ep.08 吹雪の中の霹靂


「タナトス!ヒュプノスを助けたわ!タナトス起きて!」

「兄上!なんてひどい……」


ヒュプノスは涙ぐみ、タナトス氷像に駆け寄った。

トランクから灯火が飛び出し、あちこち擦り始める。


「難しいわ、あたしだって生き物の解凍なんてしたことないもの」

「じゃあ、どうにもならないの?」

「だって、焼き尽くさずに内側をあたためるなんてとても……」

「ヘパイストスやヘスティアでもだめだろうね」


彩花は、電子レンジが頭に浮かんだが、すぐ自らの発想の恐ろしさに身震いし、頭を振った。ないない、絶対ない。怖すぎる。


「アグニ!誰かアグニに頼んでみたかい!?」

「このたびではできるだけだけですませたかったけど……」

「彼なら焼き尽くすことも死なすこともさせず助けてくれるはずだ」

「わたくしも、ヒュプノス兄さまと同意見です」


兄妹の話によると、アグニはまさに「ぬくもり」と称すべき炎の持ち主で、体の内から健康的にあたためてくれるのだそうな。


「すぐに使いを送ろう」


ヒュプノスが笛を吹くと、どこかから犬が3頭やってきた。すぐに駆けつけてきた2頭とは違い、な1頭がやや遅れて到着する。


「この子たちはケルベロスの部下でね、連絡係なんだ」


犬たちはヒュプノスの言の葉(葉に書かれている手紙)を預かり、来た時以上の勢いで駆け出していく。ヒュプノスは眉を下げ、そわそわうろうろしていた。


「ヒュプノス兄さま、少し落ち着いて」

「だって心配なんだ……兄上もこんな気持ちだったのだろうか」

「双子ってこれだから嫌になりますね」

「そうなの?彩花はふたごってどんなものかしってる?」

「うん、友達にいるよ……感じではないけど」


こんな時の落ち着き方がわからない、ということでタナトスを囲んで祈ることにした。タナトスが焚火であるかのような状況だ。真逆なのに。



やがて犬たちが戻ってきた。

口に何かの袋を抱えている。


「ありがとう!きみたちは本当に優秀だ!」


ヒュプノスに撫でられてご機嫌な3頭が、袋を彩花に渡してくる。

おずおずと受け取ると高らかに「わん!」と吠え、どこかに戻って行った。

彩花は、犬たちが敬礼したような錯覚を見た。


「何が入ってるんだろ」

「要るだけの炎を送ってくれたようだ」

「やはりも、箱のことは心配していたのでしょう」

「これ、わたしでいいの?」


手に持った袋は不思議な重さがあった。

まるでぐっすりと眠った猫が入っているみたいにあたたかい。


「アグニはにんげんがすきだからね」

「うん、だから快く送ってくれたんだろう」

「さあ、炎をタナトス兄さまへ」

「う、うん……」


袋の口を縛っている紐を解こうとしたその時だった。


「それは困るだろう、普通に考えて」

「氷の災厄……!」

「おっとヒュプノス、目覚めて嬉しいのは解るが一度僕に負けていることを忘れない方がいいと思うよ……また眠りに就きたい?」

「あれはもうひとりのオネイロスの手柄だろう!どうだい、眠りヒュプノスで勝負してみるかい!ただのいち災厄が勝てると思わないことだ!」


氷の災厄が手を降ろすと、何もない宙からたくさんの巨大氷柱が降り注いだ。

兄妹は、タナトスの氷像を抱えて猛攻を避ける。

彩花はアグニの袋をヒュプノスに投げ渡し、巨大氷柱の破片を手に取った。

エルピスもそれに倣い、ちいさな破片を拾い、掲げる。


「……もう、誰かを傷つけるのはやめて」

「おねがいだから、はこにもどってほしいんだ」

に感情を語るなんて、愚かだと思わないか?」


氷の玉座を作り出し、それに腰かける。


「別に僕らじゃなくてもあるだろう?地震でも火事でも洪水でも……災厄と災害は同じもの、人間がどう思おうと必ずやってくるものだ」

「……でも、箱から出てきたあなたたちには、心がある」

「もうやめてだの、許してくれだの、それって僕らに死ねって言ってるのと同じだ」

「同じじゃないわ、だって、災厄たちは恵みそのもの……自分の心で、悪くも、善くもなれる存在よ」

「……こおりのさいやくも、いままでずっとめぐみだったじゃないか」


氷の災厄はゆっくりと首を振り、吹雪の吐息を洩らす。


「足掻いているだけさ……箱さえ開かれなければ僕らは恵みでいた……でも、箱は開かれた!何度目だ!世界が僕らに災厄で在れと言っているんだ!!」

「それは……申し訳ないと思うわ」

「きみじゃない、きみじゃないんだ……すべては、始まる前に終わるべきだった」


手を、彩花とエルピスに向けた。

城内の気温が、振動の止まる値まで近づいてくる。


「旅は、終わりだ」





「……か、彩花!おきて彩花!」

「…………エルピス?」

「よかった、だいじょうぶだ!」

「なにが……起きたの?」


辺りは青く、日の光が眩しい。

彩花たちは、空の真ん中にいた。


目を閉じると、やっと先程までの記憶を辿ることができた。


彩花たちまでもを凍らせようとした氷の災厄に、なにか白い亀裂のようなものが走ったのだ。災厄に、というより世界そのものに。


それと今の状況が繋がらず、頭が痛みだす。

なんなのだ、これは。


「ゼウスがね、たすけてくれたんだ」

「大した時間稼ぎにはならないだろうけど……」

「ケラウノスを、こおりのさいやくにけしかけたんだ!ゼウスのつくりだしたさいやくを、かみがみはこわすことができないけど……でも、びっくりはしたはずさ!」

「……どうやったら、恵みに戻ってくれるのかな」


彩花は膝を抱えた。

だって、どう考えても氷の災厄の言い分が正しい。


彼らはそういう風に作られたのだ。


世界に災厄をもたらし、やがて箱に帰るもの。

そういう風に、世界に組み込まれてしまったのだ。


箱を開けた彩花と、害をなす災厄は対等で、同じものだ。


「間違ってるってわかるのに……わかるだけで、言葉にすることができないの」

「……きみにも、多大な迷惑をかけてしまった」

が作った物じゃないわ、わたしと同じ」


皆、同じなのだ。代替わりした神々も、内容を変える災厄たちも、彩花も。

世界の決めた運命に、いつだって巻き込まれているだけ。


「きっといつか、おわるときがくるよ」

「……そうだと、いいな」


そうじゃないと、こんな運命を決めた世界のこと、少しだけ嫌いになりそうだから。


「ここに、いつまでだって居ていい……」

「エルピスは、彩花とおなじきもちでいるよ」

「……わたしは…………」




「…………やっぱり、ひとりでいると心が鎮まる」


音も命もない世界にひとりきりになることで、やっと安堵した気持ちになる。


氷の災厄は、自分が恵みに戻らなければならないことを知っていた。

別に悲観もしていない。ただ、納得できないだけで。


その上で、抗いたかった。


自分が生まれた時に、既に決まっていた運命に。

生まれた瞬間に世界から忌み嫌われる運命に。

誰からも生まれることを望まれなかった運命に。

自分らしくいるだけで誰もが嘆く運命に。


そして、恵みになったところで何も変わらない運命に。


自分がどうしたいのか、何を言われたら納得するのかもわからないまま、ただ運命のままに暴れ、凍らせ、世界に、命に傷をつけた。


誰かが殺してくれるのを待っているのかもしれない。

誰かが罰してくれるのを待っているのかもしれない。

誰かが責めてくれるのを、叱ってくれるのを……いや。


誰かが赦し、受け入れてくれるのを待っているのだ。


本来あるはずのない心、その奥深くに刺さった氷の棘を溶かしてほしいと。


「…………」


ケラウノスに連れ去られたふたりを思う。


「……なにかわからないが……あれは、違う」


あれが、パンドラだと思いたくなかった。

従いたくなるような声も、動きを止めてしまうような美貌もない。

悪辣でもなく善良で、命令でなく懇願をする。

ただふしぎなぬくもりだけを持っていた。


何か、根本的に違う生き物を見ているようだった。


「ああ、駄々をこねても終わらないのは解ってる……」


災厄たちは、恵みに戻りたいという本能を持っている。

おかしな話だが、でそれを抑えているだけで。

そのアンビバレンスな感情を、パンドラに向けるはずなのだ。


「エルピスが選んだのだから、間違いはないはずだけど……」


ああ、駄目だ。気を抜くと恵みに戻りたくなる。


どこかにいるかもわからない同朋に語りかける。


「最悪の災厄……君のように、理性的でいたかったな」


最悪の災厄。あれだけは、パンドラの悪辣さを鏡映しに掬い取ったようなの持ち主だ。災厄の内容や数は時代によって変わるものの、あれだけは必ず最後に現れるといつだって決まっている。


溶けだした氷が雨音となった。


空を切り裂くような音がして、ケラウノスが件の人物を連れてくる。


「……待っていたよ、彩花」

「……わたしが、間違っていたのかもしれない」

「…………え?」

「恵みに戻りたくないあなたを、他人の都合で恵みに戻すべきじゃなかった」


世界すべてを他人と称し、たったひとりの災厄と秤にかけてるぞこいつ。

氷の災厄は笑みを引き攣らせた。


「その上で、わたしはあなたにお願いするの」

「……へえ、そう」

「あなたが災厄でいたい理由で、わたしを納得させて」


意趣返しか。


「納得したら、わたしはあなたを恵みに戻さない、諦めて先へ進む」

「……ばかなのか?人間界も既に被害に遭ってるんだぞ」

「あなたが自分でそうあるべきだと思うなら……否定する理由がない」


彩花は、本心からそう言っていた。

なんだか、みえないところが自分に似ている気がして。


誰にも理解されなくて、理解されようともしなくて、いつだって心の動きに従っていて、でも自分がどんな感情でいるのか、わかっていなくて混乱して。


誰かに言われることもないから、自分で自分に言い聞かせる。


「あなたはあなた、誰ともちがう、みんなちがう、そういうものだよ」

「……の?」


鏡に映した自分と会話しているようで。


「あなたは結局、誰も殺さなかった」

「…………」

「それで、いいんだよ」


他人が聞いても、何を話しているのか理解できないだろう。

それでよかった。ただふたりの間で伝われば、それだけでよかった。


どしゃどしゃと氷水の落ちる音がする。


「冬は、目覚めに向け命へ休息を与えるもの……眠りの恵みとしてきみに従おう」


冥界の冬が終わった。




「……本当に、戻ったのかな?」

「もどってるはずだよ!」

「災厄と恵みの性質が近ければ近いほど見た目は変わらない、そういうものだ」

「そうなんだ?」


じゃあ今までの恵みたちはみんなそうなんだろうか。

地の災厄だけ、だいぶ大きさが違ったけど。


「……ただ、恵みに戻ってわかったこともある」

「なぁに?エルピスはそれ、わかんないんだよ」


眠りの恵みは、片手で顔を覆い、ため息を吐いた。


「……僕はきっと、、終わらなかったんだ」

「前?」

「エルピス、きみは自分が殺された後のことを知らないだろう?」

「うん、エルピスはまえってやつのこと、わかんないんだ」

「きみが殺され、世界にはいくつかの災厄が残った……世界に四季があるのも、その名残だ……僕は残り、世界に冬を刻んだ」

「……じゃあ、灯火さんも?」

「おそらくは……そして、前の自分に引きずられている……よっぽどなことがあったんだろうね……僕は、きっと……否定されすぎたんだ」


眠りの恵みから、あくびが何度となく漏れる。


「すまない……代わりに……あの兄妹に謝っておいてほしい……」


トランクに吸い込まれ、ふたりと1羽だけになる。


「そうね、そうだった、まだ仕事が残ってるんだった」

「かれらに、たいようをみせてあげよう!」



「兄上、見て!あれひとつで本当に世界中が照らされている!」

「……なんと、あたたかいのだろうな」

「人間はこれを見ているから生きたいと思うのでしょうね」


3兄妹が、彩花の家の庭で日光浴をしていた。


「あら彩花、お友達?」

「うん、新しい友達」

「今度はちゃんといるみたいね」


母親は太陽の下、くすくすと笑っている。

お茶とお菓子は何人分かしら、だなんて嬉しそうに。


「どういうことだい?」

「あぁ、なんか前にお母さんと友達がすれ違ったみたいで、存在しないとか言うの」

「ぼくが彩花とあったひのことだね!」

「そうそう、エルピス箱の中から見なかった?」

「わかんない!彩花がひとりごとをいっていたのはおぼえてるよ!」


彩花はそのうち引き合わせてやろうと計画した。


お菓子に集まるエルピスたちから離れ、ひとり佇むタナトスへ駆け寄る。


「ねえタナトス、あの時怒鳴ったりしてごめんなさい」

「構わん、私こそエルピスの魂を奪ったりして悪かった……人は死を恐れるほど……生きたいと思うほどに強くなるのだな」

「そうね、エルピスが死んじゃうかと思って……」

「彩花自身はが怖くないか?」

「あれが冥界なら、そんなに怖くないかなって思ってたところ」


こんなに愉快な3兄妹もいるし、かわいい犬だっている。


「死を過度に恐れろとは言わないが、死を忘れるのもよくないからな」

「つまりどういうこと?」

「それくらいでちょうどいいってことだ」

「そう」

「たまに遊びに来るといい、ヒュプノスやオネイロスが喜ぶ」

「あなたは?」

「まあ、暇なら相手してやろう」

「ずいぶんポジティブになったじゃない?」


いくらかの引っかかりを残したまま、タナトスを皆の元へ引っ張って行く。

存分に太陽を浴びて、お菓子を食べて、笛を吹いたりして。

冥界の3兄妹たちに、少しでも辛さを残さないように。

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