をくぐった。
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